例えば
例えば朋也が誰かを好きになったのだとしたら。私が嫌いになっているのだとしたら。
……こんな風に考えたこともなかった。幼い頃からずっと一緒だったから。それほど近い存在だったのだ。
急に彼がつれない態度を取り出したのが事の発端である。何か気に食わない事でもあったのか、それなら私に話してみてほしいと伝えたが、どうもいつもと違う。
これまでも機嫌が悪くてつれない態度を取られた事はいくらかあった。
例えば、周りから恋人同士でもないのに仲が良すぎるとからかわれた時とか、逆にこちらが不機嫌でやつあたりをしてしまった後とか。
今回もそれかと思って甘く見ていた。
「ねぇ、どうしたの? 無視しなくてもいいじゃん」
「……晶子」
しばらく時間をおいてやっと口を開いた。やれやれと思ったのもつかの間、「もうあんまりベタベタしないで、迷惑」と肩に置いた手を払われた。
何を言っているのか一瞬分からなかった。今まで冷たく言われた事もなかったし、払われるにしてもやんわり除ける程度でこんなに拒絶されたこともなかったから。
一瞬頭が真っ白になったが、次に私は冗談だと思った。わざとツンツンしているんだと。私の反応を楽しんでいるのだと。
「またー! そう言っててもマジじゃないくせに」
「本気だ。もう、馴れ馴れしくすんな」
そう告げて、朋也は足早に去っていった。それでも私はまだ冗談だとか、少し機嫌が悪いだけだと思っていた。しばらく待てば元に戻る。彼が自分を避け続ける訳がない。
今思うと恥ずかしいくらい見通しが甘かった。彼は本気だった。
一週間が過ぎ、二週間が経った今でも朋也はつれないままだった。つれないどころか無視に近い。話したことといえば、至って事務的な話ぐらい。まるで私が普通のクラスメートの女子みたいに接してくる。
何度も理由を聞いてみたし、こっちがキレたこともあった。それでも彼は何も言ってくれない。
いつも二人で歩いた登下校も一人。正直辛くて学校へ行くのも嫌になりそうな程だったが、休んでも何も変わらず彼に無視されたままだともう立ち直れなくなりそうで休めなかった。
周りからは喧嘩したのだと思われているが、私には喧嘩の原因も分からない。というか喧嘩しているのだろうか?
喧嘩というにはあまりに一方的じゃないか。
彼が分からない。こんなに分からないなんて私は一体彼の何を見てきたのか。
彼と一緒な毎日に満足していたせいで、本気で相談できる相手もいない。こんなに深刻に悩んでいるのに痴話げんかだと軽くあしらわれるのは精神的に限界だ。
追い詰められた私は彼を目で追うことにした。彼に言われた通り、ベタベタもしてないし馴れ馴れしくもしてない。ただ見ているだけだ。
見続けるうちに気づくことがいくつかあった。彼はわりと私以外の女の子とよく話すという事だ。
今までは私がべったりで話しかけにくかったのもあるだろうが。女の子とおしゃべりしている朋也をそんなに見ることもなかった。
今、私以外の子と楽しげに笑ってるのを見ていると泣きそうな気持ちになる。
もしかしてその中には彼を好きな子もいたのだろうか?
気にした事はなかったが彼の見た目はいい、と思う。性格もいいからモテる、だろうな。そうだよ、モテないわけないじゃん。自慢の朋也だよ?
……私みたいなのがくっついているから表に出てなかったけど。
もしかしたら、彼には私なんかより話したい相手が、好きな子がいたんじゃないのか?
それでも優しい彼は幼馴染を邪険にできずに我慢していて、我慢の限界が二週間前だったのか。
そうなると、だいぶ前からうざいと思われていたのにのんきに引っ付いていた邪魔者の私って……。
自分の事しか考えず、彼の事なんて考えないでいた私がひどく疎ましい。後悔ばかりが頭に浮かぶ。もっと早く気づいていればこうならなかった。
「――天谷さん、ちょっといい?」
ハッとして、声の方へ顔を向けるとそこにはクラスメイトの男子がいた。
うーん、私の後ろの席、だっけ? 名前は……なんだっけ?
今までの人生、朋也以外の同年代の男子とろくに話さなかったせいかやけに緊張する。
もしかして朋也も私を見ているかな、と少し探したけど彼は私が考えているうちに去ったのか、この教室にはいないみたいだ。……だよね。
「えー、どうしたの? 私に用事?」
「うん、用事、だな。ちょっと時間いい?」
「ん? うん、分かった。なんだろ?」
「ちょっと話したいんだけど、ここじゃないところに移動してもいい?」
「ここじゃないって? えー」
「いやならいいよ。ごめん」
「いや、別に何もないし、いいけど……」
理由もないのに断るのも悪いとクラスメイトについていく。するとそこは校舎裏だった。
あーここって告白スポットで有名なところじゃん、と思っていると「天谷さん!」と名を呼ばれガシッと腕を掴まれた。
突然で、しかも結構痛いんだけど……これはやばい。腕を引こうとするけど放してくれないし、え、こわ。
「ずっと好きだったんだ! でも、いつも石地がそばにいたから話しかけられなくて……今しかないと思って」
どうやら告白されているようだが、耳に入ってこない。それより逃げたかった。怖くてしょうがない。でも腕を振りきれない。
「ごめん! 私、馬鹿だからそういう気持ちわかんなくって、あはは。……だから、とりあえず離してくれない……?」
なんとか断ろうとした。自虐して何とか穏やかになだめようと。
だがそれが逆効果だったらしい。より強く腕を握られて壁に押し付けられてしまう。尚更逃げられない!
