その後の裏事情。(朱里視点)
昨晩遅くに仕事の打ち合わせを終えてから、僕は車で自宅まで送ってもらった。
「そしたら朱里、明日は午後から取材が入ってるから。それまで家でゆっくりしてるのよ。」
「うん。それじゃあ、また明日。」
そう言って僕は陽子さんが乗った車を見送ると玄関のドアを開けて中へと入る。
時間はもう夜中に近いから家の明かりは消えていたけれど、いつもの慣れた感覚で僕はリビングへと向かった。
「あー、お腹空いた。なにか食べようかな。」
僕はそのままキッチンへと行き、冷蔵庫を開けて何か食べられそうなものを探そうとするが、そんなことは必要がないくらいに
僕は目当てのものを冷蔵庫から取り出した。
「今日帰るなんて言ってないのに。理子らしいな。」
冷蔵庫には綺麗に並べられたサンドウィッチがラップに包まれて冷蔵庫に入っていた。
夕食を家で食べる場合は事前に連絡するというルールを以前、翔里が仕事で頻繁に家をあける僕と悠兄に約束を取り付けたのだが、
理子は連絡がなくとも、いつもこうやって何か帰ってきてはすぐに食べられるような食事を作っておいてくれた。
僕はそのままテーブルには行かずにサンドウィッチを食べ終わると、シャワーを浴びてから寝ることにした。
この家は両親が亡くなってから悠兄の判断で一時期、家事全般をこなす手伝いの人を雇っていたことがある。悠兄は当時、受験生な上に親戚たちから僕たちを守るために忙しくしていたし、僕はまだ中学生だった。理子は昔から手のかからない子供だったけど、翔里に関しては何を言っているのか僕には理解できない言葉を発する3歳児だったのだから仕方ない。
だから悠兄の判断は正しかったとは思うけれど、正直僕はいやだった。
他人が家に自由に出入りし、僕たちの為だと公言しながら、僕たちが望んでもいないことをやらせようとする彼らを幾度となく契約更新のたびに人を変えてきた。
中学に入ると同時に理子がこれからは自分で家事をやるからと言うことで桐生家に他人は上がりこまなくなった。
悠兄はまだ中学生になったばかりの理子に家事を任せるのを渋っていたようだが、僕たち皆で分担してこなせば大丈夫だからと僕は
悠兄を説得した。
悠兄も本当はそのほうが良かったらしく、実際、理子が家のことをするようになってからは随分と家の中が過ごしやすくなった。
僕はそんなことを考えながらシャワーの蛇口をしめると綺麗に並べられたバスタオルを取り出し軽く頭を拭く。
「あ、着替え持ってくんの忘れた。・・・・着ないとまずいよな。」
以前にも着替えを忘れた僕がバスタオルだけを腰に巻いて、バスルームから出たところで着替えを持ってきた理子に出くわして怒られたことを思い出した。
でも、今は夜中だし、理子も寝てるだろう。それに僕は寝るときには上は着ないので、今更着るのもめんどくさくて、結局僕はジーンズだけ穿いてバスルームをあとにした。
僕の部屋は階段を上がった理子の部屋の隣りにある。悠兄は対面にある階段を上った部屋になり、翔里の部屋は父さんと母さんが
使っていた部屋の隣りにある。
他にも空き部屋はあるのだけれど、僕たちは両親が亡くなったあとも何となく同じ部屋をそのまま使っていた。
古い洋館なため階段はぎしぎしと鳴ることもあるが、僕はこの古さも含めてこの家が好きだ。
都内の便利なところに事務所の社長からもらったマンションはあるけれど、僕はできることならばこの家に
いつも戻ってきていたいと思う。
階段を上がり理子の部屋を通り過ぎたところで僕の足がぴたりと止まる。
このときの僕は魔が差したとしか思えなかった。
理子の部屋のドアの前まで行き、ドアノブに手をかける。
僕たちそれぞれの部屋には当然鍵がついている。
それは一種の賭けみたいなものだったのかもしれない。
鍵がかかっていれば、僕だってそのまま自分の部屋に戻っていったと思う。
僕は何気なくドアノブを回すと何の抵抗もなくあっさりと扉は開いた。
なんか微妙な気持ちだな。
信用してくれてるのはいいけど、もうちょっと危機感を持ってほしいというか。
僕たち兄弟の理子に対する気持ちは理子も知っているはずだ。現に理子はある男からのプロポーズも断り、僕たちを選んでくれた。
そのときの僕らの感情は言葉では表せないだろう。それくらいに僕たちにとって理子の選択は大きかったんだ。
確かに僕だけを選んでほしいという気持ちはある。
けれど、もし僕が理子に選ばれなかったらと思うとそれだけで僕の目の前は真っ暗だ。
今までは家族として我慢してきた部分もあったけれど、理子の気持ちがわかった今では自制心が少しくらい効かなくなるのも
仕方ないと思う。
僕は自分に対し、そんな言い訳をするとそのまま理子の部屋へと足を踏み入れる。
部屋の中のライトは全て消えていたが、今日は満月なため月明かりがうっすらと理子の寝ているベッドを照らしていた。
そのまま僕は吸い寄せられるように理子の寝ているベッドへと腰かける。
「気持ち良さそうに寝てる。もう悪夢は見ないんだね。」
すやすやと気持ち良さそうに寝息をたてている理子の顔をみると僕はなんだかほっとした気分になった。
子供の頃はデンマークで暮らしていた頃に虐待されたのを思い出していたのか、うなされることがあったのを隣りの部屋にいる僕は知っていた。
もちろん僕は理子をひとりの女性として愛しているが、それと同時に理子は大切な家族であり妹だ。安らかな寝顔を見ると僕は自然と笑みを浮かべ、理子の頭を撫でる。
「ん・・・」
撫でた指先はそのまま理子の顔を触れるか触れないかのところでそっと撫でると、くすぐったいのか理子は無意識に寝返りをうった。
あまりにも無防備な理子の様子に、僕はもう少しだけ触れたくなってしまい、顔をそっと近づける。
本当に無防備だよな。
好きだと言われている男と暮らしているのにこの危機感のなさは一体なんなのだろう。
僕は自分が今している行動には自ら目を瞑りながらも、すやすやと眠る理子の顔を覗き込む。
いたずらしちゃおうかな。
こうなると魔が差したという理由ではなくなるような気もしたが、この際そんなことはすでにどうでもよくなっていた。