その後の13
『いっぱい食べたね。和菓子じゃないけど、こういうのもいいでしょ?』
すっかり夜の帳が下りた薄暗い境内の階段で、理子は満足げに屋台で買ったものを思い出しては笑う。
久しぶりの祭りの雰囲気に理子は知らずと笑みがこぼれていた。
『・・・カフェより・・よかった。』
『そうだね、雰囲気も違うし。でも同時に寂しい気もする。』
『・・・?』
不思議そうに理子を見るキムを横に理子はぼんやりと明かりのついた提灯を見ていた。
『楽しいぶん、終わりがくるのが悲しいっていうか。これで楽しい時間も、もうないのかなって思うと切ないっていうのかな。うまく説明できないんだけど。』
理子のお祭りの思い出は家族全員ですごしたときが最後だ。あのときのわくわくした高揚感と両親に見守られていた安心感は二度と戻ってくることのない時間だと思うと胸の奥が少し痛む。
少し寂しそうに笑う理子をキムはじっと見た後に遠くに見える人々を指差す。
「キモノ」
「え?ああ、浴衣ね。」
灯りの向こうには可愛らしい浴衣を着た女の子たちが楽しそうに歩いている。
キムは着物と浴衣の区別がついていないのだろうと理子は説明する。
『あれは着物じゃなくて浴衣っていうの。夏に着るんだけど女の人だけじゃなくて、男の人の浴衣もあるんだよ。』
『・・・あのマスク・・・』
『マスク?』
キムはそのまますっと違う方向に指を向けるので理子はつられてその先を見る。
『ああ、あれはマスクじゃなくて日本のお面。・・・って、もしかして。』
ひょっとこのお面をつけた一人の人物がまっすぐに二人のもとへと歩いてくる。
とぼけたようなひょっとこのお面にアンバランスなすらりとした体系のその人物に理子は見覚えがありすぎて、じっとその人物を見つめる。
「やっぱりここだった。理子は食べ終わるといつも神社の階段に座ってたよね。」
お面の下でくぐもりながらも喋る声に理子は確信する。
「朱里!なんでここがわかったの?」
「ホテルの人にお祭りをやっている場所を聞いたんだ。結構遠くまで来たんだね。」
お面をひょいと頭にずらすとそこには理子が予想したどおりの人物が現れる。
「朱里、ここまで来てばれなかったの?」
「ホテルからタクシーですぐそこまで来たし。ここは地元の祭りみたいだから映画祭には関係なさそうだし大丈夫だよ。それにこのお面もつけてるし。」
変装のつもりで出店でお面を買ったのだろうが、完璧なモデル体系にとぼけたお面をつけている様は逆に目立ってしまうのではないかと逆に心配になる。
『・・・それ、俺もほしい。』
今まで黙っていたキムが朱里の頭にのせてあるお面をじっと見つめる。
「お面がほしいの?じゃあ一緒に買いにいこうか。」
理子がそう言って立ち上がろうとする前に、朱里がコットンパンツから何枚か札を取り出してキムへと渡す。
「好きなの買ってきていいよ。僕たちはここで待ってるから。」
朱里は日本語で言ったにもかかわらず、キムはうなずきだけするとそのまま出店のほうへと歩いていった。
「私も行ったほうがいいんじゃないかな。キムは日本語わからないんだし。」
「大丈夫だよ。子守っていったってもう13歳なんだよ。翔里が13のとき思い出してみなよ。」
確かに翔くんがあの年のときって、結構なんでもひとりでこなしてたような気がする。男の子だとひとりでしたい気持のほうが強いのかな。
そんなことを考えているうちに、朱里が理子の隣に腰を下ろした。
「それ、いっぱい買ったね。ホテルで食べるつもりだったの?」
「ううん。私はもうたくさん食べたし。ホテルにいる朱里にお土産と思って買ったの。」
理子の横には袋に入ったわたあめやベビーカステラなど持って帰れるだけの甘いものが置かれているのを朱里は嬉しそうに
目を細める。
「それ今食べていい?」
「カラメル焼き?いいよ。はい。」
串にささった丸いカラメル焼きを朱里は受け取ると一口食べる。
「なんか懐かしい味だね。昔、皆でお祭りに行ったのを思い出すよ。楽しかったなあ。」
「そうだね。お父さんもお母さんも皆一緒だったもんね。」
