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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
61/63

二十九ノ怪



 真っ直ぐに二つの紅を見続けたあと、わたしは間の抜けた声で「え?」と聞き返した。


「縛りは長く続かン。俺もコノ通りだ。殺るならお前しかないダロウ」


「わたしが……ですか……?」


「ソウダ」


 そんな。

 わたしが魚さんを……殺す? わたしが?

 

 呆然となって魚さんを見る。

 魚さんは体を上下に僅かに動かして、そしてたまに体を捩っては顔をわたしへ向けた。


 一つの銀色の目が、ジッとわたしを見ていた。

 渇望するような、縋るような、でも憎々しい恨みの篭った眼でわたしを一心に見つめていた。


 わたしが……魚さんを……


 握っていた退魔の剣が温かみを増していった。

 まるで剣ですらもわたしに「やれ」とせっついているかのように、熱を帯び始めたのだ。


 わたしが殺すしかないの? この手で?

 あの朔紅童子たちも鬼さんも、この退魔の剣ですら、わたしが魚さんに止めを刺せと言うの?


「鈴音」


 背後から、紅い鬼の声が掛けられた。

 冷や汗が頭から背中から流れて落ちていく。退魔の剣と反して、わたしの頭の芯はスーっと冷えて全身が寒くなっていった。


「お前がソノ退魔の剣を使ってトドメを刺せ。そうすりゃ今回のことは全て片が付く」


 それは、そうだけれど……そうなんだけれど。

 どうしよう。まだ、まだ覚悟が、全然決まらない。決められない。


「ぇ……ぐ……さ、ま」


 苦しげな声が聞こえてくる。もう今にも命が尽きそうなのに、それでも並々ならぬ執念からか、尚もこちらに這ってこようとしている。

 そうすればする程、より血が吹き出し小石の間に赤い線が作られていく。


「魚さん……」


 足元の直ぐ傍まで、赤黒く濡れた銀色の塊が近づくと苦しげにわたしを見上げた。


「……お慕……ぃ……して……だ、から……」


 冷たい吐息が足首にかかる。

 魚さんが這ってきた後を見れば、そこにはやはり同じように赤黒い道が出来ていて、小石も溝も何もかもが赤く黒かった。 


 ゆっくり退魔の剣を握り締める。気づけば息も荒くなり、両手と膝が激しく震えてくる。


 魚さんを倒さないと、これからもどんどん死者が出る。この村だって、ただでさえ苦しんでいるのに更に利用されて苦しめられてしまう。

 鬼さんが動けないなら、わたしがやらなければいけないんだ。


 魚さんはもう動けない。

 でも鬼さんの話だと鏡の力はそんなに長く続かないと聞く。止めを刺すなら、今しかないんだ。


 川男さんを、河童の子を助けたいと初めに言ったのはわたしだ。

 例え他の人たちが鬼さんにお願いしていたとしても、わたしが鬼さんに無理を言い続けてここまで来たんだ。

 

