五、首都ゴサイ
正面の大門をくぐったヨシュウ達は、思わず感嘆の声を上げた。
目の前の大階段を降りたところから、広い道が真っ直ぐに伸びている。その道を行き交う人、人力車、牛車。その数、その賑わいは、西の大都市アケウルを凌駕していた。
そして、その道の遥か先に、この首都の中心部、ゴサイ城(護国城とも呼ばれる)が見えていた。
その光景に、しかしヨシュウは僅かな違和感を覚えた。
そして、その違和感の正体は、道を進むにつれ、すぐに知れた。
――道幅が僅かずつ拡がっている。城に向かって気付きにくい程度の上り勾配にもなっているようだ。
それが意図するところも、ヨシュウにはすぐに推察された。
即ち、防衛時の優位を築くこと。攻める側の距離感を狂わせ、防衛側が僅かとはいえ、より広い道を占め、高所を得る。
そのようなことを、流石に軍の本拠だ、とヨシュウは感心した様子で語る。――実際に効果があったかどうかはともかく、当時の設計の意図としては、このヨシュウの読みは大筋当たっていた。
そんなヨシュウの言を、なるほどと、シャネを初めとするアケウルからの同行者達は頷き、ソロウは内心で舌を巻く。
剣術の腕だけなら、ソロウはヨシュウにも負ける気はしない。また、腕力勝負なら、ヨシュウはマサタに勝てないだろう。それでも、こと“戦”に於いては、ヨシュウに勝てる気はしない。
子供の頃からそうであった。ヨシュウという男は、里の子供達同士の遊戯でも、あの手この手を使って最終的に“勝ち”を得ることが多かった。
ソロウは、それを感覚的に行えてしまえるヨシュウが、羨ましくもあり、頼もしくもある。そういった複雑な思いも、総じてしまえば“魅力”であった。だからこそ、ソロウはアケウルの恋人に別れを告げてまで、このヨシュウという男に付いてきたし、これからも付いていこうと思うのであった。
ゴサイ城を囲む堀の手前に詰めていた見張りに、アケウル領主から授かった紹介状を預けてから暫しの時間を待った。
堀の向こうに見えるは、見るからに堅牢な城壁。ゴサイ城はその壁の向こうにまだ遠い。それほど広大な敷地である。
やがて橋の向こうから兵士達数人がやって来た。その兵達は、ヨシュウ達の前方で立ち止まると、左右に別れた。
その中央から歩み出て来たのは、その風体、威風堂々とした壮年の男。
そこに敵意は無い。だが、その男から滲み出る風格のようなものを前に、ヨシュウ達はそれでもなお緊張を禁じ得なかった。
スジャナリとは別質の、だがそれほどの雰囲気を纏う男が、口を開いた。
「ツクモト・マタツだ。ようこそ、クレノセキの方々」
護国軍大将にしてゴサイ幕府総裁、ツクモト・マタツ。当時の軍、政、両方を統べる男である。
(――これからは、この男の下で剣を振るえるのか)
新たな強者との出逢いに、ヨシュウはどこか浮き立つ心持ちであった。
案内の者に従って敷地内の施設を見て回っていたヨシュウ達が、訓練場に差し掛かった所での事だった。
「西から来た新たな武官というのは、貴方がたか?」
凛と、よく通る声。それは、訓練場の入り口に立つ、軽鎧に身をつつんだ女が発したものだった。
だが、その丁寧な言葉遣いとは裏腹に、その声音には怒気のようなものが含まれていた。
「サク様……」
案内の困惑した様子に、ただの女兵士では無いと見て、ヨシュウは興味を持った。
「彼女は?」
「ツクモト・サク。マタツ将軍の三女だ」
答えたのは正面に立ったその女自身。
なるほど、その態度、立ち居振る舞いだけは、一廉だ――そうヨシュウは評価した。
「貴方がヨシュウ殿か」
ヨシュウの内心など知らず、サクは先頭に立っていたヨシュウに尋ねる。
「そうだ」
「是非、私と手合わせ願いたい」
「……何故、と聞いても?」
「……強くなるために、強者と剣を交えたいと思うのは剣士の性ゆえに」
