表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

浮かぶ男

作者: 沼 正平

 初秋の晴れやかな季候が俺の気紛れを呼び起こしたのか。街に移り住んで十年も経った今頃になって、古里の村への郷愁に誘われて、生まれ育ったこの村に足を向けることになった。

 特別何かをしに来たわけではない。ただ何となく子供の頃に遊んだ川や野原、山々を散策してみたくなったのだ。位置的にはそれほど遠いわけではなく、今住んでいる街からは電車の駅にして六駅、二十五キロほど離れた寒村だ。小さな駅で降りて、今はもう解体してしまった旧我が家の跡地まで二十分ほど掛けて歩く。村の景色は何も変わっていないようでいて、それでも以前とは違うところも所どころに見える。全体に寂れたような印象で、良い方に変わった所は皆無と言えた。

 それでも子供の頃遊んだ想い出は次々と浮かんでくる。川を堰き止めて泳いだ天然のプール、駆けずり回ってよく傷だらけになったすすきの野原、防空壕の残骸でつくった秘密基地。あの時は大人に散々叱られたのだったな。今となっては懐かしい思い出だ。

 山の入り口付近にあった旧我が家。今は更地になっていて草が茂っている。たまには草取りもしなければならないのだろうが、すっかり億劫になってしまった。わざわざ草取りに訪れたのは引っ越して最初の二年くらいだっただろうか。

 懐かしくも、今更見る物とてない我が家の跡地を抜け、俺は裏山に入って行った。子供の頃は毎日のように山で遊んでいた。俺にとっては庭みたいなものだ。しかし、久々に登った山は子供の頃とは勝手が違っていた。もともとは製材の村だったが、今となっては材木で生計をたてるような家もなく、山道は荒れ放題になっていて、ところどころ道が無くなってしまっているような所もあった。それ以上に自分の体力が大きく減退してしまっていた。子供の頃は駆け登るようだったのが、今はちょっと歩度を速めると息切れがしてくる。

 途中に大きな岩があり、そこから眺望が開けている。とは言え下からは二十メートルほどの高さしかなく、周りは山に囲まれているから、眼下に村落がちょこっと見えるだけだ。そこから先は道が二手に分かれていて、一つは山向こうの別の村落への道。もう一つは鉄塔のある開けた丘に出る道だ。鉄塔の丘は子供の頃、よく段ボールを尻に敷いてソリのようにして滑って遊んだところだ。俺はその鉄塔の丘を目指して歩き始めた。懐かしい想い出が次々と込み上げてくる。村に同級生の男子は三人しかいなかったが、いつもここで一緒に滑って遊んだものだ。あいつら今は何をやってるだろうか。


 森を抜けるとその先は木が生えていない丘があり、そのてっぺんに鉄塔が建っていて送電線が両隣の山へ延びている。俺は懐かしさでその丘を一気に駆け上ろうとしたが、そこで奇妙な光景を目にして森の出口で足を止めた。

 丘の上に人が浮いている。

 ありえない光景だった。丘の上にいる男の足が、地面から二メートル程も浮き上がって静止しているのだ。そう、それは普通に人間の男のようだった。しかし、何故浮いているのか理解出来ない。

 俺はしばらく動くことが出来なかった。恐ろしさに身が竦んだ、ということもあるだろうが、それ以上に浮かんでいる男に発見されることを恐れたからだ。辺りには他に人影もなく動くものもない。そんな静止したような風景の中で、視界の端にちょっとでも動くものがあれば、どうしたって注意を惹いてしまうことだろう。そしてあの男は浮いている。尋常ではない存在であることは確かだ。見つかった途端に物凄い速さで俺を追跡するかも知れない。俺は身の危険を感じた。彼が何者であれ、発見されたらただでは済まないだろう。このような人気のないところで浮かんでいるのだから、恐らくそれを人には見られたくないはずだ。とにかく今はじっと動かずに浮かぶ男の動向を注視するしかない。

 あの男は一体何者なんだろう。幽霊のようなものか。しかしどう見てもしっかりと実体があるように見える。或いは宇宙人か。だとしたら人類以上の技術と知性を備えているのだろうか。十分に知性が高ければ襲われるようなことはないかも知れない。

