その後の4
二人はそのまま公園内を散歩し、日もとっぷり暮れた今、夕食を食べてから自宅に帰ろうと車で公園近くの
ホテルの中華レストランに来ていた。
「今日は悠ちゃんの誕生日で出かけたのに私のほうがいい思いしてるみたい。」
理子は目の前に置かれた多種多様の料理に舌鼓を打ちながら、機嫌良さそうに紹興酒を飲む悠里に話しかける。
「理子が楽しんでもらえるのならば一番です。それに理子にはいつも家のことしてもらっていますから。」
目の前に座る悠里はアルコールのせいかすこし上機嫌に理子には見える。理子も豪華な中華料理を食べながらレストランの窓から
見える夜の港の景色にぼうっと見惚れてしまう。
「映画を観に行って、公園で散歩して、レストランで食事なんてデートみたいな一日だね。」
何気なく理子がそう言うと悠里は少しの苦笑を浮かべる。
「私は今日ずっとそのつもりでいたんですけどね。理子には違いましたか?」
その言葉に外の景色から悠里へと理子は視線を移す。その表情には少しの戸惑いが垣間見えた。
「私、デートってしたことなかったから。だってほら、悠ちゃんたちとだって今まで一緒に出掛けたこともあるし。だから、そのあまり考えてなかったというか。えっと。」
家族として出掛けることはあったが、それも彼らの気持ちを聞く前だったので今とは状況が違う。
悠里のことも好きだが、経験値が浅すぎる理子にとってはどう答えたらいいのか分からないのだ。
そんな理子に悠里はグラスに注がれていた紹興酒を飲み干すと、片手を挙げてウェイターを呼んだ。
「注文したデザートをお願いします。」
理子はその言葉に悠里がこの場の空気を変えようとしてくれているということが分かったが、いかんせんお腹がいっぱいで
デザートすら入りそうにない。
「あの、持ち帰りってできますか?お腹いっぱいになっちゃって。」
その言葉にウェイターは表情を和らげたまま、かしこまりました、とだけ言って去っていく。
「せっかく注文したのに食べれないなんて勿体ないから。」
「理子らしい言葉ですね。そしたらそろそろ行きましょうか。」
悠里が支払いを済ませる間、理子はレストルームに行くと伝えレストランを出たエレベーター前で悠里を待つことにした。
エレベーター前のホールには着飾った人々が行きかい、理子は何となしに今日一日のことを振り返る。
今日のように兄弟の誰かと出掛けるということを極力避けてきた理子にとっては悠里から言われるまでこれがデートだということすらも
思わなかったのだ。
3人の思いを受け入れはしても、どうやってその3人分の愛情を返したらよいのか分からない理子は、これからどうしようと頭を悩ませる。
「理子?どうかしましたか?」
気がつくと手には先ほど注文したデザートと思われる小箱を持つ悠里が理子のすぐ目の前にいた。
「え?ううん、なんでもない。」
「そうですか?じゃあ行きましょう。」
悠里は理子を到着したエレベーター内に理子を促し、他にも数人の乗客と一緒にエレベーターに乗り込んだ。
「悠ちゃん、今日はご馳走様でした。すごく美味しかった。」
エレベーター後方で他の乗客に聞かれない程度の声で悠里を見上げると、にっこりと悠里は微笑む。
「それは良かったです。理子がどんなところが好きなのかリサーチした甲斐がありました。」
少なからず理子はその言葉に驚いた。誰もが振り返る容貌と、病院でも人気のある医師の悠里が今日のためにわざわざ
リサーチをしたというのだから。
あれ?このエレベーター、上に動いてない?
