プロローグ
どうしてこうなったのだろう。
目の前には申し訳なさそうな上司、真横には楽しそうな先輩。
断りたくて仕方がないのに、社畜の私が「断っては駄目だ」と悔しそうに言っている。本当は断りたくて仕方が無いくせに。
「いい? ベインズさん」
気遣わし気に訊ねた上司は言葉とは裏腹に「ごめん」と瞳で言っていた。もう何日も職場に寝泊まりしている上司にそんな顔をされては断れない。
断れないが、断りたい。だって本当に私は彼、先輩が苦手なのだ。
先輩の私を見る目が怖い。どろりと熱を帯びた粘着質な視線、桃色の瞳の奥に見える獣のような光が怖くて仕方が無い。
断りたい、抵抗したい。
でも彼はきっとそんなちっぽけな抵抗ものともしないのだろう。にっこり笑って、私の言葉を押し込めるに違いない。
「キャロルが良いです」
そう、まさにこんな笑顔で。
「キャロル」
金髪が視界の端で揺れる。肩口で整えられた髪がサラリと落ちた。
ぐいっと顔を覗き込まれれば、桃色の瞳と目が合う。金色の睫毛に彩られた桃色はハッとする程美しく、その中に自分がいるのが不思議なくらい。
「キャロル、良いよね?」
長い睫毛がパサリと瞬く。開かれた瞳は答えをひとつしか欲していなかった。
ああ、もう断れない。
それを悟り、私は「はい」と呟いた。その声は実にか細く、物音ひとつでかき消えそうな声だった。
思えば、そう、今思えばだけど、私の人生はこの時から動き出した気がする。
別にこれまでも停滞していた訳じゃない。それなりの出来事も程々にあった。自分や他人の心が分からなくなった事だってたくさんあった。
でもきっと此処が転換期だったのだと思う。
この選択で私の人生の歯車はカチリと合い、そしてゴロゴロと勢いよく転がり始めたのだ。
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