その後の12
ぱたん、とドアが閉まると再び静寂が理子とキムを包み込む。
あの様子からいくと仕事の話は長引きそうだと理子は考え、それならば今からがきっと理子の仕事なのだろうと、椅子に座ったままの
キムのところまでいき、しゃがみこむようにして話しかける。
『私の名前、まだ言ってなかったよね。理子っていうの。よろしくね。』
理子は右手を差し出すとちらりとキムはその手を見るも握手をしようとはしない。
『・・・恋人?』
キムの指し示す言葉が朱里のことだとわかる。
『恋人っていうか、なんでそう思うの?』
代わりにされた質問に理子はどう答えようかと質問返しをするも、キムはさして気にもしていないように答える。
『別に。・・・・その手。』
ちらりと視線を落とした先には理子が握手を求めたままの妙な手が差し出されているのに理子も気づくと、じっと見つめたあとにキムの
左手をぎゅっと掴むとそのまま握手した。
『私ね、弟が一人いるの。だからいい遊び相手になると思うよ。』
少し大人びた感じのキムの表情が幼い頃の翔里を思い起こさせて理子はにっこりと微笑んだ。
「あっお土産!」
急に自分の部屋に今日のために買っておいたお土産があるのを思い出した理子は急に立ち上がって言うが、日本語なためにキムは
怪訝そうな表情を理子に向けるだけだ。
『あのね、私の部屋に日本のおみやげがあるんだけど取ってきていい?』
『・・・・俺も行く。部屋にずっといて飽きた。』
そう言うとキムはすっと椅子から立ち上がるとさっさと部屋のドアへと歩いていく。
朱里たちの様子だとまだ時間かかりそうだし、携帯も持ってるから大丈夫だよね。
理子はそう考えると、そのままキムを一緒に理子の部屋へとエレベーターを使って降りていった。
カードキーで鍵を開けると、キムのあとに続いて理子も部屋へとはいる。大して興味もないのか、そのままベッドの上に座ると理子が持っていた袋を受け取った。
『本当は女の子が来ると思ってたの。だから少し趣味にはあわないかもしれないけど。』
キムはそのままピンク色の袋から次々に理子が買ってきたものを取り出してはベッドの上に置いていく。
キャラクターものの文具品、ファンシーなおもちゃに愛らしいヘアピンやカチューシャなど明らかに女の子向けのものばかりが
ベッドの上に並べられていく様を理子は失敗した、といった表情でそれらを見やる。
『サラが喜びそう・・・。』
『サラって妹の名前?』
キムはうなずきだけすると袋の底に入っていた棒つきのロリポップをひとつ取り出すと早速、袋をあけて口に放り込む。その嬉しそうな表情に初めて年相応の少年を見た理子はひとつの提案をだした。
『おみやげの代わりに日本のおいしいデザート食べられるとこ連れて行ってあげる。外、行こう?』
デザートなのか、外出することが良かったのかキムは理子の言葉に何も言わずにベッドから立ち上がるのを、理子も了承したのだと考え、自分のバッグを持つとキムと一緒にホテルの外へと出た。
理子の数歩後をキムはただ黙ってついてきた。
もともと多くを口にするタイプではないのかもしれないと理子も何かを語りかけることはせずに、ゆっくりとした歩調で人の間を縫うように歩いている。連休と映画祭ということもあって人の多さは普段の何倍も多かったが、すぐそばにある海のせいか夕方の涼しい風がふたりの間を通り抜けていった。
『ここなの。友達が教えてくれたんだけど美味しい和菓子が食べられるんだって。』
映画祭に行くことを沙希に伝えると、自分も行きたいと言ってはいたが、すでに彼氏との旅行を計画していた沙希はかわりに理子に
その地方の有名な観光地をいくつか教えてくれたのだ。
老舗の有名な甘味喫茶らしく、店の前にはすでに長蛇の列ができていた。
夕方だから空いてるかと思ったけど結構人並んでるなあ。これだと結構待つことになるかも。
ちらりと後ろにいるキムを振り返ると、明らかに嫌そうな表情で長蛇の列を見ている。
『違うところに行こうか。ここじゃなくても和菓子は食べられるだろうし。』
この年の男の子は女の子と違って並んでまで食べたいとは思わないかもしれないと、理子はそうキムにいうと店をあとにして
再び歩き出す。
とはいっても何処に行ったらいいんだろう。カフェはいっぱいあるけど和菓子なんてなさそうだし。
地元でない場所を理子はどこに行こうかと考えながら歩いていく。キムも何もいわずに理子のあとをついてくるので理子はどうしようかと方向も決めずに歩いてゆく。
観光ルートからも大分はずれてしまい、さきほどまで沢山いた人も今は日が暮れてだんだんと少なくなっていった。
やっぱり戻ったほうがよかったかな。ああ、もうこれじゃ遊び相手どころか疲れさせてるだけじゃない。
会話もなく、ただ歩くだけの行為に理子は自己嫌悪に陥っていた。呆れた目で自分を見ているのだろうかと思うと理子はキムを振り返っててその表情をみることが躊躇われる。
そのとき携帯の着信メロディが流れると、理子は立ち止まって携帯を手にする。
「もしもし?」
『理子?今、どこにいるの?』
「朱里?打ち合わせは終わったの?」
かかってきた相手は朱里だった。朱里の言葉に理子は今いる自分の場所がどこにいるのかも把握していない自分に嫌気がさす。
『まだ終わってないけど。部屋に電話してもいなかったから。キムも一緒なの?』
