6話 勇者ジャルダンディーノ
「おいジャル、またここ間違えてたぞ。いい加減慣れてくれよ」
「すまんすまん、どうにも事務作業は苦手で」
「お前も王都衛兵の副隊長になるんだ、そんなんじゃこれからやっていけないぞ」」
場所、王都中枢の衛兵駐屯所。
ここでは日々、困った住人たちが助けを求めてやってくる相談所のようなところ。
ジャルダンディーノはここで懸命に働いていた。元勇者と言えど魔王討伐後に何もしなくても生きていけるわけではない。莫大な資金が渡されるとはいえ、これから老後のことを考えると足りるものではない。なので、元勇者と言えどこうしてせっせと働いているわけだ。
そして今はなしているのが同期のキルザエル。彼はジャルとの出世レースで敗北して今は衛兵全体の管理をする職に従事していた。そんなキルザエルとジャルはとても相性が良く、5年前王都衛兵隊に入隊したときからの仲だ。
今は街での事件も少なく、2人は駐屯所で書類整理を行っていた。
「来月にはお前も結婚か・・・。勇者となればやっぱりモテルんだな」
「元勇者だからな? 大体俺の嫁は10年の付き合いで、勇者だから俺を選んだってわけじゃないから」
「勇者になる予定だから近づいたとかじゃないのか」
「それはもう俺のことを褒めてるようなもんだぞキエル」
2人は笑いあう。こんな日常がここ2年近くは続いていた。
しばらくフィルリエント達とも会っていない。あいつらの事を心配はしていないが、彼は一つ気がかりなことがあった。
「そういえば、勇者シルヴィ。あの子まだ見つかってないんだって?」
「・・・ああ。月1で小規模の捜索隊を結成して出してはいるんだけどな。一向に見つからない。もしかしたらもう、死んでるのかもしれないな」
「お前が諦めてどうする。ほかの勇者5人は探す余裕がないんだろ? それだったらお前が探すしかないんじゃないのか?」
「それはそうだけど、結婚もするんだ。彼女のことを諦めて今の家族のことを考えたほうがいいじゃないかって思えてきてな。いつまでの俺の憧れを追うのは、諦めようと思ってる」
ジャルダンディーノは一時期シルヴィのことを好き好んでいた時期があった。今の正妻がその時にはすでに存在していたので浮気という形にはなってしまうのだが、それでもジャルダンディーノは彼女のことを想っていた。それが愛という感情のものではなく、憧れというものだったことに気づいたのは、彼女が失踪してすぐの事だった。リリトにそのことを指摘されてハッとした。俺はなんて愚か者だったんだと。そしてそのことをシルヴィに言えずにいたことを後悔していた。それを告げていれば、また違ったんじゃないかと。
「そう思い詰めるな。きっと生きてる、あの夜、王族の少年も一人行方不明になったままだ。フィリップ王も心配しておられた。その少年が見つかっていない以上、捜索隊が解体されることはない。気長くやっていこう」
「・・・そうだな。ありがとう、キエル」
この5年間で王政も大分変わった。フィリップ王の病状が悪化したのはつい最近の事だ。勇者7人に力を継承したことで寿命が縮まった影響だろう。それが顕著に表れ始めたのはほんの数週間前。今はそのご子息、ミカエルが政治を仕切っている。
「ミカエル様の演説会、護衛の隊長に任命されたんだろ? そんなこと考えずそっちにしっかり臨め? 今はミカエル様の政治に反対する勢力が大きくなってきている真っただ中だ。気を抜くなよ、ジャル」
「ああ、わかってるさ」
ジャルダンディーノはそう言って笑みを浮かべながら書類作成の手を再開した。
「ただいまぁ! 愛しの父さんが帰って来たぞ!」
「ぱぱぁ!!」
帰宅早々、ジャルは制服のジャケットを床に放り投げて帰りを歓迎する娘を抱きかかえる。膝立ちで娘を抱っこするようにして抱えたので若干姿勢が崩れかけるが、元より鍛えていた大幹を駆使してバランスを整える。
「いやぁシャルヴィも大きくなったなぁ。俺もうお前を抱っこできないかもしれないぞ」
「ダメ! そんなの絶対ダメ! ぱぱは私を抱っこするの!」
「叩くな叩くな! わかったから俺が悪かったからいてててっ!?」
「こら! シャル! パパを困らせるんじゃありません。あっちで夕飯の準備してなさい」
奥から現れたのは、ジャルの奥さんであるイメラだ。もう8年近くの付き合いになる彼女は、昔からの幼馴染だった。5年前から本格的に付き合い始め4年前に子供を授かっていた。色々あって子供が結婚をするよりも先にできてしまったので、落ち着いてきた頃合いの来月に式を挙げる段取りになっていた。つまり大幅なできちゃった婚というわけだ。
「ただいま、助かったよイメラ」
「あなたも甘やかしすぎないでよ。あなたのこと大好きなんだから甘えれば甘えるほど負担がかかるのはあなたのほうなんだから」
「すまない。でも、俺はこれが幸せだよ。負担なんて勇者のころのものと比べれば屁でもないさ」