 多分に一番ありそうなのが、彼が普通の人間であるということだ。事実、俺の目には極普通の人間のように見えた。浮かんでいること以外は。では何故浮かんでいるのか。その時俺の頭に浮かんだのは、何か奇術のようなもの、イリュージョンの練習なのではないかということだ。それだったら人気のない場所を選ぶ理由も納得がいく。そしてもしそうであれば俺の身の危険は去るということだ。俺としては是非そうあって欲しいところではある。だが決して油断は出来ない。まだ結論は出せないのだ。最悪の場合は俺は殺されるかもしれない。そう思うと冷や汗がどっと滲み出てきた。

 しばらくは全く動きがなかったが、浮かぶ男は突然、丘のふもと方向に水平移動を始めた。それに伴って地面との距離は徐々に開いていく。最終的には丘の高さ、約八メートルもの高さに浮かんでいた。これはマジックの類いではない、そう思うと全身が鳥肌立った。俺は思わず身震いしてしまったが、その時、浮かぶ男と目が合ってしまった。

 見つかった、逃げなければ。しかし足が竦んでそこから一歩も動くことが出来なかった。浮かぶ男は空中を滑るように俺の方へ近付いて来た。そして手を振りながら笑顔で話し掛けてきた。

「やあ、驚かせちゃいましたね」

 俺は安堵の表情を浮かべていたに違いない。浮かぶ男は明らかに好意的な意思を示していた。一気に緊張が去り、その場にへなへなと座り込んでしまった。何を思ったのか、その男は俺のそばに舞い降りると、そのまま腰を下ろした。

「騒ぎになるといけないから人気の無い山奥でやってたんだけど」

 俺はすぐに返す言葉を見つけることが出来なかった。一体彼が何者で何をやっていたのか。何が目的で、いやその前にどうやって宙に浮かんでいたのか。全てが謎だが、何から訊けばよいのだろうか。俺の困惑が相手にも伝わったようで、何も言わずにいる俺に更に言葉を続けた。

「あなたが今ご覧になった通り、僕は空を飛べるんだ」

 そこまで言って、彼は俺の反応を窺った。俺の気持ちが落ち着くのを待っていてくれているようだった。そこで俺は一呼吸置いて彼を観察してみた。俺の隣で膝を抱えて、いわゆる体育座りでこちらを窺っている。年齢的には三十代前半くらいで、俺よりは年下に見えた。服装はジーンズにポロシャツ、これといって特殊な印象は受けなかった。

「あ、あの。確かに今、空に浮かんでいましたよね。一体どうやって…」

 俺はまだ興奮冷めやらず、幾分たどたどしい早口で問いかけた。

「超能力、って言ったらいいんでしょうかね。実際タネも仕掛けもないんです。ある日突然、飛べることが解ったんです」

「そんなことが……。どうやって飛ぶんですか、もしかして俺とかでも飛べますか」

 段々と緊張が緩んでくるにつれて、俺は飛行の仕組みに強い興味を持った。見た目に全く普通の人と変わらないこの目の前の男が自由に空を飛べると言うのなら、当然自分を含めたその他の人も空を飛べるのではないかと思ったのだ。

「この力は神のような存在から与えられたものなんです。つまり特別の力っていうわけです。だから僕は宙に浮かぼうと思えばそれは自然に出来ますし、もちろん力を与えられていない他の人ではどんなに努力をしても飛ぶことは出来ません」

 彼の宙に浮かぶ力は常人の能力を遥かに超えている、まさしく超能力ということだろう。だがどうにも釈然としないモヤモヤとした感情が俺の中に湧き上がってきた。何故彼は神に選ばれたのか。何故それは俺ではなかったのか。神に選ばれる資格者たる所以は。神から選ばれ、空中浮遊する資格を得るためにはどうあらねばならないのか。

「その力……。その空中に浮くことが出来るというのは、神があなたに授けた能力だと言う。では、神はあなたにその能力で何をさせようとしているのですか」

 そう、神が選んだと言うのなら、その能力を無駄に使えと言うわけがない。何らかの使命を持って与えられたものであるに違いないし、当然本人はそれを自覚しているものでなければならないだろう。

