氷の魔術師は、自分よりも妹優先、妹が大事。~だから妹を傷つけた王太子は死んでも許さない~
王太子だろうが何だろうか、関係なかった。
その日、一人の女性が大好きで大好きで、この世から愛している妹の為に、妹の婚約者になっていた王太子を容赦なくぶん殴り、壁に激突させた光景が広がっていたなんて、誰も信じる事はないだろう。
しかし、大切な妹が貶され、辱められ、そんな一大事に助けない姉がどこに居るのだろうか、と言う感じで、彼女は容赦なく殴ったのである。
殴った後でも、彼女は後悔と言う言葉は全くなかった。これは、名誉の事なのだと、思いながら、拳を強く握りしめながらやりきったのである。
彼女――侯爵令嬢、アリシア・カトレンヌがこのような行動に出たのかは前日の夜からの話になるのだが、その前に、彼女の昔の話をする。
アリシア・カトレンヌは前世の記憶がある。
前世の彼女は、家族に恵まれず、友人に恵まれず、いつも孤独を抱えてきた人生だった。
生まれた時から両親と言う存在はおらず、施設で過ごした後、里親に預けられることになり、生活をするようになったのだが、その里親にも血の繋がった家族が出来た事により、いらない存在として扱われるようになった。
血の繋がりのない妹と弟にもコキ使われる存在となり、彼女は本当に成人するまで一生懸命生き、家から出ていく為にお金も貯めた。そしてやっとお金が貯まり、家から出ていく前日――彼女は交通事故でこの世を去り、アリシア・カトレンヌとして生を受けたのである。
しかし、前世とは違い、現世では彼女は家族や友人たちに恵まれる毎日であった。家族にこんなに愛されるのは、友人に恵まれるのは、本当に嬉しい事なのだなと実感させてくれるほど、嬉しくてたまらなかった。
同時に生まれてきたもう一人の妹に、アリシアは目を奪われる。自分以上に可愛らしい、なんだこの生き物はと思えるほど、アリシアは妹にメロメロな状態だった。妹を愛しすぎて友人は居たのだが、恋人と言うそんな存在は全く以て出来なかったのである。
学生だった時は、家柄も良ければ美人な存在だったのだが、彼女はなぜか笑わない。笑うのは妹と死んだ母親、そして一緒に仕事をしている父親だけ。周りからは『笑わない氷の魔術師』、『人形の令嬢』と言われるほど。
学園を卒業し、父と同じ王宮魔術師に就職して数年、仕事が終わって帰ってくると、いつものように笑顔で妹が出迎えてくれて、それと同時に妹に嬉しい報告をする。
「え、お姉様が卒業式を見に来てくださるのですか?」
「ええ……お父様が数日前に過労でぶっ倒れましたから、代理として私が行くことになったのよ。ごめんね、私で」
「い、いえ!お姉様が来てくれるだけで、私すごく嬉しいです!」
「そう言ってもらえるだけで、ありがたいわ……」
「で、でも大丈夫なのですかお姉様?だってお姉様数日前に魔物の討伐に行って帰ってきたのは昨日じゃ……」
「自分の身体より、私はあなたを選ぶわ、カトリーヌ」
そのように言いながら、アリシアは優しく妹であるカトリーヌの頭を優しく撫で、カトリーヌは少し頬を赤く染めながら、嬉しそうに呟いた。
カトリーヌ・カトレンヌはアリシアにとって大切な妹であり、そして母親の忘れ形見でもある存在だ。カトリーヌを生んですぐになくなってしまった母の事を、アリシアは尊敬していた。いつか、母のようになりたいと思い、アリシアは今、父親、そして死んだ母親と同じ職業についている。
元々カトレンヌ家は魔力が高い一族であり、アリシアはその血を濃く受け継いでおり、今では王宮魔術師としての職業につき、仕事に励んでいる。
特にアリシアは氷系の魔術が得意で、幼い頃は魔術の制御がうまく出来ず、よく周りを凍らせてしまう事が何度もあったが、彼女にとってそれは良い思い出である。同時にカトリーヌはそんなアリシアを尊敬していた。