「そんなこと言って・・・。制服も床に置きっぱなしにしない! 昔から変わってない」
「すまない」
2人は近づきキスをする。帰って来た時と家を出るときには毎回こんな会話をしてキスをするのが2人のルーティーンになっていた。そして、それを娘のシャルヴィに邪魔されるのもいつもの決まりだ。
「2人でなにしてるのー?」
「へ?!」「え!?」
「またちゅーしてる・・・」
慌てて弁明するジャルに冷静に対応するイメラ。そんな2人を横目に娘のシャルヴィは幼いながらにして色々と察するのだった。
「シャル、やっと寝てくれた」
「あんなに遊んでたのによくここまで耐えたな。俺ですら・・・ふぁあぁ・・・眠たいのに」
「きっと昨日あなたが帰ってこなくて寂しかったんだと思う。あの子1日中玄関の前であなたの帰りを待ってたのよ?」
夜が更け、3人は同じベッドに川の字になって寝ていた。小さなランタンが部屋に灯り、2人はシャルヴィが起きないように小声で会話する。
「本当か? 困ったやつだな」
「あなたのことが相当好きなのね。この前なんてパパのお嫁さんになるって近所の人に言ってたみたいよ」
「いやそれ思春期に絶対反抗期来るだろ。嬉しい反面少し複雑だ」
笑いあう二人。声が少し大きくなってしまって慌てて口を紡ぐジャル。シャルヴィは口をもぐもぐさせただけで起きる気配はない。安心して一息つくジャルに、イメラは彼の手を握る。
「ねぇ、シルヴィさん見つかった?」
「いや、まったくだ」
「シルヴィさんのこと、少し話してもいい?」
珍しくかしこまった様子にジャルは少し胸騒ぎがした。そのままジャルはこくりとうなづくと、彼女は言葉をつづけた。
「あなたがシルヴィさんのことを特別な人として認識していることは知ってる。だけどこれ以上はもう見ていられないわ。あなたが捜索隊から帰還したときに見せるあの表情、シャルもびっくりするくらいやつれてるもの」
「そう、だろうな」
「心配な気持ちはよくわかる。だけどこれ以上はもうやめにしない? これ以上は―」
「それはダメだ」
彼は立ち上がる。ふらふらと立ち上がるが、その足はしっかりと地面を捉えて離さない。
「これは俺の使命だ。あの子を、シルヴィを追放させてしまった俺たちの罪だ。あの晩、シルヴィが追放された晩、俺は何をしていたと思う? 武勇伝を語るために酒を煽って遊女通いだ!! 笑えるよな!? 何度も命を救ってもらった恩人を、憧れの人をよそに俺は1人で快楽に溺れてた! 1人で辛かっただろ、心細かったはずだ。それなのに俺は・・・・・・・俺は!」
「もうやめて・・・!」
イメラが震える声でそう叫ぶ。シャルヴィが目を擦りながら目を開けるが、よほど眠たかったのかすぐにまた寝てしまった。
2人はその一連の様子を見てハッとため息をつく。この状況をどうすればいいかわからず立ち尽くしていると、イメラがこう提言する。
「少しベランダで話さない?」
空気が白い。2階から見える町並みはそう悪くない。まだ家の明かりがいくつかついていて、目の前の酒場はまだ大いに盛り上がりを見せていた。そんな喧騒も、魔王が倒されて数年で出来た平和の象徴の一つだ。
「悪かったさっきは」
「いいの、疲れてるあなたにあんなこと言った私が悪いわ。忘れて、あなたにとって簡単に忘れられることなら、こんなにも悩んでいないわよね」
「・・・」
ジャルは思い悩む。ほんとうにこの決断は間違っていないのかを考えるために。だが、冷たい空気のなか触れ合う2人の手のぬくもりを感じたときに、そんなことなど吹き飛んでしまっていた。
それほどまでに、あの戦いを終えた後のこの幸せを彼は大切に想っていた。
「俺、諦めるよ」
「え・・・?」
「シルヴィには怒られるかもしれないし、恨まれるかもしれないけどな。ずっと悩んでた。キルザエルにも話してずっと。この5年間、悔い続けてきた。それはこれからも変わらない。だけど、前を向いて歩いて行かなくちゃいけない。怖かったんだ、もしシルヴィのことを諦めてそれでそのままだったら。もしかしたらシルヴィが完全に俺の中でいなくなっちゃうんじゃねぇかって。元々いなかったみたいに。いや、違うな。嘘だ、単純に罪から逃げたかったのかもしれない。シルヴィを護れなかった俺たちの罪を、受け入れるのが怖かったのかもしれないな・・・」
ジャルは空を見上げる。
「言い訳ばっかりだ。みんな、諦めてた。シルヴィの事。俺だけは特別なんだって思って、だけど、俺はあいつの特別にはなれなかった。なれてたら、俺に黙って行ったりしないだろ。そう言うことなんだなって気づいた」
今度はイメラの方向へ体を向け言う。
「改めて言います。俺と、一生を掛けて寄り添い続けてください。俺が、貴女とシャルヴィを守り抜きます」
彼はこの世界を救った勇者の1人、ジャルダンディーノ。彼もまた世界を救った後、1人の父親として愛を育んでいた。
そんな様子を、彼女と一匹ははただ黙って見守っていた。