第一〇話 誘拐の日
机の上に両手を置きながら、私は呟いた。
「…………どうしてなの?」
今日もレム嬢と会話ができない苦悩の日々が続いている。
もしかして私が彼女の体にいるから蝕んで精神を殺している、的なことなのだろうか。
もしそうだとしても、私が私を殺す方法などないしレム嬢を殺すわけにもいかない。
どうすることが、正しいんだ? ……いや、とりあえず今日の曜日を確認しよう。
群アマは色花シリーズの月の名前が植物に分類された言葉で出来ている。
何か、重大なことを忘れているような気がすると思った私はレム嬢の部屋に置かれているカレンダーを一月一月を確認する。
それぞれに~の節とついているが、現実でいうところの何月の月の部分にあたる。
春と秋くらいしかないのに、どうしてそこまで設定細かくしてんだろうなんて思ったけどそれくらい旦那は作り込みたかったんだなと思うと、心の中で感服以外の言葉は出てこなかった。
とりあえず、一月から捲っていこう。
一月は開種の節。
二月は出芽の節。
三月は蕾花の節。
四月は咲花の節。
五月は雨花の節。
六月は色花の節。
七月は伸花の節。
八月は綺花の節。
九月は天花の節
一〇月は閉花の節。
一一月は葉枯の節。
一二月は眠芽の節……となっている。
「うん、やっぱり最初の時みたいにすぐには覚えきれないな」
カレンダーをめくりながら、思わず苦笑いが漏れてしまう。
花の段階を表しているのはゲームのプレイ時に思ったけど、まさか曜日の方にまで設定するとか、旦那も設定厨だなぁと、笑ったのも懐かしい。
でも、今月はどの月だったっけ……? 確か、誘拐されるのはレム嬢が五歳の時。
「今月は咲花の節、地球で言うと四月……って、ことはっ」
月の名前はそうだが、一日一日の呼び方は日本と同じだ。
ラディウスフロースでの曜日を思い出そう。
曜日は、確か根が月曜日、芽が火曜日、茎が水曜日、枝が木曜日、葉が金曜日、蕾が土曜日で、花が日曜日だから……?
カレンダーをテーブルに乱暴に置いてから両手をつく。
待て。
ちょっと待って。
「レム嬢の中に入った日が三月の最終日、そして今日が四月一日だから……ネットの考察でも、書かれてあったレム嬢の誘拐日は……今日?」
冷や汗が一気に出てくる。
口元に片手を当てて、よく考える。
恐れていたことを、そっちのほうに気にかけていられなくて自分のことにかまけていた結果がこれだ。
レム嬢を助ける手立てを、自分から放り投げたようなものだ。
諦めた、行動だったのだ。
拳を強く握る、強く、苦虫をその手で潰すみたいに。
「…………レム嬢、どうして知っていたの? どうして、一か月と、貴方はそう言ったの?」
幼い彼女が、まだ本編にも入っていない彼女が知っているはずはないと断言はできなかった。
だって、私と言うイレギュラーがいたのだ。
私と言う、異分子が彼女の体の中にいたのだ。
彼女の一番のファンだと謳っておきながら、彼女のことをちゃんと考えて行動なんてできていなかった私が、ここにいる。
……なんて、なんて情けないんだろう。
どんな悪役令嬢の主人公だって、こんなに愚かなことなんてない気高い人ばかりだと言うのに。
自分は、まさか酔っていたのか? 自分自身に。
「…………そんなはず、ない」
むしろ、恐怖していた。怖かった。
彼女に完全に成り代われなかったからこそ、肌に張り付くような恐怖心があった。
地球じゃない旦那もいない日常が、まったく自分の外見も世界観も違う現実を、そう簡単に受け止めきれるわけがなかった。本当だったならあの日に泣き崩れて叫びまくってしまいたかった気持ちを、メリッサの視線があったからこそできなかった、というのが正確だけれど。
もしレム嬢になった時の最初の朝食会。
あの時、レム嬢がいなければエノクに冷めた目で怒られて、リリスフィアとアイザックからは慰められたことだろう。そこから、そこから私がレム嬢と言う人物に成り代わる努力をしていったはずだったろう。
でも、違う。前提が違うのだ。
彼女の精神が、そこにあったのだ。
美しく気高い、彼女の存在がそこに会ったのだ。
たった一人の義妹を守ろうとした孤高の彼女が、そこにいてくれたのだ。
だからこそ、強く願えたのだ。
彼女の未来を、変えてやりたいって。
身近な存在でいてくれたから、近くで罵倒を言いながらも応援してくれた彼女がいたから、無理をしすぎず、自分の精神を殺し切らずに彼女としてあろうと誓えたのだ。
レム嬢が信頼している一人から、あんな風に言ってもらえたのだから。
「――――――助け、なきゃ」
――――旦那の作ってくれたゲームのシナリオを壊しちゃいけない。
「もちろん、そう思うよ。私のために作ってくれたものでもあるし、でも一番にファンのみんなに向けて作ってくれた作品だもの」
――――旦那の作ってくれた作品の本編を崩しちゃいけない。
そうじゃないとどんな修正力が働くか、考えるだけ怖がってた割にちょっとレム嬢の他の人への接し方を少し変えるなんてした時点で、もう崩壊してるに決まってる。
「――――私が、この世界に介入してる時点で、物語なんて破綻してるんだから。なんで、もっとはやく気づけなかったかな」
私と言うイレギュラーが、この物語の前提を既に破壊してる。
私は、強く握る拳をそっと瞼を擦る。
「助けたいよ、フィリーネも、レム嬢も。この世界で死ぬと確定している人たちを」
バットエンドより、ハッピーエンドなんて旦那に向かって言えなかったから、メアリーバットエンドでいいんじゃない? って言ってたけど、この世界が私の現実だと言うのなら、もう気にしなくていい。
『なら、はやく行動なさい。いつまで水溜りを這って回るアメンボのフリをしているつもり? あまりにも鈍くて、待つのも面倒になったわ』
「レム嬢!?」
急に彼女の声が頭から響いて驚く。
いつもみたいな皮肉や嫌味が、久しぶりに聞けてなぜか嬉しい。
……マゾヒストのつもりはないのだけど。
『説明は後よ、とにかく……は、フィーネに……』
「レム嬢? レム嬢!!」
ノイズがかかった彼女の声を最後と言いたげに、レム嬢の部屋の扉が開かれる。
柔らかい銀色の、愛らしい顔がひょっこと現れる。
「お姉様? 誰とお話ししているの?」
「フィーネ……」
不思議そうに見つめる優しい彼女を、私は強く抱きしめた。
できる限り、強く、強く。
「お姉様……?」
「大丈夫よ、フィーネ……なんでもないの」
大きく窓のガラスが割られた音がした。
「! 何!?」
「ギャハハハハハ!! 見つけた見つけた! 忌子ちゃんと銀狼の孫娘ちゃん、ちょっと俺らと一緒に来てもらおうかぁ?」
そこから、下卑た笑い声をする盗賊風の男が汚らしく入ってくる。
レム嬢は、強く睨みつける。
フィリーネを強く抱きしめて。
なんとしてもフィリーネとレム嬢を、守らなければ。




