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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
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八ノ怪

 しんと静まり返った闇。聞こえる音といえば自分の鼓動と鬼の寝息。

 眠れない。全然眠れない。


 鬼さんにこうして抱き枕替わりにされるのは久しぶりだ。

 この屋敷に戻ってから、鬼さんはわたしが怯える様な反応を見ては、あまり強引に触ろうとはしてこなかった。

 だからこんなふうに密着されると、とても眠る気になんてなれないし、おまけに寝返りも打てないから体がガチガチになって、緊張して気を抜く事が出来ない。


 眠いはずなのに、眠れないって辛いわね。


 小さく息を吐いて、未だに強張った体をもぞもぞと動かす。

 少しでも良いから腕の力を抜いてくれれば良いのに。体のあちこちが痛い。


 そういえば鬼さん前に『必要あれば寝る』って言ってたわね。嗜好でとる事もあるとか。

 だったら鬼さんは今、必要だから眠っているのかな。それとも嗜好でとっているのかしら。

 

 必要だというなら、鬼さんらしくないけれど疲れているのかも。意外と忙しいのかもしれない。


 耳を澄ませば後ろから鬼さんの寝息が聞こえてくる。

 ぐっすり寝ているのに、わたしを拘束する腕の力は緩める気配はない。


 やっぱりこれじゃあ眠れない。

 例え眠れたとしても、寝ている間、何があったか心配で結局眠れたものでは無いのだろうけれど。 


 ……どうせ眠れないのなら、楽しいことでも思い出そうかな。

 随分、元の世界にいた時のことを思い出していなかった。

 心が沈みがちで、そんなことをする気にもならなかったけれど、正気を保つならこの作業はとても大事なことだ。



 目を閉じてあちらの世界に思いを馳せる。


 今あっちは夏に入った頃かな。ついこの前、一瞬だけ戻れた時には、春は終わっていたようだった。

 これからどんどん暑くなっていくんだろう。


 夏といえば、太陽が一番騒がしくなる季節。

 それに伴って人々も騒ぎ出し、開放的な気分になって活気が溢れてくる時期だ。


 夏休みにはよく海や川へ遊びに行ったなぁ。

 あのジリジリ焼けるような陽射しの中、熱い砂浜を駆け抜けて海の中を泳いだ。

 そんなに深くない所にも魚が泳いで、夢中になってよく追い駆けていた。 


 あと海だけじゃなくて、ホテルにも泊まりに行って、様々な種類のプールにも行ったっけ。

 流れるプールや波のプール、ウォータースライダーとかでよくみんなで遊んで、そこで食べた懐石料理も美味しかった。


 川には美紀達とキャンプしに行って、川遊びやキャンプファイヤーもした。

 あの時の川の冷たさと、澄んだ水の色をよく覚えている。

 河童の子も言っていたのと同じで、陽の光に照らされて川面がキラキラと輝いているのが眩しくて。とても心地よかった。


 思い出される日向の記憶が、胸を温かく包み始める。

 そっと目を開いて闇を見つめる。



 ……大丈夫。まだわたしは大丈夫だ。

 だってこんなにもまだ、温かい思い出を持っているもの。陽の光や人の温かさを思い出せるんだから。


 なんだか妙にホッとしてしまって、そのせいなのか、急に目蓋が重くなってきて微睡まどろみ始める。


 うとうとと、心地の良い睡魔に揺らされて意識が沈んでいく。

 わたしはその時何も考えられずに、無防備な状態で夢と現の境目をふらふらと漂い始めた。

 すぐ真後ろに鬼がいて、逞しい腕で絡め取られているのにも関わらず、波が寄せて引いていくようにわたしの意識もふらふら揺り動かされる。


 目を閉じてもさっきまで見えていたものは同じ闇なのだから、やはり景色はまったく変わらない。

 そして意識が途切れ途切れになった頃、強張っていた体から力がふっと抜けて、完全に鬼の腕の中に身を委ねた。


 静かに夢の中へ沈んでいく。

 耳元に泡が上がっていくのが聞こえ、わたしは胸に光が満ちたまま、深い深い闇が広がる水底へ落ちていった。 




・・・・・・・・・・・・・・・・・



 何故だろうか。時折昔のことを思い出しては苛々と腹立たしく思い、歯ぎしりをする。

 あれはもうかなりの大昔の話だ。己がまだあの場所から動けぬ頃だ。



 なんと忌々しい陽の光だろう。陽が昇り、光が腹に差し込む度に何度腸が煮えくり返ったか。

 アレのせいで己の腹だというのに、息を潜めて奥へ縮こまらければならなかったのだから尚更だった。


 嗚呼だがしかし。忌々しいのだが。

 風が時折運んでくる枯葉や、まだ瑞々しい若葉が舞い込んでくる度、また季節の巡りを知らせるそれぞれの匂いが迷い込んでくる度、外への渇望は増していった。


 好奇心に負けてそろり陽の下へ出れば、途端に焼けて慌てて引っ込むしかない、情けなかったあの頃の我が身。

 頼りなく形の成さない己の姿は、自分の腹から出ることもままならなかった。

 夜の帳が降りようとも、体を持たぬあの身では、出ることさえ出来なかったのだ。

 

