第三話 月明りの情け
はじめまして、皆さま。
私の名前は天手鎮花、とある作家の奥さんだよ! ……と言いたいところだけど、死んだら転生してゲームの悪役令嬢になった女です。
そうです、旦那の作品のキャラに転生と言うより憑依した、みたいな感じな女です、はい。
「お嬢様、聞いていらっしゃいますか」
「……聞いてないフリをしているとでも?」
「っひ!! い、いいえ!!」
とある一室で、今日は語学の授業。
今日はラディウスフロース王国で使われる文語のレッスンだ。
最初の日から一週間、ほとんどレム嬢の言葉を全部鵜呑みにしてしまっていたので、レム嬢から、「自分で考えられないというのは豚と一緒よ」と言われ、自分なりに文語を咀嚼している。睨んでいるつもりはないのだが、若い男性の教師のベンノが怯えているようだった。
「勉学で手を抜くのはいけないことでしょう? ベンノ先生」
「さ、流石ですお嬢様!」
「ふふ」
ベンノ先生の表情が少し和らいだ気がする。
ゲームのレム嬢よりもマイルドな口調を意識しているが、いまだ慣れない。
レム嬢の声が私の知る豪華声優なのもあるけれど、どうしてもゲーム内でのレム嬢の口調に慣れてしまっているというジレンマ……!! ああ、レム嬢限界ファンの私としては本当につらい!!
まあ、慣れないのは文字に関してもと言えるのだが。
ベンノ先生にはラディウスフロース王国の言葉であるプラント語を勉強させてもらっている。
基礎の部分は夜の自室でレム嬢に教えてもらいながら学んでいるため、応用部分はまだまだレム嬢よりも秀でた回答を出せない。
ラディウスフロース王国では基本的に文語は英語のような文法が基本で、旦那が設定したラディウスフロース王国はイギリスを基準にしたイメージの国だったというのもあるが、フランスのパリの様に花の都とされている。
花の都、はある意味文字通りの意味でもあるが。
「そ、それでは今日の勉強はここまでで」
「ありがとう」
「い、いえ、そ、それでは!!」
私は席に座ったまま、別の教師が来るのを待つ。
次はラディウスフロース王国の歴史の勉強、そして最後にマナーのレッスンが控えている。
ラディウスフロース王国の歴史を思い出すとしたら、旦那の処女作である赤銅のフラガリアをプレイしたらわかりやすい。内容は赤薔薇国と白薔薇国との戦争で紡がれるラブロマンス……要はイギリスの薔薇戦争を着想を得ていて、実際の歴史をイメージしたものではなくファンタジーに落とし込んでいる作品だ。空吾は純文学とか歴史系とかが元々好きだったのに、エロゲーが好きだと知った時は本当に驚いたっけなぁ……久々にプレイしたいな、なんて思ったけどできないのが悔しい。
歴史の授業は色花シリーズのゲーム内の情報と資料集からの知識でなんとかやり抜いた。
問題は……、
「ふ、うっ、」
両手を横の方へ手を伸ばして頭の上に置かれた本を落とさないように意識しつつ、教師に指示された姿勢を保ち続ける。
「お嬢様、どうしたんです。飼育された豚の鳴き真似を上げている場合ですか」
腕を組んで冷然と私を見下すこの老婆は、ゲームのレム嬢のように容赦がない。
「……っ、うるさいわよ! ミンディっ、さん!」
「口答えしない。教師にはなんと呼ぶのか貴方の脳には記憶できないのですか。私と貴方は教師と生徒の関係……さん付けじゃないでしょう。つまり?」
「……すみません、マウデスコール……、先生っ、」
「よろしい。野生の豚のような品のない言葉は貴族の令嬢に許されませんよ」
「………………っ!!」
彼女の名はミンディ・マウデスコール。アマリュリス侯爵家に仕える者の一人だ。
また設定資料集に出てくる人物の一人で、レム嬢の淑女として鍛え上げた者の一人である。
知性溢れる老年の彼女には、マナーに関してはレム嬢の補助をされているのにも関わらず見抜かれてしまう。一日目のレッスンの時なんて、「以前のお嬢様ならできていたのに、なんなのですか。まるで汚物に纏わりつく蝿な姿勢は」と言われた時は頭に来た。
レム嬢も、「ここは誤魔化しようがないわね、貴方の以前の日常生活が垣間見えた瞬間だと思うけれど、まあ汚物より死骸にならない程度にやることが大切よ」……なんて言ってくるから、レム嬢なりの励ましなんだろうけど、それはもう悔しい通り越して泣きたくなりましたよええ。
まだ一週間とはいえ、毎日違う罵り方をされるのはセンスがあるのかとも思ってしまう。
というか、レム嬢……その罵倒の語彙はミンディさんからだったりします?
