七ノ怪
「あの子、どうなるんでしょう」
心配になり口にすれば、鬼さんはのんびりと盃のお酒を呑んだ。
「俺らがどうこう言う事じゃ無いカナ。河童には河童の、それぞれ決まりごとってのがあるんダロウからナ」
決まりごと、か。
現世へ勝手に行ってはいけないのは、仲間全体を危機にさらしてしまうからなのかな。
それよりも行った本人の方が一番危ないと思うんだけど。
あ、そうだとしたら、あの河童のお頭さんがあんなに怒っていたのは、あの子を心配してからこそなのかもしれない。
それならあそこまで怒り心頭になるのも分かるわ。
「そういやぁ、少し気になる事があってナァ。さっき川男の話や河童らの知らせを見たんだガ、最近現世の川で異変が起こっているらしい」
「え? そうなんですか?」
「俺が前に喰った蟒蛇も前々から耳にしていたガ、あいつも元は常闇に逃げてきた奴ダ。もしかしたら何か今回の事と関係あるのかもナ」
鬼さんが食べた蟒蛇……。
「あぁあの、前に、お屋敷に突っ込んで来た妖怪のこと、ですよね。川の主が死んだから、常闇に来たって」
たどたどしく答えるも、どうしても当時のことが思い返されて渋い顔をしてしまう。
あまりお屋敷に突っ込んできた時のことは思い出したくない。色々な意味で嫌なことしかなかったから。
「そうダ。ただ現世は人間の思念、怨念、もしくは土地神や様々な者が入り混じっているからナ。主が死ぬなんてこと自体は珍しくは無い。……が、どうにも川の主や池、沼なんかの水神がここ頻繁に消えているらしい」
鬼さんいつの間にそんな情報を……。お酒ばっかり飲んでいるだけかと思っていたけれど、伊達に貪欲の鬼様やってるわけじゃないのね。
働くときはしっかり働いているんだ。
「詳しいことまでは分からンが、それは直接話を聞きに行ったほうが分かるだろう」
「現世に行くんですか?」
鬼さんの意外な働きっぷりに目を丸くしていたが、今度は違う意味で目を見開いた。
「イヤ。わざわざ行かずとも常闇の連中に訊けば良いカナ。幸い水辺に詳しい奴なら大勢いる」
「誰ですか?」
「お前も何度も会っているカナ」
わたしも何度も会っている? それって誰?
目で問えば鬼さんはまたあの意地の悪い笑みを浮かべてわたしの髪を撫でた。
「まぁそう急くナ。また明日、会わせてやるサ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゆらゆら体が揺れている。
まるで波にさらわれ、海の中を漂っているみたい。
閉じていた目を開ける。
視界も体同様、揺れて歪んでいるようでハッキリとはしない。ただ分かった事は、最初に感じた通り、わたしは水の中にいたのだ。
濁った視界にはいくつもの気泡が下から浮かび、目の前を通り過ぎる。自分の髪や浴衣はふわりと揺れて、水の流れを受けてなびいた。
不思議。息が出来ている。全く苦しくないし、冷たくも無ければ濡れている感覚も無い。
不意に頭上を見上げれば水面が映っていて、弱い光が漏れていた。
そしてその向こうに、誰かの影が見えたのだ。
あれは誰かしら?
何をしているんだろう?
じっと見つめて、思い切ってわたしはその誰かに手を振ってみせた。
大きく振った手に自分の周囲の水が掻き回され、大きなうねりが出来る。水中の中と言うこともあって早く手は振れないが、きっと分かってもらえるだろう。
けれども期待に反して、相手はわたしに気づいていないのか、それとも無視をしているのか。何の反応も返っては来なかった。
ただじっと影は上から水面を覗き込んでいるのだ。
わたしはどうして水の中にいるんだろう。
この濁った場所はどこなんだろう。
下を見ても泥や砂が舞い上がっているのか、周りの水より濁っていて底が見えない。
安定しない足元は泥に似た粉塵が漂い、混沌とした空間に自分が浮いているような錯覚を思えさせた。
不意にもう一度水面を見上げる。でも、そこに影は既に無かった。
ゆらゆらと揺れる水面と、時折出来る波紋が広がるだけで誰もいない。
あれは一体、誰だったんだろう。
・・・・・・・・・・・・・・
ゆらゆらとまた体が揺らされる。
波間に揺れるのではなく誰かに押されているような。さっきとは違う感じだけれど、わたしはまだ夢を見ているのかしら。
「オイ」
随分はっきりとした男性の声が聞こえた。気のせいかな。夢でもまるで現実みたいに感じるのはしょっちゅうあるし、まぁ良いか。
どうせ夢なんだし、悪夢じゃ無ければ何でも良いや。
「起きろ」
もうっ何を言ってるんだろう。今寝ているんじゃない。起こさないでよ。
だいたい夢なのに起きろって、変なこと言うのね……
「って、ええぇ!?」
勢いよくガバリと飛び起きる。
そうすれば、ちょっと驚いたのか。やや見開いた目をした鬼さんが、傍らにしゃがんでわたしを見下ろしていた。
まさか寝過ごした!?
