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三、アケウル

 ヨシュウ達がまず向かったのはアケウル郡の中心である都、アケウルだった。

 アケウルは先述の通り西部の軍派筆頭であり、クレノセキと紅玉を直接取引していた唯一の相手でもあった。

 紅玉は当時から稀少で、高値(当時は貨幣として銅貨も存在したが、米を主とした食糧などとの交換の方が主流であった)で取引されており、その流通を実質独占していた事とアケウルが西側に於いて大きな影響力を持っていた事は無関係では無い。とまれ、距離的な理由の他にそういった関係性もあり、クレノセキの生き残りが最初にそこを目指すのは当然と言えた。

 都へ入ったヨシュウ達はほどなくして領主館へと招かれた。西側の峡谷を背にした、堅牢な城と言ってもいいような館である。

 アケウル側はそこで初めてクレノセキに起こった事を把握したが、その上で、ヨシュウ達は表面上は歓迎される事となる。

 アケウル執政部の中には、皇子と直接対立する事への危惧や、紅玉を失ったクレノセキへ恩を売る事への疑問などの反対意見もあったようだが、皇派との対立が深まりつつある中で大義名分を得る事や、いずれクレノセキが奪還された際の利益などを鑑みて受け入れを決めたと思われる。


 ヨシュウ達には皆が住むのに充分なほどに大きな屋敷と共に、仕事が与えられた。アケウルの治安維持を担う隊と連携してその仕事を補助する、クレノセキの者全員が所属する治安維持団の結成、という依頼であった。

 アケウル側としては慣れない土地で困らぬように、という配慮の他にも、一つにまとめる事で監視しやすくするといった意図もあっての申し出ではあるが、右も左も分からぬクレノセキの若者達にとっては有り難い采配であった。

 そして、彼らがまず取り組んだのは、団の編成、つまり、それぞれの役割分担であった。

「マサタを団長としたいと思う」

 そう提案したのはヨシュウである。

「えっ! 俺?! そんな……無理だよ」

「無理なものか。俺達の中で一番侮られない見た目をしているのはマサタ、お前だろうに」

 そのヨシュウの意見には、年上の者達もたしかに、と頷いた。事実、この頃既にマサタは並の大人が見上げるような大男だったという。

「なに、団長様は後ろで、でん、と構えていてくれれば良い。手を汚すのは俺ら下っ端の仕事さ」

「でも……。……まあ、そういう事なら……分かったよ」

 不承不承、引き受けたマサタであった。

 だが、立場が人を育てる、という言葉がある。見た目に似合わず争い事を好まぬ男だったマサタはこれを切っ掛けに責任感から鍛練を重ね、それは彼の立身出世の礎となる。

 ともあれ。後にアケウルの人々から「クレノ隊」と呼ばれる組織『クレノセキ警邏団』がここに誕生した。

 マサタを団長として、その下に年嵩の者達三名とヨシュウ、更にそのそれぞれの指揮下に他の者ら四名前後が並ぶ形であった。シャネのように狩猟経験のある女もそこに加わり、戦う術を持たぬ者達は雑務を担った。

 副団長的な立場に多数を並べる形は、縦割りが当然であった当時の軍隊などの編成としては珍しいものであったが、即応性が求められる治安維持活動に於いては有利に働く点も多く、これが後のアケウル並びに我が国の組織編成に影響を与えたとする説もある。尤も、クレノ隊の成功は、比較的少人数での編成であった事や、彼らの同族意識から来る連帯性による部分が大きかったようだが。


 さて、クレノセキ警邏団がアケウルの人々に受け容れられるのに、さほどの時間は掛からなかった。

 若者ばかりの団体は不必要な威圧感を周囲に与える事は無かったし、恐怖を与えかねない団長の巨躯も後ろ暗い事の無い人達にとってはむしろ頼もしいものであった。

 実際に交流してみれば、みな気の良い者達であったし、態度からは誠実さも感じられる。

 そして仕事に臨む態度も真摯で、いざ事が起これば行動は迅速で、その腕も確かだった。

 この頃のアケウルは各地の軍派地域から血の気の多い者達も流入しており、治安の悪化が進んでいた。そんな不安な情勢の中で治安維持にいそしむ彼らは余計に好意的に見られた事であろう。