『淑女には話術は必要よ、マウデスコール先生はマナーと同時に言葉遣いを教えてくださっているだけよ。それと、教えて下さる相手に誠意を見せるのも当然です』
さんはつけてるじゃないですか。というか、尊敬してるんですね、その口ぶりからして。
『厳しいとはいえ、間違った教わり方はされなかったというだけです』
……一日目の夜のレム嬢に罵りボイス最高なんて言ってしまったことを深く反省する。
私、こんな容赦のない貴族社会を生きていかないとダメですか。
『当たり前でしょう、貴族は礼儀はもちろん、その品を落とさないための技術は最低限なんて甘えるのではなく、最高以上に身に着けるのが爵位を持つ令嬢に課された宿命です』
「はぁ……」
貴族って、平民よりも面倒なんだな。
「溜息を吐くとは、それほど私の授業はつまらないと言いたげですね」
あ、しまった。
そ、そりゃ、嫌になるくらい厳しいけど、実際のマナー講座みたいなの受けたことなかったから、そういうものだと受け入れていけば、いいのだろうか? うん、そう思うことにしよう!!
ここで否定しとかないと絶対後で面倒になる。
「ち、違いますマウデスコール先生……その、先生の授業は、とても、勉強になります」
私は全力で笑ってごまかす。
レム嬢の気品溢れる微笑を喰らえ!!
「そうですか、それにしても……」
「……?」
「なんでもありません、本日のレッスンは終わりです」
「…………ありがとう、ございました」
今日もレッスンをすべて終えて、夜の食事会がまた始まる。
スープの飲み方は二種類あるそうだが、ラディウスフロース帝国は皿の手前から奥に掬う方法が基本らしい……ナイフとフォークで音を立てないようにステーキの肉を一口サイズに切り分けてフォークで口に入れていく。
「レイク、レッスンは楽しい?」
リリスフィアは食事中に話しかけてくる。
リリスフィアは悪意がないのだろうが、エノクがいる前でその話をされたら「大丈夫です、えへ~」的なことを絶対言わないでいられるわけがないじゃないか。
『楽しいです、マウデスコール先生のレッスンは本当にいつも勉強になってますと言いなさい』
「楽しいです。マウデスコール先生のレッスンはいつも勉強になっています」
「そう、よかったわぁ」
「…………」
笑顔でのほほんと答えるリリスフィアに苦笑いする。
リリスフィアお母様と会話をしているところをチラ見しているエノクお父様の視線が痛い。
ふとエノクお父様はアイザックに視線を向けた。
「アイザック、今日の剣の稽古は調子が悪かったそうだな」
「は、はい……すみません」
「いい、気にするな。また明日励むように」
「……はい」
アイザックは剣術より心理学とかそっちの方が得意だからなー……あまり向いてないのはわかるけど。
……レム嬢が脳内にいてくれなかったら、絶対この食事の時間は乗り切れなかったろうな。
本当に食事の時の時間は胃が痛い!! 子供なのに胃潰瘍にはなりたくないのに……はぁ。
一番のリラックスタイムと言えばレム嬢のフリをしなくていい夜の時間だ。
レム嬢もまた眠ったことだし、またノートに書いて整理してしまおう。
メリッサに入れてもらったホットミルクを飲みながら、加筆する。
私はゲームの悪役令嬢であるレークヴェイム嬢になった、しかも生まれた時から記憶があるというパターンではなく、ケガをして性格が変わったなんてハプニングもなく、もしくは断罪エンドや追放エンドを経験してから逆行してきたなんてパターンでもない……ただ朝に目を覚ましたら変わっていたことに気付いてしまったと言う鬼畜条件。