レストランはホテルの4階にあったはずだ。駐車場に行くには下へ向かうエレベーターに乗らなければならないはずなのに
揺れる感覚からすると、エレベーターは上へと上昇している。
理子がそのことを口にしようとするとエレベーターが止まり扉が開く。数人が降りると再びエレベーターは閉まり上昇を始めた。
「悠ちゃん、これ上に行ってるよね。間違えたから降りなくちゃ。」
「次で降りますから大丈夫ですよ。」
その言葉に理子は特に何も考えずに表示階数を見上げる。15階というランプがつくと同時に扉が開き、理子は悠里の手が
腰に添えられるのを感じながらも、エレベーターから降りた。
理子たちだけがエレベーターから降りると廊下はしん、と静まり返っている。理子がそのまま下へ行くエレベーターのボタンを押そうとすると、悠里の手がそれを遮った。
「ここでいいんですよ。部屋は向こうです。」
腰に添えられた手にわずかな力が入り、理子はわけがわからず、そのまま廊下を悠里と歩く。
部屋の前に着くと悠里は持っていたカードキーでドアを開けて、理子を中へと促した。
「ゆ、悠ちゃん!ここってホテルの部屋じゃない。」
動揺して当たり前のことを言う理子に悠里は添えていた手を離しながら言う。
「ええ。そうですね。急だったのでここしか取れませんでしたけど。」
あっさりと認める悠里の口調はいつもと同じだが、理子は部屋に入ることを躊躇しているようだ。
「さっき紹興酒を飲んだので、すぐには運転できないんです。少し酔いがさめるまで休みたいんですが。タクシーで先に理子だけ帰りますか?」
両親を相手側の飲酒運転の交通事故で亡くした悠里たちにとって、少しでもアルコールが残った状態での運転は避けている。
理子は事情がわかると自分の考えたことが急に恥ずかしくなり、あわてて部屋の中へと自ら入った。
部屋はテーブルに二人がけのソファとスタンダードなダブルベッドが並んでおり、15階から見える窓の外の景色は幻想的で、かすかに船の警笛が聞こえていた。
理子は窓側に置いてあるポットに目をやると悠里に尋ねる。
「紅茶と日本茶があるけど飲む?」
「そうですね、そしたら日本茶をください。」
その言葉に理子は二つカップを取り出すとポットで沸かしたお湯を注ぎ、日本茶を悠里が座っている前のテーブルに置く。
「座らないんですか?」
悠里が座っているのは二人がけのソファで、あとは離れたところにテーブルとセットになった椅子が備え付けられている。
ここで、離れた場所においてある椅子に座るには不自然だろうと理子は悠里の隣に座った。
普段、意識することのない距離感を理子はホテルの部屋ということで感じてしまい、それを悠里に悟られないようにと明るめの声を出す。
「あ、デザート!せっかくだからお茶と一緒に食べよう、ね?」
「お腹いっぱいだと言ってませんでしたか?」
「いーの。ここに来るまでに歩いたし。」
本当は今食べなくても良かったのだが、何もしないと何となく気恥ずかしいと、理子はテーブルに置いてあった小箱を開ける。
中にはレストランで注文した中華菓子が色とりどりに入っており、理子は思わず目を輝かせる。
「悠ちゃんも何か食べる?」
「いえ、私は結構です。理子は好きなのを食べて下さい。」
そう言われて理子はじっと小箱の中身を見つめたあとにゴマ団子に手を伸ばし、さっそく一口食べた。
「おいしい。これおうちでも作ったことあるんだけど、難しくって。何が違うのかなあ?」
ひとりで喋りながら、デザートを食す理子を悠里は黙って見つめている。ひとつ食べ終えたところで理子は気になって隣りに
座る悠里に視線を向けた。
「悠ちゃん、そんなにじっと見ないで。」
「いえ、あまりにも理子が可愛らしいもので見とれてました。」
普段、そんなセリフを言うとも思えない悠里の言葉に理子は少し驚いていたが、その後すぐに思い当たったことをそのまま口にする。
「悠ちゃん・・・もしかして酔ってるの?」
レストランで頼んだ紹興酒は理子も少しは飲んだものの、ボトルの大半は悠里が飲んでいたことを思い出す。表情や動作に酔った素振りは見られないが、表に出ていないだけでもしかしたら相当に酔っているのかもしれないと理子は思った。
「酔っているように見えますか?」
「見えないけど、でもあんまり見つめるから、って、ちょっと悠ちゃん?」
質問に答える間に悠里は隣に座る理子に顔を近づける。急に距離感がなくなったことに理子は思わず身体を引くが、すぐにソファの背もたれに身体がぶつかり、それ以上は動けない。
「甘い香りがします。デザート美味しかったですか?」
「う、うん。よかったら悠ちゃんも食べて。まだ沢山あるから。」
じっと目を見つめられ、理子はそれから逃れるようにテーブルの上に置いてある箱に手を伸ばす。
が、その伸ばされた腕は悠里の手によって遮られた。
「それなら私は理子を頂きます。」
そういうと理子が答える間もなく、悠里はそのまま理子の唇に自分のそれと重ねてきた。