第二話 悪役令嬢としての過程記録
私はレークヴェイム・オルトリンデ・アマリュリス……ではなく、天手鎮花。
この物語を描いた糸世一彩、本名天手空吾の嫁だった凡庸な女だ。
今、彼女になってから最大の危機が訪れている。
「レイク、どうしたの。一口も食べないで……」
「具合が悪いのか?」
長い黒髪の裏側が淡い青色になっている耽美な女性と赤毛の優しそうな少年が心配そうに私を見つめる。レークヴェイム嬢、ここではレム嬢と呼ぼう。ゲームやってた時そう呼んでたし。
まず女性の方だが、彼女は悪役令嬢として育て上げた母であるリリスフィア・ヴィーゲンリート・アマリュリス。
そしてもう一人の赤毛で穏やかな顔つきの少年は彼女の義理の兄、アイザック・シュヴェーアト・アマリュリス……レム嬢の義理のお兄さんだ。
私はレム嬢の喋り方を意識して、違和感のないようにリリスフィアに答えた。
「いえ大丈夫です。お母様、心配してくださってありがとうございます」
「そう? でも、……貴方からも何か言ってあげて」
私はちらっと、真ん中の席で無言で食事をしているレム嬢の父である男性を見る。
アイザックと同じ赤毛をしている細身の彼の名はエノク・ヴァッフェ・アマリュリス。
アマリュリス家の現当主、一番偉い人だ。
うん、そしてもう一度何が難題なのかを話そう。
異世界転生物で、貴族に転生したのなら一番の難関であるイベント……学生時代に家庭科の授業で習ったことのある者ならすぐ気づけるだろう。
「私にも仕事がある、はやく食事を済ませて勉強に戻りなさい」
「……はい、お父様」
お父様にお小言をもらったのを見計らって、私はテーブルに置かれた食器を見る。
そう、大人になってから忘れがちだったりする食事作法であるテーブルマナー。
私はレム嬢が産まれた時から意識を持っていたわけではない。なんなら今朝目覚めてからなっていた、と言うパターンだ。あの後メリッサに年齢も尋ねてみれば、五歳だと判明した。
とある攻略キャラのルートで判明するレム嬢の過去シーンでの年齢と同じ年齢。
しかもレム嬢は完璧主義者だから、私の解釈ではここで「気分が悪いから部屋に戻る」なんてこと絶対できない……つまり、一発本番なのだ。
ここを乗り切れば何の問題もない、なんて軽口を叩きたくてもエノクの前で粗相をしてしまうようなことがあれば絶対あってはならないのだ。
私も家庭科の授業は嫌いではなかったが、それは料理を作ったらそのまま食べられるという甘美な条件が付いていたから好きだった、というのが正直な本音だ。
どうすればいいんだろう、部屋に戻るなんて真似したら絶対疑われる。
「…………っ、」
適当に手に取りたくても、これでミスをしたらレークヴェイムのイメージが崩れる。それだけは、それだけはいけないんだ。スカートを強く握りしめて、どう切り抜ければいいか思考し続ける。
『貴方、こんなことも解らないの? 自分磨きを最底辺程度の努力しかしなかったからです』
頭に響く少女の声が、とても聞き覚えがあった。
幼い、が、主人公のとある回想シーンでの彼女の声と全く一緒だ。
「どうかしたかレイク」
ど、どうしよう。アイザックがカトラリーを食事する手を止めて心配そうにこちらの顔を覗いてくる。
『お兄様の言葉は軽く流しなさい、今は食事をとらなくてはいけないのだから』
「な、なんでもないですわ、お兄様」
ぎこちなかったかもしれないが、微笑んで返すとアイザックは「わかった」と言って食事を再開した。心の中で溜息を吐きながら頭の中で彼女に問いかける。
――――――あの、貴方は……レークヴェイム嬢ですか?