数日前近くも森で魔獣が出たと言う報告があり、その魔獣を氷漬けにして仕事を終えてきたのが昨日――カトリーヌが心配するのも無理はない。因みに父親もその魔獣討伐に一緒に出たのだが、魔力を使いすぎてしまったらしく、過労でぶっ倒れ、横になっている状態だ。
ちょうど仕事もひと段落付いたので、彼女はカトリーヌの卒業式に行く事にしたのである。
「それに、仕事の関係でアリシアの入学式や文化祭など、行けなかったのだから、せめて卒業式には顔を出したかったから……明日、あなたの晴れ姿とても楽しみにしているわ」
「ええ、ぜひ楽しみにしていてください!おやすみ、お姉様」
「お休み、私のかわいいカトリーヌ」
アリシアはそのまま彼女の頬に口付けをすると、カトリーヌは嬉しそうに笑いながら部屋を出ていき、残された彼女は静かに息を吐きながら、ベッドに腰を下ろす。
実の所、今から三日間、いや一週間ぐらい休みたい。ベッドにもぐりこんでだらだらしたいと言う気持ちが勝っているのだが、それでも彼女は妹のカトリーヌを優先する。大切な母親の忘れ形見でもあるが、それ以上に可愛くて仕方がない。シスコンと言われてしまうが、そんなの関係ない。
同時に、ふと思い出したのは、カトリーヌの婚約者である王太子の姿だ。
「……もし、カトリーヌに何かしたら、王国全部敵にまわしてぶっ殺そう」
そんな言葉を呟くようにしながら、そのままアリシアはゆっくりと瞼を閉じ、夢の中に入っていくのだった。
▽
翌日、メイドたちと一緒にメイクや衣装を用意し、馬車に乗り込んで学園に向かう。
数十分後、アリシアは馬車から降りると、再度体を軽く動かすような形を取りながら、カトリーヌが通っている学園、そして以前自分が通っていた学園の門をくぐると、既にそこには保護者の方々、代理人の人たちなど、人が溢れかえっている。
遅く来てしまっただろうかと少し後悔をしていたその時、彼女の肩を軽く叩きながら声をかけてくる人物が姿を見せた。
「よう、アリシア」
「あ……これはこれは殿下……」
「お前も来ていたのか……討伐が終わったのは、一昨日だろう?」
「ええ……本当は白い布団の中に潜って寝ていたかったのですが、今日はカトリーヌの大切な卒業式なので、姉として出ないといけないじゃないですか……因みに父は過労でぶっ倒れてしまったので、一応代理として来ております」
「マジか……それは、父上が無理な命令をしたからだな、すまない」
「いえ、流石に近くの森で魔獣が出てしまったら、対処するのは私たち王宮魔術師か騎士団の方々です……父も私もわかっていて、王宮魔術師になったのですから」
笑いながら答えるアリシアに対し、殿下と呼ばれた青年は本当に申し訳なさそうな顔をしながら謝るが、それでも仕事なので仕方がないと割り切っている。大丈夫だと何度も返事を返しながら、青年は顔を上げる。
彼はこの国の第一王子であるファルマ殿下――アリシアとは同級生でありライバルでもある存在。アリシアはそのように思っておらず、ただの友人だと認識している程度だ。
そんな第一王子である彼がどうしてこのような場所に居るのだろうかと首をかしげると、彼は笑いながら答える。
「今日は弟の晴れ舞台でもあるからな、一応見に来てみたのだ……因みに君の妹君と弟が結婚したら、アリシアと俺は兄妹になるな」
「私、やんちゃで手が付けられない弟は欲しくありませんわよ?」
「おいおい、俺が兄、お前が妹だろう?」
「……複雑で、なんとも言えないわ」
頭を押さえるようにしながら答える彼女の姿を、ファルマは楽しそうに笑っている姿があった。
学園に入って三年間、彼女にとってファルマと言う第一王子はある意味厄介な性格の持ち主であり、手が付けられない性格の男である事は認識しているのだ。
認識しているからこそ――タチがとても悪い。
何事もなく、無事に卒業式が終わりますようにと願いながら、アリシアは何処か緊張している妹、カトリーヌの姿を見つけ、微笑ましく、見ているのであった。
