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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
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六ノ怪

 鬼さんがわたしに大股で近づいてくる。

 正直近寄られた三倍以上の距離を、ダッシュで取りたいくらいだけれど、ここで退いたら一生鬼さんから精神的な意味でも逃げないといけなくなる気がして、わたしは心とは裏腹に、その場に立ち続けた。


「そんな態度で良いのカナ?」


「わたしはこの河童の子の気持ちを、汲んであげたいだけです」


 なおもわたしは真っ直ぐ見返して、鬼の顔を見上げた。

 顔を逸らさないわたしの顔を、鬼さんは少し細めた二つの紅で見下ろしてくる。


「何度も言ったろう? キリが無い、と」


「わたしもつい先までは何も口に出さないと決めて、籠に戻ろうとしていました。でも、こうして頑張って、必死に頭を下げて頼みに来た子を無碍むげになんて出来ません」


 一度深く息を吐いて吊り上がっていたであろう目と眉を下げる。それから、懇願する様に両手を合わせて鬼をまた見上げた。


「わたしからも鬼さん、どうかお願いです。力になってあげて下さい。わたしも出来ることなら手伝いますから」


 鬼さんはまた不機嫌そうに鼻から荒々しく息を吐くと、顎を上げてわたしと河童の子を交互に睨んだ。


 背後からすすり泣く声が聞こえてくる。

 河童の子がとても怯えている様子が見なくても分かるくらい、くぐもった泣き声は悲痛だった。


「ナラ、お前は俺に何を払う?」


「え?」


「俺は言ったろ? タダじゃお前のお遊びには付き合わン、と」


 ニヤリと口端が裂けるくらい深く笑い、意地の悪い表情を見せつけてくる。


「どうする? 俺に何を払う?」


 ニヤニヤと悪鬼の顔でわたしを見て嗤う。

 わたしは背中から這い上がってきた寒気にぶるりと体が震えた。


 払えるものは何もない。

 お金もなければ物もない。一応鬼さんから貰った品物はあるけれど、鬼さんがくれたものを返品するなんて言ったら、絶対に怒るだろうし。


「どうしタ? 払えないのカナ?」


 畳み掛けてくる鬼の言葉に尻込みする。

 払えるものと言ったら、わたし自身しかない。でも、何とかして払わなければ。


 よく考えるんだ。払えるもの。お金や品物以外の何か。

 自分の体はリスクが高すぎるから、最後の手段にしておきたい。


「それなら……」


 呟いて、ちらりと鬼さんを上目遣いで見る。

 鬼さんはニヤニヤ顔をやめて、ひたりとわたしを見返した。


「働いて返します」


「働く?」


 そうだ。お金も品物もダメなら、労働で返せば良い。

 一応一通り、常闇の道具はここ最近である程度なら使い慣れた。簡単な料理や掃除、片付けぐらいなら何とか出来る。


「鬼さんが満足するまで、頑張ります。これでどうでしょう?」


 祈りを込めて両手を合わせてまた懇願する。

 これで蹴られてしまったら、もう考えようがなかった。


 鬼さんは体を少し揺らして身じろぐと、天井を仰いでしばらく逡巡しているのか。そのままの姿勢で固まっていた。


 わたしは背後ですすり泣く声を聞きながら、鬼の言葉を待ち続けた。


 

 どれくらい経ったか。

 鬼さんはおもむろに上げていた顔を戻すと、ひたりとわたしの顔を見つめた。


「働くといってもお前、何が出来るんダ?」


 てっきり直ぐ様却下されるのかと思っていたから、鬼さんの質問は少し意外だった。

 ということは、わたしの出来具合によっては話を聞いてくれるのかしら。


「料理とかお裁縫ならなんとか。あと、掃除とかだって出来ますよ」


 鼻息荒く自信たっぷりに言う。

 いや、まぁ、一人暮らししてたわけじゃないし、料理や掃除もお母さんとか、お姉ちゃんと一緒にしていたから胸張って出来るというのも少し違うけど。


あやかしの料理を作れるのカ?」


「基礎的なことくらいなら、なんとか習いましたから」


 お屋敷から出て行った先で、今は居ない鬼女だった親友のところで簡単なものなら習得した。

 訝しむ鬼さんに強く頷いて、出来る自分を必死にアピールする。


「基礎だけ出来てもナァ。匠程の腕前がなければ話にならン。調理場にいたとしても、足を引っ張るだけカナ」


 それは……確かに。

 妖怪の食べ物じゃなくても、わたしが作れるのは家庭料理の基礎くらいだ。常闇の料理だって、やはり基礎中の基礎しか出来ない。


「え、えっと、だ、だったら! 掃除とかならっ」


 力んで食い下がる。

 掃除なら嫌じゃないし、運動不足のわたしには持ってこいだわ。雑巾絞りだって水拭きだって文句ない。

 

