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四、怒りの刃

 アケウル治安維持隊は再編成を余儀なくされた。

 クレノセキ警邏団は治安維持隊に吸収される形となり、その上で再び東西の別なく担当地域を輪番で回しながら受け持つ形に戻った。

 新隊は、治安維持隊の副隊長を務めていた男を頂として、治安維持隊の面々六名にマサタを加えた七名を副隊長に置く。他のクレノセキの者達はそれらの下に分散されて付いた。組織形態としてはクレノ隊に倣った形だ。

 その上で、新たな隊員の補充と共にクレノセキの面々は少しずつ隊を離れていく事が既定路線となっていた。これは執政部直々の下命であった。

 治安維持隊の中には経緯を知った上でなお逆恨みを禁じ得ない者達も居り、そういった不穏の種を少しでも抑制しようとしたのだろう。

 この入れ替わりは一年の内に完了する予定だったが、実際には二年以上を掛ける事となった。クレノセキ出身者への闇討ちめいた事が度々起こり、隊員の補充が滞ったためだった。

 だが、クレノセキの者達に犠牲者は出なかった。戦えぬ者達は再編の折に領主館内へ働き手として受け容れていたし、隊員として残った者達も所属を分散されたとはいえ単独では無かったために充分な用心が出来たのだろう。また、クレノセキ側が必要以上の反撃に出ることも無かった。

 このあたり、再編に際してアケウル執政側とクレノセキ出身者側とで事前折衝もあったのではないかと予想される。

 アケウル側としては最初に彼らを受け容れた目論見を抜きにしても、優秀な戦力を失いたくはない、いや、敵に回したくはないだろう。ある程度の保障は約束されていたのではないだろうか。であればこそ、クレノセキの者達もこの理不尽に唯々諾々と従っていたのではないか、と愚考する。


 さて、ヨシュウである。

 この頃の彼の行動に関する史料は極めて少ない。そこで、明確な史料としては唯一と言ってもいい、コノト・マサタ本人の手によると思われる手記から、この頃について言及している部分を抜粋する。

「思い返せば、重責から解き放たれてからの、この時の一年間というものは、これまでの我が人生に於いて最も濃密な一年間であった。見るもの全てが……良く見知ったと思っていた野山の姿でさえ、初めての土地では全く新鮮に映り、出逢った人々からも非常に多くの知見を得る事も出来た。この、幼馴染み達と共に国中を旅した時間は、我々にとっては十分に自由と言ってもいい時間であった」

 一つ所に留まる事がなかったためにこの頃の史料が乏しいというのは納得の出来る話ではある。ただ、もう一点注目すべき点は、この手記に於いて『我々にとっては十分に』自由であった、という点だろう。

 つまり、本来の立場は自由とは言えないものだった、という事だ。この点から、彼らは自由意志ではなく、間者のような使命を帯びて全国を回っていたのではないか、と推察される。

 そうであれば、公になる記録が残されていない事に、より納得がいくものである。そしてこれは、先述したアケウルとクレノセキの者達との間で折衝があったのではないかという推測の、根拠の一つでもある。

 ……さて、先ほど紹介したマサタの手記には、続きがある。

「この後、私の身に起こった事を思えば、最後に、彼らと共にこのように充実した時間を過ごせた事は、山神様からのせめてもの贈り物だったのではないか。今でもそう思えてならない」


 その日、偶然か必然か、ヨシュウ達は、クレノセキの里のほど近くに居た。

 クレノセキは、賊の襲撃に遭い滅び、その賊をスジャナリ率いる皇軍が撃破したとされ、それ以来、皇軍が占拠を続けていた。皇家直属の部隊が相手となればアケウルは動けないし、南のナダベは最初から知らぬ存ぜぬを貫いていた。

 その里の入り口に続く石橋、そこへ続く道は里から東へ少し離れると、途中で北への緩やかな上り道と東への平坦な道に分かれる。その平坦な道は北側が石垣で固められており、大人一人分ほどの高さの崖になっていて、そのすぐ上にはぎりぎりまで森が広がっていた。