「……お前、本当に妹関連になると、そんな顔するようになるのだな。任務や俺が話しかける時は本当に無表情の鉄仮面なのに……何故?」
「ぶち殺されたいですか、殿下?」
彼女は無表情で、片手に氷の塊を作りながらファルマに視線を向けると、彼は汗を流しながら目線をそらすのであった。
▽
「――こんばんは、アリシア様」
「レンディス様、いらっしゃっていたのですか?」
卒業生が入場し終わると扉は閉まり、式典が始まる。学園長の挨拶、代表の挨拶など行っている中、アリシアの隣に立つ人物が小さな声で彼女に話しかけてきた。
短い黒い髪に黒い瞳を持つ人物の姿がすぐさま認識出来る。レンディス・フィード――王宮騎士団で働いている人物の一人であり、別名『黒狼の騎士』と呼ばれている人物である。
そんなレンディスも数日前、同じ任務に就いていた事もあり、帰ってきたのは一昨日のはずなのだが、当然疲れたような顔をしつつ、少し笑顔を作りながらアリシアに挨拶をしている。
「確かレンディス様の妹様が卒業でしたよね?」
「ええ、本当は一番上の兄が来る予定だったのですが、どうやら仕事が入ってしまい、代わりに俺が来たと言うわけです」
「……目の下のクマ、やばいですよ」
「そういうアリシア様こそ、少しやつれた顔をしておりますね」
「「…………」」
レンディスとアリシアはお互い見つめあった後、二人で軽く笑いながら再度お辞儀をし、そしてアリシアは静かに答える。
「――お互い様ですね、レンディス様」
「本当、そのようで……」
二人はそのような会話を終わらせると、そのまま卒業式に集中する。もちろん、アリシアが視線を向ける先に居るのは、綺麗で美しい自分の妹、カトリーヌのみ。今日も彼女が輝いていると思いながら、前世ならば絶対にビデオカメラを持ってその場で収めるのにと思いながら、フフっと笑っている姿を、隣に居たレンディスが見ていたなんて、知らず。
少しだけ顔が緩んでいる彼女の姿を見たレンディスは少し驚いた顔をした後、彼女が見ている先に居るのが、アリシアが最も愛している妹、カトリーヌだとわかる。
「……なるほど、アリシア様は本当に妹様が好きなのですね」
「何か言いました、レンディス様?」
「いえ、独り言なので気にしないでください」
レンディスはそのように言って笑いかけてきたのだが、アリシアはわからず首をかしげるのみだった。
いつの間にか卒業生代表の言葉が始まっている。因みに卒業生代表はアリシアの友人であり、この国の第一王子である男の弟、フィリップ第二王子であり、この国の王太子である。何故第一王子が王太子ではないのかと言う話もあるのだが、実の所第二王子が正室の第一王妃の息子であり、第一王子であるファルマ殿下は側室の第二王妃の息子。
「俺が国を背負う男に見えるか?」
と、以前笑いながらそのような話をしてきた事をアリシアは頭の片隅で思い出す。彼曰く、国王になるよりか、騎士団に入って体を動かす方が好きだと言っているぐらいだ。
そんな第二王子であり王太子である男、フィリップ殿下には婚約者がいる――幼い頃から決まっている、アリシアの妹であるカトリーヌだ。
因みにこの婚約に反対していたアリシアだったが、国王の命令でもあり、父親も断れない状況に陥ったという事、何よりカトリーヌの希望でもあったため泣く泣く了承したぐらいだ。未だに妹を泣かせたら絶対にぶっ飛ばすと決めているほど。
近くに居たファルマに小声でアリシアは呟く。
「……相変わらず君の弟は偉そうな顔しているな」
「はは、きっと義母上に似たのかもしれないな」
「あの女狐、いつか凍らせる許可をくれないだろうか?」
「……アリシアだけだよ。あの人の事を女狐って呼ぶの」
一応この国の王妃様なのだからとあきれるように言ってくるファルマを無視し、アリシアはフィリップ王太子に視線を向けながらため息を吐く。もし、このままあの二人が結婚をしてしまい、夫婦となり、あの男が国王になり、カトリーヌが王妃となったら大丈夫なのだろうかと考えるほど、苦労するのではないだろうかという気持ちになりながら再度ため息を吐いてしまう。