 ただひたすら、大口を開けて何者かが腹の中に落ちてくるのを待つしかない。なんと詰まらぬ日々だったか。


 

 だが転機が訪れて、俺も外へ出られるようになった。


 全て気の向くまま自由勝手に動き回り、人を狩り、物を奪い、気に入らぬ者は全て叩き潰し、覚えた欲望を思う存分に撒き散らしていった。

 金銀財宝、女という女、どこぞのお偉い様とやらの命も奪い尽くした。 


 そして最後。運良く赤鬼を喰らい、狙っていた訳でも無い名声さえも奪うことが出来た。 

 覚えた欲は全て満たした。俺は満足だった。



 だがその後。予想だにしなかったことが起きた。


 全て奪い尽くし手に入れた筈なのだが、何故か虚しかった。

 何故か孤独で、まさか忌み嫌っていた無欲とやらに、己が苦しめられるとは思わなんだ。


 鬼の門から時折人間どもが呪詛を詠い俺を呼ぶが、乗り気にならず、聞かなかった。まったく面倒だった。


 だがある日。余りにも強い怨みを感じ、気まぐれに鬼の門を開いてやった。そこに人間の餓鬼が五匹。皆一様に目を見開いてそこに居たのだ。


 そしてその中の一人、日向に溢れた娘が他の餓鬼とは違い、怯えを見せつつも溢れんばかりの日向の匂いを放っていた。


 そこで名を取り上げ、そいつに名をやった。

 鈴音と。


 交換条件を与え、俺の下に居るようにした。白い籠の中に入れて俺はその人間の娘を飼った。


 最初は活きが良いというだけで飼った。

 辛気臭い人間も影も飽いていた。だから日向に溢れ、妄信的に情けや世間知らずな正義を信じる娘を選んだのだ。



 暇潰しのつもりだった。

 永い時の内、一瞬で終わる余興のつもりだった。


 だが鈴音を飼ってからあの無欲感が消えた。認めたくもない孤独感が日に日に薄らいでいった。


 まだヒナであったのもあり、一度現世へ返し魔鏡で様子を時折見るに留めた。

 だが日に日に、鈴音を魔鏡で目で追う回数は増えていった。



 俺は鈴音を手放したく無い。叫ぶ己の声を認めて、またこちらへ連れ戻した。

 切っ掛けはムカつく腹黒との賭けだが、そんなものはどうでも良い。

 鈴音が手に入ればどうでも良かった。


 最近まで様々な邪魔が入ったが、今はこうして気落ちしてはいるものの、鈴音が手元に居る。

 忌々しい日向の匂いはなかなか消えはしないが、鈴音のものならそれも良しとして受け入れた。



 欲は常に俺に強く訴える。

 鈴音を喰いつくせと。


 だが鈴音を食い尽くそうとすれば、遅かれ早かれ鈴音は死ぬ。それでは意味は無いのだ。死んでしまっては全て無になる。


 人間は心も体も弱い。 

 怖がりな鈴音なら尚更だった。

 一度喰おうと決めて食らいついたものの、恐怖のあまり鈴音は息を忘れて気を失った。


 そのまま続けようとも思ったが、息をしていない状態なのに気づき、渋々断念した。

 

 息を吹き返させた後も、眠る鈴音を喰らおうかとも思ったが、やはり後の事を考えれば手を出すわけにいかなかった。



 だが鈴音の心をこじ開けるにしろ、自然と開かせるにしろ、人間の寿命は短い。待つ間に老いて死んでいく。


 だからあの肉を食わせた。


 あれさえ口にさせれば後はどうでも良い。急かす必要もなくなったのだからな。

 鈴音は気づいていないようだ。まぁ知る必要もないだろう。例え知ったとしても、既に手遅れというものだ。


 

 鈴音を早く喰いたい。奪い尽くしたい。

 心なんぞこじ開けようと思えば出来なくもない。だがそこまでして急く必要もない。


 じっくり、じっくり。堕ちていけば良い。

 そして俺に身も心も溺れさせ、自ら差し出すように仕向ければ良い。


 この胸の内にある怖がり雀は、それくらいが丁度良いのだから。

 

 あぁ鈴音。早くお前が俺に溺れ、堕ちてくれ。

 お前の体の全てを奪い、心を捕らえ、果てはお前の中に俺だけが居るようになるんだ。


 もしお前が不死であるのなら、お前の血肉を貪り尽くし、骨の髄まで味わい、お前の物だけで腹を満たしたい。



 鈴音、お前は俺だけの物だ。

 永遠にお前を手放さない。未来永劫お前は俺のものだ。




・・・・・・・・・・・・・・・


 

 どくんと一際大きく胸が鳴った。それと同時に目をカッと見開く。

 嫌な汗が全身から噴き出し、体が小刻みに震えだした。


 な、なに、今のっ!?

