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12.元婚約者


「頭いたいー」


 翌日当然のように二日酔いに襲われた。頭は痛いし、気持ちが悪い。昨日、家に帰ってから一度吐いたのだが、それでもこの具合の悪さ。


「あんだけ飲めば当たり前か」


 昨日を思い出し、がっくりと洗面台で肩を落とす。自分が何杯飲んだ等もはや数えていないが呂律が回らなくなる程飲んだ。思考回路のリミッターが解除されたのも覚えている。そして酔いが完全に醒めた一言も。


 洗面台に向かい、深い溜息を漏らせばつられて他の物も出そうになる。うっと堪え、顔を上げた。鏡に映るのは真っ白な顔をした自分。その白い顔にかつての婚約者の顔を思い出した。


 

 私にはかつて婚約者がいた。学生時代の恋人、そして自然な流れで恋人から婚約者となった。

 恋人になったきっかけは元婚約者ベンジャミンからの告白。真っ赤な顔をしたベンジャミンが「好きです!」と飾り気のない真っ直ぐな言葉で伝えてくれたのだ。

 当時、彼の事は友人の一人でしかなかった。全くそういう気持ちは無かったが、彼の真っ赤な顔を見たら「そういう関係もいいかもしれない」と私達は恋人になった。

 ありふれた普通の恋人だったと思う。いや、他よりも仲が良いと私は思っていた。でも思っていたのは自分だけだったようで、今から四年前に婚約白紙となった。


 婚約白紙の申し出はベンジャミンからだった。当時の私は本当にうまくいっていると思っていた。だから本当にその申し出は寝耳に水で頭が真っ白になった事を覚えている。その日の朝の寒さも、肌に触れるシーツの冷たさも、体が闇に吸い込まれるような感覚も、鮮明に。


 彼は言った。

 ずっと辛かったと。


「告白してOK貰った時はとても嬉しかった。キャロルも同じ気持ちだったんだって……でも……キャロルは俺の事なんて好きじゃなかったよね。人としてはきっと好いてくれているんだろうと思う。でも俺と同じ恋愛としての好きじゃないよね」


「俺はキャロルがとても好きだよ。本当は結婚したいし、キャロルとの子供が欲しい。でも一緒にいればいる程、本当に虚しくて……。俺はね、キャロルと一緒に居ない時はずっとキャロルの事を考えてるんだ。美味しいものを食べればキャロルにも食べて貰いたいと思うし、ショップに入れば自分の物よりも君の物を探してしまう。驚く事があれば共有したい。早く君に会わなければ、話をしたいって急ぐんだ。キャロル、ねえキャロル。キャロルは俺と何を話したい? 何を一緒にしたい? 一人の時、俺を思い出す……?」


 私は彼を愛していると思っていた。愛を返せていると思っていた。でも彼は告白の時とは正反対な真っ白な顔でそう言ったのだ。

 震える声、肩、空に登ることなく消えた白い息、降り注ぐ雪が運ぶ涙交じりの声。繋いでいた筈の手はやんわり離れ、最後の薬指がぷつんと落ちた。

 二人歩いた思い出の庭園はもう私の中では白い靄にかかっている。思い出の場は私の愛が否定された場になったのだ。


 

 私は過去に飛んだ頭を現実に戻し、鏡の前で自嘲を溢す。あの時、ちゃんと答えていれば違う未来があったのだろうか。もう何度目か分からない答えのない問いに自分が情けなくて頭を振れば、ぐあんぐあんと酷く痛んだ。


「酷い顔」


 蛇口を開き、顔を水で洗う。ベタつく顔に心地良い水、心地良い筈なのにあの冬の朝と同じくらい冷たく感じた。

 


「おはよーございまーす」


 具合は悪いが、二日酔いで仕事は休めない。ガンガンと痛む頭で職場のタイムカードを押せば、案の定姦しい同僚に囲まれた。


「うわ! 凄い顔白いじゃん! 具合悪いの?」

 

「本当だ! 真っ白!」


 朝からよくそんな大きな声が出せる。心配してくれるのは良いが、二日酔いの頭は大声に弱い。今もその声のせいで更に頭が痛んだ。まるで頭の中に暴れん坊の牡牛がいるようだ。こめかみがドクンドクンと脈打つ痛み、これになるといつも思う。もう酒は飲まないと。


