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二、襲撃の夜

 三年の月日が経った。皇歴にして一一九〇年頃である。

 この頃一般的に成人と見做される十六歳が目前となったヨシュウは、頭一つ分以上も背は伸び、体つきも一回り以上逞しく、見違えるように成長していた。

 そして、世の中の情勢もまた、この三年間の間に変化を見せていた。

 皇歴九○○年代初頭に初めて我が国を襲った外憂、所謂『弁寇(北方大陸の一国、ベンダンス王国による侵略)』、それを撃退せしめ、民衆の支持を得た北岸部の豪族を中心とした連合『護国軍』が、皇から委任されるという名目で政治の主権を握ってからは三百年近くが経ち、この頃民間でも北のベンダンスの再来、のみならず、赤道を越えて更に遥か南方のユーガン大陸、その中央大山脈によって分断された西側で当時武力による領地拡大を続けていたタルマ帝国による我が国への侵攻の可能性、そういった外憂不安が噂としてじわりと広がりつつあった。

 同時に、平和の中で政治ばかりにかまけた護国軍の堕落や腐敗も(野心を抱いた豪族達の工作もあって)広く囁かれるようになり、そういった不安や不満が、全国的に庶民すらも巻き込んだ政治体制変革思想の活発化に繋がっていった。

 そしてこの三年の間に思想は徐々にではあるが具体的な運動へと変化しつつあり、皇都が国の南部に、当時の首都ゴサイが東部北寄りにあった地理的事情、或いは先述の護国軍の出自などから、大まかには北部と南部とで軍派と皇派とに対立し、この三十年ほど前に一度両派で大きめの衝突があって以降、形を潜めていた武力衝突もごく小規模ながら再び散見され始めるようになっていた。

 勿論、それぞれの派閥も一枚岩ではなく、保守派に改革派、積極派に消極派、強硬派に穏健派、様々入り乱れ、その中でもまた様々な思惑が蠢き、その混沌が後の戦乱の世へと導くのであるが、今は余談。

 だが、その思惑の一つがこの時、クレノセキへと襲いかかろうとしていたのだった。


 ――ブゥォォォォォォォォ……。

 その日、陽が西に傾き空が色を変え始めた頃、重く、どこか荘厳な、咆吼にも似た音が天から響き渡り、それを聞いた人間を腹の底から震わせた。

 それは霊峰から風に乗って、遙か東は一千センメトル、東西の直線距離だけで言えば、実に我が国の三分の一を越えるほどの距離まで響いたという。

『山神の声』――我が国の歴史の節目節目や甚大な自然災害の度に起こると言われている、瑞兆とも凶兆とも言われる現象である。

 そしてこの日のそれは、クレノセキの人々にとっての、凶兆であった。


 ――その夜。

「敵襲! 敵襲!!」

 そう叫びながら里へまろび込んできたのは、橋の向こうを監視していた見張りの者ではなく、里の南方、果実のなる木々のある一帯の見回りをしていた、主に里の防衛を担う、役姓『サキ』の若者だった。

 その声に、非番の者も含む『サキ』の者達が集まり、状況を聞き、役割を決め、それぞれが向かうべき所へ散っていった。その一連の流れは極めて迅速に行われ、叫び声に反応して飛び出してその様子を見ていたヨシュウの心に感銘を刻んだ。

「と、感心してる場合じゃないな……」

 そう独り言ちながら部屋へ戻り、佩刀する。ヨシュウの心には、このような事態になった事への困惑の中に不安や恐怖がない交ぜになっていた。そして同時に、戦いの前の不思議な高揚感もある。だが――。

 ――『サキ』が彼らのすべきことを成すように、己は己の成すべきことを。

 先ほど見た光景に、そんな決意が湧き上がる。それはヨシュウに、複雑な己の心境を客観視する冷静さをもたらした。

 そして『ゴ』の自覚と誇りを胸に、ヨシュウは部屋を再び飛び出した。


「橋の向こうも押さえられています。あれは恐らく、第二皇子スジャナリ様かと……」

「何故、そんなお方が……」

 目の前に居るオサ達の周りで交わされるそんなやり取りを聞きながら、ヨシュウは先ほど少し寄り道して見張り窓から橋の向こう側に見た、その男の事を思い出していた。

 馬に跨がり自らが先頭に立ち、後ろに続く軍勢の誰よりも強い存在感を放っていた男。まるで全身から漲る覇気が目に見えるかのようだった。

 ――強い。

 確かにそうヨシュウには感じられたが、初めてモリウと対峙した時のような恐怖は感じなかった。それでも目を引き付けられたのは、その男から感じた強さだけではない何かが原因だと思った。

