1話 ダンジョンで『無の刻』が発生しました。
ネールは道具屋のせがれだ。
道具屋は14年前にできたばかりで、まだ新築といっても過言ではないだろう。いや、道具屋を含めた、この街自体がまだ新しいのだ。そして、街の住民のほとんどは国奴で構成させれていた。
ネールも国奴の一人だ。代々道具屋の家系である。
そもそも職業選択の自由がないため、生まれた時から道具屋として生きることが定められていた。
国奴とは、かつて戦争で負けた国民たちのことである。
一度国奴として定められると一代限りではなく、子孫の何代も通して国の所有物としての『もの扱い』を受ける。
ネールの先祖は、元々島国で暮らしていた黒髪が特徴の種族だったが、王国の侵攻を受けて滅亡した。その生き残りたちの血筋を引く者たちが、現在の王国の国奴とされている。
国奴の所有権は、その土地を収める領主にある。
結婚の自由はない。
否、人権すらないと言った方が正確な言い方かもしれない。恋愛の自由もなく、結婚相手も上から決められる。
なお、一般平民と国奴に恋心が生じることも多々あった。だが、国奴とは領主の所有物であるゆえ、手を出すと処罰の対象となる。
国奴とは、概して劣悪な環境にいる者たちのことだった。
そんな身分の元に生まれたものの、ネールは特段不満に思ったりしていなかった。
生まれた時から国奴だった。
差別されること、虐げられることが普通のことだと思っている。
それに、ネールには結婚相手として、幼馴染のマリナが定められているのだが、マリナはとても可愛いらしく、彼女と結婚ができるのなら国奴の身分でよかったとさえ思っていた。
国奴は、恋愛や自分の意志で結婚相手を求める自由はないものの、人口維持のために、家庭を持つことは義務とされていた。
道具屋の前店主でもあるネールの父や、母は他界していない。
現在の道具屋の店長はネールだ。
道具を売るだけではなく、道具の製造に必要な材料の仕入れから製造まで、全てネール一人で行っている。本来、道具屋は錬金術師の作った道具を入荷し、それを販売することが仕事だが、領主は経費削減から、ネールの先祖に錬金術を学ばせた。国奴はどれだけ技能を持っていても、モノ扱いのため、賃金を支払う必要がない。
教わったものは初歩的な錬金術だったが、代を重ねるごとに独自に発展を遂げていった。
ネールの十八番はポーション作りで、実際に評判がよい。国奴でない錬金術師なら、ひと財産を稼いでもおかしくないレベルになっているが、ネールの生活水準は高くはない。
どれだけ稼いでも、稼いだお金すら、領主の所有物となる。
ただし、ネールには、それが普通のことだとして、疑問に思えていなかった。
早朝、ネールは開店の準備をしてから、ドアを開けた。
まだ薄暗いが、冒険者がたくさん店の前に並んでいた。
ドアを開けて、冒険者たちを招き入れる。
「いらっしゃいませ」
「ポーションを交換してくれ」
「かしこまりました」
ポーションは鮮度が高いほど効果がある。ネールの道具屋では、使用しなかったポーションの引き取りもしている。普通の道具屋はそのようなサービスは行っていない。
ちなみに引き取ったポーションは肥料に再錬金してから、薬草畑に撒く。
やろうと思えば部位欠損のポーションも作れるのだが、父から絶対に作らないように言われている。
国奴の身分ではあるが、このダンジョン都市は暮らしやすい場所だ。
特殊な技能があると知られたら、領主にどこかに連れていかれて、寝る間も惜しむように働かされることが目に見えて分かっている。ちなみに、寝る間も惜しむように、というのは領主側の見解で、死なず生かさずといった重労働な環境で働かされ続けられることになるのだろう。
冒険者の顧客から、ポーションを受け取っていたところ、店舗の奥から新しいポーションの入った箱を持った、6歳の少女がやってきた。
ネールの妹のメイだ。
「おにいちゃん、もってきたよ」
「ありがとう、メイ」
ネールは冒険者から渡されたポーションを空の箱に入れて、注文された個数のポーションを、メイが持ってきた箱から取り出し、手渡した。その後、差額分をもらったり返金したりする。
ネールの道具屋で忙しいのは、早朝から午後までだ。
ダンジョン内は昼夜で外の影響は受けないが、大抵の冒険者は朝からダンジョンに潜り、夕方には街に戻って、酒場で一杯やるというのが、彼らの日常だ。
この日も、いつものように午前中に仕事を一段落させてから、道具製造の仕事に取り掛かることにした。
ネールは返却されたポーションの入った箱を持ち上げて、メイに声をかけた。
「それじゃあ、店番は頼んだよ」
「分かった、おにいちゃん」
メイは6歳だが、国奴は5歳から仕事を行うことが義務となっている。仕事をしなかった場合、処罰の対象となるのだ。
ネールも5歳になると同時に仕事をはじめた。
メイに店番を任せてから、店の地下に続く階段をおりた。
地下室は錬金部屋となっていて、ここで店に並べる商品を作っる。
「今日もいつもと同じくらいかな」
返却されたポーションの中身をドボドボと大釜に入れていく。
そして知り合いの冒険者に、ポーションを割安にするから、といって集めてもらっている魔物の糞尿を入れ、かき混ぜる。いい具合に混ざったら、ネールは大釜の中に手を突っ込み、魔力を流していった。
錬金術には魔力が必要となり、錬金術師の技術は一子相伝として秘匿とされている。もっともネールの場合、領主からレシピの開示を求められた場合、それに応じなくてはならないのだが。
しばらくすると、沸騰していないのに、ぐつぐつと湯気が出てきた。
これで『肥料』の完成だ。
この肥料を使い、ポーションの原料となる薬草を育てると、通常の数倍もの速度で薬草が育つ。しかも薬草の質は極めて高いもので、そうした薬草で作ったポーションは通常では入手できない高価値なポーションとなる。
とはいえ、あまりにも効果が目立ちすぎても良いことがないため、完成したポーションに水を足して薄めているが、それでも通常販売されているポーションの1・2から1・3倍の効果だ(その分、劣化も激しいが、返却のサービスで補填している)。
なんにせよ、価値ある道具を販売していることを知っている冒険者たちは、こぞってネールの道具屋で物資を揃える傾向にあった。
肥料を作り終えたネールは、地下室から窯を裏庭まで運んだ。
裏庭には所狭しと薬草が生えている。そして、新しく薬草畑を作っている場所までやってきて、そこに肥料を撒いていく。
肥料を撒いた後は、クワを使ってまんべんなく土になじませる。
そうした作業を行っていたところ、表通りから喧噪の音が聞こえてきた。
大勢が騒いでいるようだ。
何だろうと思い、表通りに続いている木扉から外に出た。
すると慌てたような顔をした人々が行き交っていた。
いつもとは異なる物々しい雰囲気だ。何があったのか誰かに聞こうと思っていたところ、見知った顔の少女がやってきた。
「た、大変だよ、ネール君」
「どうしたの?」
駆けてきた少女はネールの幼馴染であり婚約者でもあるマリナだった。
「ダンジョンが……ダンジョンがおかしいの!」
「えっ?」
まだこの時、ネールは自身のこれからの苦難の運命について、全く想像すらしていなかった。