ハッとして灯篭を見れば、とても小さく点いているだけで、闇に慣れた目でも部屋は暗く感じる。
と、いうことは。まだ寝ていても良い時間帯だ。
「え? あ、あの、なんで起こしたんですか?」
驚いて見開いた目で鬼さんを見れば、鬼さんは眉間に皺を寄せてボサボサになっているであろうわたしの髪を梳いた。
「俺は今から寝るんでナ。同衾してもらう」
「そ、それでわざわざ籠に来たんですか……?」
だったら起こさないで勝手に横で寝てくれたら良いのに。
……いや、それも嫌だな。知らないうちに寝ていたなんて目覚めが悪いし、何されているか分かったもんじゃない。
そうだ。せめて寝る前に言って欲しい。最低限のマナーとして。
「今何時です? あ、時計は無いんでしたよね。すいません」
驚きと思いのほか寝呆けていたのもあって、常闇の常識を忘れて口にしてしまった。
灯篭の明かりの大きさから言って、真夜中過ぎくらいかしら。寝るならまだ時間はありそうだ。
「俺のトコに来い。ここでは狭いしナ」
「はぁ、そうですか」
のろのろと起き上がって少し乱れた浴衣を整える。そうしているうちに、また眠気が泥のように頭に圧し掛かってくる。
中途半端に起きたから頭がぼんやりして働かない。
「抱えてやろうカ?」
「結構です」
欠伸を噛み殺しながらゆるく顔を横へ振る。鬼さんに触られるのは嫌だもの。
断るわたしに、不機嫌な顔をした鬼さんがわたしの腕を乱暴に掴んできた。
「そう言うナ。連れて行ってヤル」
聞こえたと同時に視界がぐるりと回り、足と体が浮き上がった。目の下には鬼さんの大きな背中と足が見えた。
「ちょ、ちょっと鬼さ」
「舌噛むぞ」
止める間もなく鬼さんは大股で歩き出した。
籠の鍵を閉めるのも忘れて木目調の廊下を歩き出す。
いつもの歩く速さより速いのか、それともこんな担がれた格好をしているからより速く感じるのか。
後ろ向きで闇の中を疾走するものだから、見慣れた廊下でも恐怖を感じる。
「鬼さんもう少しゆっくり」
背中を掴んで抗議するも、無言しか返ってこない。
それがだんだん恐怖を増して行って、わたしは途端に震えだした。
「鬼さん」
もう一度声を掛けてみるが、やはり返事はない。
「鬼さん! なんで返事してくれないんですか? どこに行くんですか?」
本当に鬼さんの部屋に行くのだろうか?
添い寝ではなくて、別のことをされるのだろうか?
