16.あと二日
日に日に窶れていく私達だが、誰もそれを指摘しない。
理由は二つ。私達が与えられた部屋に引き篭もり、ほぼ姿を見せていないから。もう一つは皆、ハルフォークの親善訪問で頭がいっぱいだからである。
彼女らは舞踏会でいかに目立つかしか頭に無いようで、仕事中にも関わらずドレスや装飾品の話しかしていないらしい。皆揃って気もそぞろで仕事をしているようだ。
こちらはそれどころではないのに。
しかし聞いた話だと流石に新しいドレスを仕立てる時間が無いのか既製品のドレスが軒並み売りきれているようだ。王都で一番人気のデザイナーが手掛けるドレスショップは早々に完売し、店を暫く開けられないとか。
忙殺されている私には関係ない話だが。
「もう纏まんないな」
紙を投げだしたい気持ちを堪え、腰掛けていた椅子からズルズルと体勢を崩していく。辛うじてお尻が乗っているだけの体勢となり、ぶらりと下げた手を臍の位置で組んだ。
「無理だ、頭が働かない」
額に貼られた清涼感のある湿布も温くなって久しい。細長い湿布を貼ってもあまりある額には、綺麗に上げた筈のポンパドールが乱れ、オレンジの髪が落ちている。
昨日遂に職場に泊まった。一線を越えた。越えたくなかった午前0時を越えたのだ。そしてそのまま翌日の業務を行っている。私はまだ昨日に取り残されているのに。
私でもこうなのだから、少し離れた席にいる先輩は更に四日前から取り残されているのかもしれない。顔を両手で覆い、背中を丸めている姿は痛々しい。
「僕も」
弱々しい声は騒がしい部屋の外の声にかき消されそうだった。
泊まってみて分かったが、これは本当に良くない。一生この時間が続くのかと錯覚する。終わりのない仕事、メリハリのない仕事、永遠に続く仕事は精神に異常をきたす。
これは本当に良くない、絶対に早死をする。
二人とも心は別の世界だ。しかし悲しい事に目の前の仕事は現実を突きつける。終わりなんてない。
不思議な事に少し進めば新たな事が起こる。
「でも、早速もう一個見つかるとは」
「そうですね、本当に」
そう、あの瘴気を生み出す逆鱗がもう一つ見つかったのだ。見つかった場所は国境近い北部の洞窟。あまり人が踏み入れる場所ではないのだが、そこにしか無い薬草を採取しにいった人が洞窟の異変に気付いたのだ。洞窟から強烈な獣臭と聞いた事のない不思議な鳴き声がする、それがこちらに寄せられた情報である。
現場に行ったのは第一騎士団。魔素値は私の時と同じく計測不能、思った通り魔獣も出現した。今度は狼型ではなく、蛇だったそうだ。私の時と違うのは魔獣は既に弱っており、直ぐに息絶えたらしい。
そして洞窟を進んだ最奥に逆鱗があったと。
もう早々に見つかった逆鱗に関係者はてんやわんやだ。報告書を作成するのが苦手な騎士に変わり、こちらが状況を聞き出し作成するという意味の分からない事もした。通常だったら「そんな意味わからん」と一蹴しているところだが、今はそんな場合ではない。報告書待ちという時間が惜しい。
ぷしゅ〜と頭が煙を出しそうだ。シャワーも浴びれていない、顔も洗っていない、仮眠だって結局目が冴えて出来なかった。
進めければいけない仕事は幾つもあるのに、頭が働かない。
だらしなく椅子に座ったまま、虚空を見つめる。時計の秒針の音がやけに部屋に響いて聞こえた。
「少し仕事と関係ない話しても良い?」
「どうぞ」
顔を覆っていた手を外し、先輩がふらりと近寄ってきた。机を挟んで向かい側に来ると近くの椅子を引き寄せ、気怠げに腰を下ろす。
人が動いたくらいじゃ、頭は冴えない。