 ヨシュウにはその何かの正体が判らず不思議だったが、今その男の正体を知り、あれが皇族の持つ独特な雰囲気のようなものであったのかと得心した。

「静まれ!」

 皇子自らが率いた軍勢の襲来。その異常事態を知り、ざわめいていた広場を、オサの一喝が沈黙させた。

「以前から何度か第二皇子からの使者が訪れ、紅玉を増産し皇子の元へ直接供給するように我々に通達してきていた。我々はそれをやらないのではなく出来ないのだと嘘偽りなく説明してきたが、結局理解されずこのような事態を招いてしまった。……事ここに至っては、我々に恭順や屈服の選択肢は無い。紅玉は徒に量産して良い物では決して無いからだ。皆にも詳しい事を説明できず済まなく思うが、理解して欲しい。このような秘密主義が現状を招いたのだとしても、私は先人達が守ってきたものを愚直に継承するしか出来ぬのだ……済まぬ」

 そう言って頭を下げるオサに、周りにはただ困惑ばかりが広がる。だが、続いてオサが語った言葉に、里の人々は紛糾する事になる。

「だが、それも私で最後だ。この場所、この里は滅び、紅玉は失われる事になるだろうが、皆が血筋を繋いでくれるなら、クレノセキは滅びない。どうか、急ぎここから脱出し、生き延びて欲しい」

 紛糾といっても、対立した意見は大きく分ければ二つ。戦うか、降伏か。

 誰もが里を捨てて逃げ出す事など考えたくなかった。いずれ里を出て行きたいと思っていた若者でさえ、生まれ育った故郷の滅亡など容認できるものではなかった。

 しかし、意見がぶつかるほどに、皇家と対立すると言う事の重大さがクレノセキの人々にのしかかっていった。

 主権を譲渡したとは言え、山神の意志によって興ったと言われる皇家は、国民からの信奉を失ったわけではなかった。当時の政の頂点である大将軍も、帝から任命されるという形を取っていたからこそ、庶民にまで受け容れられていたと言って良い。

 それほどまでに、我が国に於ける『山神信仰』は大きい。その背景として、近年の研究によってより可能性が確かとされてきた存在――遙か昔、原始的な生活をしていた我が国の文明を僅か百年前後で著しく進歩させた『高度な知性を持った存在』――の“実在”を指摘出来る。それは他国のように自然の脅威などを背景にして誕生した概念としての『神』とはまるで違うものだ。

 原始の時代に於いて、生活をみるみる改善していく知識、それをもたらした存在。それに対する感動は恐らく現代に生きる我々の想像を絶するものだろう。なればこそ、強い信仰が血や魂にまで刻み込まれ、この時代はおろか、現在にまで受け継がれているのではないか。

 ともあれ、それほどの山神への信仰ゆえに、弱気に傾いた空気を一変させたのも、山神の巫女たる『フ』の言葉だった。

「……皆様。このような狼藉が山神様の意志とは思えません。これは第二皇子の独断でしょう。ですから、必要以上に恐れる必要はありません」

 静かな、しかし、良く通るミカリの声に、人々はあっという間に静まりかえり、同時に落ち着きを取り戻していった。

「ですが、山神様は無為に血が流される事も望むはずもありません。生き延びる意志のある者は北へ、その後に霊峰の懐へ、逃げるのです。力ある者は、若い衆は北へ向かう人々の守りに。それ以外はここに残り、地の利を活かし、遊撃戦にて里を守って下さい。逃げる者達はわたくしと共に。戦う者は、オサの元で。宜しいですね?」

