3話 偽りの平和
昔聞いたことがある。魔王のボルヴォロスが力を弱めた時、勇者一向をサポートするために黒い喋る猫が現れた時期があるということを。
だがそれは、もう1000年以上前の話なので定かではない御伽話に出てくる童話の話だ。その中の話では、黒い猫の助力により魔王を打ち滅ぼし、平和の象徴として猫は寿命を全うするまで崇め続けられた。
現実として魔王を倒したのはシルヴィ達だ。当然こんな猫は見たことがない。なので御伽話の中だけだと思っていた目の前の奇怪な猫を見て驚くのも無理はない。
猫は呑気そうにあぐらのような姿勢をとって毛繕いに勤しんでいた。
「猫が・・・しゃべった」
エイデンが恐る恐るといった表情でそう呟く。シルヴィに問いかけたつもりだったが、その言葉は猫が受け取り返答する。
「猫も気が向けば喋る」
「いや喋らないでしょ」
冷静に指摘を入れたシルヴィを猫がじっと見る。
猫の瞳は右目が黄色で左目が緑という奇妙な色をしていた。恐らくオッドアイと呼ばれるものだろう。その視線はシルヴィを真に捉えて離さない。
「なに?」
「伝説は聞いたことがあるだろ?」
「まぁ、少しは」
「だったら話は早い。それが俺だ」
「私の知っている童話の猫はもう少しお淑やかな性格だったと思うけど」
「1000年も経てば口調も変わる。人間には分からないだろうが」
次に猫は隣に座るエイデンに目を映す。
「勇者シルヴィは知っているが、そこの子供は知らないな。名は?」
「エイデンです」
「何者だ? なぜここにいる?」
「彼が私を牢屋から助けてくれた。つまり命の恩人というわけ」
「それはそれは。だが魔王討伐の旅路にこんな子供がいたんでは足手纏いになるだけだろう?」
「・・・・・・ちょっと待って、魔王討伐? 一体何の話・・・?」
シルヴィは困惑してすかさず問う。
魔王はすでに死んでいる。それはシルヴィ自身が目の前で見た事実だ。奴の心臓をシルヴィの魔法で貫き殺した、はずだ。
「何の話って、勇者御一行様の英雄譚の話さ」
「生憎だけど魔王はもう死んでる。私が殺した、魔王なんてもういないの」
「そんなはずはない、魔王は生きているさ」
「なんでそんなこと言い切れるの? 私は確かに奴の心臓を」
猫が不気味に微笑む。かと思ったら急に大声で笑い始める。エイデンは恐ろしさのあまりシルヴィの腕に抱きつき離そうとしない。あまりにも目の前の光景は現実離れしていた。
「バカだな。確実にお前は魔王の死を見届けたのか? 確実に死んだと言い切れるのか?」
「言い切れる、正真正銘私が魔法で奴の心臓を撃ち抜いてー」
そこでハッとする。シルヴィは口を手に抑えて思い立った想像に悪寒が走るのが声に出ないよう抑え込んだ。
確かに奴の体を貫通させたのは事実だ。だが、目の前で死んだことを確認したわけではない。魔王城が崩れ、帰れなくなる前にシルヴィ達は退散した。空いた胸を苦しそうに抑えながら倒れ込んだだけで倒したことをこの目で見たわけではなかった。
そう思い込んでいただけだった。
「でも・・・、実際私が魔王城を魔法で検知したとき魔王の存在は消えていた。死んだことは確実なはず」
「死を偽装できるとしたら? それだけの力を魔王が持っていたらどうだ」
そんなことができるのか、到底信じ難いが、現にシルヴィは世界で唯一魔法が使える。ありえないことを自分ができているのだが頭ごなしで否定することはできない。
「それが事実として、なぜあなたが知っているの? あなたの言葉を信じる根拠がないわ」
「ごもっともな意見だ。あいにく今の俺にはそれを証明する術がない」
「話にならないわ」
「だが、これだけは言える。フィリップはお前を図ったのだ」