 勿論、クレノセキの面々も受け容れられるための努力はしていただろうし、『団律』はその一つと言えるだろう。

 細かい紹介は省くが、例えば『我欲のため、またはみだりに、その力を振るう事を禁ず』といった、当たり前と言ってしまえば当たり前の条項、十からなる規律である。この規律の草案がヨシュウの手によるものであるとの見方もあるが、これについては確たる史料が無い。

 あと一点、語らねばならぬのは、アケウル治安維持隊との関係であろう。

 その隊長、ゴウラ・ナオマは、一言で言えば、正義漢、であった。

 その不正や悪に対する苛烈なまでの姿勢は隊員達からも恐れられるほどであったが、自分にも厳しい実直な男でもあり、周囲からの信頼は篤かった。そんな男であるから、クレノ隊の確かな仕事ぶりをすぐに気に入ったし、この男が認めた事で、『よそ者』に対する不満や疑心は抑えられる事となった。


 活動初期、クレノセキ警邏団が地理把握と同時に住民達への顔見せのためにアケウル治安維持隊と共に行動をしていた頃、ヨシュウは一度だけゴウラが剣を振るう場面を見た。

 ゴウラの得物はやや幅広の諸刃剣。しかしその片側は刃引きされており、状況や相手に応じて使い分けていた。それによる横薙ぎの一閃はぐわんと(くう)を鳴らし、酒の席で剣を抜き放ったという無法者の腕をへし折り、且つ、そのけして小柄では無い体躯を大きく吹き飛ばした。その一撃のみで、その男はもう戦う力も気力も失っていた。

 ただ力強く、荒々しい。――それがゴウラの一撃を見たヨシュウの最初の感想であった。そして、そこに技巧が無いとは言わないが、力に頼るような剣を振るう者が隊長であるという事に、ヨシュウは軽い失望を覚えた。

 だが、そんなヨシュウの気持ちを知ってか知らずか、その後屯所に戻ったのち、ゴウラはヨシュウ達に言った。

「敢えて必要以上に力を示す事で恐怖を与え、周囲への抑止力とする。これも我々のやり方の一つだ」

 確かに、有り得ない方向を向いた腕を押さえて苦悶の表情を浮かべる無法者を見た周囲の者達の目には、感謝よりも強く畏怖の光が宿っていた。

 ヨシュウは己の浅慮を恥じ、同時に、このゴウラという男に興味を持った。

(いずれ、模擬戦でもいい、実際に対峙してこの男の本当の実力を見てみたい)

 その思いはその後、不本意な形で実現し、ある意味では最後まで実現しない事になる。


 クレノ隊の結成から二年近くが経とうかという頃、彼らの周りの状況に大きな変化をもたらす出来事が起きる。

 時のアケウル領主(即ち、アケウル郡主である)ウルガ・タツユウ、並びにアケウル執政部は、アケウル市街西部の治安維持をクレノセキ警邏団に任せ、アケウル治安維持隊を東部の治安維持に専念させる人事異動を決定したのだ。

 アケウルという都は、領主館がある西側は計画的な開発で格子状の道によって整然としているのに対し、増える人口を受け容れるためにつぎはぎのように広げられていった東側は乱雑な様相をしていた。そして、その様相は、そのままその地域の治安状況を表すかのようだった。

 つまり、より治安の悪い地域をアケウル治安維持隊に任せるという事。それはアケウル治安維持隊への信頼に他ならなかった。事実、領主直々にその任を伝えられたゴウラは感涙にむせび泣いたと伝えられている。

 その日の夜、アケウル治安維持隊は祝宴を張った。いざという時に剣が鈍ってはならじと、これまでどんな席であっても舐める程度しか酒を口にしなかったゴウラであったが、この日ばかりは大いに呑んだ。痛飲した。彼にとって気心知れた仲間達に囲まれた席で、初めて味わった酩酊感は、彼に強い幸福感を与えた。彼の脳裏には、明るい未来ばかりが夢想された。

