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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
59/63

二十七ノ怪


 冷たい大粒な雫が頭から滴り、顎を伝って足元に落ちていく。元々体全体がずぶ濡れなものだから、いくら濡れても今更だったが。

 

 それよりも、今目の前の少年が言った言葉の意味が分からず、何度も目を瞬かせ口を開け閉めして固まっていた。


「…………え?」


 ようやく出た声は、一言、聞き返すものだけだった。


『大穴様が欲しいもの。それは貴女。我々が欲したものだった。……だから今迄……貴女は生きてこられたんだ』


 わたしが、生きてこられた?

 鬼さんじゃなく、わたしが生きてこられたって? それに、鬼さんはともかくとして、この少年達までが欲しがっていたものがわたしだなんて、それはいくら何でも変でしょう。


「あの……どういう意味、ですか? あなたが生きていた頃、わたしは生まれてすらいない」


 まさか予言まで出来るとか言わないよね。もしくはわたしがだれかの生まれ変わりとか。


『大穴様は朔紅童子を取り込むと同時に、贄が抱く欲も呑み込んだ。だから本来、闇より生まれし鬼が抱くことのない欲を孕んだ……呪いのように、染み入った』


 静かな声が、煩い豪雨の音をかき消していく。

 わたしは食い入るように彼を見つめて、まだ何を言いたいのか分からないと目で訴えた。


『我々が欲したのは……温かみだろう……親兄弟、肉親の、親しい間柄の温もりを……』


 ポツポツと呟いて、それがとても悲しく寂しそうなものだった。

 ……そうだ。彼も朔紅童子として育てられてきたんだ。


 ほんの少ししかその生活は垣間見れなかったけれど、それが本来の年相応な健康的な生活じゃなく、ずっと生贄としての使命を押し付けられて生きてきたように感じられた。

 そこに親愛の情とやらは無かったんだろう。 


 閉塞的な空間の中では誰にも甘えられず、大人や友達からの愛情は受けられなかったんだ。


「あなたは寂しかった? その、今まで大人の人達とか友達とかと、楽しく暮らした事は一度もないの?」


 わたしの問いに、重い静寂が返ってきた。


『鬼は……欲している……温かみを。妖でありながら、恋しき想いを欲している……朔紅童子を取り込んだばかりに……』


 忽然、彼の姿が消えた。

 あまりにも前触れもなく消えてしまったから、わたしは耳に残った彼の声と言葉にしばらく動くのを忘れてしまった。


 叩きつける雨音を遠くに聞こえながら、わたしは彼が今さっきいた場所を見つめて呆然としていた。


 鬼さんがわたしを傍に置きたがるのはこれだったんだ。

 彼ら少年達が普通の生活を、普通の人生を送れば得られていた家庭の愛情とか、友達との友情を欲しがっていて、そのささやかな願いも一緒に呑み込んだせいなんだ。


 鬼さんはわたしに、そういったものを求めていたんだ。


 わたしは、なんというか、なんだかひどく複雑な感情を抱いた。

 同情とも違うし、少年の言う哀れとも違う。ガッカリとも違うし、安堵とも違う。嬉しくもなければ辛くもない。

 

 ……とにかく複雑だったのだ。


 


 どれくらい突っ立ていたのか分からないけれど、大きな雨粒が右目に落ちてきた時、わたしは我に返った。

 

 そうだ、ボケっとしている場合じゃなかった!


 わたしは慌ててお社の木の階段を駆け上がって中に転がり込んだ。

 お社の中は湿気が充満してかび臭かった。ひんやりとした空気がわたしが今入ってきたドアへと流れていく。


 すぐ真正面に鏡は鎮座していた。

 どこにも汚れは無く、ヒビも入っていない。古くはあるけれど手入れは充分にされているようで、溜まった埃はあるものの、その他に目立って荒れたものはなかった。


 鞘から退魔の木剣を抜く。

 ぼんやり光るそれは暗い室内を照らして、丸い鏡が光を反射した。


 ふぅと息を深く吐いて顔や腕の雨粒を払う。そして今までと同じように、短剣を鏡の前に掲げて祈った。

 鏡はすぐに光った。顔や体にもろに強い光が射してきて、真夜中にいきなり太陽の前に放り出されたような気分になった。

 