それぐらい、アリシアは王太子と正室である第一王妃の事が嫌いなのである。
軽く舌打ちをしながら卒業生代表の言葉が終わり、その後ここからはダンスを踊り、軽い食事をしながら歓談したあと解散と言う形になるのであろう。アリシアは早く妹の所に行って帰りたいなと思いながら各方向からダンスを始めようとしている者達を眺めていると、先ほど隣に居たレンディスが声をかける。
「アリシア様、もしお相手が居なければ、俺と一曲いかがですか?」
「え……それは別に構いませんが……レンディス様のような方ならば、私よりも素敵な令嬢たちがいらっしゃると思うのですが……」
「俺は、あなた以外にダンスを申し込むつもりはございませんので」
「……は、はぁ……物好きと言われませんか?」
「物好きですので」
「では――」
こんな『人形の令嬢』と言われている女にダンスを申し込む男など居るのだろうかと思ってしまったのだが、申し込まれてしまったからには受けなければいけない。差し伸べられた手を受け取ろうとした時、音楽の中から突然大声がアリシアの、いや周りから響き渡ったのである。
「カトリーヌ・カトレンヌ!私は其方との婚約を破棄し、新たにエリザベート・フィードと婚約を結ぶ事を宣言する!」
「「……は?」」
「お、声が合わさったな、レンディス、アリシア」
次の瞬間、王太子であるフィリップの言葉を聞いたアリシアとレンディスが一瞬にして中心人物となっている人たちの方に視線を向けると、そこには驚いた顔をして青ざめているカトリーヌと、そしてカトリーヌの近くにいて同じように驚いている少女、エリザベート・フィードの姿があり、そんな二人の前に居た青年、この国の王太子である第二王子が鼻息を荒くしながら立っていた。
一瞬、この公の場で何を言っているんだあのバカ王子と思いながら、アリシアは現実を受け止める事が出来ず、そのまま後ろで声を出していたファルマに視線を向けると、彼も同じように首を横に振りながら答える。
「え、ちょ、俺だって初耳だよ!流石に驚いてつい声を出してしまったが……え、レンディス、いつの間に君の妹はうちの弟と恋仲になったの?」
「……殿下、申し訳ございませんが、俺も初耳です」
「アリシアは?」
「ぶん殴っていいですか殿下?」
そのように言いながら拳を握りしめ、同時に魔力が抑えきれないのか彼女の周りだけ異様に冷たく感じるのは気のせいだと思いたいのだが、気のせいではなかった。ふーっと白い息を出しながら殺気を向けているアリシアにファルマは何も言う事が出来ない。
一方、レンディスの方は落ち着かない様子が見られ、いつもならば無表情で何でもこなす人物なのだが、妹の事と目の前に居るアリシアの事を考えると、どのように行動すれば良いのかわからないのか、色々と頭の中に入っていないのか落ち着かない素振りを見せている。
ファルマは彼女の背後にある黒いオーラが少しだけ見えた事を感じながら、中心部に居る人物たちに再度視線を向ける。
その中、真っ青になっているアリシアの妹、カトリーヌが震える唇を動かしながら、婚約破棄を宣言した王太子に向けて声をかける。
「あ、の……言っている意味が分からないのですが、ど、どうして私と……そ、それより何故友人であるエリザベートと婚約をすると、言う話になったのですか……」
「そ、そうですわフィリップ殿下!私と彼女は友人で――」
「簡単な事だカトリーヌ。僕は真実の愛を見つけ、それが彼女と言うだけだ。彼女はいつも僕の傍に居て、僕を癒してくれた……だから僕は彼女と婚約をし、結婚をする!そもそも僕は偽りの愛である君との結婚は嫌だったんだ!」
「……」
「うーん、どう見てもこれは弟の暴走だなぁ……すまないアリシア……って、聞いてないなこれは」
「……殿下、俺はどうしたら良いでしょうか?」