「うん。和菓子をたべさせてあげようかと思ったんだけど・・・・。」
尻つぼみに消えていく理子の言葉に朱里は何かあったのかと考えるが状況がよくわからない。
『とにかく今の居場所だけでも教えて。・・・あれ?何の音?理子のほうからだよね。』
「え?音?」
そう朱里にいわれて理子は耳を澄ます。すると聞こえてきた馴染みのある音に理子は思いついたように顔をぱっとあげる。
「お祭り!近くでお祭りがあるみたい。これから行ってくるから!ありがと、朱里!」
そう言って理子は電話を切ると、そのままキムを振り返る。
『日本のお菓子食べに行こう!』
聞こえてきたのは太鼓や笛の祭ばやしだった。あせって考えすぎていたために聞こえていたはずの音に気づかなかったのだ。
理子たちはそのまま音のするほうへと足をむけると、境内にはたくさんの出店が所狭しと並んでいる。さきほどまでまばらだった人影も、手には出店で買ったと思われるおもちゃやジュースなどを楽しそうに会話しながら行き来する人でいっぱいだった。
「お祭りなんて久しぶり。」
「オ、マツリ?」
日本語で呟いた言葉をキムが聞き取ったのかたどたどしく口にする。
『お祭り。日本の夏のフェスティバルみたいなのかな。とっても楽しいんだよ。』
説明しながらも理子の目はきらきらと輝いている。子供の頃、家族一緒に近所のお祭りに行っていたことを思い出したのだ。
理子ははぐれないようにとキムの隣りで歩きながらひとつ、ひとつ出店を説明しながら歩いていく。
『あれはたこ焼きっていって中にタコがはいった丸いパンケーキみたいなもので、あっちのはカキ氷。甘いシロップをかけて食べるの。えっと、あっちのはりんごアメで、あ、チョコばななもある。』
『・・・・食べ物ばっかり。』
キムの呆れたような声に理子は、あはは、と照れたように笑うと物珍しそうに見ているキムの視線を追う。
そこには四角いプールに張られた水の中に赤と黒のひらひらと泳ぐ金魚の姿があった。
『あれは金魚すくい。日本の伝統的なお祭りの出店のひとつなの。近くにいって見てみる?』
そう理子が問うと、何も言わずにキムはその出店の前へと行くと、じっとプールの中で泳ぐ金魚を見ている。
「兄さん、やるのかい?一回200円だよ。」
店先に座っていた若い男がキムの視線に気づき声をかける。声をかけられたキムは金魚をじっと見つめたあとに
首をふるとそのまま立ち去ってしまった。
「ごめんなさい、観光で来てるので金魚は持って帰れないんです。」
「まあ、仕方ないね。生き物は取って終わりじゃないからね。」
理子の言葉に若い男も納得したように、また次の客に声をかけている。理子はそのまま足を進めるキムのあとをついていく。
『あ、こっちきて。』
『?』
急に腕を引っ張られたキムはそのままひとつの出店の前まで連れて行かれた。
『これだったらホテルにも持って帰れるから。それに金魚みたいに綺麗でしょ?』
理子が見つけた出店は金魚すくいと同じような四角いプールに色とりどりの沢山の小さなボールが流れるスーパーボールすくいの
店だった。
出店独特の強い白熱灯の光をうけてキラキラと光るスーパーボールは綺麗で、理子は幼い頃に祭りに行くたびにやっていたお気に入りの出店だ。
「二人分お願いします。」
「はいよ、これ。がんばってね。」
理子は財布から料金を支払うとかわりにモナコの皮がついた小さなすくいを渡される。
『はい、これでボールをすくうの。やぶけたら終わりだよ。』
そういってキムにひとつ渡すと理子は腕まくりをしてからしゃがむと流れるボールをじっと見つめてどれにしようかと悩んでいる。
キムはそんな理子の様子を眺めてから、自分も隣にしゃがむといきなり、すくいを水の中に突っ込んだ。
『・・・・。』
当然すくいは破れてしまい、理子はくすくすと笑いながら説明する。
『キム、それじゃあすぐに破れちゃうよ。見てて、こうやってすくうの。』
そう言うと理子は目当てのボールに慎重にすくいをあて、そして一気にすくう、としたのだが。
見事にモナコの皮は水の中に落ち、理子は金具部分だけを手の中に残していた。
そういえば昔もぜんぜん取れなくて、皆に取ってもらってたんだっけ。
懐かしい記憶が目の前にあるかのように理子は兄弟たちに代わりにたくさん取ってもらっていたことを思い出していた。
何気なく理子が横にいるキムを見ると、キムはおかしそうに目を細めて笑っている。
あ、初めてみた、笑う顔。こうやってみるとやっぱり13歳の男の子なんだなあ。
笑われているのも気にならず、理子はそんなことを思う。
「ありゃりゃ、ふたりとも破けちゃったのかい。しょうがないな、ほらこれあげるよ。年下の彼氏とおそろいだ。」
「彼氏って、おじさん・・・・。」
理子は手のひらに小さな青いふたつのスーパーボールをもらうもため息をつく。
年上に見られる容貌のキムが理子の年下の彼氏にでも見えたのだろうか。年下すぎて理子にとっては笑えそうもないが。
言い訳をする気にもならず、理子はすでに立ち上がっていたキムにそのまま2つとも差し出す。
『はい、これ。あ、ベビーカステラがある!キム、あれ食べよう。』
キムの手のひらに握らせると、理子はそのまま斜め向かいの店へと歩いていく。キムはじっとそのボールをみると、そのままジーンズのポケットへと突っ込んだ。