その後の15
夕方から始まるオープニングセレモニーまでに二人はホテルに戻ってきていた。
ホテルに再び戻るまで理子とキムは一切会話をすることはなく、キムも特に詮索するようなことはせずにいたことを理子はほっとしていた。理子が何かを無理に言おうとしたところで説明できるはずもなく、ふたりは黙ってエレベーター前にまでやってきた。
『ごめんね、あんまり案内してあげられなくて。』
『別にいい。・・・・それより、顔白い。』
新城との会話はすべて日本語だったが、ふたりの間に流れる空気が普通でないことはキムも気づいていたのだろう。現に血の気をなくしたような理子の顔をキムはじっと見つめていた。
『だ、大丈夫。外が思いのほか暑かったから。部屋で休めば大丈夫。え、と私、ちょっとフロントで聞きたいことあるから。またあとでね。』
キムの視線から逃れるようにそれだけ言うと、理子はそのまま踵を返してフロントへと向かう。
今、特に聞かなければいけないことではなかったが、なんとなくキムの視線に耐えられずに理子は人が溢れかえるエントランスロビーにまで戻ってきた。
つけられてるなんて全然気づかなかった。前にあの人から聞いてほしい話があるって言ってたのはこのことだったんだ。私がちゃんと気づいていれば写真も撮られなかったのに。
まとわりつくような新城の声が頭から離れない。いつから自分と朱里の関係を疑っていたのかはわからないが、一度マスコミに圧力がかかっていたのに、それでも調べ上げようとする執念が理子を身震いさせる。
「驚いたな。こんなところで何やってるんだ。」
背後から急に声をかけられ、理子はそのまま振り返るとそこには見覚えの人物が自分を見下ろしていた。
「雅人さん・・・・。どうしてここに?」
「仕事だ。元気だったか、と聞くにはずいぶんと具合悪そうだな。」
理子に声をかけたのは以前、理子と婚約していた男、藤堂雅人が立っていた。
数ヶ月ぶりにみる雅人になんとなく懐かしさを覚え、そのまま自分より20cm以上もある雅人を見上げた。長めだった漆黒の髪は短く整えられ、切れ長の双方の瞳はじっと理子を見つめている。
「私も関係者として来てるんです。雅人さんのお仕事も映画祭に関してなんですか?」
自分の抱えている問題を雅人に話すわけにはいかないと、理子は笑みを作って話しかける。
「全く以前と何も変わってないな。人に気を使いすぎだ。」
理子の表情のぎこちなさに気づいた雅人は呆れたようにため息をつく。そんなことを言われても昔からの性格は変えることができずにいる理子はなんと答えたらよいのかと、そのまま雅人の目を見つめ返す。
「今、時間はあるんだろう?話でもしよう。ここは混んでるから外に出るぞ。」
相変わらずの強引さで、雅人はそのまま外へと足を向けようとするのを理子は引き止める。
「いえ、あの。外には出たくないんです。ちょっと事情があって。私の部屋で構いませんか?」
外に出れば、またあの新城の目があるのかと思うと理子は出る気にもならず、かわりに自分の部屋へと誘う。
「その事情とやらを聞くのが怖いな。お前がそれでよければ俺はかまわんが。」
「上の部屋です。どうぞ。」
そう言うと理子はエレベーターに乗りこみ、自分の部屋へと向かった。
ルームサービスでコーヒーを二つ頼むと、理子は窓際にある小さなテーブルに雅人と向かい合って座る。
「自宅で会って以来だな。兄弟たちは元気か?」
「・・・雅人さんらしい質問ですね。」
最後に雅人に会ったのは理子の家で雅人が理子へのプロポーズを断ったときだ。そしてその場には兄弟全員が揃っていたことを理子は思い出す。理子を戸惑わせるような質問ばかりするのは以前とそう変わってはいないらしい。
「これでもプロポーズを断られたのはショックだったからな。嫌味のひとつでも言いたくなるさ。」
言葉とは反対に雅人の理子を見る目にどことなく優しさが含まれているのは理子の気のせいなのか。
「雅人さんはお元気でしたか?」
「まあな。仕事が忙しくて結婚どころじゃないが、まあ自分で望んだことだから仕方ないな。それはそうと大丈夫なのか?」
さきほどよりも幾分ましになった理子の顔を見ながら、雅人は再び問う。
「・・・雅人さんは自分のせいで人に迷惑をかけてしまったとき、どうしますか。」
「また随分と曖昧な言い方をするんだな。自分のせいで兄弟たちに迷惑がかかってると思ってるんだろう。」
理子の曖昧な言い方など、アメリカで心理カウンセラーを務めていたこともある雅人にとっては分かりすぎる問いかけだ。
理子はこくんとだけ頷く。