「二日酔い」


 ぐったりと答えると、集まった三人の内二人がスンスンと鼻を近付けてくる。


「確かにちょっとそんな匂いがする」


 そう言ったのは同期のココ。分かる、二日酔いだと少し匂うのよね。


「おっさんみたいな匂いがする。あ、これニンニクの匂いだ」


 そう言って鼻を摘まんだのはカリン。後輩なのによくもまあ、そんな事が言える。

 私は薄目でカリンを見た。カリンは失礼な事を言った自覚がないのだろう、鼻を摘まみ、顔を顰めたままだ。


「あとでりんご食べるわよ」


 にんにく臭はりんごで消えると言われている。本当なら家で食べて来たかったのだが、家に無かったので入念に歯磨きをして出て来た。しかし、歯磨きをしても胃からの異臭は消えないようだ。

 ごめんなさいね、と鼻を鳴らせば同期のシャリオがのんびりと話し出した。

 

「それなら俺いっぱい家にあるからあとで持って来ようか? この間の調査で貰ったんだよ」

「ありがとう、是非貰いたいわ。三つくらい」


 ココ、カリン、シャリオは第二魔術師団の有名かしまし三人組だ。前回の調査帰還時にも絡んできた。普通の時は何とも思わないのだが、疲れている時に構われるのは少々面倒臭い人達である。まあ、シャリオはそこまで煩くない。のんびり構え、二人を見守っている保護者的な存在だ。


 そんな三人が朝から絡んで来たのはそれ程珍しい事でもない。二日酔いの頭でさらりといなしたつもりだったのだが、今回は何故か席まで三人が付いてくる。一体何だと思いながらもさして気にせず自席に荷物を置けば、隣の席のジョンが挨拶をしてきた。


「おはよう、キャロル。こないだの調査大変だったんだって?」

 

「おはよう、ジョン。それもう広まってるの?」


 だとしたら少し面倒だ。魔術師は好奇心の塊である。根掘り葉掘り聞かれる危険性がある。

 もしやと机に置かれているラックの書類を上から順に目を通す。さすがにこれに関連した事は置いていなかった。たまに他人の机にある書類を見る人がいるのだ。それで話が広まったりもする。

 良かったと安堵し、書類をラックに戻す。


「あの、キャロル」


 振り向くとココ、カリン、シャリオが何か言いたげに立っていた。正直まだ居たのかと思ったが、その言葉を飲み込み返事をする。


「なに? どうしたの?」


 気まずそうに立っているのはカリン、それとココだ。シャリオは二人に合わせ顔を作ろうとしているが如何せん、元がぼんやり顔だからかそこまで表情は変わらない。

 もじもじとしているカリンは久しぶりに見る。昔は終始こんな感じだったと思うが、いつの間にあんなになったのか。


「キャロル、このあいだはごめんね」


 謝罪を口にしたのはシャリオだった。一体何に対しての謝罪なのか分からず、私は小首を傾げた。すると続いてカリンとココが頭を下げる。


「ごめん! 大変な調査だったのに汚いとか言って!」

 

「帰れとか……本当帰れたら帰ってるよね! なのに考えも無く攻めてごめんなさい!」


 バッと頭を下げられた事に驚き、それと同時に少し怯える。思わず胸の前で両手を握ってしまった。

 なんせ二人はあまり謝る事がない。騒ぎ立てるだけで攻撃的ではないからとも言えるが、何でも愛嬌で乗り切ろうとする質なので真剣に謝る姿を見るのは稀である。だから最初、驚きの方が勝り、彼女らの言葉を理解出来なかった。驚きが収まれば漸く言葉が頭に入ってくる。


「あ、その事か」


 そういえばそんな事も言われていた。森から帰還した日の事だ。基本寝れば大体の事は消化出来る性格なので忘れていた。


「別に全然いいよ。確かに汚かったし。私も強く言った気がするしね」


 あの時は疲れすぎてイライラしていた。だから自分も強く当たってしまった。しかしカリンやココは私の言葉に納得いっていないのか申し訳なさそうにしている。


「本当に気にしないで、本当大丈夫」

 

「でも」

 

「でもでも何でもなくて、本当に気にしないで。言われるまで私忘れてたし、そのくらいの事だから。寧ろ気にさせるくらい強く言ってごめん、許して」


 一息に言えば、カリンとココは顔をそろりと見合わせた。どうしようと困った顔をしている。何も悩むことはない。もう自分の仕事をしてくれ。何分こちらは二日酔い、喋るのもつらいのだから。


 ついでにニッコリと微笑み、圧を与える。そうすればシャリオが何かを察し、二人を連れ出してくれるだろう。そして思った通り、シャリオがそれとなく二人を説得し、席から離してくれた。

 私は離れていく三人の後姿を見て、はあと溜息を溢す。


 「なんだか今日も嫌な事がありそう」


 ぼそりと呟いた言葉に隣のジャックが「ふはッ」っと笑った。




読んで頂き、ありがとうございます。

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