「うん、別にレンディスが悪いわけではないから気にしなくていいよ。君の妹も青ざめているから本当、何も知らなかった、って感じみたいだし」
笑いながらそのように答えているファルマだったが、レンディスはそんなファルマに賛成できず、どうしたら良いのかわからない状態だ。
そして、アリシアは黙ったまま何も言わない。ただゆっくりと中心に居るカトリーヌと隣に立って同じように慌てているエリザベートの姿を見ているのみ。
それから数十秒後、何かを喚き散らしている王太子に視線を向け、何かを頷いた後、ファルマに再度目を向けた。
「殿下、大変申し訳ございませんが、お許しください」
「あー……まぁ、良いよ。好きにして。俺も責任取るから」
「ありがとうございます」
「アリシア様?」
何かを決意したかのような顔をしたアリシアの瞳は、明らかに怒りを露わにしている状態であり、長年付き合ってきたファルマにとって、もうこれは止められないと理解したのである。好きにしていいと言う言葉を、アリシアはありがたく頂戴することにした。
そして、彼女はそのまま歩き出し、レンディスも少し間を置いて彼女を追いかけようとしたのだが、それをファルマが止める。
「巻き込まれるからやめておいた方がいい」
「し、しかし殿下……」
「弟もバカだよね」
「……それは」
「――彼は、氷の魔術師を怒らせちゃったのだから」
ファルマがそのように告げた瞬間、突然鈍い音とガラスが勢いよく割れる音が聞こえてきたため、レンディスが慌てて振り向くと、先ほどその場に居たはずの第二王子、フィリップの姿がなく、拳を天井に向けて高く上げながら、無表情で立っている令嬢――アリシア・カトレンヌの姿があったのである。
因みにフィリップの身体は壁に勢いよく激突させられ、その場に崩れ落ちている。状況からしてみれば、第二王子であるフィリップに攻撃し、あのような状態にしたのはあのアリシア・カトレンヌと言う事になる。
殴ったのだ、拳で。
「お、ねえ、さま……?」
「……」
カトリーヌが声をかけても、アリシアは何も言わない。ただ崩れ落ちて気絶しているフィリップに視線を向けているのみ。同時に彼女の周りには冷たい空気が流れ込んでおり、床が微かに凍りかけている。
魔術が操作できていない状態だと認識しているのだが、そんなの彼女には全く関係ない。関係あるのは、目の前の男はカトリーヌを傷つけて泣かせたと言う事のみ。
「……回復魔法をかけてもう一発ぶん殴ってみるか……それで気がそれるだろうか?」
ぶつぶつと何か恐ろしい事を口にしたアリシアだったが、流石にそれはまずいと判断したレンディスとファルマが彼女の前に出ていく。
「うん、責任はとると言ったけど、一発で何とか収めてくれないかな!お願いアリシア!」
「フィリップ王太子は確かにあなたの妹を傷つけましたが、殴る価値などありませんよアリシア様!」
「……殿下、レンディス様……そうですね、これ以上私の手が汚れたら嫌ですね」
ボキっと指先を鳴らしながら答えるアリシアに対し、ファルマとレンディスは顔を見合わせながら深いため息を吐く。
長い沈黙を周りから感じ取っていたのだが、次の瞬間カトリーヌの隣に居たエリザベートが突然崩壊したかのように泣き出したのだ。
「うわぁあああんッ!ご、ごめんねカトリーヌッ!わ、私が、殿下に優しくしなければよかったのよぉ!一応王太子だし、友人の婚約者だったから、上辺の関係で優しくしたのがまずかったのか、勘違いしたみたいでぇ……わ、私、あんな男の恋人になるぐらいなら、カトリーヌの恋人になるわぁあ!」
「え、エリザベート……ッ……」
大泣きしている友人の姿を見たカトリーヌは少しでもエリザベートを疑いたくなってしまった自分を恥じながら、彼女も涙をためながら泣きそうになっている姿を見て、アリシアが静かにカトリーヌの近くに行き、優しく頭を撫でる。
頭を撫でられた事でカトリーヌは安心したのか、そのままアリシアに胸に飛び込み、震えながら声を押し殺し、泣きだしたのである。