異世界転生、異世界転移、いいやそのどちらでもなく私の認識は異世界憑依だ。
……別に新しいイメージ感じもないけど、今の自分的にはそう仮称しておきたい。
そうだとして、今度から出会う確率が高い人物を挙げて行こう。
まず、第一位はアイザックお兄様。
彼はゲーム内での幼少期のレム嬢には仲が良かったため、話しかけてくることは絶対ある。
現にマウデスコール先生に今日も絞られてたのを見て心配してくれたし。
二番目は婚約者のエアンフレド王子。
親同士が産まれた時から決めていたレム嬢の婚約相手であるエアンフレド王子。
五歳になって誘拐されるレム嬢を助けるのではなく、フィリーネを助ける彼だが……なんでレム嬢を助けに行ったはずなのにレム嬢を救い出してくれなかったのか、本当に腹立たしい。
「王子が助けてくれていたら、レム嬢の未来が違ったかもしれないのに……」
ああ、って、怒っていても仕方ない。次だ次。
三番目であるユアン、ツンデレダウナーな本の虫である彼は、……長いな。ツンダウ……いいや、言いづらいな。ダウデレ本虫にしよう。
ダウデレ本虫な彼は幼少期の私と敵対することはまずない、本編で彼はレム嬢のことを知るからだ。それなら普通会うことはないと? いや、続編の方で実は、の可能性を捨てきれない自分はあえてユアンは三位にしておきたいのだ。
レム嬢と会う時に一番危険性がない人物だから、ユアンは私の中の危険人物ランキングからは除こう、うん。四番目はシニカル医者のフィリーネの担当医であるリューシュ先生。
彼はリリスフィアの陰謀に気付いてた一人だ、下手な嘘は通用しない人なのでなるべく会いたくない。
それよりも、最も私が怖いのは。
「……はぁ、頭痛い」
出会う確率が最下位ではあるが一番に警戒すべきなのはヘタレ葬儀屋のフリードリヒだ。
彼はレム嬢のことを裁くためならどんな情報操作もいとわない末恐ろしい男。
普段はどうしようもないヘタレなはずなのに、葬儀屋としての仕事になったら冷酷に執行する。
……一部ではとあるバットエンディングでヤンデレとも呼ばれているが、それは彼のある側面の一つにしか過ぎないだろう、まあ、彼がそうなったのも設定資料集に載っていたのは覚えているし、一応出会う前に攻略ルートを思い出さなくてはいけないのだが……うーん。
「そうだ、散歩をしよう」
アマリュリス家の屋敷の近くに、確か花畑があったはず……行こう。
念のためにストールをかけて屋敷を出る。
ごめんなさい、レム嬢……気分転換できる時間がないと、誰だって疲れちゃうので。
夜空の黒に覆われた森は、まるで私のために沈黙を約束してくれたかのように森々とした道が続く。
その森の中、一人ただゆっくりと歩いていく私はある者を見つけた。
ゲームでも見た、王子での真実のルートで見たレム嬢の最期の花畑。
月が青み帯びたクレーターがまるで涙の痕にも似て、泣きたくなる私を認めてくれるように優しい輝きを放つ。
「…………ああ、死にたいなぁ」
現実で死んだのは、本当はなくて、これがただの夢だったのならば。
これが、ただの悪夢の一つなのならば。
涙を流すことは、本当に行けないことではないのだと思いたくてたまらなくて。
「……っ、」
『誰だ、お前は』
頭の中に流れ込む声は、彼女の声ではなかった。
男の人の声だ、聞いたことがない。
月から反らし、背後を見る。
「貴方は……?」
目の前に月のよりも美しい白狼が、そこにいた。