『後でいくらでも答えてあげる。だからさっさと食事を済ませなさい』
わ、わかりました。
『いい? 一度しか言わないわ。それでもできないと嘘泣きするなら、来世の有精卵を母親ごと駄犬共に喰わせるわよ』
それは、外伝ラノベのレム嬢の名台詞! 間違いない、本人だ。
ゲームで聞いたことないから、もし続編に出てくるんだったら絶対聞きたかった奴だ。彼女の指示を待ちとりあえずカトラリーに視線を向ける。
『カトラリーは外側から順番に使うのよ、ナイフとフォークの持ち方は覚えていて?』
えっと、利き手によって右と左は逆にしてもいいとか、くらい?
『利き手が違う場合は代えていいのは確かに合っています、けれど並べられているカトラリーを左右逆に並び変えてしまうのはマナー違反だというのは覚えておきなさい。ちなみに私は右利きよ』
……つまり右利きの持ち方をしなくてはいけないということか。
『貴方、私らしくしなくてはと考えていたのではないの?』
あ、バレてる。
すみません! でも、どう持てばよかったんでしたっけ。
『ナイフを右手に持って、ナイフの背を人差し指で押さえるように。フォークは左手、親指と人差し指でしっかり持つこと。ひじをはらず、リラックスした姿勢を保つことがスマートよ』
テーブルに置かれた食事のメニューは、メリッサに教えてもらったからある程度は解る。
カトラリーを持って食事を開始した私を見て、母のリリスフィアはまだどことなく不安げに私を見つめ兄のアイザックは穏やかに笑ってくれた……どこぞの最低親父は視線すら合わせようとしなかったが。
◇ ◇ ◇
「はぁあああ……っ、疲れたぁ、」
『この程度で音を上げるなんて、無様だわ。だらしのない』
ベットの上で寝転がる私を見て、レム嬢は冷や水な言葉をかけてくる。
食事を終えてからのレッスンの時間は地獄だった。
多国語の勉強、ラディウスフロース王国の歴史について、淑女としてのテーブルマナーや作法などなど……レム嬢がどれだけ過酷な勉強を幼少期に過ごしていたのか理解させられた。
よくレム嬢はこんな日常に文句一つ吐くことなく頑張ってきたんだろう、すごいなぁ。
あ、そう言えば頑張ったご褒美に名前を教えてくれるんでしたよね?
『……確かに、私はレークヴェイム・オルトリンデ・アマリュリスよ。なぜ貴方が私の中にいるのかは理解できないけれどね』
「それは、私も同じです。レム嬢」
『そのレム嬢と言う愛称で私を呼ぶことを許可した覚えはありません、いますぐやめなさい』
怒ってるレム嬢もかわいい。
でも、今後のためになんで精神が分かたれているのかは情報収集しないと。
『あまりふざけるようなら、私のギフトで氷漬けにして差し上げてもいいのよ?』
「いやです。私は貴方が好きだから、そう呼びたい」
『……私が、好きですって?』
レム嬢の声が、少し震えていたように思えた。
当たり前だよな、彼女は誰かに直接好きって言われたことなかっただろうし。
「はい、私は貴方のことが大好きです」
『頭おかしいんじゃないの? 貴方と私は初対面のはずでしょう、徒花の忌子の私を好きだなんて言う人なんて、誰もいないわ。いるはずないの』
私は横向きになりながらベットの毛布を掴む。
彼女がとても不思議そうに返答するのは解ってはいた。
けれど、この気持ちはだけは本当なんだ。
「はい、確かにそうですね、でも一目惚れって言葉も世の中にはありますよ」
『……貴方に媚びを売った覚えはないわ』
「売ってないです、でも貴方の生き方がカッコよかったから、私は好きになったんです」
そう、私は完全ではないかもしれないとはいえ彼女に成り代わった。転生したかと言われたらまだ憑依か? なんて疑問だって湧いているけれど、もし色花シリーズの中にある群アマの世界だったら、まず一番彼女の理解者になってあげたいと思ったからだ。
