その後の27
着いた先は都内にあるビルの一角で、夜は恋人達のデートスポットとしても有名な場所だ。
時間はまだ午後すぎということもあって、カップルよりも近場で働くOLやサラリーマン、それに観光客などが暑い日ざしに目を細めながら思い思いに歩いている。
「お嬢様、到着しました。」
「あら、もう?もっと聞いていたかったのに、残念ね。じゃあ理子さん、続きはまたあとで聞かせてくださいね。」
「は、はい。」
運転手の声に弥生は残念そうに話を一旦止めると、持っていた白い日傘を開いてから運転手が開けた扉から出て行く。
車中では悠里に関することを弥生から尋ねられ、幼い頃の悠里や自宅での悠里など知っている限りのことを話して聞かせていた。
といっても悠里やほかのふたりと理子の本当の関係を話すことはできず、それが目の前の弥生に対しても自然と罪悪感を持つことになる理子だ。
大学に迎えに来た運転手つきの高級車、弥生の喋り方からなどみて弥生は相当なお嬢様であることにちがいない。悠里との関係が実際どこまで進んでいるのかは理子は分かりかねたが、妹である理子の大学にまで出向く弥生の悠里に対する気持ちはけして軽いものではないだろう。
白い繊細な刺繍がほどこされた夏物のワンピースに、真っ白い日傘といういでたちの弥生のあとを理子は何も言わずについていくと
何度かテレビでも見かけたことのあるフレンチレストランに入っていった。
「及川様、お待ちしておりました。お客様は先ほど到着されましたので、個室のほうにご案内しております。」
「ありがとう。今日のお料理も楽しみにしていますとシェフに伝えてくださるかしら。行きましょう、理子さん。」
うやうやしく頭を下げるウェイターに弥生は慣れた様子で理子を個室へと案内していく。
確かこのレストランって何ヶ月も前から予約をしておかないと入店できないってテレビで見たことあるけど。その頃はまだ悠ちゃんとも知り合ってなかったのに、個室まで用意されてるってことは弥生さんってやっぱりお嬢様なのかな。
そんなことを思っているうちに弥生は個室の白い扉を幾度かノックして、開ける。扉を開けるとまず目に入ったのは真っ白いテーブルクロスに肘をつきながら外を見ている朱里、その隣には不機嫌そうに腕を組んだままの翔里が目に入る。そしてその向かい側の、理子たちからは後姿しか見えない悠里が背筋を綺麗に伸ばしたまま椅子に腰をかけている様子が見える。
入った瞬間、理子が思ったのは場の雰囲気がなんとなく悪いと感じたことだった。
適度に空調が効いた個室に、弥生のワンピースに合わせるかのように真っ白くコーディネートされたテーブル。そのテーブルの上にはすでに食前酒と思われる繊細なカットが施されたグラスが太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
けれどそこに漂う空気が何故か鋭いようなものに理子は思えたのだ。
「皆さん、お待たせしました。理子さんもご一緒ですわ。」
先に弥生が個室へと入ると、その言葉に反応するかのように3人がゆっくりと視線を理子へと向ける。
奇妙な空気が理子と3人と包む。それもそうだろう、今朝まで誰もこんな状況で全員が顔をそろえるだなんて誰一人思ってもいなかったのだから。ただ一人の人物である弥生を除いては。
その本人はといえば場の空気などに気づく様子もなく、そのまま理子を朱里と翔里の間の席へ案内すると、自分は向かい側の悠里の隣へと座る。
「すごいね、本当に理子まで連れてきちゃったよ。」
テーブルに肘をついたままの体勢で、朱里は呆れとも感心ともとれるような声で呟く。
「俺だって今朝、いつもどおりに出てきたんだぜ。仕事に俺だけ呼び出されて来てみたら悠兄がいるんだもんな。」
そういえば今朝は夕食はいらないと言って翔里は言っていたはずだと朝の記憶を辿ってみる。
となると仕事で忙しいはずの朱里もなんらかの理由でここに呼び出されたのだろう。
「弥生さん、どういうことか説明してくれませんか?私も院長に病院関係者との会食だと言われてこちらに来たのですが。」
理子に視線を向けることもなく、悠里は落ち着いた声で隣に座る弥生に問いかける。
「おじ様には私からお願いしたんです。そうでないと悠里さん、私との食事に付き合ってくれないでしょう?」
「そうだとしても、何故に彼らがここに同席しているんですか。聞けば皆、事情も知らずにここに呼び出されたようですし。」
「だって結婚する相手のご家族ならば早くお知り合いになりたいと思うのは当然じゃありませんか。ご兄弟の皆様には確かに、別の用件でこちらまで来てもらいましたけど妹の理子さんにはちゃんと説明してからこちらに来てもらいましたわ。ね、理子さん?」
悪びれた様子もなく、説明すると今度は向かい側に座る理子に同意を求めた。自然と理子に皆の視線が集まるなか、理子はどう答えたらよいのかと言葉を探す。
確かに説明はされたが、同意はしていなかったように思う。けれど、それを言ったところで弥生の面目がつぶれそうだと感じた理子は困ったように視線をさ迷わした。
「そんなことよりも悠兄、本当に結婚するんだ。翔里から話は聞いていたけど事実だったとはね。」
自然と理子から注目を逸らさせた朱里は特に驚いた様子もなく、悠里に視線を向けたままそう口にする。朱里の言葉に悠里は軽くため息をつきながらも弥生に確認するように話しかける。
「弥生さん。結婚といわれても急なお話すぎて私には考えられないと以前にもお話しましたよね。」
「ええ、伺いましたわ。悠里さんが早いとおっしゃるのならば、今は婚約だけでも私は構いませんのよ。私もそろそろ年頃なので形だけでもしておかないと親戚中から心配されてしまいますの。」
・・・・話が通じない。
そう思ったのはきっと悠里だけではないだろう。それくらいに弥生は自分の中の基準で物事を考えているようだ。
「年頃ってあんたいくつなんだ?」
弥生とそう大して変わらない年齢の翔里は思ったままの疑問を投げかける。あんた、と呼ばれても弥生は嫌な顔をせずににっこりと翔里に向かって微笑む。
「もう二十歳ですの。理子さんと同い年ですわ。」
二十歳で結婚を考えねばいけない環境で育ってきた弥生に理子は驚いていた。同じお金持ちというのならば雅人も桁違いの御曹司だったが、悠里と同い年の彼はいまだ独身である。それが男女間の差なのかはわからないが、それでも目の前にいる弥生はそれがしごく当然だと思い込んでいるのだ。
個室の扉をノックする音が聞こえると、ゆっくりと扉が開き数人のウェイターが白い皿を持って中へと入ってきた。
「前菜のトマトと京人参の海洋深層水で仕上げたジュレでございます。」
その言葉と同時にテーブル席に座る5人の前に同時に料理の乗った皿が置かれる。色鮮やかに盛られた綺麗な料理を目の前にして、弥生以外に感嘆の声をあげるものはいなかった。
空気が重い。
それは無理やり集められたという兄弟達の気持ちもそうだが、理子にとってみれば弥生がどういう人物かよく分からない上に、彼女は悠里と結婚するものだと公言している。
立場上は妹として接するのが一番なのだろうが、そうするには今の理子の状況は不安定すぎるのだ。
結局、理子は弥生に勧められるがままにゆっくりと料理に手をつけ、そうしてその奇妙な食事会は始まった。