「さぁ、それが自分にも良く分からないんです。だからこうやって時々、人目につかないところで浮いたり飛んだりしているのですが……」

 彼は困惑気味に答えた。俺はその答えに若干の失望を感じた。

 神からこれだけの力を与えられていながら、その使い道すら分からずに隠れてこそこそとその優越感を楽しんでいる。なんといやらしい男だろう。その力があれば色々な事が出来るだろう。人の命を救うことも出来るだろうし、悪人を懲らしめることも出来るかも知れない。だが、この男は何をするべきなのか分からないから何もやらないという。それでは人並み外れた能力を授かった意味がまるで無いではないか。

 もしそれが俺だったら、と思うとどうにも堪らない気持ちになってきた。これはおそらく嫉妬だろう。持たざる者の持てるものに対する妬み、嫉み。まさにその時、俺は嫉妬の業火に焼かれていた。何故神は俺を選ばずに、この目の前の男に力を与えたのだろうか。自分にこの力があれば、それこそ思いつくままに世のため人のためにその能力を活かすことが出来るだろうに。

「もしかして、もしかしてですよ。あなたが浮かぶ原理を科学的に検証したら、人類は空を飛べる生物として進化することが出来るんじゃないですか。然るべき研究機関にお願いすれば…」

「自分に実験動物になれって言うのですか」

 俺は一瞬怯んだ。確かな敵意を彼の言葉から感じ取れたからだ。だがそれは一瞬で、彼はすぐに柔和な笑顔を浮かべて言った。

「果たして、人類の全てが自分のように飛ぶ日が来るのか、それとも自分だけ特別なのか。それは分かりません。ただいずれにしろ今はまだその時ではないのでしょう。神も、私を使ってその時を見極める実験をしているのかも知れませんね。そういう意味では自分はこの世界では特殊な存在であり、また神にとっての実験動物に過ぎ無いのかも知れません」

 彼は自分を卑下するように力の無い苦笑を返した。そこには一抹の哀れさを感じたが、それでも人類の力を超越した存在であることは変わらない。彼が空中浮遊できる限り、自分達は彼よりも一段下の生物に成り下がらねばならないのだ。それはやはり許容し難い事実である。そして全ての人類にとって不都合な事実である。なんとしてもこの事実を告発しなければならない。空を飛ぶことが新たな人類の飛躍につながるのであれば、小さな犠牲には目をつぶるべきであろう。この空を飛ぶ男を告発することは人類にとって非常に有益であるし、現状ではそれをなし得る立場にあるのはこの俺だけだ。そしてそれこそは世界にとっての英雄的な行為であろう。人類の進化に貢献できる喜び、それは人と生まれたものにとっての至上の喜びに違いない。

 この空飛ぶ男を世間に知らしめなければならない。だが今はそれを気取られてはいけない。俺は決して感情を読み取らせまいと、彼に対して同情的であるかのように思わせることにした。

「いや、難しいことは良く分からないけど、あなたが大変な状況に置かれているんだろうということは何となく分かります。そうですよね、確かに今見たのはスプーン曲げとかカード当てとか、そういったものとは次元が違い過ぎるし、それこそ国家レヴェルで問題にしなければいけないようなことですよ。相談する相手も厳選するようだし、おいそれと人に見せられるようなものでもない。どこまでも慎重にならざるを得ない、そういうことですよね」

「ええ、まぁ。そんなところです」

 俺は良き理解者として振舞う為に細心の注意で言葉を選んだ。どうやら彼が一番望まないのは、研究機関に自分の身を預けることだという気がする。逆にそれこそが俺が最も望むことであるし、人類の未来のためにも是非そのようにして欲しいところだが、それは決して気取られてはならない。あくまでも自分の欲求は表に出さず、難しい立場にある彼の苦悩に寄り添うようにしなければならないのだ。

 さて、この男と意志の疎通を図り、お互いに信用出来る関係を築く為にはどうするのが良いか。取り敢えずは友達のように親しくなることが一番であろう。

「あの、もう一度飛ぶところを見せて貰えませんか」

 俺は親しみを込めて彼にお願いしてみた。他意は無く、どこまでも好奇心によるものであるかの如く無邪気さを湛えながら。そんな俺の言葉に、彼も警戒心を解いたようであった。

「わかりました。そうですね、折角だから一緒に飛びましょうか」

 彼はそう言って俺の胴を背中側から両手で抱きかかえて、少しずつ空中に浮かんでいった。

「凄い。重くないんですか」

 内心ではちょっと恐ろしくもあったが、これは彼の好意からきた行動であることは間違いない。ここは彼の信頼を取り付けるためにも、こちら側からも彼を全面的に信頼する必要がある。不必要に不安を表に出すことは避けるべきだろう。