 その森に潜んでいた。

 目の良いシャネであれば、そこから里の入り口の様子を辛うじて知る事が出来る、そんな絶好の距離であった。

「……手前の立ち番が増えてる。橋の向こうでも人の動きがある……」

「本当か、シャネ? ……まさか奴ら、今頃になって紅玉を見つけた……?」

「それは……絶対に無い、とは言わないが、考えにくいな」

「……ヨシュウが言うなら、そうなんだろうが」

 この中で唯一、紅玉の秘密を知るヨシュウの見立てに、疑いを挟む余地はない。そして、未だヨシュウが『ゴ』を名乗っている以上、その秘密を聞き出そうとするのは無意味である事は、お互いをよく知る幼馴染み達には解っていた。

「なら、いったい何が……?」

「待って。動きがある。人が出てきた」

「まさか気取られたか?」

「……違うと思う。殺気立ってる様子はないよ。……橋の手前の両側に、向かい合って整列してる。……お偉いさんかな? 馬に乗った人達が中から出てきて、列になった奴らが敬礼してる」

「……」

 ヨシュウ達一行は森の奥へ少し下がり、地に伏せ、息を潜めて推移を見守った。

 ほどなく、橋を渡った者達はそのまま彼らの潜む森の脇、平坦な道へと差し掛かる。

 ここまで来れば、シャネではなくともそれが何者であるのか視認する事が出来た。

 先頭を往くのは、馬上で威風堂々という風体の男。その後ろに二列で十名ほどの騎兵が追従している。

「……ヨシュウ?」

 雰囲気の変化に気付いて、すぐ側にいたシャネが潜めた声と共にヨシュウの方を振り返る。そして彼女は絶句した。

 力を込めすぎた全身が、震えている。

 そのヨシュウからは、怒気が溢れ、目に見えんばかりであった。

 目を見開き、歯を食いしばり、あらん限りの理性で己を押さえつけている。それでも怒りに震える身体は抑えきれなかったのだ。

 その眼に映っていたのは、紛う事なく、スジャナリであった。


 切っ掛けは、遥か南方、ユーガン大陸は西側の大国タルマ帝国が、ツクナミの地を我が物とせんと欲している、という話が、当時、海流を利用して僅かながら交易を成立させていたユーガン大陸東部の者から、皇室にもたらされた事だった。

 スジャナリは、第二皇子である。

 順当に行けば皇位を継ぐのは長兄ナムヒラであり、スジャナリはその事実を幼い内から受け容れ、己の進むべき道を、武力を磨き国を守る事と定め、鍛練を重ねた。

 だから、来る戦争に向けての準備として紅玉に目を付けた際にも、彼は武力、いや、暴力的な形でしかそれを為し得なかった。

 余談だが、スジャナリはただ暴君の器であった、というのがかつての歴史研究学者達の通説であったが、近年は見直されている。彼の行動原理は一貫して“国の為”であった事が疑いないからだ。

 だが、ヨシュウにとって、いや、アケウルの人達にとっては、そんな事は関係ない。故郷を滅したスジャナリはもはや、不倶戴天の輩でしかなかった。

 ――だからこそ、スジャナリの名を皇室の記録から抹消させる事になる、この事件が起こったのだ。


 スジャナリは、行軍の際、多くの場合に於いて後塵を拝す事を良しとせず自ら先頭を進んだ。それは皇家の誇りを示すためであり、結果的に部下達の士気を高める効果もあった。

 また、彼は平時、兜を身に着けない。それもまた、部下達に顔を見せる事による士気昂揚のためであり、同時に、己の“耳”に対する自信の表れでもあった。

 この日もそれは変わらなかった。

 そよそよと柔らかく吹く風が、木々の梢を揺らし、葉擦れの音を立てていた。

 その中に、スジャナリの耳は違和感を聞き取った。

 それが彼にとって幸運だったか不幸だったかは判らない。ただ、この瞬間に於いては、彼の命を救った。


 ――ガチガチッ!

