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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
62/63

三十ノ怪


 目を閉じてわたしなりに彼の、彼らの心の安らぎを祈った。

 もうこれで成仏してくれたら何も思い残すことない。この村から心置きなく行けるというものだ。


「――アリガトウ」


 掛けられた声に驚いて体が動くと、わたしが今握っていた手の感触が柔らかいことに気づいた。


「ドウモ、アリガトウ……ありがとう、ございます」


 握っていた手は冷たいのだけれど、その手は骨のような硬さはなくて確かに柔らかく、横たわるその姿は白装束を着た普通の少年だった。


 これは生前の姿に戻ったの?

 驚くわたしに、何度かお礼を言っていると、掠れていた声も普通の少年らしいあどけない声に変わっていった。 


「これは兄様のお守りでしょうか。……温かい」


 ぎこちない動きで手の平の巾着を握り締め、彼は大きく息を吐いて目を閉じ、少し間があってから瞼をあげた。


「もう既に、何もかもご存知でしょう。我々のこと」


 ちらとわたしに幼い眼差しが向けられる。

 言動とは似つかわないその顔立ちや体に、彼が贄として託されてきたものは、相当重かったんだろうと思えた。

 それは彼だけでなく、捧げられてきた少年達にも言えることなのだろうけれども。


「我々の願いと恨みが生み出した鬼を、知っているのでしょう。貴女を捕らえている……紅い鬼」


「そうだね」


 責任を感じているのだろうか。

 表情はないのに、彼の声には罪悪感と、それでも後悔しきれないものが混ざった言いようのない雰囲気があった。

 

 実際この子達は自分達の敵討ちを地獄のような生活を終わらせる為に、大穴だった鬼さんに願った。

 その結果成仏はできずに、生前と同じ苦しみを相手と共に繰り返す羽目になったのだ。

 しかも今回みたいに他の妖怪に利用されて荒らされたとなれば、心はさらに抉られる思いだっただろう。


「貴女にはとても辛い思いをさせたでしょう。我々が最期に鬼の始末まで考えずに、怨みに囚われてしまったばかりに……」


「ううん。それは違う」


 わたしは直様否定した。

 またギュッと彼の冷たい手を握って、真っ直ぐに空虚な瞳に目を落とした。


「少なくともわたしの場合は、個人的な事で紅い鬼と約束したこともあるから」


 鬼さんとここに残ると約束したのはわたし個人の話だ。それに、鬼さんがもし生れず常闇に存在していなくても、きっと他の鬼が現れていた可能性だって高かった。

 前に蒼い鬼が幽霊とは言え、人を常闇に連れてきたこともあったし、白い夜叉みたいな鬼だって、親友の弟を連れて行こうとしていた。

 

 もしわたしか誰かが鬼に連れ去られる事があるとしたら、あの鬼さんだけの存在のせいではないのだ。


「だからもう心配しないで。今はもうこの退魔の剣もあるし、紅い鬼の真名も知っているから。そう簡単に酷い目になんか遭ったりしないよ。君たちがちゃんと天国に行けるように、両手を合わせる日課も増えたことだしね」


 そう言ってわたしは少しわざとらしく彼に微笑んでみせた。

 安心して欲しいと思ってしたんだけれど、ずっと無表情だった少年は、突然くしゃりと顔を歪ませると、急に片腕を両目の前に置いた。


「すみ、ませんっ……すみません! ほ、本当に、すいませんっ」


「謝ることは何もないでしょ?」


 そっと、嗚咽を堪えながら泣く彼の頭を撫でると、彼は本当に小さな子みたいにわたしの手に顔を寄せて縋り付いた。

 幼い子が母親の手に甘えるような仕草で。


 本当はずっとこうしたかったんだろうな。


 