「あの鉄塔のある、丘の上まで飛んでみましょう」

そう言って彼は俺を抱えたまま、ぐんぐんと高度を上げていった。


 まいったな。まさか浮かんでるところを見られてしまうとは。ここまで近付いていたのに気が付かなかった。おそらく空中浮遊の方に意識を集中してしまったせいで気付けなかったんだろうけど。普通の状態だったら間違いなく察知出来ていた筈だ。僕の超能力もまだまだってことか。それでも以前よりは強くなりつつあるし、発展途上ということで理解してもいいのだろう。この先、どんなふうに自分の能力が開花していくのか楽しみではある。

 それにしてもこの男、最初はかなりショックを受けていたようだけど、僕がちょっと甘い顔をして優しく接してやったら、すぐに化けの皮が剥がれたな。恐れたり妬んだり憎んだり。自分を良い人に見せようとして欺瞞に満ちた態度をとって。挙句の果てはこの僕を研究機関にぶち込んで、自分は人類進化の一助を担った英雄として讃えられようだなんて。どこまでいやらしく下卑た人間なのだろう。

 いや、違うか。人間なんて大体この男と似たり寄ったりなヤツばかりだ。そういった内面の薄汚れた部分を表に出さないからそう見えないだけで、実際はこの男ぐらい薄汚いヤツはそのへんに掃いて捨てるほどいるんだよな。それが良く分かるからこそ、僕はこの能力をひた隠しにしてきた訳だし。とにかく機が熟すまでは誰にも知られるわけにはいかないんだ。

 僕の能力はこの先まだまだ進化を続けるし、最終的にはどんなカタチに収まるかもわからないんだけど、いずれ今の人類には不可侵の状態にまでなる筈だ。それからだね、しっかりと人類と対峙するのは。

 さて、この男だ。どういう人間なのか知らないが、別に知りたくもない。家族や友人もいるだろうし、まぁ何らかの仕事はしているんだろうけど、そんなこともどうでもいい。問題なのは何より、僕が飛んでいる姿を見てしまった、ということだ。最初の方こそ驚愕して震えていたが、すぐに警戒を解いて僕に馴染もうとしてきて。普通に考えれば、こんな重大な状況をそう簡単にスルー出来る筈がないのに。あまり頭が良くないのかな。それこそどうでもいいことか。

 多少の同情はあるけど、何しろこの男は僕を売ろうとしていたからね。その件に関しては情状酌量の余地は無しだ。大体迂闊なんだよ。空を飛ぶ、なんていう超能力者なら、空飛ぶ以外の能力を持ってても良さそうなものじゃないか。この男の考えることは、初めからずっと僕には聞こえていた。読心術、なんていうのかな、いわゆるテレパシーとかって言われてるものだろうか。そんなのは宙に浮かぶことに比べたらとても簡単なことだ。この男の僕に対する敵意・憎悪は相当なものだ。そのうえ僕の飛行を見られたのだから、到底容赦することは出来ない。

 まぁひとつだけ、僕に至らなかったところがあるとすれば、この男の接近に気付けなかったことだな。あの時僕がこの男に気付いてすぐに丘の上に戻っていれば、見られずに済んだんだから。まぁでも今更そんなことを言ってみても手遅れだし、何しろ事の重大さから考えてみれば、多少の犠牲はやむをえないんだと思うよ。この男もそんなことを考えていたしね。僕が研究されるのは人類のための小さな犠牲だ、って。

 おっと、色々考えているうちに結構な高さになっていたな。平静を装いながらも、かなりの恐怖がこの男を襲っているのが手に取るように伝わってくるよ。そりゃそうだよな、こんな高さから落とされたら到底無事でいられるはずがない。

 じゃあ手を離すよ、さようなら。


永いこと書きかけだった短編を完結させました。あまり面白くないけど、せっかく途中まで書いたので。読んで損した、と思った人、ホントすいませんです(汗)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 平凡な男の怒涛の語りが良き。惹きつけられる。 [気になる点] 人物が変わったのが分かりにくかった。隙間が欲しい。プラス、饒舌に心の内を明かさない方が味が出るように思えた(ラスト)。 [一言…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