「こんな形をとってしまって、申し訳ないわカトリーナ」
「うううっ、お、お姉様……」
「ご、ごめんなさいお兄様ぁ……」
「ああ、わかっていたから無理をするな、エリザ」
エリザベートも兄であるレンディスを見つけて再度大泣き。彼の胸に飛び込んだ後思いっきり泣き始めており、そんな四人の姿を見たファルマは頭を抱えるようにしながら、崩れて倒れているフィリップの姿を見て、ため息をついた。
「さて……どうやって収拾つけるかなぁ……」
と、呟きながら。
▽
「……お前は、私を殺すつもりなのかアリシア」
「でも、お父様だったらぶん殴るどころでは済まさなかったと思いますが?」
「当たり前だ!殺すよりも生きながら地獄を見せていたわ!」
「流石、私のお父様ですね」
笑顔でそのように言うアリシアに、父親であるカトレンヌ侯爵は胸を押さえながら深くため息を吐くのだが、この父親もカトリーヌの事はアリシア以上に溺愛しているので、もし父親が行ってしまっていたら間違いなくあの会場は修羅場と化していたのかもしれないとカトリーヌは思う。
「……私で良かったと、安心してほしいわ」
小さくそのように呟きながら、アリシアは静かに息を吐く。
それと同時に、妹であるカトリーヌは父親とアリシアの前で申し訳なさそうな顔をしながら答える。
「お姉様、お父様、本当に申し訳ございません。カトレンヌ家に泥を塗ってしまいまして申し訳ございません……ご迷惑ばかりかけて……」
「そ、そんな事はないぞカトリーヌ!元々断っていた婚約だ!これからどうなるかわからないが……それでも私たちはお前の味方だ!」
「そうよカトリーヌ気にしないで……あれは私の独断でやった事だし、迷惑だなんて思っていないから安心して……そうね、少し心を落ち着かせなさい。そうだ、伯母上の所に行ったらどうかしら?あそこなら空気も美味しいし、きっとカトリーヌなら気に入ると思うわ」
伯母上と言う人物はただいま田舎でのんびりと暮らしている方である。カトリーヌは少し悩むように考えた後、静かに頷く。
「と言う事ですので父上、私も準備して伯母上の所に向かいます」
「え、仕事はどうするつもりだ?」」
「長期休暇を頂きました……それに、まぁ、第二王子に手を出した事は間違いないので、ファルマ殿下が何とかしてくださるという事もありますから、落ち着くまではカトリーヌと一緒に伯母上の所でのんびりと暮らそうと思います」
何とかするーという話をしていたファルマの言葉を信じているが、殴った相手は一応この国の王太子でもある人物だ。同時にアリシアはその母親であり、女狐でもある女が何かを仕掛けてくるのかもしれないと思ったので、逃げるための準備は既に整っているのである。
父は頭を抱えるようにしながらも、一応許可を下さった。自分の荷物は既に整理していたので、カトリーヌの荷物をメイドたちと整えた後、馬車の準備を始めていた時だった。
「あ、アリシア様ッ!」
「え……レンディス様?」
息を切らすようにしながら馬車で向かおうとしているアリシアに声をかけてきた騎士、レンディスは慌てる素振りを見せながら彼女に声をかけ、近づいてくる。
突然のレンディスの姿に驚いたアリシアは呆然としながら彼に視線を向けると、レンディスは落ち着きを取り戻す事なく、慌てる様子で話しかけてきた。
「あ、あの、休暇をもらったと言う事で……どちらにいらっしゃるのですか?」
「ええ、あのような事もありましたので、これから妹と一緒に伯母の所に行こうと思いまして……戻ってくるのはいつになるかわかりませんが」
「……そう、ですか」
「まぁ、妹も婚約破棄したばかりで落ち込んでおりますので、田舎でリフレッシュになれば……私も働きづめだったので、上司から喜んで休暇を出していただきましたので、ゆっくりしてからこれからの事を考えようと思います」
「これからの、事?」