「知ってるよ! 石地と喧嘩してるんだろ? 俺に全然興味なさそうだけど……今くらい他の男も見てほしい」
全然話聞いてない。しかも名前もよく覚えてないクラスメイトは体を近づけてくる。
何する気だ? いやいやいや、誰か来て! お願いだから!
「……ッ痛てぇ!」
ふと腕を掴む力が弱まったので急いで振り払ってクラスメイトから離れる。誰か助けてくれたに違いない。神に感謝、じゃなくて助けてくれた人に感謝だ。
ていうか、もしかして……もしかすると。期待している私の前には足を抑えるクラスメイトと、待ち望んだ彼がいた。
「嫌がってんのに無理矢理迫って好きになってくれる訳ねーだろ。とっとと失せろ」
まだ何か言いたげにしていたが私と、朋也の二人に睨まれては何も言えなくなったようだ。朋也の言った通りさっさと逃げていく。
私も何か言ってやろうとしたが、どうも声が出せなかった。まだ心臓がバクバクして動けない。私ってこんなに弱かったんだ。
「……私……私」
「……ごめん、ごめんな。晶子」
久しぶりに聞いた他人行儀でない朋也の言葉。読んでくれた私の名前。ギュッと涙腺が痛くなる。
情けなさや安心で泣き出した私をそっと抱きしめてくれた。
「俺さ……2週間前にやっと知ったんだよ。さっきのアイツや、他の奴らがお前のこと好きな事に」
ポツリポツリとずっと聞きたかったであろう理由について話してくれた。泣いている私は返事が出来ずに頷くので精一杯だけど。
「そしたら、ずっと気にしてなかったのにさ。もう気になって気になって。俺は彼氏でもないのにお前のこと独占してるけど、そのせいでお前に嫌われてんじゃないか? 俺が邪魔とか、俺のせいでお前が嫌われたりとか……って落ち込んで、恥ずかしくなって」
同じだよ。私もそう思ってたんだよ。
「ずっと、ずっと一緒で、離れた事なんてなくて、そう考えた事もなかった。だからこそ、聞けなかった。聞いてもし嫌われていたら、もう俺ダメだから」
ギュッと朋也の胸に顔をうずめる。そんなことないのに、そういう気持ちを込めて。
朋也はその気持ちを受け取ってくれたのだろうか。頭を撫でてくれる。
「……聞けない臆病な俺は酷いことをした。いきなりお前を拒絶して試したんだ。晶子を、そして俺自身を」
朋也の声が震えている。彼も泣いているようだ。
「俺、正直に言うと晶子が俺の事で辛そうにしている姿を見て喜んでた。俺こんなに思われてたんだなぁって」
は? これにはカチンときた。
本当にこの2週間、私は心底辛かったのにこいつは何考えてんだ。
彼の胸から顔を上げると朋也が苦笑している。たぶん私は今、ものすごく仏頂面だろう。
「ごめんな、何度でも謝るから許してくれ。……自分の気持ちにも気付いたし見込みもついたからそろそろ話そうかと思っていたら、晶子がホイホイあいつについて校舎裏に行ったって聞いたもんだから、いやー焦ったよ」
「……助けてくれてありがとう。で?」
「ん?」
「さっさと言ってよ。後でたっぷり謝ってもらうとして、その前に朋也の気持ちを。見込みもついてるらしいし……教えてよ」
朋也を見据える。あんなに辛い目に合わせたんだからこれから最低10倍ぐらいにして返してもらえないと。
あと、いくら試す為だからって女の子とあんなに話していたのは何なのかじっくり聞かなければ。ホイホイついていったという言い方も気にかかる。
そもそも私が苦しんでいるのを喜ぶなんて行為はこれから教育しなければ。今後の付き合い方に支障をきたすだろう。
私がそれらを後回しにしてその『気付いたし見込みもついた』言葉を待っているのに、彼は冷や汗をかいているのは何故なのか。こんな絶好のチャンスないよね!
朋也は私の期待のまなざしにううっと何故か一度唸ってから、一息ついて口を開く。
「そうだよな……じゃ言うからな……」
周りから仲直りして良かったね、と言われた。私達の付き合いは以前と変わらない状態に戻っているのでそう見えるのだろう。でも周りは気づいていない。私達は恋人同士になったという事を。
例えば朋也が誰かを好きになったのだとしたら。私が嫌いになっているのだとしたら。
だとしても、今度は直接言い合って解決できると思う。言わないで苦しむのも、言ってもらえず苦しまされるのももうごめんだから。
そういえば、人を苦しませて喜んでいた朋也への教育をしていて気づいたことがある。私も結構彼を困らせて喜んでいたようだ。