 黙って啜り泣く少年の頭や背中を撫でていると、不意に辺りに人の気配が漂ってきた。

 目を上げて周りを見渡せば、幼い少年たちや若い女性から年配の女性まで、わたしをぐるりと囲っていた。


「あ……っ」


 思わず小さく悲鳴を上げて立ち上がる。

 蒼白い顔で、皆一様に立ちつくしてわたしを見ている。瞬き一つしないで、真っ直ぐに。


「あ、あの……」 


 戸惑っているわたしに、泣いて横たわっていた少年がゆっくりと起き上がった。そして涙を拭いおもむろに見回すと、ふらりと輪の中に入っていった。

 その先にはずっとわたしを導いていた朔紅童子の子がいて、その隣にわたしに憑いていた女性が寄り添っていた。


「その崇め祀っていた御剣みつるぎは、せめてもの贖罪として貴女様にお渡しします」


 痣も傷もない彼女の顔は綺麗だった。表情はやはり無いのだけれども、どこか柔らかくて、痛みをなくした様子に少しだけわたしはホッとした。 


「見ず知らずの貴女様に我々の生み出した鬼を託すのは、至極遺憾でありながら、この上ない感謝の極みにございます」


 今の声は目の前の女性じゃなかった。

 掠れた声が輪の中から聞こえてきて、そちらを向くと、腰を折ったお婆さんが一人前に出て頭を下げた。


「その退魔の御剣は永く祠の上に祀っていたものです。数多の厄災を退ける為に、古よりあの場に眠っておりました」


「眠って……?」


「誰一人その御剣の御力を引き出した者は、永らくおりませんでした。そしてその御剣もやはり形あるものに変わりなく、永久不滅とは行かないまでも、それでも神器としても変わりはないのです」


「私達の、もう一つの心の支えてあったのです。あの村の者達でさえ、その御剣には手出しできなかったのです」


「え、あ、すいません。そんな大事な物を勝手に持ちだしてしまって」


 そうだ。わたし今まで好き勝手に使っていたけれど、この木の剣は本来この村の人達の大事な物で、わたしの取得物じゃなかったんだった。

 しかも今説明された通り、大事に祀られていたものなのに。かなり使い込んでしまった。


「いえ……その古き御剣が力を貸したのであれば、貴女様の手に渡るのは本望でしょうて。……それに、ずっと暗く寒い水底にいるのでは、御剣もただの木で作られた古い剣。やがて塵と化しましょうぞ」


 改めて退魔の剣を眺める。

 刃や柄に至るまで細かい模様が施され、僅かにまだ温かみを感じる。一見ボロボロに見えるのは、お婆さんの言うとおり、相当な年月を過ごしてきたからなんだろう。


「鬼の傍で過ごすのであるのでしたら、どうぞ持って行って下され」


「厚顔無恥を承知で申します。私たちの、この子等の、朔紅童子達の無念を……どうかお鎮め下さい」


「お願い致します」


 皆「この通りです」と口にして、なんとその場で正座して指をそろえて頭を地面に付けだした。


「へ!? あ、あの、ちょっと! やめて下さい! そんな事しないで下さいよ!」


 慌ててわたしも膝をつくと、お婆さんの側に寄って腕に手を添えた。


「さっきそこの子にも言いましたけれど、わたし個人の問題もあって鬼の傍にいるんです。だから気にしないで下さい。わたしとしては、あの紅い鬼に対抗できるものが手に入ったから、逆にありがたいくらいなんです」


 退魔の剣が貰えるのは本当にわたしにとって嬉しかった。

 自分の力で自分を守り、常闇で生きる力が得られたのも同然なんだ。例え籠の中に戻されたとしても、これがあるのと無いのじゃ今後の生活が全く違ってくる。


「それはそれは……勿体無いお言葉です」


 お婆さんは震えて掠れた声で言ったあと一度顔を上げると、また深く頭を下げた。

 うーん。頭を下げられるのはあんまり気分が良いものじゃないなぁ。気まずくて頬を掻くと、静かに立ち上がった。


「それじゃあ、みなさん立って下さい。……もうここには、居る必要はないんですよね?」 


 少し不安を抱いて訊ねる。これでまだ成仏できないんじゃ、正直帰る気にならないし、帰るしか選択肢がないにしても目覚めが悪い。


「もう自由になれますか?」


 わたしが問うと、今まで張り詰めていた空気が動く気配がした。

 辺りの川から水溜りから。濡れた岩や草木の雫という僅かな水ですら急に柔らかく光り始め、ひと粒ひと粒、ゆっくりと空へ上がり始めた。


「なに……?」


 周りを見渡し目を見開いていると、次第に光る雫の量は増えていき、まるで地上から天へと雨粒が逆に昇っていくような、不思議な光景が広がっていた。


 水が上に上っていく? 