――面白い。
内心でヨシュウはほくそ笑み、サクの評価を少し、上方修正した。
けして言葉通りの理由だけでは無いことは、その雰囲気からも見て取れる。だが、その言葉自体もまた嘘では無いと、ヨシュウには感じられたのだ。
「では、ご教授願おう」
更に困惑を深める案内の者を置いてきぼりに、そう言い放ったヨシュウは、サクと共に訓練場中央へと進み出た。
他国の歴史と比較して、ツクナミでは女が男よりも蔑まれる事は少なかった。それは歴代の皇の中に女性が幾人も存在することが大きく影響していると考えられるが、それはともかく。
それでも、女が自ら戦いに身を投じるという例は、史上あまり見受けられない。それは単純に体格差、筋力差に拠る所が大きいのだろう。
サクの場合は、武家の名門に女ばかりが生まれた事が原因であろう。史料に拠れば、マタツの子は五人。上から女四人、五人目の待望の男児も早世している。
三人目も女――。マタツが分け隔て無く娘達を愛していても、周りからは男子が無いことを残念がる声は聞こえてきたはずだ。そんな声を耳にした幼いサクが、その子供の純粋さが、家のために武の道を選ぶのは仕方の無いことだったのかも知れない。
とはいえ、さすがは名士の子。彼女は持ち前の才能と努力で、齢二十歳にして既に周りから一目置かれる実力を身につけていた。
だが。
――カッ! カッ!
サクが振るう木刀を、ヨシュウが受ける。そして。
――ゴッ!!
時折思い出したようにヨシュウが木刀を振るう。
サクも愚かではない。真正面から打ち込んだところで敵わないことなど理解していた。自信と反骨心から手合わせを願ったが、決してヨシュウを見下してはいなかった。
それゆえ、上から、下から、右から、左から、正直な斬撃もあれば変化もある。誘う動き、騙す動き、あらゆる手段でヨシュウから一本を目論んでいた。
だが、ヨシュウの剣は護りの剣。なまじっかな幻惑など通用しない。ぶつかる木刀の音の重さがまるで違うのは、腕力差に加え、受けの技術の問題でもあった。
とはいえ。
――カッ! ガッ!
サクは、これだけ攻めながら簡単に攻め疲れしない。それどころか斬撃に鋭さを加えてくる。
ヨシュウはサクの評価を更に上方修正した。
(――ならばこちらも敬意を示さなければなッ!)
次の瞬間、サクが木刀を振りかぶるや否や、その懐へヨシュウが鋭く踏み込んだ。
半身で低く潜り込むと同時に腕を掴む。間を置かずサクの身体を背負うように屈み込み、腰でサクを跳ね上げる。一連の動きは流れるように、刹那に行われた。
――ダァン!
サクは前方へ勢いよく回転し、背中から地面に叩きつけられていた。そして、喉元にはヨシュウの剣先。
「…………参った」
ただ勝利を欲するなら、剣のみに拘るべきではない。――この経験を糧に、このサクという戦士がより強くなれば良い。ヨシュウは不思議と、そんな未来を楽しみに思った。
その後、ヨシュウ達は首都軍に編入され、軍務に励んだ。
首都に於ける治安維持のための出動はもちろん。不穏な噂があれば、出向いてその真相を調査し。衝突があれば、迅速に出動し鎮圧する。
首都の東部、ゴサイ城の後背を抱く広大なビネ湖のさらに向こうの東、当時まだ未開の土地が多かったツクナミの“尾”の部分の開発などにも従事した。
間接的とはいえ“皇子殺し”を行ったヨシュウ。その事実を知る者は少ないが、それでもヨシュウの身を案じたアケウル郡主ウルガによるヨシュウ達の護国軍推挙であった。が、それが全くの杞憂であったかのように平穏――とまでは言い切れない程度に血なまぐさい仕事もこなしつつも、その身が脅かされることも無くヨシュウの日々は過ぎていった。
アケウルから参上した面々、とりわけヨシュウとソロウはその仕事ぶりが大いに評価され、五年の後には大将軍副官直下の遊撃部隊に抜擢されていた。