「嫌です! お、降ろして下さい!」
「ナンダ? いまさら嫌だと言うのカ?」
歩みを止めずにようやく鬼さんは応えた。
「だって鬼さん怖いんですもの。なんでこんなに不機嫌なんですか?」
「同衾すると言っておいてサッサと寝るからダ。まったく勝手に寝やがって」
「それは鬼さんが何も言わないから」
「お前カラ言え」
「籠の中に入れられているのに、どうやって言うんですか!」
「紫の奴に言うなり出来たダロウ。鈴音は俺が相手だと何処までも怠けるナ」
担ぐ腕に力が込められると、鬼さんの肩にお腹が喰い込んで口から呻き声が漏れる。
苦い顔をすれば、話している間に鬼さんの部屋についたようで、眺めていた床の色が変わった。
鬼さんは部屋に入るなりわたしを乱暴に布団へ放り、おかげでわたしはお尻を強く打った。
「痛いですって」
顔を顰めて抗議する。
あんまり乱暴にされると、痛いし痣とか出来るからやめて欲しい。
まるで物を扱うような鬼さんの行動に、わたしはいつも不信感を抱いた。
結局、鬼さんにとってわたしは所有欲を満たす為の道具に過ぎないんだと、嫌でも思い知らされる。
別に鬼さんに心から好かれても嬉しくはないけれど、好いてくれと言いながらこんなふうに、雑に扱われる矛盾を目の当たりにする度にわたしは眉を顰めるのだ。
やはりそこに情けとか親切心なんて物は無く、小さな子供が駄々を捏ねてオモチャを独り占めしたいと我儘を言っているのと同じなんだ。
「オイ、いつまで拗ねているんダ。寝るゾ」
広い布団の上で険しい顔をしていると、鬼さんが横へ寝そべって腕を引いてきた。
鬼さんの懐に寄せられ、厚い胸に背が当たると抱え込まれる。
瞬時に固くなる体。緊張から心拍数が上がる。
それでもなんとか悲鳴をあげそうになる口をきつく結んで、わたしは黙った。
鬼さんが軽く指を宙に薙ぎ払った。次第に部屋の明かりは無くなり、完全な闇に包まれた。
「暗い……」
わたしの目は闇に慣れている筈なのに、まったく見えない。
今この部屋には、明かりという明かりが一つも無いということか。だとしたら、まだ薄らと見える廊下の暗闇は、僅かながら明かりがあるということなのね。
「鈴音は暗いのは苦手カ?」
呟いたわたしの声を聞いたのか、鬼さんが尋ねてくる。
暗さに恐怖がほんの少しの間だけ忘れていたが、鬼さんの声に直ぐに戻ってきた。
「あまり、好きではない、です」
震えそうになる声を押し殺して、鬼さんを刺激しないよう努めて穏やかに返した。
常闇の暗さに慣れたとは言え、やっぱり明かりが恋しかった。
あの暖かくて明るい日差しの下に、いつだって帰りたいと願っていた。
夜が嫌いではないけれど、常闇のような朝のこない世界では辛さしかない。暗いのだって限度というものがあるわ。
「鬼さんはやっぱり、明るいのは嫌い、なんですか?」
わたしも鬼さんに同じ質問をした。
このまま沈黙してしまっては、どうにも居心地が悪いと思ったからだ。
「そうダナ。忌々しいナ」
「じゃあ、暗いほうが好きなんですね」
基本的に妖怪とかって活動時間が夜みたいだったし、昼間でも暗いところになら出るみたいだから、鬼さんも例外じゃないんだろう。
それなら寝る時に、こんな真っ暗闇にする理由も分かる気がする。
明かりが嫌いなら寝る時には尚更、こうしないときっと眠れないんだわ。
「いや。別段暗いのを好むというワケでは無いがナ」
「え? 好きじゃないんですか?」
驚いて何度か目を瞬くと、鬼さんが身じろいだ。
体に絡む腕が少しきつくなりわたしの体も強張る。
「飽きたカナ」
……飽きた? 今そう言ったの?
飽きたって、なんというか。鬼さんらしいというか。
「そう、なん、ですか……」
相変わらず恐怖は去らないんだけれど、今の発言には呆れてしまう。
明るいのも嫌いで、暗いのは飽きたなんて言ったら、もうどうしようもないんじゃないの?
明るくもないし、暗くもない場所なんてあるかしら。それこそ飽きそうな気がするけれど。
「それなら現世に行ったりとかすれば良いんじゃないですか? 鬼さんくらい強いなら大丈夫でしょうでしょうし、夕方から夜明けまでなら変化があって良いと思いますよ」
猫や狐の妖怪も鬼さんの知り合いにいるみたいだから、彼らに頼ればわざわざ因縁つけてくる妖怪とも会わずに済むと思う。
「イヤ、いらんナ。俺は鈴音と常闇で暮らせれバ、それで良イ」
強く抱きしめられて、引き攣った声が出そうになる。
体中ガチガチになったわたしを鬼さんが両腕で囲い、首筋に口元が寄せられた。