 ――だがこれは、ゴウラ・ナオマという男の、転落の始まりであった。

 初めのうちこそ、増強された人員の教育に忙殺されていたゴウラであったが、ひと月、ふた月と経つにつれ、彼にはこれまで無かった、時間の余裕が生まれてきた。見回る地域が縮小し、人が増えたのだから当然である。

 だが、己の仕事にばかり心血を注いできたこのゴウラという男は、『遊び』を知らなかった。

 日々の鍛錬の時間を増やしてみたりもしたが、そのうち部下達から泣き言が聞こえてきた。ゴウラも、それは本意ではないと元へ戻し、しばらくは余暇を無為に過ごす日々が続いた。

 家族でもあれば、また違ったのかも知れない。だが、子供の頃に両親を無法者に惨殺されて以来、ただひたすらに己の正義に邁進したこの男は、仕事を離れれば孤独であった。

 ある日、そんな彼の脳裏にふと浮かんだのは、あの、幸せな時間。彼は目に付いた酒場の入り口にその身を潜らせた。

 結論を言えば、彼は酒乱であった。幸せな席での酒は彼を幸福にしたが、無聊で飲む酒はただ彼の苛立ちを増幅させるだけであった。

 その結果、酔った彼は些細な事で腹を立て、周りにその力を振るうようになる。

 そんな事が幾度も続いてしまえば、あれほどに篤く強固に見えた周囲からの信頼も砂城の如く、脆く崩れていった。

 あっという間に変わっていく周囲の目。それから逃げるために彼が選んだのは――酒であった。


 ある日の夕刻、クレノセキ警邏団の屯所へ、一人の男が駆け込んできた。

 聞けば、アケウルの西部と東部を分けるかつての城壁のすぐ外、そこに在る酒場で人死にを出すような喧嘩が起こっているという。

 そこはアケウル治安維持隊の縄張り、何故こちらを頼るのかと尋ねれば、行けば分かる、というばかり。頼む、助けてくれと必死に頭を下げられれば断るわけにもいかず、その時の当番であったヨシュウ隊は現場へ急行した。

 一行が門に近づいた所で、風に乗って、濃密な血の臭いが漂ってきた。

 果たして――現場に駆けつけた彼らの前に広がっていた光景は、無残であった。

 酒場の壁にもたれかかった人影は身じろぎ一つしない。その壁はひび割れ、叩きつけられて広がったような朱殷(しゅあん)に染まっている。

 道の真ん中には大きな血だまりが広がり、その中心に、頭から腹までを左右に分かたれた者が、ある。

 その向こうに、腰を抜かしてへたり込む男。恐怖のせいか舌も回らぬようで、口からはただ言葉にならぬ声を漏らすのみ。目の前で今、正に血塗れの剣を振り上げた男を前に、怯えと命を乞う視線を送っている。

「……ゴウラ・ナオマ……?」

 不気味な静けさにつつまれたその場に、ヨシュウの呟くような声は思いの外はっきりと響いた。

 その声に振り返った惨殺者は、まさしくゴウラであった。

 ゴウラはそのギラギラと血走った眼でヨシュウを認めると、顔を引き攣らせた。その顔の赤は、酒のせいか、怒りのせいか。

「何故、貴様らがここに居るゥッ!!」

 その怒声に弾かれるように、へたり込んでいた男は足をもつれさせながら逃げだし、ヨシュウはほぼ無意識に腰に佩いた刀剣の柄に手を掛けた。

「わざわざ我々の元まで来た者に、助けて欲しいと懇願された。無下には出来ない」

 冷静に答えながら、ヨシュウは考える。

 相手は冷静ではない。いや、尋常でないとさえ言える。衝突は避けられないだろう。

 いや、このゴウラが職務外で人を殺しているのが明白な以上、これ以上の被害を防ぐためには、ここで“殺さなければならない”(当時のアケウルでは、平時に於ける殺人罪は死刑によって裁かれており、治安維持隊、並びに分割後のクレノセキ警邏団にも、現行犯に対する現場での執行権が与えられていた)。

 ――勝てるのか?

