5話 決意からはまだ遠く・・・
数時間後。無事小屋を発見し、ベッドや衣類、食器なども残っていた。少し埃が被ってはいるが許容範囲だ。
片づけをしていると夜になり、2人は暖炉を焚いてそこで寝ることにした。まだこの季節は寒い。ベッドの掃除もできていないのでここで一夜明かすのが得策だろうという考えだ。
「シルヴィ様」
「それ、やめて。言おうと思ってたけど」
「何がですか?」
「敬語と様付け。あんまり年も変わらないでしょう。慣れないの、そういうの」
「ですが自分みたいな庶民とシルヴィ様は比べることすら」
シルヴィは彼を睨む。彼女はそういう格差というものを毛嫌いする質だ。勇者と言われるのも正直億劫なくらい。ジャルダンディーノは勇者と呼ばれてウキウキだったが、それを冷ややかな目で姉妹とシルヴィは傍観していた。
「すみません。あ、ごめん。シルヴィ、これでいい・・・?」
「そうしてもらえると助かる」
シルヴィは淹れたてのココアを両手に持ち息を吹きかける。湯気が宙を舞いココアのほのかな匂いが鼻を衝く。落ち着く香りだ。
「シルヴィ、一つ聞いてもいいですか?」
「・・・」
「聞いてもいい?」
「なに?」
「シルヴィはいつから義勇兵をやってたの?」
「いつっていう明確な時期はないけど。本格的に義勇兵として活動してきたのは426年。今が431年だから5年前かな・・・。フィルリエント、私の育ての親なんだけどね。私には義勇兵としての素質があるって、剣術を10年以上前から叩き込まれてきたんだ」
ずずずとココアを飲むシルヴィ。よほど熱かったのか唇を一旦放して口に手を当てる。今度は念入りに息を吹きかけてできるだけ冷まして飲もうと試みる。
「魔法が使えるんですよね? 見てみたいです」
「・・・」
「ううぅ、見てみたい・・・な」
敬語に慣れた生活だったのか、まだぎこちない彼。その様子を見て、シルヴィはため息をつく。
「慣れないなら敬語でもいいわよ」
「ありがとうございます・・・。そっちのほうが楽でいいです」
苦笑いをこぼす彼を横目に、シルヴィは再度ココアに口をつけた。またも熱かったのか今度は咳き込むほどになっていた。
「ごほん・・・。魔法が使えるかね。もちろん、使えるわよ。今見せられる魔法というと、猫。ちょっと実験台になってもらうわよ」
「猫って・・・。俺にはサタナスって名前があるんだが」
「いいから、宙に浮かすから見てて」
そう言うとシルヴィは人差し指を黒猫に向けて集中する。
「おい待て俺はそんなこと許可した覚えは―」
刹那、黒猫の体は一瞬で天井にまで行き大きな音を立てて落下する。それを往復3回したときに魔法の効力が切れて地面にたたきつけられた。
「こ、殺す気か?! お前、伝説の従者を何だと思ってるんだ!!?」
「おかしいわね・・・。制御が効かない。まぁざっとあんな感じ」
「すごいですね・・・。これが魔法ですか、他には何ができるんですか?」
「そうね・・・。便利どころで言えば」
「俺のことは完全に無視なんですね」
そのまま小一時間ほど魔法の雑談が繰り広げられた。
それから数週間、シルヴィたちは生活の基盤を整えるべく、小屋の改築や周りの村へのあいさつなどを行って、生きていける環境づくりに勤しんだ。エイデンの年齢は聞いたところによると14歳らしく、シルヴィと2歳しか変わらなかった。彼が言っていた孤児というのは本当らしく、王都で運よく孤児院で拾われたらしい。シルヴィのことをどこで知ったかを聞きたかったが、そればかりはまだ言えないといった様子で聞き出すことはできなかった。
さらにそこから5年の歳月が過ぎようしていた。エイデンは見る見る育ち、シルヴィの身長を優に超えていた。剣術を彼に教えるためにこの5年間この小屋で鍛錬を続けていた。それと同時に、魔王ボルヴォロスの呪いを解く方法がないかを調べてもいた。近くのトロストという街に魔王族の博物館があったので、そこに行ってみたりもしたが、呪いに関しての情報はあまりなかった。
436年 3月
