雨の日の迷子
「あー、今日は雨ですかぁ……」
自室の窓から外を眺める調が、少し憂鬱そうに呟いた。あの出会いから数日、なんとなく例の木の方向を見る癖がついてしまった。それについて、先日も包にからかわれたばかりだ。
気持ちを切り替えようと席を立つと、集中が途切れたのか雨が建物を叩く音が大きく聞こえた。
――コッ……コッ……
それに混じって微かに聞こえる音に、彼は首を傾げた。その音は、足元の方から聞こえてくるようだった。疑問に思って、窓に近づいて下を覗き込んだ。そこでは、ふわふわとした長い耳が揺れていた。
「……っ!?」
思わず叫びそうになるのを抑えながら、調は急いで窓枠を飛び越えるとその先の地面に着地した。そしてそこに居た小さな子供を抱え上げると、誰にも見られないように注意しながら部屋に戻った。
「さて、どうしましょうかねぇ……」
その日は何だか目が覚めた時から体が重かった。それに気づかないふりをしながら普通に振る舞っていたのだが、隠にばれて布団の中に戻された。
することもないので、リズミカルな雨の旋律を聞きながら微睡んでいると、いつの間にか扉の向こう側が騒がしくなっていた。
重い体を引きずって里に出ると、すぐに気づいた微に止められた。どうやら、隠の命で巡が無茶をしないように見張っていたらしい。
「……何が、あった?」
巡が尋ねると、微は僅かに逡巡してから口を開いた。
「潜が居なくなっちゃったんだ! 暇だったから、隠に「雨の日ってつまんないよなー」って話してたんだ。そしたら、隠が虹の話をしてくれたから、他のやつらに虹を見たことがあるかって聞きに行ったんだ」
たどたどしい口調で思い出しながら語る微かの言葉をまとめると、以下のようになる。
そもそも微が話を始めた時には、潜は隠と一緒に居た。話が終わり微が順にみんなの話を聞きに行った後、潜に聞いていなかったことを思い出して隠の元に戻ると、潜はそこにはもう居なくなっていた。小さな拠点なので誰かが見ただろうと、聞き込みをしてみても見つからずおかしいと思って今に至る。
「もし、外に出ちゃっていたら、どうしよう……」
確かに小さな潜なら正規の門以外にも外に出られそうな場所があったかもしれない。
もし、外に行ってしまったなら、自分たちではどうすることも出来ない。そこまで考えた時、巡は調のことを思い出した。
彼が情報を流してくれるとは限らないが、異端に関しての情報は審問官のところに集まる筈だ。そちらに行ってみることは無駄ではないかもしれない。
「ボクに、任せて」
巡は熱が上がってきているのを感じながら、拠点から飛び出した。後ろで微の呼び止める声が聞こえたが、今止まったらもう走り出せない気がしたので聞こえないふりをした。
部屋の中を歩き回りながら、調はどうすべきか考えていた。審問官としてはもちろん異端審問にかけるべきなのだが、小さな子供を「有罪」になるのが分かり切っていて突き出すのは少々気が引けた。
幼子を腕に抱えたまま再び窓の外に目を転じた調は、ちょうど目の前を通り抜けていった人物に驚きの声を上げた。
「巡!?」
「……え?」
それが聞こえたからか、こちらを振り向いた巡も同じような表情になる。調は急いで窓を開けると、巡を部屋に招き入れた。
「どうしたんですか?」
「仲間が居なくなった」
そう言いながら調の方を見た巡は、その腕の中に何かが抱えられていることに気付いた。毛布にくるまれているが、大きさはちょうど子供くらいだ。
「それは?」
「……そうでした。知らない子を拾ってしまいまして。ご存じありませんか?」
毛布をめくると、すやすやとした表情で眠る潜がそこにいた。
「ん。捜していたの、その子」
「……え、そんなことってあります?」
「あった」
淡々と言う巡に一瞬反応が遅れたが、とてつもない偶然に何ともいえない表情になった。しかし、それに突っ込んでいられない状況になった。
「よか……った」
そう呟いた巡が、糸が切れたように倒れてしまったのだ。調は咄嗟に片手で彼の身体を支えると、驚きながらも布団に運んだ。
「ちょ、すごい熱じゃないですかぁ!」
「……んぅ」
頭の上にタオルを乗せてあげようと思ったが、生憎にも程よい大きさの布がなかったので誰かから借りてこようかと扉に手をかけた。
ちょうどその時、扉が外側から開かれたのだった。中に入ってきたのは、あの時の上司の息子だった。
「ちょ、なんなんですかぁ」
調の静止を無視して部屋の中に踏み込んできた彼は、布団の上に巡の姿を見つけると、にやりとその口角を釣り上げた。
誤魔化すのは不可能だと悟った調は、せめてもと潜を物陰に隠した。
「ふぅん、これは不味いな。……ちょうど調くんに用があったんだが、大変なものを見つけてしまったな」
わざとらしく言う彼に苛立ちが募る。
「君が兄のように賢明じゃなくて残念だ」
そう言うと、彼は私兵を呼んで二人を連れて行かせた。向かう先は、牢だろうか。
ぼんやりと考えながら、調はあまり焦っていなかった。元からこの職は好きではなかったのだ。兄の影響でここに務めることを決められたが、自分には合っていないという印象があった。
「ですが、巡は帰してあげないとですねぇ」