 どうしてこんなことが起きたんだろう。これはどういう事なんだろう。水がどんどん……空へ吸い込まれていく……。まるで文字通り、雨が上がっていくみたいだわ。



「……大穴様」


 お婆さんが呟き、ハッとして背後を振り返った。

 輪が途切れている向こう側から、紅い影がこちらに向かって歩いてくる。


「鬼さん」


 鬼さんは全身真っ赤になりながら、少し息苦しそうに呼吸を繰り返し、眉間に皺を寄せて二つの紅でぐるりと皆を見回した。


「こりゃ~マタ。辛気臭い顔が揃ってるナァ」


 皮肉げに顎と片眉を上げると、わたしの傍らまで歩いてきた。

 途端に血の匂い泥の匂いが鼻を掠める。


「古より開けし、深き大穴から現れました朔紅童子様。我らの悲願を叶えて下さり、またこうして我々集落の者を苦痛の渦から掬い上げて頂きました事を感謝申し上げます」


「……俺がココに来たくて来たと思ってンのカ? コノ大馬鹿者のせいで、こんな詰まらン場所に来るハメになっただけカナ」


 鬼さんが忌々しそうに言うと、大きく舌打ちした。

 まぁ鬼さんからしたら、真名は知られるしわたしが退魔の剣を手に入れちゃうしで散々だったろう。


 ……大きい声じゃ言えないけど、わたしからしたら大収穫だけど。


「お心を悪くされて言葉もございません。……しかし、私達ももう御前に姿を現すこともないでしょう」


 お婆さんが恭しく言うと、鬼さんは鼻を鳴らして「そうだナ」と、ぶっきらぼうに返した。


 気づけば空に続く雨粒の糸が、そこかしこに出来ていた。


 銀色の筋がいくつも暗い空を繋ぎ始めて、光の雫が天へと列をなし滝のように量を増して登り始めていく。

 ポカンと口を開けて眺めていたわたしだったが、自分の足も次第にゆっくりと地面を離れ始めた。


「もうお会いできませんが……どうか、お情けを。無念から恨みから、鬼を生みだしてしまった私達を、それをお預けする我々集落の者共を許して下さい」


 未だに手を合わせて頭を下げる彼女たちを、わたしはすでに浮いて登り始めた場所から見下ろし、退魔の剣を取り出した。


「大丈夫ですよ。もう終わったんです。だから今度は、今度こそは……贄として育てられた子供達と、普通の家族として過ごして下さいね」


 退魔の剣を強く握り締める。

 彼女達が迷わないように、真っ直ぐあの世に逝けますように。どうか送ってあげて下さい。


 強く願った。その瞬間に、足元からまた目が開けられない程の光の壁が迫ってきて、一気に自分を空へと押し上げた。 

 



・・・・・・・・・・・・・・・・



 銀色の真珠のような泡がわたしを包んで、ひたすら上へと連れて行く。激流に踊らされながら二転三転としている内に、目の端に水面が見えてきた。


 やっと水面から顔を出して、大きく息を吸い込む。

 何度も何度も吐いては吸ってを繰り返して周りを見渡すと、さっきまでの騒ぎが嘘のように、夜空の下で静まり返った水面みなもが広がっているだけだった。


「あ、あれ? ……鬼さん?」


 あまりの急な出来事に忘れていた存在を思い出し、慌てて周囲を見渡した。自分が動くたびに静まり返った闇夜に水音が響いた。


「お鬼さん!?」


 叫んだと同時に、真横から鬼さんが豪快に水飛沫を上げながら水面を破った。


「あぁ~~ったく! 二度とゴメンだ! こんっな目に遭うのはァッ!」


 開口一番罵声を上げて、水面を叩いた鬼さんにホッとして体の力が抜けた。


「無事で良かったですね」


「良いワケあるカッ!」


 イライラとして紅をぎらつかせる鬼さんに若干ビビりつつも、安堵から不意に空を見上げた。


「あ……」


 見開いた遠い夜空の向こうに、月はないけれど数多の星空が煌めいていた。そして幾つかの流れ星がすぅーっと長い尾を引いては星空の中へ溶けていくのだ。


「綺麗」 


 じっと眺めているとまた幾つも流れ、終わって、そしてまた新たに星達が夜空の中を泳いで消えていく。

 それが何度も繰り返され、やはり消えていく。


 これは偶然なのか。

 それともあの集落の人達の魂なのか。

 

 銀色に輝く流れ星はわたしと鬼さんの上を通っては、みんな同じ方向へ向かい、静かに宵闇へと沈んでいった。




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