 あの気味の悪い、おぞましい闇の塊は何っ!?

 絡みつくような底なしの闇が、わたしを捕らえて離さないと嗤っていた!


 だ、ダメだっ、逃げないと! このままじゃ喰い尽くされる!

 ここには居られない! 居ちゃいけない!


 鬼の腕から抜け出そうと必死にもがく。

 しかし覚めたばかりだと言うのに恐慌状態に入ったわたしの体を、前触れも無く今まで拘束していた腕が、急激に締める力を増した。

 途端に髪の毛が逆立ち、なおの事鬼の腕から抜け出そうと死にもの狂いで体を捩った。


 嫌だ! とにかく離れたい! 怖い!

 気持ち悪い! 触られたくない!


「は……なし……てっ」


 掠れた声が喉から弱弱しく出てくる。

 でも鬼さんの腕の力は抜ける気配はしない。


「嫌っ、離して!」


 わたしが恐怖に駆られてがむしゃらに暴れると、一気に物凄い力が体を締めあげてきた。

 肺から空気が絞り出され、胸も強く圧迫され、呻き声が漏れた。


「ナンダ? ……眠れないじゃナイカ鈴音」


 のそりと背後で鬼の頭が持ち上げられた気配がする。

 急激に心拍数が跳ね上がる。息も上がり、冷や汗で横顔を汗が一筋流れる。


「ナニを暴れている?」


「離してください! 今日は、今日は許して下さい!」


 もう触られたくない。鬼さんはわたしを食い尽くすつもりなんだ。

 覗き込んでくる二つの紅から逃げるように顔を背ける。


 あの夢みたいなのは鬼さんの心だ。きっと灰梅の力が働いて、鬼さんの心の内をわたしに見せたんだ。


 それで鬼さんは、わたしを散々好き勝手になぶって、最後には無残に食い散らかしてお腹の中にわたしを押し込める気なんだわ!


「離して! やめて!」


「鈴音どうしタ? 俺は何もしていないダロ? ナゼ突然暴れるんダ?」


「お願いです! 触らないで! やめて下さい! わたしに触らないで! 離れて下さい!」


 体制を変えられて、仰向けに押さえ込まれると見上げた先に紅が二つ闇に浮かぶ上がる。


「いきなりどうしタ?」


「お願い触らないで! 許して下さい! 触られたくないんです!」


 そうこうしている内に、拘束が解かれた。

 死に物狂いで鬼の下から抜け出し、何も見えない闇の中を這っていく。

 しかし直ぐに壁に行き当たり、先に進めなくなるとわたしは壁に縋り付いて、その場で蹲った。


「触られたくないんです……もう嫌だ……家に帰して……お母さん達に会いたいよ……」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになる顔。それから膝を寄せて、顔を埋めた。


「もうここに居たくないよ……! 家に帰りたいよ! お姉ちゃんに会いたいよぉ」


 わたしは鬼の前だというのに泣きじゃくった。

 延々と心の奥に留めておいたものをぶちまけて泣きに泣いた。


「お父さぁん、お母さん、お兄ちゃん……春香ぁ美紀ぃ……」


 親しかったみんなの事を呼んだ。

 会いたい。また話をしたい。一緒に過ごしたい。陽の下に戻ってみんなと暮らしたい。


 こんな朝のこない、闇と妖怪しかいない場所に居たくない。

 紅い鬼のおもちゃになって無惨に殺されるなんて嫌だ!


 壁に体を預けて丸くなる。

 それから膝に額を埋めて背中を丸めて泣き続けた。


「……鈴音」


 すぐ傍らで鬼の声がした。

 それから布が擦れる音が聞こえると、そっと背中に大きな手が添えられた。ビクリと体が跳ねあがる。


「泣くナ」


 そう言っていつものように背中を撫で始める。

 乱暴な鬼さんからは想像もつかないような、とても労りのある優しい手つきだった。


「親が恋しいカ鈴音。友にも会いたいカ」


 なおも絶えず背中を撫で続ける鬼さんは、わたし宥めるように穏やかに言葉を続ける。


「それなら俺が親代わりになろう。兄弟や友の代わりに紫も居る。女の友が欲しいならまた屋敷の外で宴を開いて、鈴音が気に入った奴がいたら召し上げてヤロウ」


 そっと頭に大きな手が添えられ、それからまた鎖のように逞しい腕が体を抱え込んだ。

 

「ひぃっ」


 引き攣った声を上げて体が跳ねるが、鬼さんはガッチリわたしを抱えて離さない。


「俺はお前を手放さない。お前が自由を望むなら、俺の傍を離れるナ。それが出来るなら、お前の望むようにしてやる」

 

 だから離れるなと、鬼さんはわたしの耳元で囁いた。

 わたしは体が固まったまま、心も凍ったまま。ただ鬼さんの抱えられ、灯篭の明かりが明るくなるまで小刻みに体を震わせ続けた。





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