 すごい強い光。

 今までとは比べ物にならない。


 短剣を握り締めたまま両手で顔を庇い、お社を出た。陽の光は嫌いじゃないけれど、あまりにも強いとわたしでもかなり辛い。

 これなら鬼さんたち妖怪が嫌がるのも頷ける。


 足を下ろすたびにギッと音を立てる階段を下りながら、土砂降りの雨の中に出た。

 最後のお社はどこにあるんだろう。少年は……


 辺りを目を細めて滑らせるが誰の影もない。

 彼はどこかに行ってしまったのか。


 誰も頼れないなら今度こそ自力で何とかするしかない。まずは元来た場所に戻って周辺をよく見る他はない。



 短い草が生い茂る地面に足を踏みしめてお社を背後に歩き出した。

 その時、急に体が抱きすくめられ、背中に誰かの体が当たった。


「な、なに!?」


 悲鳴を上げて振り返ろうと体を捩るが、拘束は解かれず動けない。

 一体、誰!? ま、まさか魚さんなんてことは?!


『陽の匂いがする』


「え? えっ?!」


 裏返った、随分間の抜けた声が自分の口から上がった。

 今の声は消えた少年だ。間違いない。でもなんだってこんな事しているんだろう? 何の意味があって?


「放して! 何するの!?」


『鬼の匂いに混じって、陽の匂いがする……』


「それが何!?」


『妖の気に、陽の香り……相容れない物が、貴女から感じられる』


 耳元に冷たい吐息が掛かった。

 まるで幽霊が耳元で囁いているような、冷気と寒気と恐ろしさが混ざった息だった。


「どうでもいいけど、放してよ! 急がなきゃいけないって言ってるでしょ! 抱きつくのも普通に考えて、おかしなことって分からないの!?」


 こんな緊急事態に痴漢みたいなことをされる覚えはない。

 少年がどんな気持ちを抱えているのか察するところはあるけれど、だからってこんなことしていい理由にはならないはずだ。


「ふざけないで放して!」


『優しく柔らかく、温かい……妖の気を纏うおかげで、命亡きものでも触れることが出来る……大穴様が欲するわけだ』


「あの、ちょっと!」


 また抗議と抵抗するために体に力を入れようとしたら、グッとまた強く腕に締め上げられた。うぅっと自分の口から呻き声が漏れる。

 

『何故……大穴様なのだろう……』


 小さな声に、わたしは動きを止めた。

 彼の声が、泣いていたからだ。


『我々だって……己も、あの幼子達も、先々の朔紅童子たちも……皆得られず胸に秘め、殺してきた願いなのに……』


 悲痛な声が背中越しに伝わってくる。

 冷たいはずの背中は、どうしてだか彼の落とす雫だけは温かかった。


『何故、何故、大穴様に限って……得られたのだろう……我々はどうして……得られなかったのだろう……』


 わたしは押し黙った。言葉が見つからなかった。


『何故、鬼を殺さない? 酷い目に遭わされたのだろうに、何故? 鬼を殺せば帰れるというのに……解き放たれるのに』


「あなたは……朔紅童子は、鬼さんが羨ましいんだね。だから殺して欲しいと、わたしに言ったんだね」


 鬼さんを殺せば自分たちはやっと自由になれるというような事を、彼は以前言っていた。 

 でもそれはきっと、鬼さんに嫉妬していたからだ。


 自分たちが受けられなかった愛情を、鬼さんが受けているかもしれないという事実が許せないんだ。

 だから鬼さんの存在が邪魔なんだ。


 村の惨劇が繰り返されるのは、別に鬼さんの生死に関係ない。

 そして彼ら朔紅童子達が成仏できないのは、今まで生贄になり続けた彼ら自身の怨恨のせいだ。


「今わたしと鬼さんがしているのは、退魔の術で、いえ、退魔の術なんです。これがうまくいけば銀の妖も動きを止められるし、村の人たちを苦しめている怨霊も消すことが出来ると思うんです」


 自分の仮説が正しいかはともかく、退魔の術が完成すればこの悪い邪気だらけの村は祓う事が出来るはずだ。


 なんせ『退魔』というだけあるのだから、怨霊だって浄化するなり追い払うことが出来ると思う。虐げられてきた人たちは、別に怨霊なんかじゃないんだから、術が成功すれば成仏できるのだろうし。