見えるはずのない昔の思い出がふたりの目の前にあるように自然と懐かしい気持ちになる。
「おいしい?」
「うん。ひとくち食べる?」
キムは食べていたが、理子はすでに満腹だったために朱里への土産として買ったカラメル焼きを差し出され、理子は味見のつもりで一口食べる。
「理子、ついてる。」
「え?どこ?」
「いいよ、とってあげる。」
くすり、と笑いながら朱里が言うので理子は口元に手を伸ばすが、その前に朱里がすっとその長い指で理子の口元に手を伸ばす。
そのまま口元についたかけらを取るのかと思ったところで朱里がふと手の動きを止めた。
「?・・・どうしたの?」
「今、僕が理子にキスしたいって言ったらどうする?」
急な質問に理子はどうしたのかと朱里を見ると口元に笑みはあるものの、瞳にふざけた様子は見られない。
「ちゃんと理子の思いがほしい。僕の思いが一方通行じゃないことだって教えてほしい。」
「思いって・・・。なんでそんなこと急に言うの?」
「急じゃないよ。ずっと思ってた。僕から行動を起せば理子はいつも身構えてるの気づいてないの?」
それは朱里がいつも予測不可能な行動をするからであって、なにも嫌悪感から身構えているわけではない。しかし、そんなことを伝えたところでそれが朱里のほしい答えとは違うということも理子は知っている。
「私は朱里が好きだよ。そうじゃなければ朱里に胸がときめいたりしたりしないもの。」
一般的に異性に対して平等に優しい朱里は、それでも理子以外に安易に好きだと言ったりしないことは理子も意識しだしてから気づいたことだ。そして自分だけに向けられる、その強い視線に理子は何度も胸が高鳴ることを経験している。
そしてそれは家族に対してだけならば、きっと抱かない感情であることも最近の理子は気づいていた。
理子の答えに少しは納得したのか、理子を見つめる目がふんわりと優しくなる。しかしそれだけでは朱里は満足はしなかった。
「じゃあ理子の口からキスしてって言って。」
「な、なんでそうなるの?」
「言って。」
強い口調でもう一度言われるが、その瞳にはどこか憂いを含んだものであることに理子は気づいていた。
何度かキスはしたことあるものの、自らそれをお願いするなんて考えたことがなかった理子は、とんだ羞恥プレイだと思いながらも
決心したように口にする。
「キ、・・・キスして?」
「よろこんで。」
理子の恥ずかしながらも口にしたその言葉に朱里は満足そうな笑みを浮かべると、さきほど伸ばした指先をそのまま理子の顎を持ち上げるようにして顔を近づける。
朱里の端正な顔が近付いてきたのを合図に理子は自らも恥ずかしさから逃れるように目を閉じた。
ふたりの唇が重なったかと思うと、朱里はちろり、と理子の唇を舐め上げる。その行動にびくりと震えた理子を落ち着かせるように、その舌を反動で少し開いた理子の唇を割ってそっと中に忍ばせる。
口腔の中で遊ばれるように、朱里は理子の隠れていた舌をゆっくりと自分のそれと絡ませた。
朱里がさきほどまで食べていたカラメル焼きのせいなのか、理子自身のものなのか、朱里は思った以上の甘いキスの感覚に理性など飛んでしまいそうだ。
二人の耳に聞こえるのは祭ばやしの音と、重なる濡れたキスの音だけ。
薄暗い境内で人もまばらだとはいえ、いつ誰が朱里に気づくともわからない。キムだってもうすぐ戻ってくるだろう。
そう頭の中で思うも理子は抵抗もできず、思考力が止まったかのように朱里にされるがままだった。
しばらくそうしていた後、朱里は最後に理子の口元にほんのわずかについていたカラメル焼きをちゅっ、と音をたてて拭うと二人の唇は離れた。
理子の顎に添えていた指先を朱里はそのまま理子の肩へと滑らせると、そのままぎゅっと引き寄せるようにして理子を抱きしめる。
朱里の肩に頭を乗せるようにして、理子はぼうっとなった頭でどちらともわからぬ早い鼓動を感じている。
結局、キムが戻ってくるまでにと理子は不満がる朱里の腕の中から距離を取ったが、それでも真っ赤になっている理子と満足気な表情をしている朱里をキムはみて何か感じ取ったのか、ホテルに戻るまでよりいっそう無口になっていた。