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結、後書きに代えて

 安座吟者、または、安座行者、と史料には記されている。

 本編中でも触れた『軍皇分権政府』時代から乱世初期にかけて、文字通り国中を行脚し、各地でうたって廻った、民間で広く親しまれた者の名である。最初に本人がそう記したのか他人が音からツク字を当てたのかは判らぬが、やがて本人がそう名乗り記したのは確かなようだ。

 そう、『アンザ』その人である。

 彼の活動の背後には軍皇分権政府下で右大将となったコノト・マサタの存在が見て取れる史料も存在している。臣籍降嫁したタケトモの一つ下の妹、その夫こそがマサタであり、その影響もあって彼自身もまた民衆人気が高かったため、ツクナミ人とは外見の異なるにも関わらずアンザがよく受け容れられた背景としては納得できるものである。

 また、彼の活動初期の頃と思われる民間の記録に、アンザが一振りの刀剣を肌身離さず所持していたという記述があり、アンザ本人の手記と思われる史料には明記されていないが、一度は霊峰の麓へ向かったものの、その時点ではヨシュウの願いを叶えるには至らなかったようだ。彼の全国行脚はカリンの手がかりを探す旅でもあったのかも知れない。

 その旅の中、各地で披露された彼の『吟』の内容だが、これは主にヨシュウの事を物語として伝えていた。恐らくは美化された内容だったのであろうが、だからこそ人気を博したという面もあるのだろう。

 武土賀尊むとがのみことと呼ばれ、軍皇分権政府崩壊後の乱世に於いて、武と国土愛(郷土愛)の象徴として神格視された存在。それを生んだのがアンザの吟、その人気であり、延いてはトガ・ヨシュウという人物が死後に神格化されるに至った理由である。――そのヨシュウ人気が郡郷主義の高まりを呼び、軍皇分権政府の崩壊を招いた遠因となったことは、皮肉と言うのに忍びない。

 余談となるが、その軍皇分権政府の崩壊へ向かう流れに影響した、本編では触れなかったもう一つの外憂、南方タルマ帝国の侵略計画だが、これは端的に言えば“自滅”であった。百と言われた艦隊は、実際はその半分ほどであったようだが、それでも当時としては破格の戦力であった、はずだった。しかし、北上する長旅の中で、天災や病気でその殆どが失われ、ツクナミに辿り着いたのはわずか二隻であったと記録されている。しかもその乗員の殆どもひどい衰弱や病人であったとなれば、戦いにすらなるはずが無かった。この大失敗、大損失もタルマ帝国の崩壊に影響していくわけではあるが、そちらは世界史の範疇であるので、ここでさらに詳しい言は省く。


 さて、現代。

 霊峰の麓に、シソクという、山神参拝の客でそれなりに賑わう街がある。

 筆者の故郷でもあるこの街の、駅正面出口から霊峰へ向かって真っ直ぐと延びる中央大通りの半ば辺り、そこを脇道に入って住宅の並ぶ路地を暫し行くと、古い様式を今に残した外観の木造建築が見えてくる。『紅之関記念館』という施設である。

 読んで字の如く、かつてのクレノセキに関する史料、並びに、そこから移り住んできた人々が、別の場所から此処に集まらざるを得なかった人々と共に、このシソクを発展させてきた歴史に関する史料が展示されている、皇都の中央博物館などと比べてしまえばとても慎ましやかな施設である。

 この施設の“目玉”と言えるのが、一振りの『紅玉刀』であろう。

 これはヨシュウの振るっていた刀剣そのものであるとは伝えられているが、残念ながら、詳しい来歴は残されていない。

 ――アンザは生きて此処へ辿り着いたのか?

 ――カリンはこれを受け取ることが出来たのか?

 現時点では、我々はそういった事を、推測することしか出来ない。

 だが、だからこそ、我々はそこに浪漫を求めてしまうのかも知れない。――などと筆者は思うのであるが、読者諸兄姉も、機会があれば実物を前に過去へ想いを馳せてみては如何だろうか。


 最後に一つ、蛇足かも知れないが、皆さまの空想に彩りを与えるかも知れない、一つの事実を記して本書を終わりとしたい。

 シソクには、古くから続く剣術道場がある。時代としてはちょうど軍皇分権政府の末期頃からというから、シソクがまだ小さな集落だった頃から続いていることになる、由緒ある道場である。

 長く続いているのは伊達ではなく、現在でも老若男女幅広く親しみ、道場で良く汗を流している。故にか、全国大会上位にこの道場出身者を見つけることも稀ではない。

 かく言う筆者も、幼い頃から大学府への進学のために上京するまで、このシソクで、ツクナミ西部では珍しい『護円流』を修めたのである。



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