 その、歯がぶつかり合う音は、外から聞けば、けして大きな音ではなかった。

 ヨシュウの内から溢れる怒りが、ヨシュウの顎を、いや、彼の全身を、震わせた結果である。

 だが、スジャナリは何かに気付いたような素振りを見せた。

 そして、それを視界に認めた瞬間、ヨシュウは思考よりも早く、速く、身体を動かしていた。

 地に伏せた状態から豹のように跳ね、駆けた。崖から矢のように飛び出し、刀剣を抜き放ちながら振り抜く。

 重力によって身体は沈み、その紅玉鋼の刃をスジャナリの首元へ誘った。

 だが、違和感を感じていたスジャナリは、いち早くそれに気付き、咄嗟に馬上で上体を崖と反対側へ引くように倒した。

 結果、ヨシュウの刃は首を捉える事はなかった。しかし、その剣先はスジャナリの片目を抉っていた。

 そのまま馬上から地面に叩きつけられるように落ちるスジャナリ。

 馬に遮られ、その背にしがみつく形のヨシュウ。

 馬は背中に受けた衝撃と背に残る異物感に、嘶きながら前身を振り上げた。

 勢いに逆らわずに後方へ着地したヨシュウを、急ぎ馬から飛び降り武器を構えた兵士達六名が囲む。

 ヨシュウを振り払った馬は駆け逃げ、その影に倒れていた主は、同じく馬を下りた兵士二人によって、騎乗のまま警戒する兵士達の方へ、強引に遠ざけられた。

「キェアッ!!」

 裂帛の一喝と同時に、ヨシュウは背後を振り向きざまに踏み込み、薙ぎ払う。

 不意を突いた一閃は、一人を即死させ、もう一人の利き腕を奪った。

 ヨシュウは即座に無害化したそこへ退き崖を背にして、残る敵を皆、その視界に収めた。

 兵士達は深追いせず、素早く皇子を護る陣形へと引く。そこには動揺も迷いも無かった。

 その動きに、怒りに煮えたぎる頭の奥に僅かに残った冷静なヨシュウが彼らの練度を見て取り、今にも斬りかからんとする自らの身体を抑えつけた。

 ――――。

 瞬く間もなく進行していた事態に、束の間の静寂。

「貴様ッ! 何者だッ!」

 その兵士の声を聞き流しながら、自らを戦場に置くことでやっと頭が冷えてきたヨシュウは考える。

(敵が多い。馬上に残った奴らがいるから安易に逃げも打てない。闇雲に攻めて来てくれればやりようもあるが、奴ら“同類”か……)

『ゴ』の剣術は、“護り”にこそ、その真価を発揮する。だからこそヨシュウは、守りに徹する相手を無闇に攻める事を愚とする。

(みんなはどう出るか? 四人がかりでも単純な力押しではあれは破れない……雑兵ならいざ知らず。俺のように短慮に出なければ良いが)

 そんな、動きを止めたヨシュウに対し、敵は三人が整然と前に出る。

 ヨシュウは平静を装ったまま、内心で舌を打つ。

 一人二人なら力尽くでどうにか出来る。一遍に多くまとまって来れば同士討ちを嫌う相手の心理を利用して隙を作る事も出来る。三人というのはこの場ではなかなか嫌な選択に思えた。三人の距離感を見ても、やはり練度は高い。負ける気は無いが、面倒な手合いだった。