「はい。妹の新しい人も見つけないといけないし、私もいつかは何処かに嫁ぐ予定だと、思いますが……まぁ、私は既に行き遅れなので、もらってくれる相手が居るかどうかなのですが……」
ははっと笑いながら答えるアリシアの言葉に、レンディスは驚いた顔をして、唇を少し噛みしめるようにした後、そのまま突然彼女の両手に手を伸ばし、握りしめる。
突然自分の手を握りしめられたことに驚いたアリシアは呆然としながら、レンディスに視線を向けると、レンディスの顔は真剣な顔をしており、その顔はまるで魔獣討伐で見かけたような、真剣な瞳だ。
「……どこかに嫁ぐ予定があるのですね、アリシア様」
「え、ええ……こんな『氷の魔術師』と呼ばれている私をもらってくれる相手が居れば、の話ですけど。あ、妹の縁談を見つけて落ち着いた、らですけど」
「……なら、俺がもらいます」
「え……」
「――好きですアリシア様。ずっと、お慕いしておりました」
「…………え?」
突然、レンディスが自分に愛の告白をしてきた事により、アリシアは呆然としながら、彼を見つめる事しかできない。一体、この男は何を言っているのだろうか、と言う言葉がよぎる。
そんな素振りなんて全く気付かなかった。自分は王宮魔術師として働いており、たまにこうして会話をしたり、魔術討伐などで一緒に討伐をしていただけの関係、だと思っていたはずなのに。
無表情で、何を考えているのかわからない男が、アリシアの手を握りしめ、告白をしてきて。
前世では、恋と言うモノをした事がなかったアリシアにとって、それは未知の世界だ。家族以外に笑わない彼女が次の瞬間、顔が崩れ落ちたかのようにいつも違う表情を見せる。
顔面真っ赤に染まり、どうしたら良いのかわからないアリシアは震えながらレンディスに話しかける。
「あ、の……え、えっと……行き遅れ、ですが、け、結婚は、ま、まず、妹が優先になりますが、わ、私は、その、恋というものはしたことないので、ど、どうしたら良いのかわかりません……」
「安心してください。俺も、あなたが初恋です」
「……妹の事が片付いたら、でもよろしいですか?」
「はい、俺はそれまで待ち続けております……どうか、俺の婚約者に、妻になっていただけないでしょうか?」
「……」
「……アリシア様も、そんな顔をするのですね。初めて見ました」
この男、凍らせてしまおうかと思ってしまったが、それ以上アリシアは自分の気持ちに整理が出来ず、しかし、何処も嫌ではない気持ちだった。
傍に居るならば、こんな人が良いなと思った事はあった。
真剣な瞳でそのように告げてくるレンディスに、アリシアは初めて、少しだけこの人に惹かれているのだなと理解したのである。
「……その、お待ち頂けるのであれば、よろしくお願いいたします」
「では、さっそくカトレンヌ侯爵様にご連絡を取らせていただきます」
「……」
「では後日、またご連絡を送らせていただきますので、お気をつけてアリシア様」
「……」
愛おしそうにしながらも、レンディスの手が離れ、そのまま背を向けてカトレンヌ家に突進するかのように入っていったのを見送った後、アリシアは真っ赤な顔をしながら馬車に乗り込む。
乗り込むと、先に乗っているカトリーヌが嬉しそうな顔をしながらアリシアに目を向けている。先に乗っていたからこそ、全てを聞いていたのであろう。
フフっと笑いながら、カトリーヌは答えた。
「良かった」
「何が、良かったのですかカトリーヌ?」
「だって、お姉様いつも私優先なんですもの。お姉様にも春が来たんだなと思うと、嬉しくて仕方がありません。それに、相手は私の友人のお兄様なんて……これから楽しみですわ」
「……カトリーヌ」
「フフ……お姉様、そんな顔が出来たのですね、とても顔が真っ赤よ?」
「……」
いつもだったら冷静を保つ事が出来るはずなのに、全く出来ない。楽しそうに笑うカトリーヌは数日前に起きた事件の事など忘れてしまったかのように、これからのアリシアとレンディスの進展を期待しながら、叔母の所に向かうのであった。