 そんなわたしを鬼さんは呆れた息を吐いて、半眼で見据えてきた。


「お前が屋敷を歩き回れる程、お前を自由にした覚えはナイ。だいたい屋敷内どれだけ広いか分かっているのカ? たかだかひ弱なお前が掃除仕切れるとは思えン」


「じゃ、じゃあ、それなら……その、お裁縫とか……」


「お前に上等な着物が作れるカ?」


 なおも食い下がるが、ここまで言われてしまうと何も言えなくなってしまう。


 確かに鬼さんが持っているもの、過ごしている環境は良いものばかりだ。まさに匠の技やら高価なものを、惜しみなく使っているものばかり。

 到底わたしでは追いつけるレベルではない。


 自分の非力さに落胆と悔しさがこみ上げてくる。

 結局わたしは鬼さんに囲われているしか能がないのだ。なんて役立たずだろう。


 ちらりと背後の河童の子を見やる。

 今は泣き止んでいるが、ひどく落胆していて痛々しい。なんとか力になってあげたいけれど、今のわたしではどうすることも出来ない。


 なんだか自分まで悲しくなってくる。

 わたしにもっと力があれば、助けてあげられるだけの何かがあれば、全ての人とは言わないけれど、こうして目の前の河童の子一人くらいなら助けてあげられるのに。


 わたしもまた落胆して俯く。これ以上はわたしに発言できるものはない。

 ただ河童の子が不憫で、申し訳なくて仕方が無かった。

 ここまで一人で頑張ってきてくれたのに、助けてあげられなくてごめんねと、心の中で謝ることしか出来ない。


 わたしはさらに俯いて、その場に佇んだ。

 何も出来ずどうして良いか分からず、鬼さんの行動をじっと待った。



「……なら、代わりの条件をヤル」


「え?」


 ぼそりと言った鬼の言葉に思わず目を上げる。

 鬼さんは腕を組み直し、やや首を傾げて片眉を上げた。


「一つはお前が俺と同衾どうきんすること。もう一つは俺に按摩あんまする事ダ」


 同衾どうきんって……添い寝の事よね。あまり普段使わない言葉だから一瞬考えてしまった。


 にしても添い寝だなんて。ハッキリ言って嫌の一言に尽きる。

 過去の事を思えば鳥肌が立つだけじゃ済まない。ただ嫌悪感と恐怖心しか湧き出てこない。

 今だって毎日顔合わせるだけでも憂鬱なのに、添い寝なんて考えただけでも胃がキリキリしてくる。


「ナンダ? 出来ないカ?」


 押し黙ったわたしに意地悪い笑みを向けて、ニィっと口端を吊り上げた。

 鬼さんはわたしが了承しないと見込んで提案してきているんだろう。相変わらず嫌な鬼だわ。


 苦虫を潰した顔をしているであろう自分の顔を思い浮かべながら、視線を鬼さんから外す。

 そうすれば、忘れていたすすり泣く声が耳に届いてくる。


 ひたすら続く子供の謝罪の声。

 悲しく痛々しい彼の声に、きつく目を閉じて頭を振った。 


「横になるだけで良いのでしたら」


「……あぁ。勿論カナ」


 ぶっきらぼうに言えば、やや間があってから単調な声が降ってくる。

 