 相手は慎重に、距離を詰め、いざ間合い。――といったところで、ヨシュウの右隣に降り立つ気配があった。

「ソロウか……」

「悔しいだろうが、ここは馬を奪って引くぞ。」

「……分かった」

 それは小声での会話であった。だが、こちらに人が増えたのを見た瞬間、片腕を失った敵が奇声と共に馬を蹴りつけた。

「チッ! 奴らッ!」

 蹴られた馬、そしてその馬の嘶きを聞いた空鞍の馬達は、一斉に逃げ出した。それは訓練された動きだったのかも知れなかった。

「ソロウ!」

「任せろッ!」

 ソロウの目線が馬へ向いた一瞬に、目の前の敵達が仕掛けてきた。

 機先を制されたかに見えたソロウだが、鋭い踏み込みで正面を一刀のもとに切り伏せる。

 と、ほぼ同時にヨシュウは左を方付けている。

 そして思いがけぬ相手の強さに一瞬怯んだ右も、次の瞬間にはソロウによって切り捨てられていた。

 ――ヨシュウとソロウがお互いに声を掛ける間に全て終わった出来事であった。

 攻める瞬間は無防備だ。だからといって、自分に対して向かってくる敵意、殺意に向かって躊躇無く踏み込めるものなど、そうはいない。

 それを可能にしたのは、ソロウの自分の腕に対する絶対の自信と、ヨシュウに対する絶対の信頼。

 同時に、ヨシュウが警戒していた相手をあっさりと切り伏せたのもまた、ソロウに対する絶対の信頼あっての事だった。

 攻めを焦った兵士達もまた、未知の相手に対して、油断や慢心が無かったとは言い切れない。もっと警戒するべきだった、と、残る兵士達が気を引き締めたのも、味方の死を目の当たりにした後の事であった。

 ソロウも、自信家ではあるが驕りは無い。警戒を新たにした相手に無闇に切り込んだりはしない。

 そして状況は膠着した。

 にらみ合う時間はいかほどだったか。その均衡を破ったのは、東から近づいてくる土を蹴る蹄の音だった。

 鞍上は――シャネ。

「跳んで!」

 その声に、ヨシュウもソロウも迷い無く、跳んだ。

 速度を落とす事無くヨシュウとソロウの背後を駆けた馬の上で、シャネが跳び上がった二人を器用に馬上へ引き寄せた。

「追えッ!」

 その声は、皇子か、兵士長か。その声に弾かれるように、騎兵二人がヨシュウ達の後を追い、歩兵二名も遅れて追った。

 シャネが拾ってきたのは、皇子の馬だった。シャネは、要人の馬ならば良く躾けられているはずと見て、逃げても、そう遠くへは行かぬだろうと、すぐに追った。ヨシュウを助けるために、自分が加勢するより、その方が良いと思ったからだ。

 その判断はこうして功を奏した。だが、いかに皇子を乗せる駿馬とはいえ、三人を乗せている。兵士達が追いつくのも時間の問題に思われた。

 ――だが。

 北へ向かう道への分岐、その手前に、大きな人影が佇んでいた。

「マサタ!?」

 脇を駆けてゆくヨシュウの驚きの声に微動だにせず、マサタはそこに立つ。

「シャネ! 戻れッ!」

「駄目だ、ヨシュウ」

「何故だ、ソロウ!」

「“あの”マサタが、漢の決断をしたんだぞ。……お前も、信じてやれ」

 そういうソロウの顔が苦渋に満ちているのを見て、ヨシュウもそれ以上は何も言えなかった。

 そのまま北へ駆け続けたヨシュウ達に、追っ手が、そして、マサタが、追いつく事はなかった。


 それから半月ほどの日々が過ぎた頃、ツクナミ全土でスジャナリ薨去の噂がまことしやかに囁かれていた。

 噂に曰く――アケウルを滅ぼしたのは賊ではなく、その賊を打ち破ったとされていたスジャナリが元凶であったことが明るみになり、他の皇族の手で処刑されたのだ、という。

 それに対して、皇室からは、スジャナリの皇籍からの除外が発表されたのみであった。

 その噂は、原因の正鵠を掠めてはいたが、事実を捉えていたわけではなかった。

 スジャナリの皇籍からの除外は、彼が“眼を失った”事に拠る。

 現在も公式には認めてはいないが、かつては、神の使徒たる皇族に不具者が存在することを認められていなかった。そして当時もまだ、そうであったのだろう。スジャナリは後天的な欠損ゆえに史料からその存在を明確に見いだせるが、存在を記録することすら許されなかった命があったことは、いくつかの史料に仄めかされている。

 本題に戻る。

 皇籍から除かれたスジャナリは、どうしたか。

 彼は、彼がその身に宿した誇りを以て、皇族として国に貢献できぬ己自身を、誅した。――それがただ一つの事実であった。


 ヨシュウがスジャナリについての噂、そして皇室からの発表を知ったのは、仲間と共に当時の政の中心、首都ゴサイへ向かう旅の途上であった。

 そのヨシュウの心中に、仇討ちを成した実感は、皆無であった。


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