「五つのお社を無事に結べば退魔の術が完成して、きっとこの村は救われます。村の人たちもあなた達朔紅童子も、きっと解放されるんです」


 わたしがそう言うと、強ばっていた腕がふっと僅かに緩んだ。でもすぐにまた締めつけが強くなり、唸るような、人の声が幾重にも重なった声が聞こえてきた。


『鬼の、大穴様のお言葉だと? その退魔の術とは』


「そう」


『何故妖である大穴様が、その術を知っている?』


「それは多分……長生きしているからじゃないですか? 術に関しては色々知っているみたいですから。自分の痛手になるものなら、尚更知っていると思いますし、陰陽師とかそういった人達とも何度か戦ったことがあるみたいですから」

 

 な、なんだか自分が言っていて信憑性がガンガン目減りしていくな。だってほとんど「多分」とか「きっと」だとか、「みたい」なんて表現ばかりなんだもん。


『妖の言う事を信じると?』


 冷め切った声が返される。

 わたしの説明が、やっぱり納得するには不十分なんだろう。こんなあやふやな話ではそりゃあ、冷たく言われても仕方ない。


 なら、わたしの出来る限りの説得力のある事を言うしかない。


「わたしも鬼さんの酷さはよく知って言います。でも、あの紅い鬼は極悪非道で最低最悪な陰険酒飲み馬鹿ですけれど、なぜか約束だけは守るんです」


『約束、を……?』


「はい。理由は分かりません。でもどうしてだか、過去一度も約束をして破ったことはないんです」

 

 今度は事実を言ったおかげか、大変説得力があったようで、わたしを拘束する冷たい腕が再度少し緩んだ。


「鬼さんはこの村というより、今は銀の妖怪を倒すことしか頭にないみたいです。けれど、わたしは出来るなら、この村を助けてあげたい」


『……この村を?』


「はい」


『……我々、朔紅童子は』


「勿論あなた達も助けてあげたい」


 言葉を遮った形になってしまったが、彼は特に気分を害した様子もなく、完全に腕の力を弱めていった。


『手を合わせてくれるの? 我々に? 贄としてでなく』


 縋るような幼さの混じった何人もの声が、重なってわたしに背後から絡み付いてくる。

 まるで常闇の白い骸骨によく似ていた。

 縋り付いて、懇願して、足元にしがみついてくるような、恐ろしい中に悲しさが滲んだ声。


「あなた達、一人一人。きちんとした人として、手を合わせて苦しさが消えるのなら、そうしたいです」 


 わたしが言うと、するりと腕がわたしから離れた。

 ゆっくり振り返ると、少年はやや離れた所に立っていて、どこか疲れた表情を浮かばせていた。


『この周辺にある社は……我々朔紅童子の墓。……中身のない、形ばかりの墓』 


「え?」


『奴らに見つからぬようひっそり立てても、大事にされることは難しく、しかし祟りを恐れて、せいぜい野放しにする事しか出来なかったみたいだ』


 そうなんだ。そう言えば急いでいてあまり気に留めてなかったけれど、移動している間に小さな石とか木で出来ている屋根付きの箱が、道端や家の裏にあるのはいくつか見かけていた。


 あれもお社と言えるのか微妙だけれど、目立たないようにすると考えれば、あんなに小さく作っているのは納得がいく。


「他のはともかく、ここのは立派ね」


 少年の肩ごしに見える内側から光るお社は、年月のせいでボロボロになっているとはいえ、それ以外はとても綺麗で整頓されていた。


『ここは我々の親族が近く、上の奴らからは遠く分かりづらい場所。……贄に差し出した親達はここに来て、毎日子が務めを果たすよう祈っていたそうだ』


 悲しんだ親はいなかったのかな。

 そんな事を思うけど、彼の冷めた横顔を見ると、何となく口に出せなかった。

 

 集落の女性がわたしに憑いていた時、捕まった女性たちの言動を思い起こすと、どうも集落の人々も少年たちをひとりの人間として扱っていなかったように感じた。

 

 人柱にするとか、贄になるんだとか。

 そう考えると少年たちはさぞ、寂しい以上に悲しい思いをしただろう。もしかすると、心のどこかで集落の大人たちに対しても恨む心があったのかもしれない。


 ……自分自身が、認められないだけで。

 彼らは様々なすべてを、恨んでいたのかもしれない。



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