「私は、貴方を演じなければいけない。でも、どうしても変えたい未来があります」
『貴方の目的は何なの?』
「私なら、貴方の未来を変えられる。貴方の人生の共犯者にさせてほしいんです」
私は仰向けになって天井に見上げる。
彼女がどれだけ否定したとしても、構わない。
だって、推しキャラを応援する自分の愛は無尽蔵なんだ。
『…………、一ヶ月』
「はい?」
『一か月の間で私が出す全ての課題をマスターすれば、貴方のことをある程度認めてあげましょう。私を模倣するなら、その期間でできないようなら不要です』
「レム嬢……!」
鎮花は飛び起きて、直接彼女を抱きしめられないため自分の腕を抱える。
レム嬢に抱き着けないから、代わりにと言う感じだ。
ああ、抱き着きたくても抱きつけないってすっごく残念。
というか、もししたら絶対怒られるけど。
『その愛称はやめなさい。そしてその行動を今すぐやめなさい』
「嫌です、あんまりひどいこと言うとレム嬢らしくない行動をとったっていいんですよ? 今の貴方の身体の主導権は私なんですし」
『私の顔でそんな下卑た真似をするようなら、私は私を凍り付かせることを辞さないわよ』
「ごめんなさい、私が悪うございました! レム嬢の生罵りボイス最高です!」
『……変な女ね、貴方』
ドン引きされんのわかってたけど、ゲームをプレイした私にはすでにレム嬢をツンドラ女子という解釈をしているので痛くもかゆくもない。
『……私はもう寝ます。もし騒いだらどうなるか、お分かり?』
「大丈夫です、ちょっと予習はしますけど気にしないでくれたら嬉しいです」
『…………そう、おやすみなさい』
「おやすみなさい、レークヴェイム嬢」
頭の中で、彼女の寝息が聞こえる。
思わず手を振ってしまったが、日本人の悪い性だな。
もしかしたらたまに彼女と入れ替わったりするのかなー? なんて淡い期待はよそに、私はベットから出る。テーブルにメリッサに頼んでおいたノートとペンにロウソクをテーブルに並べた。
マッチで火をつけてから、私は執筆に入る。
「……よし」
さぁ、レム嬢が眠ったことだし群アマの設定を思い出せる分書くとするか。
もちろん、他のキャラに気付かれないように日本語で……まずこの世界の世界観と、最初に思い出して人物は彼女にする。
まず、世界観。
ゲームのタイトルは、色花シリーズの五作目である群青のアマリュリス。
そして、続編である紺青のアマリュリスと世界観を共有されている作品だ。
舞台は妖精の国であり花の都、ラディウスフロース王国。
イメージ的に中世ヨーロッパ風で、そこにファンタジー要素を足した世界観だ。
そこで各攻略キャラたちと恋愛をするという、ただそれだけを聞いたらどこにでもある乙女げーだ……しかし、この群アマは他の他作品に出てくるような作品と違う。
その一番と言っていい、彼女を挙げよう。
――――――レークヴェイム・オルトリンデ・アマリュリス。
群青のアマリュリスの主人公をいじめる悪役令嬢で、一部のファンからは悲しき悪役とされている。
彼女は短命で、徒花の忌子とされ周囲から忌み嫌われていた。
しかも父親であるエノクが主人公フィリーネの母親であるエンデと浮気をしてしまったのだ。
リリスフィアはフィリーネとレークヴェイムを出会わせてから、レークヴェイムとフィリーネを誘拐させた。フィリーネは賊に暴行されたことで記憶喪失になるもエアンフレドに助けられた。
レークヴェイムはフィリーネがエンデの娘だという真実と賊たちからの凌辱を受けたのにも関わらず、フィリーネを憎み切れないでいるとリリスフィアに洗脳され、リリスフィアの操り人形になってしまう。