エイデンは外で薪を割っていた。これが彼の今の仕事の一つ。薪を割ってくべて売り歩く。これで生計を一部立てていた。そして彼が5年前に持ち出したリュックの中には2000万以上を超える大金と魔法の習練書が入っていた。恐らく王都の私物なのだろうが、彼はそれをシルヴィの持ち物だと判断して持ってきてしまったらしい。シルヴィは彼が薪割をしているさなか、その魔法書を読み漁っていた。
5年の歳月を持ってもまだ習得しきれないこの書物。内容はどれも今の彼女にとってはありがたいものばかりだった。
「人を、殺す魔法。毒物、殺傷、窒息・・・。まるで大量殺人鬼の日記みたいね」
改めてこんなものを読んでいる自分に呆れてしまう。
「エイデン」
「はい先生。どうしました?」
「明日にここを発とうと思う」
唐突にそう言われ硬直するエイデン。黒猫はその近くの切り株に座ったまま動こうとしない。寝ているのか死んでいるのかもはっきりわからないほどに動かなかった。
「どちらへ?」
「まぁちょっと。エイデンはここでお留守番してて」
「それはできません。僕は先生の傍にいます」
「ダメ」
「なぜですか?」
少し食い気味に彼は質問する。持っていた斧を地面に突きさしシルヴィの元へ歩いてくる。
「もしかして、決行するんですか?」
「・・・そうと言ったら?」
「止めます、絶対に」
「なんで? 魔王が怖くないの?」
「・・・怖いです。またあの災厄が来るだなんてまっぴらごめんだ。でも、他に選択肢はあるはずです・・・! まだ何か」
シルヴィは開いていた魔法書をわざと大きく音を立てて閉じる。彼の言葉はそれを境に途切れてまたも直立不動となる。猫は変わらず動かぬままだ。
「エイデン、別に悪いことをしにいくわけじゃない。久しぶりにみんなに会いに行くだけよ。約束する、誰も殺したりしない」
「本当ですか・・・?」
「ええ、大丈夫。同窓会みたいなものよ、ほら」
彼女はポケットから何かを取り出す。それは紙の手紙のようなもので、あて先はシルヴィ。送り主は―。
「ジャルダンディーノ・・・。あのフィルリエント一行の剣士ですね。あの方から先生になんの連絡が?」
「久しぶりに会わないかって。今なら彼の意向で王都の追放令も緩和してくれているらしいから」
シルヴィはさっと立ち上がってエイデンに近づく。
近づいてきたシルヴィに対してエイデンは元気に「わかりました」と叫ぶ。シルヴィはそれを見て部屋の中に入っていく。それを合図にしたかのように黒猫は起き上がり、彼女の後をついて行った。それを特段エイデンは気にする素振りはなく、薪割を再開した。
「いいんだな、本当に」
「ええ。決心はついた、準備も」
シルヴィと黒猫は小屋にある地下室に行く。エイデンに見つからないようにかけておいた認識阻害の魔法を解いて彼女は階段を駆け下りる。
目の前にあふれるのは、大量の動物の死体だった。
腐敗臭がシルヴィの鼻を刺激する。ハエがたかり目も背けたいような光景。
「なんで実験の事エイデンには黙っていたんだ?」
「こんなことあの子が認めるわけないから」
「そんなにあいつに思入れができたのか? これから世界の敵になるっていうのによ」
「・・・そうね。それが私の失敗だわ」
シルヴィは指をパチンと鳴らして魔法を行使する。瞬く間に炎が地下じゅうに広がる。死体が燃え広がっていき、それは一瞬で部屋中を覆った。
「行きましょう」
「ああ」
この5年は魔王の呪いを解く術を模索すると同時に、勇者を殺す魔法を会得するための期間でもあった。
フィリップ王から継承した魔法は基本的に魔物に対しての魔法だ。継承したと同時に使い方の記憶の遺伝もされたので使い方は継承した時点でわかっていた。だが、この書物に書かれている暗殺魔法はどれも独学だ。動物実験をしたとしてもうまくいく自信などない。
だが彼女はやらなければならない。世界をもう一度救うため、文字通り自己犠牲を中心とした物語を。
「ここからが、勇者たちの決別の時だ」
黒猫はシルヴィの肩に乗ったまま不敵に笑った。