 ただ横になって一緒に寝るだけなら、いや、それだけでも嫌だけれど、何もしないのであればなんとか我慢できる。

 ……寝不足覚悟ではあるだろうけど。


 で、もう一つは……


「あの」


「ナンダ?」


「あんまって、なんですか?」


 聞き慣れない言葉に問えば、鬼さんはふむと唸って、顎を摩った。


「そうだナ。現世の言葉を使うなら……あーっと。アレだ。まっさアじ、という奴カナ」


 一瞬訛りのせいもあって何を言っているのか理解できなかった。

 でも何度も頭の中で言葉を組み替えていけば、マッサージという言葉に辿り着いた。


「そ、それだけで良いんですか?」


 ほかの過酷な労働よりは寧ろ遥かに楽そうではある。

 本当にそんな簡単な事で良いのかしら。


「あぁ構わないカナ」


 なんだかちょっと裏がありそうだけれど。

 マッサージくらいならきっと肩を叩いたり、腰を揉んであげれば文句はないのだろう。

 実際やったことがあるのって小さい頃だけで、今は全く肩叩きとかした事ないけど出来なくは無い。


「それで良いのでしたら、是非お願いします」


「よし。契約成立ダナ」


 そう言うと鬼さんは、わたしの後ろで蹲っている河童の子に近寄り、顔を上げろと声を掛けた。


「今からお前のかしらを呼ぶ。その間、広間で待っていろ」


 鬼さんは廊下へと歩み、わたしとそろりと顔を上げた河童の子を肩越しに見やって、ついて来いと手をひらり動かした。


 わたしと河童の子は一瞬目を合わせた後、それぞれ狼狽うろたえつつも鬼さんの後に続こうと動き出した。




・・・・・・・・・・・・・・・・・




 広間はいくつかの蝋燭と灯篭によって照らされていた。

 鬼さんはお酒を飲み、わたしはその横でお酌をする。


 河童の子はというと、部屋の隅で頭のお皿が乾かないように用意した水差しを傍らに置いて、ちょこんと座布団の上で正座していた。


「お頭さん、怒っていましたか?」


「怒り心頭だったそうダ」


 鬼さんはあの後子鬼に命じて魔鏡を持ってこさせると、それを使って今回のことを河童の長に知らせたようだった。

 どうやら今、急いでこちらに向かっているそうで、その間こうして待つことにしたのだ。


 河童の子は落ち着かない様子で、ひたすらキョロキョロと辺りを見回したと思ったら、手元を一心に見つめたりと不安げだ。


 この子がした事は良い事ではないけれど、あんまり酷く叱ってあげないで欲しいな。 

 友達を思ってのことで、そこに悪意はないのだから。


 待っている間、鬼さんはお酒を呑みつつも時折来る緑の子鬼から巻物を受け取り、うねうねとした文字の川を見ていた。


 鬼さんにしては珍しく色々と働いているみたいね。

 居ない時はどうだか知らないけれど、鬼さんが働いている姿ってあまり見ないから。



 しばらくしてから、広間の襖が開かれた。

 そこに現れたのは、緑の子鬼に連れられて来た老いた河童だった。

 

 顔は怒りで歪み、目はギラギラして鼻息も荒い。

 一度入口で会釈し、鬼さんの前にまで来ると正座して深く頭を下げた。


「この度の無礼。誠に申し訳ございませぬ。あの愚かなわっぱには後で折檻し二度とこのような真似をせぬよう言い聞かせます故、何卒なにとぞお許し下さい」


 皺々の水掻きの付いた両手を揃えて頭を付け、重々しく謝罪を述べる。


 震えてはいないけれど、堅い様子とはまた違ったものを感じた。どこか恐れを抱いているような、ううん、覚悟を決めているような、そんな感じが。


「マ、そうだナ。そのガキの処罰は任せるサ。ただ二度はナイと思え。連れ帰ってサッサと説教でもしてやれば良いカナ」


 老いた河童の緊迫した空気とは裏腹に、鬼さんは世間話でもしているような軽い口調で言った。 


「有り難きお言葉で。温情誠に感謝申し上げます」


 言い終わると同時に、スっと立ち上がる。そして部屋の隅で鬼さんたちのやり取りに縮こまっていた河童の子に近寄ると、一瞬のうちに小さな姿が畳の上に弾き飛んだ。


「お、お頭……」


 薄い水かきの手が押さえた頬は、離れた距離から見ても腫れているのが分かった。それくらい強い力で、河童の子をぶったのだろう。


「この大馬鹿者がっ」


「でもよ、お頭。オラだってあいつ」


 彼が言い終わらないうちに、また老いた河童が腕を振り上げる。また広間を小さな影が飛んで部屋の中央に倒れ込んだ。

 老いた河童は大股でその子に近づくと、綺麗な緑色をした甲羅を踏みつけた。

 その途端に、小さなくちばしから蛙が潰れたような声が上がった。


「あ……っ」


 思わず立ち上がり、制止しようと立ち上がりかけるが、鬼さんに腕を掴まれて阻まれる。

 一瞬、老いた河童の視線が投げられた気がしたけれど、わたしが彼らに視線を戻した時には、どちらもわたしを見ていなかった。


「オイ。折檻なら帰ってやりナ」


 鬼さんが気怠けだるげに老いた河童へ声を掛けた。

 すると蹲って呻いている河童の子を足蹴にして、老いた河童は鬼さんへ深く頭を下げた。


「重ね重ねの無礼、申し訳ございませぬ」


 伏せていた目が大きく見開くと、足元の河童の子を睨み首根っこを掴んだ。


「ではこれにて失礼致します」


 まさに文字通り河童の子を引摺り、子鬼が開けた襖へ入ると頭を下げた。そして子河童にぶつけた怒りとは真逆に、丁寧かつ静かに、襖を閉めたのだった。



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