 相手の実力は未だ測りかねている。周りの被害を見ても、少なくとも腕力では勝てぬことは解る。

 とはいえ、全員で掛かれば、いや、ソロウとなら二人掛かりでも、どうとでも出来る自信もある。

 だが――試したい。

 これまでの努力の成果を。己の、力を。

 今までは、幸か不幸か、ヨシュウが剣を全力で振るうような事態に出くわす事はなかった。小競り合いの仲裁に必殺の武器は必要なかったし、刃傷沙汰に於いても剣術では団で随一のソロウが簡単に方を付けてしまうため、ヨシュウの出る幕はほぼなかった。ヨシュウ本人は副団長という立場など名目だけのものと考えていたが、部下達はそれを良しとせずに率先して事態解決に動いた為もある。その上でヨシュウが出ざるを得ないような状況に追い込まれる事は、皆無だった。

 そういった状況に、ヨシュウ自身、無意識に鬱憤をため込んでいたのかも知れない。

「俺に一人でやらせてくれ」

 気が付けば、周りの仲間にそう口にしていた。

「ヨシュウ……だが……」

「もし俺が不甲斐ないと思った時は、助けてくれて構わないから」

「……分かったよ。気持ちは、少し、分かるからな」

「ありがとう、ソロウ」

 相手の立場、強さを考えれば、他の者達も副団長ヨシュウ自らが出る事に否やは無かった。

 そしてヨシュウは一人ゴウラに近づき、鞘から夕空よりも紅く暗いその刀剣を抜き放った。


 一人で前に出たヨシュウを見て、ゴウラの目つきが変わった。

 辺りじゅうに向けていた怒気が、ヨシュウのみに向けた殺気になる。

 暴虐の徒が、武人の雰囲気を纏う。

 ヨシュウが立ち止まったのは、ゴウラの間合いの僅か外。

 お互いが正眼に得物を構える。言葉は無い。

 ――じりっ。

 ほんの僅かの接近、刹那、ゴウラは鋭く剣を振りかぶり、振り下ろす。

 だがそれは、引いたヨシュウの手前の地面を削るのみ。

 ゴウラはやや大きめに跳び退り、再び正眼に対峙した。

 この一瞬の攻防で、ヨシュウはゴウラの力量をある程度見て取った。

 かつて見た時よりも振るう剣は力強く荒々しい。だが、剣筋に乱れがある。恐らくは距離感も正確ではない。これらは酒のせいか。

 だが。ゴウラが地面を叩いた瞬間、ヨシュウはその空いた篭手を視野に入れ、仕掛ける意志を持った。にも関わらず、ヨシュウは手を出せなかった。剣が地面を叩くやいなや、ゴウラは僅かに手首を返し、切りつけたのと反対側の刃をヨシュウに向けて振り上げるように剣を手元に引き戻したからだ。そして、その勢いを利用するようにして後方へ跳んだのだった。

 酒精に浮かされているとは思えぬ鋭いその一連の動きからは、ゴウラが確かな鍛錬によってその身に刻んできた技倆が見て取れた。

 それだけに惜しいと思う。

 今、この男が素面でない事が。

 その命が、ここで失われる事が。

 ヨシュウが一歩、出る。

 ゴウラが変化。剣を腰だめに構える。

 ヨシュウがもう一歩出る、と見せた瞬間、ゴウラが鋭く踏み込み、剣を水平に薙ぐ。

 ヨシュウは――間合いの外へ引いている。ゴウラは平静ではない故か、子供と侮った故か、いともあっさり釣り出された。

 並外れた膂力をもって全力で振り抜かれた剣は、簡単に制動をかける事は敵わない。

「カァッ!!」

 その気魄を込めたヨシュウの踏み込みは、疾風。

 紅玉鋼の刀剣は肉も骨も容易く切り裂き、吹き抜けた後には、どう、と音を立てて、首元を深く切り裂かれた身体が倒れ込んだ。

 ――ヨシュウは、初めて人を殺めた。



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