猫が言う話に思わずシルヴィは耳を貸してしまう。事態がいまだに飲み込めていない今の状況。シルヴィはダメだと思いつつも猫に尋ねる。
「なぜそれを知ってるの」
「言っただろう、俺は勇者に仕える伝説の猫だ。知らないことはない」
ニヤっと笑い、後ろ足で耳をかく。こう見ていると普通の黒猫だ。
「フィリップはお前を騙した。最初から追放するつもりで魔法を授けたんだ。いいように使われただけだな」
「そう、それは私も知っている。だったら何? 魔王が死んでいない事実を証明するにはあまりにも乱雑な答弁よ」
「ふむ、ではこうしよう。お前の魔法で今の魔王城を目視
してみろ。そうすれば俺が言っていることがわかるはずだ」
なんで目視の魔法のことを知っているのかと聞きたくなるが、シルヴィはそれよりもいますべきことを行った。
魔法に意識を集中させてシルヴィは視覚を過去のあの場所に投影させる。彼女の目に見えるそれは一昨日の魔王城。シルヴィが魔法を打ち抜き、倒れるボルヴォロス。そのあと7人はギリギリのところで逃げ出す。その後数十秒動く様子はないボルヴォロス。瓦礫が本格的に崩れ始め、魔王の王宮が見るも無惨に破壊されていく。
(やっぱり口から出まかせね)
馬鹿馬鹿しいと思い投影を止めようとする刹那、何かが視界に映る。
巻き戻す。ボルヴォロスの姿が瓦礫に消える直前。赤い何かが宙に飛散して、ボルヴォロスの体が消滅していた。その赤い軌跡は7つに分裂して消える。
(そんな・・・)
猫が言っていた言葉、半分真実で半分嘘だった。
魔王は確かに死んだ。だがその体はあの赤い塊になってどこかに消えていった。魔王ボルヴォロスは魂を7つに分けたのだろう。
事実上まだ、生きながらえていると言うわけだ。
「どうだった? 短い小旅行は」
「・・・信じ難いけど、事実みたいね」
エイデンは顔を真っ青にする。当然彼も魔王討伐の朗報は聞いていたはずだ。その魔王が生きているとなれば驚くどころか失神してもおかしくない。
訪れた平和かと思ったそれは偽り、何の意味もない虚空の幻想。
「つまり、貴方はそれを知った上で私たち勇者一向に助けを求めて現れたというわけね」
「御名答。さすがはフィルリエントの娘だけはある」
「義理の父親なだけで血は繋がっていない。育ての親なだけよ」
「そうだったな、そうだそうだ」
まとも不敵に笑みを浮かべる。本当にこいつを信用してもいいか疑問だが。今は頼るしかなさそうだ。
「でも今はご存知の通り私は追放の身、フィルリエント達とは一緒に行動はできないわ。1人の中どうやって探すつもり?」
「それは心配いらない。既に場所は特定してある」
「なんで勿体ぶってるの? いい加減私の我慢も限界なんだけど」
「ふふ、ハハハハハ!」
先よりもさらに甲高い声を上げる黒猫。流石のシルヴィも警戒して魔法を行使できるよう膝立ちになり手のひらを構える。
「いいだろう。言ってやろう、事実を。さぞ絶望しかない事実にお前は困惑することだろう」
瞬間、猫は元いた場所からシルヴィに近づき、彼女の肩に乗って告げる。
「魔王ボルヴォロスの魂はお前達7人の勇者の中に入り込んでいる。その魂を根絶するには、宿主を殺すしかないぞ」
「・・・な、何を言って」
「いやお前は気づいているはずだ。狡猾な魔王が自分の分けた魂をそこらへんの辺鄙な場所に隠すわけがない。一番安全なのは、自分を殺した人間達の体の中に隠すとことをな」
目視で見た光景、赤い軌跡をあの時に追った。どこに隠れたのか確認するために。そのことをあえて猫には伏せておいた。
赤い魂は7人のそれぞれの胸に消えていった。まるで家の中に帰るかのように自然な動きでそれらは侵入した。
シルヴィ達は魔王ボルヴォロスにまんまと嵌められていたのだ。