ぼーっとしたまま先輩を見ていると、桃色の瞳がこちらを覗いてきた。様々な紙が散らばった机に遠慮なく腕を置いたところを見ると先輩の頭もうまく作動していないようだ。
少し前屈みとなり、目線を合わせるように首が傾けられる。
「この間のご飯の時の話なんだけどさ」
何となくもう触れられないだろうと思っていた話題に一瞬にして頭が真っ白になった。
「は?」
ひっそり黒歴史にしようとしていた記憶がぶわっと蘇る。何度思いだしても悪い意味で色褪せない記憶だ。羞恥心から床にのたうち回りたくなった。しかし、いくら疲労から判断力が低下していてもそんな事出来はしない。更に黒歴史に黒歴史を重ねるだけである。仕方なしにぶるぶる震える腕で頭を掻きむしった。
何を言われるのかは分からない。頭を駆け巡るのは自意識過剰で失礼な発言。それと中身が変わっていなかった財布の事。
「へ? え、あ? あ、ああ、もしかしてお金とかですか? 私は払った記憶更々なくて! やっぱり払ってなかったですかね!?」
そうであって欲しいと私は空元気な声を出した。あの発言よりお金問題の方が余程気持ち的に救われる。
「お金は大丈夫。そうじゃなくてね」
いやいやいや、そうであって欲しかった。そうであれ。否定をするな。それしか話さなくていい。そもそも数日前の飲み会の話を今するな。そういう話をしていいのは次の日だけだ。……多分。
先輩は焦る私の顔を見て短く笑った。「ふは」と本当に短く。口元にやった手はインクで汚れていた。
嫌な目だと思った。いつもよりも獣くさいというか、なんというか。居心地が悪くなる目を真っ直ぐに向けられている。
嫌な予感しかしない。
「ご飯食べた時にも言ったけど、僕は君が好きだよ。結婚したいと思ってる」
「ぶぁっ!」
口から飛び出た飛沫が書類に落ちる。しかし、それを気にする事も出来ず椅子から体がドタンと落ちた。
「大丈夫?」
椅子から立ち上がり、床の私を見下ろすのは私が椅子から落ちた元凶。
お尻に痛みは感じない。それよりも驚きの方が強かった。
「なんで……」
あんな事を言ったのだ、もう恋情など無くなったかと思っていた。
だって私だったら、嫌いになる。酷い自意識過剰女なんて冷めないか?普通。
ポカンと開いた口は閉め方を忘れたようだ。漏れた言葉も無意識で、頭と口は突っかかりなく飛び出てしまった。
先輩はいつの間に私の横へ来たのか、白い手を差し伸べていた。でも私の手はそこへは伸びない。伸ばしてはいけないと思った。
漸く頭が今日に切り替わった気がする。私は先輩の手を首を横に振り、拒否すると自分で立ち上がった。服を軽くポンポンと叩き、元の椅子に座る。
先輩はよく見る気持ちが篭っていない笑みを浮かべ、対面の椅子へと再び腰を下ろした。
「なんで? なんでって」
先程つい零れた言葉に先輩が首を傾けた。耳のピアスがキラリと揺れる。ピアスなんてしていたのか。
「あのくらいの事で嫌いになる事ないよ。あれで嫌いになる人はその人を偶像化してるだけ」
グサリと刺さる言葉に呼吸が一瞬止まる。自分の考えが否定された。
やはり自分には恋なんて何も分からない。遠くから掠れた笑い声が聞こえた。「ははは」と全く感情の乗っていない声。その声が自分の声だと気付き、私は開いていた口を閉じ、口角を上げると視線を斜めに落とした。
湿り気を帯びた、どろりとした桃色の瞳はどうしてそんなにも私を見るのか。
「ねえ、好きだよ」
だから僕を見て、と先輩の目は言っているようだった。
それがたまらなく恐ろしかった。
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