 村の少年たちのことだって、鬼さんの出生のことだって知ってしまった。

 わたしの責任でもあるんだ。ここまで首を突っ込んだのに、わたしだけ手を汚さずに静観なんてしちゃいけないんだ。


 様々な言葉が自分の頭を駆け巡っては、すべき事を決めろと心が訴えてくる。

 ブルブルと震える体を叱咤して強く目を閉じる。口も同様ギュッと閉じて木の柄を両手で掴み、魚さんを見下ろした。


「魚さん……お別れです……」


 強ばった口元から、それだけがなんとか出てきた。

 せめて痛みがないように。苦しまないように、逝って欲しい。


「さようなら」 


 呟いて、退魔の剣を大きく持ち上げた。

 このまま一気に振り下ろせば、きっと魚さんは絶命する。


「さようなら、魚さん」


「――鬼に……心を……許し……たの、ですか」


 思いがけない言葉にビクリと掲げた腕が跳ねた。

 魚さんの荒い吐息に混じって吐き出された掠れた声に、体が硬直する。


「鬼なれば……わた、し……も、鬼……鬼なの、です……」 


「お、鬼……」


「紅い鬼……許すな、ら……私に、なさって……」


 足の先に魚さんの口が近づいてくる。

 わたしは反射的に数歩飛び退いて、魚さんの口から自分の足を離した。


「あん……な、鬼の傍……私な……ら……」


「違う、わたしは許したとか、そんなんじゃなくて。鬼さんを恨んでいないだけ。恨むのをやめただけです」


 話せば自分の声は震えていた。

 こんな状態にも関わらず、どうして魚さんは動けるのだろう。どうしてそんなに、そんな姿になってまでわたしに縋ってくるんだろう。 


「傍に……このぉ……さ、きも……ぐ……ぃる、ので……ぇ……すか」


「それは、約束ですからっ」


 詰まりながら口にすれば、魚さんがまた赤黒い塊を吐いた。何度も咳き込んで、体を震わせた。

 今こうして話をしているのが不思議なくらい、体も頭も無残な状態なのに。今もわたしへと這いつくばって言葉を発っしている。


 わたしが黙って見下ろしていると、魚さんは大きく息を吐いて激しく上下させていた体を静かに地面へ沈み込ませた。


「さ、魚さん?」


 呼びかけていても返事は返ってこない。凝視すればほんの僅かに呼吸しているようで、死んでいるわけではなさそうだった。


 ……こんな状態なら光が弱まっても、魚さんはもう動けないんじゃなないんだろうか。だって、今にも死んでしまいそう。

 誰かが何かをしなくても、このまま永遠に動かなくなりそうに見える。


「オイ鈴音! 何してる!?」 


 罵声が背中にぶつかる。

 ずっと上に剣を上げている格好のまま、鬼さんへと顔だけ振り返る。


「サッサとしろ! いつ結界が崩れるカ分からンぞ!」


「で、でも」


「今ソイツを始末しないとお前もタダじゃ済まン! しかもお前が同情した奴らが、今度はそのバカ魚に喰われる様になるんダゾ!」


「鬼さんでも、魚さんはもう……」


「コノッ……! バカヤロウ!!」


 竜の咆哮にも負けない罵声がわたしの脳天を貫いた。

 思わずよろけて尻餅をついた。


「お前はこの期に及んで、マダ妖のサガが分かっていないようダナ! あの禊の水辺でさえコイツは追ってきたんだゾ!」


 そ、そういえば、そうだった。

 清められた水に痛手の姿で入れば相当苦しむはずだったろうに、魚さんはそれを物ともせずに入って骸骨姿の少年を食べてしまったんだ。


「そのバカ魚はお前を欲してる! 退魔で倒さん限りずっと追ってくるゾ! 死しても怨霊と化して今度こそ手に負えなくなるゾ!」


 ゴクリと喉を重いものが通り過ぎた。

 やっぱり、わたしがこの場でやらなきゃいけないんだ。手を汚しても、十字架を背負う事になっても。


「ぇ……さ……」


 足の甲に冷たい物が乗った。思わずヒュっと息を吸った。

 乗ったそれは濡れていて、柔らかで冷たいものだった。


「どぉ……して……も……殺すの……です……か」


 まだ、動けるんだ。

 わたしは自分を見上げる白銀の瞳を見つめて、ぎこちないながらも僅かに頷いてみせた。


「わた……しぃ、ではっ……駄目なのです……かぁ」


 しんと静まり返る空気の中、しばらく魚さんの目を見つめていた。妖しく光っていた銀の瞳は今や一つだけになり、煌めいているのに焦点は定まっていないようだった。


「魚さん……ごめんなさい。あなたと共には、いられません」


 自然と涙が出た。

 もっと違った形であれば、煙々羅の紫さんみたいに話し相手になれたかもしれないのに。あの常闇で友達になれたかもしれないのに。


「あなたはここで、わたしが……終わりにします」


 魚さんはわたしを友達として欲してはくれなかった。 

 これも鬼さんたちの言う妖怪の性なんだろうか。わたしを所有して、自分の望む形の関係を強いてきた。


 その為に多くの犠牲を払ってまで。

 あんな残忍なことをしてまで。


「あ……あぁ……ああぁあ」


 よく分からない呻き声、または奇声を発して魚さんはその場で蹲った。そしてゴリゴリと小石の山に顔を埋めて、激しく頭から砂利の中に突っ伏して左右に振り始めた。


  発狂してしまったかと思ったけれども、その姿はどこか前に一度見たことがある気がして。

 悔しさと悲しさが混じった、悲痛な慟哭とその姿に常闇に来る前に見た影と重なった。



 もう……終わりにしないと……



 わたしは震えている丸い背中の傍で、自分も膝をついて寄った。

 お願い。せめてひと思いに。苦しみが少ないように。浅慮で身勝手な願いかもしれないけれど、これでこの銀色の鬼を含めたみんなの苦しみが終わるように。

 どうかお願いです。


 ギュっと胸の前で柄を握り締めて、大きく息を吸った。

 そして息を止めて血濡れた白銀に向かって退魔の剣を突き出した。 


 息つく暇もなく、目の前が見えなくなった。

 いきなりだったから、何が起きたのか理解するのにかなりの時間を要した。


 額に焼けるような痛みがして、雨粒みたいな重い雫が頬へと伝う。

 そして自分の腹部に、どろりとした温かい水がとめどなく溢れて、お腹から足へとそれらが流れていく感覚がじわじわと滲んできた。

 

