その後の30
理子の言葉は3人とって複雑な思いを抱かせていた。
理子を独り占めしたい。彼女の愛情を独占したい。
それには理子が兄弟の中からひとりを選ぶ必要がある。自分が選ばれればいい。
けれど、もし自分が選ばれなかったら・・・?
理子の言葉に誰ともなくその真意を確かめようと口を開こうとする前に、ふたりの若い女性が理子たちのそばへと寄ってきた。
「あの、朱里さんですよね?私たちファンなんです、握手してください! 」
「私もお願いします!うわあ嬉しい、こんなところで会えるなんてっ。」
突然の闖入者に4人の間に漂っていた空気がぷつりと途切れる。
完全プライベートな最中に声をかけられても普段は愛想よくしろと陽子から言われている朱里は一瞬迷うも、とりあえず理子たちから少しの距離を置いて彼女たちと握手を交わしている。
「やっぱり朱里も一緒だと目立つな。俺、タクシー止めてくるから。理子はここで悠兄たちと待ってろ。」
それだけ言うと翔里はそのまま通りのほうへと駆けて行った。
別に朱里が一緒だからというよりも、外見の目立つ兄弟3人が揃っていれば嫌でも人目につくということを本人たちは自覚していないらしい。
朱里が写真はごめん、と彼女たちに断っているのを少し離れた距離から悠里と理子はそのままその様子を見ていると
理子に聞こえる程度の声で悠里が理子に話しかける。
「朱里から聞きました。朱里と一緒に写っている写真のことで強請られていると。何故、相談してくれなかったんですか?」
「しようとは思ってたんだけど、色々あって。悠ちゃんはいつ聞いたの?」
「さっき理子たちがレストランに到着する前にです。朱里は事後承諾のように飄々と話すので翔里は詰め寄ってましたが。」
だから雰囲気が悪かったのかと理子は先ほどの様子を思い出す。朱里のことだからきっと自分が何とかするから大丈夫だとだけ
言ったのかもしれない。
「正直、私は朱里に意見できる立場ではありません。彼は本能で生きていけるタイプですし。ただ、理子を巻き込むとなれば話は別です。朱里は必ず理子を連れて行こうとします。それがどんな最悪な方法でさえも。」
朱里は昔から自分の思うように事を運んできた。両親はそんな朱里をどのように思っていたかはわからないが、悠里にとっては扱いにくい存在であることに違いない。
そしてそれは翔里にも同じように言える。年が12歳も年下の大学生であれば大人としての余裕で翔里のまっすぐな部分も交わせると思っていたが、翔里はそれ以上に頭が良すぎた。
朱里ほどに自由でもなく、悠里ほどに計算されてもいない。小さな頃から面倒を見てきた翔里に対して理子が真っ先に気にかけているということを理子自身は気づいてもいないだろう。
つまりは怖いのだ。自分が選ばれない可能性があることに。
医者としての地位も、長男としての信頼も悠里には充分すぎるほど揃っている。弥生に言い寄られても気持ちは微塵も傾かなかったが、理子が弟二人のいずれかを選ぶと知ったときに一体自分はどう行動するのか、それは悠里自身も未知なままだ。
だから悠里は自ら身を引こうと思ったのだ。理子がほかの誰かを目の前で選ぶ前に。
「タクシー、向こうで待ってる。悠兄たちも一度、家に戻るんだろ?」
いつの間にか戻ってきた翔里は走ってきたにもかかわらず、息は乱れておらずに悠里に確認を取っている。
「ええ、今日はこのまま直帰の予定でしたし。」
明日は明日で院長にしっかりと言わなければ、と悠里は思うも徐々に人が集まりかけてきた朱里の周囲に、翔里と理子を先にタクシーへと向かわせると、背後から朱里に声をかける。
「早くしないと次の仕事に遅れますよ。朱里さん。」
いつもと同じ丁寧な言葉使いだったが、名前のあとに朱里さん、と呼んだのに対して朱里の周りにいた人間はどうやら悠里をマネージャーだと思ったらしい。口々にお仕事頑張ってくださいと言いながら朱里が歩きやすいように道を空けてくれるのを朱里はありがとうと応えながら、その場を悠里とあとにする。
「さすがだね悠兄。俳優の僕でも世間を欺けるだけの根性は持ち合わせてないから尊敬するよ。」
「何十年も自由奔放な弟の世話をしていれば誰だってこうなりますよ。」
「長く生きてれば、性格だって曲がりまくるよね。」
「確かに、誰かさんのように好き勝手に人に迷惑かけるような性格ではありませんね。」
「それって僕のこと言ってるの?」
むっとしたように朱里が歩きながらも尋ねると、前を向いていた悠里がちらりと隣で歩いている朱里を見る。
「おや、自覚はあったんですか?それは意外でしたね。」
「・・・もういい。悠兄に言った僕が馬鹿だった。」
悠里はそれ以上、朱里の言葉に応えることなく理子と翔里が待っているタクシーへとふたりも乗り込んだ。
自宅までかなりの距離はあったが、特に会話をすることもなく自宅前に到着すると、家の中から電話の呼び出し音が鳴っているのに理子は気づくと走って家の中へと入っていく。
「さっき理子が言った言葉、本気だと思うか?」
玄関先で翔里がぼそりと漏らした言葉に理子の入っていた先を見つめていた悠里と朱里も翔里に視線を合わす。
「誰も選ばないか、誰かひとりを選ぶ、か。理子らしい選択だよね。」
朱里が軽いため息とともにそう答えると悠里が同意したように、ふっと笑ってみせる。
3人とも理子の言葉が冗談ではないことくらいとっくに気づいていた。いつか理子自身がこのままの状況ではいけないと言い出すかもしれないということも。けれど彼女の優しさを利用して周りを見ないように取り囲んできたのだ。
弥生が放った言葉で理子も気づいたのかもしれないが、きっと彼女の存在でなくとも近い将来、理子がそう言い出すかもしれないということは3人も薄々と気づいていた。
「中にはいりましょう。理子が待ってます。」
悠里はそう言うと、その言葉に従うように朱里と翔里も続いて家の中へと足を進める。
家に入ると同時に電話での会話を終えたらしい理子が気づいたように3人を見る。その表情が複雑そうなのに気づいた翔里がそのまま声をかけた。
「電話、もしかして朱里との写真のことか?」
レストランで朱里から伝えられた事実はもちろん喜ばしいものではなかった。けれどもし翔里が同じ立場ならば朱里のように強請りの言いなりになったりはしないだろう。
朱里ならきっとどんな公の場所で追求されようと天才的なカンの良さでうまく交わしていくことが可能だろう。
でも理子は?
自分よりも人を優先して考える彼女の性格ならば、きっと自分のせいだと己を責めるのだろう。
それだけはどうしても避けたいことだ。
「え?ううん、違うよ。ちょっと大学からの電話だったの。今、コーヒー淹れるね。あ、紅茶のほうがいいかな。」
翔里の問いかけに理子は否定すると、そのままキッチンのほうへと向かい準備を始める。
その行動に無駄な動きはなく、かえってそれが理子自身が何かをしていなければ落ち着かないといっているようにも思えた。
「理子、コーヒーは後でも構いませんからこっちにきて座ってください。」
「うん。あ、そうだ晩ご飯はどうする?さっき食べたけど朱里は夜泊まっていくの?それとも、」
「理子、それよりも話がしたいんだ。こっちに来て。」
朱里の言葉に理子は一瞬だけ動きを止めるも、素早くコーヒーを入れる準備だけを済ませ3人が待つリビングへと向かった。