 声音は優しいが、どこか反論を許さないような雰囲気に、人々は、これは決定事項なのだと覚悟を決めた。


 里が包囲されてから四半刻ほどが経ち、降伏勧告に対して返答を保留し続けるのも限界が近づいていた。

 北へ先行した斥候を慌てて追うように、緊急用の地下洞窟通路へ人々は列を成し歩を進めてゆく。女子供は着の身着のまま、男達は最小限の物資を詰めた背袋を負って。

 殿を務めるというミカリとカリンに付き添ってその様子を眺めていたヨシュウに近づく者があった。

「ヨシュウ、俺達が里を守り切れなかった時は、お前は『ゴ』を名乗る必要はない」

『フ』を、そしてその後継である妹カリンを護るのだと意気込んでいたヨシュウに、語りかけたのはモリウだった。

「師匠が守り切れないなんて事があるのか?」

「……一人きりを護るのと敵を殺して回るのじゃ勝手が違うさ」

 頼もしい返事が返ってくると思っていたヨシュウは、思いがけず弱気なモリウに心が乱れた。そして、己が冷静さを保っていられたのは、師匠への絶対的な信頼感があってこそだったのだと気付かされた。

「ヨシュウ、お前は閉じた里で『フ』を護るだけで終わるような器じゃないと、俺は思っている。ここで里が終わるなら、お前は伝統に縛られる必要はないんだ。自分で自分の道を決めていい」

 モリウの言葉に、ヨシュウの脳裏には『自由』という言葉が浮かんだ。それはこれまでヨシュウには自覚は無かったが、いつしか心が求め、無意識に理性が蓋をしてきたものだった。

「……モリウ、俺は……」

「だがまずは逃げるみんなを守りきれ。それがお前の『ゴ』としての最初で最後の仕事だ」

 そう言ってモリウはヨシュウに一振の刀剣を差し出した。

「……これは……」

「少し早いが、これを伝え渡す。これからこれは、お前の物だ」

 ヨシュウは両手でそれを受け取り、軽く鯉口を切る。

 鞘から表れたのは、赤黒く、だが、美しい艶を持つ刀身。

 今のヨシュウには少し大ぶりの長さ、当時一般的だった刀剣と比較してやや幅広のそれは、『ゴ』にのみ与えられる、この里でしか作られる事のない、紅玉鋼の刀剣だった。

 師から仕事を任されるという事、そして、この紅玉刀を与えられるというのは、即ち、一人前と認められるという事だ。

 だが、その喜ばしいはずの事も、今はただヨシュウの胸に悲しみしかもたらさない。

 ――これではまるで、遺言じゃないか。

 浮かんできたその言葉を口にしてしまえば、本当になってしまう気がする。

「じゃあな。任せたぞ」

 だから、そう言って去って行く師匠の背中に、ヨシュウはただ黙ったまま歯を食いしばり、頭を下げた。


 クレノセキ入り口の橋を渡った東は、アケウル郡領(現トビカ州南西部アウラン県の辺り)であり、アケウルは西側の軍派の筆頭とも言える存在であった。

 峡谷を渡す橋はさほど多くはない。クレノセキの北は遠くに一本、南の一本は更に遠い。

 しかし、クレノセキ入り口の橋からすぐ南には皇派のナダベ郡との郡境が近く、そういった立地が第二皇子率いる軍勢の二方向からのクレノセキ侵攻を可能にした要因でもあったのだろう。

 逆に言えば、いかな皇子軍とはいえ軍派アケウル領を堂々と北上するのは簡単ではないという事でもあり、結論を言えば、北へ逃れたクレノセキの人々は敵襲に会う事もなく逃げ延びた。戦うために残った者の他、里と命運を共にすることを選んだ者は多かったようで、生き残りは百名にも満たなかったと推測されている。

 その生き残りであるクレノセキの人々の元へ、南方から追いつく人影がただ一つあった。襲撃から二日後の夜だった。

 ほぼ丸一日を走り続け真っ直ぐミカリの元へ参じたその男は、与えられた飲み水を勢いよく飲み干すやいなや、息つく間もなく里で起こった事を報告し始めた。

 曰く――東は橋を挟んだ向こう、いつの間にか作られた簡易櫓から矢が射られ、南は出ては引いてを繰り返す。その後攻勢に出た相手を、地の利を活かし、一度は撃退せしめるも、休む間もなく小規模な攻撃が続けられる。