 なに、これ? 口のなか、これは鉄の……。

 え……?


 呆然として固まった。

 口の中に広がる血の味。真っ暗な視界。何も見えず違和感だけが感じられる。


 ズルリと何かがわたしから離れた。

 血の匂いが顔から遠ざかるとゆっくり、視界がまた戻っていく。


 目の前には顔の崩れてしまった、鬼だった魚の妖が一人。

 あの綺麗で鋭かった一本の角も今は無残にも折れて、僅かに残った根元も削れてしまっている。

 それでも嬉しそうに、妖しい一つの銀の瞳は笑っていた。

 

 わたしはゆっくりと、視線を自分の下へと下ろしていった。

 真っ赤に染まった自分の胸と腹部。顎からポトリと、紅い雫が落ちて弾けた。


「え……?」


 手元を見れば、木の地肌は見えなくなっている退魔の剣。

 もう一度魚さんへ顔を向ければ、彼の抉れた体には深い深い、穴が空いていた。


「ゃ……は……り」


 歪んだ口から、深く空いた穴から赤黒い血が止めど無く流れているのに、それでも嬉しそうに彼は原型がほぼない顔を綻ばせてた。


「あた……かぃ……ゃわ……ら、か…………」


 言葉にならない言葉を呟き終える前に、わたしの真横へと彼は倒れた。水の弾ける音がして傍らを見れば、魚さんは大きな水たまりへ半身を沈ませて横たわっていた。


 現実味のない変な感覚に襲われて、不意に自分の足元にある小さな水たまりに目をやった。

 

 そこには額から血を滲ませて、唇を変に赤黒く染めていた自分がいた。そっと口元に手をやれば、ぬるりとした生々しい感触が指を濡らした。


 

 乾いた音がした。手から離れた剣がわたしの体を滑り、小石の上を一度は跳ねると、わたしを写していた水たまりに落ちた。

 落ちた退魔の剣が作った波紋はわたしの顔を消し、その身を汚していた血を水に移して赤く染めた。


 その場に座り込む。

 魚さんに目をやれば、大きな魚の骨の中に小さな人骨が重なるように潰れていた。


「魚さん……銀白露鬼しろがねのしらつゆき


 呼びかけて骸へと近寄ると、わたしが触れる寸前に魚さんの骨は塵となり、霞に変わり、未だピンと張り詰める空気の中へ消えてしまった。


 終わった。

 これで全部終わったんだ。


 


 落ている退魔の剣を見、そして足元に横たわる洞窟で鎮座していた少年の骸を見つめる。

 この子もきっと辛かっただろうに。


 わたしは閉まっておいたお守りが入った巾着を取り出すと、そっとその崩れそうな白い隙間のある手のひらに握らせた。


「あなたも、もういいよ。あなた達の願いが詰まっているあの紅い鬼には、わたしがずっとついているから。わたしが穴を埋め続けるから、もう安心して、自由になって良いよ」 


 固く冷たい骨の感触が自分の手の中に広がる。

 でもそれ以外にも、巾着の温かい柔らかな感触も少しだけ感じることができる。


「もうお仕事は終わり。お役目ももうしなくていい。この村は、辛くて苦しい場所はもう消える。だって紅い鬼はわたしがずっと見張り続けるし、そうしたら朔紅童子は必要ないんだもの」


 そうだ。この子達がここに縛られる理由はもうない。

 ずっと穴が消えても、鬼が去っても、苦しめる人たちが死に絶えても、それに気づかずに過ごしてきたんだ。


「だから気づいて。生贄はもういらない。お姉さんやお婆さんや、他の子達と、ここを離れて。大丈夫だからどうか、どうか安らかに逝ってください」

    

 握り締めた白い手を胸のそばに寄せて強く願った。

 もう充分だから、と。


  



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