「この俺があっさりと引き下がった理由がわかるか?本当は断られても、お前だけだったら言いくるめようと思っていた部分もあったんだ。そうしなかったのは俺に迷いがあったからなんだよ。あのしつこい兄弟たちの前で俺はそうする自信がなかった。」
まっすぐに理子を見つめると雅人は理解できずにいる理子に言葉を続ける。
「俺には藤堂グループを守らなくちゃいけない立場にある。それは何があっても変わることはないだろう。だから、もし俺が二者択一を迫られたときに俺は自信を持ってお前だと言えないかもしれないと、あのとき思ったんだ。」
雅人の言葉が頭の中に入ってはくるが、それと今の状況とどう結びつくのだろうと理子は思う。
「兄弟たちは何よりもお前を優先するだろう。自分の命よりも引き換えにだって惜しいとは思わないんじゃないか。」
つまりはだ、と雅人は理子の瞳を捉えたまま言葉を続ける。
「お前が一人で悩んでいるよりもさっさと打ち明けて助けてもらえということだ。わかったか?」
「・・・すごい明快な答えですね。雅人さんらしいです。」
「当たり前だ、俺を誰だと思ってる。」
ぞんざいな言い方にもかかわらず、理子はその言葉からみえる雅人の優しさに自然と笑みがこぼれる。
部屋のドアがノックされる音がすると、雅人は俺が取りにいく、とルームサービスを迎え入れるためにドアを開けた。
「・・・なんであんたがいるんだ。」
「久しぶりだな。そして、それはこっちのセリフだ。」
ルームサービスかと思って開けたドアの先には朱里が。そして理子かと思って笑顔を向けた先には雅人がいて、ふたりは怪訝そうな表情をお互いに向ける。
「朱里?どうしたの?」
中からひょい、と理子が顔を出すが朱里の機嫌はよくはならないらしい。理子はとりあえずふたりに部屋の中に入ってもらってから、朱里に再び尋ねる。
「取材が入ってるって言わなかったけ?どうしたの?」
「・・・これ。オープニングに着ていく服。スタイリストさんに揃えてもらったから。」
ずい、と大きな紙袋を理子の前に差し出すと理子はそのまま胸元に抱えるようにして受け取る。
そっか。朱里みたいにメインじゃなくてもちゃんとした格好しなくちゃいけないんだ。全然考えてなかった。
「ありがとう。時間までに用意はしておくね。」
素直にお礼を言うが、朱里は不機嫌な表情のままだ。雅人は皮肉めいた口調で話す。
「ああ、そういえば主演映画が招待されてるんだったな。相変わらずの人気者だな。」
「おかげさまで。それで何であんたがここにいるんだよ。」
「仕事だ。彼女とは偶然、下で会って話があるからここに来ただけだ。」
相変わらずの二人の仲の悪さに理子はどうしようかと思いながらも最後の雅人の言葉に朱里が理子に眉をひそめたまま問う。
「なんで部屋にこの男を呼ぶんだよ。話するだけだったら下でも、外でも出来るだろ?」
本当は話をするだけでも嫌なのに、と朱里は言うと理子が困ったように顔を曇らせる。
雅人は打ち明けて助けてもらえとは言ったが、あと数時間で大勢のマスコミが注目する中、映画祭のオープニングに出る朱里のことを思うと安易に口にできる問題ではなかった。今、言えばきっと仕事に支障がでると考えた理子は困ったように朱里を見るだけだ。
そんな理子を朱里は自分に言い訳すらしないのかと思わず詰問するような口調で理子を問い詰める。
「理子にとって僕の存在は何なのさ。僕は好きでもない女の子を話があっても部屋に呼んだりしないよ。理子にはそういうモラルがないんだね。誰にでも優しくは誰にでも好かれたいとか思ってるの?」
本当はそんな言葉を吐くつもりではなかったが、突如目の前に現れた雅人と何も言わない理子に言いようのない感情と嫉妬心を覚え、思わず口から理子へきつい言葉が浴びせかけられる。
「嫉妬心もそこまでいくと醜い執着心にしか思えないな。こいつだって悩んで、」
「うるさいっ!あんたには聞いてないっ。」
呆れたように雅人が朱里に説明しようとするのを朱里が遮るかのように、すぐ側の壁をばんっと勢いよく叩いた。
その音と朱里の怒りに理子は思わず身体がびくりと硬直する。
一瞬、部屋がしんと静まり返る中、理子が口を開こうとするのを遮るようにドアのノック音が聞こえるた。
「・・・僕はもう行くよ。準備があるんだ。」
そう言うと朱里は理子の言葉も待たずにドアを開けて出て行ってしまった。すれ違い様にコーヒーを持ってきたメイドが何事かと部屋の中にいた理子たちを見るが、理子は何も言うことができずに去っていく朱里の姿を見ていることしかできなかった。