 その後大規模攻勢の第二波、そして再び小競り合い。この頃には、オサは里の秘密を守りきると言い残し、十数人の老人達と共にいずこかへ消えていた。

 そして、相手の第三波攻勢にて『ゴ』のモリウと『サキ』の頭領ユウリが負傷すると形勢を保つ事はままならず、その時点で命運を悟ったモリウが一番若いこの男を北へ走らせた。ただ「済まぬ」の一言だけを託して――。

 男がただそれだけの事を語り終えると、辺りは沈痛な静寂に包まれた。

 葉擦れの音に紛れるように、すすり泣く声もある。深い悲しみが支配していた。

 ヨシュウはただ、愕然としていた。モリウと最後に交わした言葉に嫌な予感を覚えながらも、心の奥底では、師匠ならきっと何とかしてくれる、と思っていたことに気付かされたからだ。そして、自分がそんな楽観的な希望を抱いていたという事が、モリウが死んだという事実と同じくらい信じられなかった。

 ヨシュウの思考は千々に乱れた。その中で、ヨシュウは胸の中に炎を灯した。『怒り』という名の炎だ。

 それは誰に対する怒りか。

 ――暴虐を成したスジャナリか。

 ――力なき己自身か。

 ――期待を裏切ったモリウか。

 ――このような事が起こる世界か。

 ――信仰に応えぬ山神か。

 それはヨシュウ自身にも判らない。それが『怒り』である事さえ、この時は理解していなかったかも知れない。

 後年、ヨシュウが語ったとされる言葉が残されている。

『自分を突き動かし続けている胸の内のこれは、怒りという感情なのだろう』

 それをヨシュウが自覚したのが何時かは判らない。だが、それが生まれたのはこの瞬間だったに違いない。


「お兄様はシャネさん達と共にアケウルへ向かって下さい」

 そのカリンの言葉は、ヨシュウに小さくない衝撃を与えた。悲しみを飲み込み、今後を話し合う場でのことである。

「……だ、だがカリン、俺は『ゴ』としてお前やミカリ様を護る――」

「お兄様。クレノセキは滅び、そんな名にはもう意味はありません。モリウ様も仰っていたではありませんか。お兄様は、そんなものに縛られる器ではありません!」

「……カリン……」

「……わたくしだって。……わたしだって、お兄様と離れるのは辛い! でも! わたしがお兄様の自由を、可能性を、奪ってしまう事は……もっと辛い!」

 その潤んだ妹の瞳の奥に、強い意志を見出して、ヨシュウは胸を衝かれた心地だった。

 里の守りに残った父親と、いつでもその側に居たいと望んだ母親は、恐らくもう生きてはいないだろう。

 二人きり、ただお互いに唯一残された肉親と、離れるのが辛くないはずが無い。それでもヨシュウの外界への未練を見て取って、カリンは決断したのだ。

 ――カリンはこんなにも強くなっていたのか。

 胸に湧き上がったそんな感慨に、ヨシュウは己を恥ずかしく思う気持ちを抑えられなかった。

 ただ自分が妹を守っていたのでは無い。妹の存在が、自分を助けてくれていた。――それに気付かずにいた自分の浅はかさ。

「……分かったよ、カリン。俺は外の世界を見てくるよ」

「はい」

「その上で、それでも俺が『ゴ』としての使命を果たしたいと願ったなら……」

「はい、その時は歓迎します、お兄様」


 ――そうして、生き残ったクレノセキの人々は二手に分かれた。

 ミカリと共に霊峰の懐で生きる道を模索する者達。

 そして、外の世界へ出て生きていこうとする者達。

 里を出ても尚、霊峰の麓からは離れがたいと思う者も多かったようで、この内、外界へと向かったのは若者ばかり二十数名程度と思われる。その中にはヨシュウの他、シャネ、マサタ、ソロウといった、ヨシュウの幼馴染の姿もあった。


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