エノクはリリスフィアと離婚して、フィリーネとエンデで一緒に別の屋敷に住むようになる。
「……ここから、レム嬢が本格的に悪役令嬢になっていくんだ」
私は口元に片方の手を当てながらペンを走らせる。
本編が開始されてからは、レークヴェイムはフィリーネと出会ってからいじめを始める。
令嬢たちと一緒に噂を流して悪口を言ったり、フィリーネが入っているトイレの個室に頭から水をかけたりという描写がはっきり入っている。
記憶喪失になったフィリーネは、各ルートでそれぞれ別の回想が入る。
腹黒俺様王子のルートではレークヴェイムの洗脳前の過去が触れられ、紳士お兄様のルートではフィリーネとレークヴェイムの昔の二人の日常が語られる。
ヘタレ葬儀屋のルートではレークヴェイムの努力家だった理由を知ることができ、ツンデレダウナーな本の虫のルートでは貴族の在り方についてとエノクとレークヴェイムのやり取りが見れて、シニカル医者のルートでは徒花の忌子のことについての話が出てくる。
大体、フィリーネが回想に入る内容のほとんどがレークヴェイムのことだ。
それくらい、フィリーネの中でレークヴェイムは特別な義姉だったのだろう。
そんなルートが各自用意されているが、レークヴェイムは各キャラのグットエンド、トゥルーエンド、バットエンドのどれも死亡してしまう。
……なんか、頭痛くなってきた。
「空吾ってなんでこんな鬼畜設定にしたのかなぁ、もう」
頭を抱える手を禁じ得ない私は、一度ペンを置く。
ああ、でも、この物語で彼女が一番に救われていると思うルートは……おそらく王子のルートだ。
メリーバッドエンドでよく知られている腹黒俺様王子、略して腹俺王子ことエアンフレドのトゥルーエンドは群アマの魅力をさらに深めたと言っても過言ではない。
そのルートではレム嬢の洗脳を解かれ、最後にフィリーネに「愛しているわ、フィーネ」と呼んで、白い花園の中で息絶え、青いアマリリスになって周囲の花も青く染まるというスチルは号泣したものだ。
ああ、っと、話が逸れてる。感想じゃなくて、他のルートを思い出さないと。
テーブルに置いたペンをもう一度手に取り、思い出せる範囲の内容を書いていく。
悪役令嬢が出てくる作品でよくあるイベントの破滅エンド、断罪エンド、追放エンドなどなど群アマにはもちろんある……各キャラのルートでどの展開があったっけな。
確か腹俺王子がグットエンドが追放、トゥルーエンドが断罪。
お兄様はグットエンドが断罪、トゥルーエンドが破滅。
ヘタレ葬儀屋はグットエンドが破滅、トゥルーエンドが断罪。
ツンダウ本虫はグットエンドが追放、トゥルーエンドが破滅。
シニカル医者はグットエンドが断罪、トゥルーエンドは追放。
……だった、かな? 内容はまた明日にでも書こう。
「……ふぅ、そろそろ寝なきゃ」
窓を見ると満月が見えて、もうこんな夜に書くのは子供の身体には悪いなと思い片づけに入る。
ロウソクの火を息で消し、棚にノートを違和感のないように隠す。
なんで旦那はこんなにレム嬢に過酷な人生を背負わせたのか……この世界のどこかにいるなら、絶対聞きださないと。転生前は、「次回作出たら教えてあげる」って言ってたけど転生した今だったら絶対に問いたださないと気が済まない。
もしかしたら私と一緒で誰かに転生なり、転移なりしてるだろう……楽天的に考えたい。
期待したいだけだが、それでも生きる希望が消えたわけじゃない。
旦那がもしかしたらいるって、そう思うだけで、一人で生きていかなきゃいけないっていう恐怖が少しだけでも収まるから。
私はベットに入って目を閉じる。
「空吾…………」
私の今日から始まる悪役令嬢に転生した物語の幕が、上がったのだった。