二十六ノ怪
滑りやすく足場の悪い屋根の上を渡り歩く。
家そのものは水没していて、全て屋根だけが乱れる水面から見えるだけとなっている。
お社って屋根の上なんかにあるのかな。
不安に思いながら屋根を伝っていくと、一つだけニ階建ての建物が目に入った。
木で出来たそれは壁が半分壊れていて、中が丸見えになっている。視界を邪魔する雨粒を腕で拭うと、中に古ぼけたお社が見えた。
あれが鬼さんが言っていた二つ目かな。
ギシギシと不穏な音を立てる斜めの屋根を四つん這いで上り、ようやく壊れた壁まで到達した。
このお社も半分崩れかかっている。
中に入ってよく見ると、崩れた壁と同じようにお社の端が腐りかけていて、カビが生えていた。
これは年月が経っているせいでこうなったんだろうか。それに全体的に見ても埃が酷くて手入れもされていないみたい。
今見ている建物は過去のものなのか、それとも現在の物なのか定では無い。
でも以前、魚さんはこの村は既に災害で水に沈んだと匂わせる事を言っていたから、今見て触れている建物は、全て過去の姿が反映されている物なのかもしれない。
どうか魚さんが鎮まるまでもって下さい。
祈るような気持ちで両手を合わせてから、ゆっくりと、壊れそうな観音扉を開く。
キィと悲しげな音を立てて扉が開けば、そこにもヒビ割れて、煤けた鏡が収まっていた。
鞘から出した退魔の剣をかざす。
剣の弱い光が一瞬にして閃光に変わり、鏡へ向かって放たれた。太陽を直視してしまったかのような眩しさに目が痛む。
視界をかばう手の隙間から目を細めて鏡を見てみれば、本当に丸い太陽のように、力強く光を放っていた。
さっきはすぐ移動しちゃったから見えなかったけれど、改めて見ると凄い光。お日様そのものだわ。
よし。ここはもう良いよね。そしたら早く次に行かないと。
外へ出て、また屋根を伝って道なき道を戻る。
鬼さんどうしてるかな。無事だと良いんだけど。……それにしても魚さん、本当に怪物みたいになってる。もう話しすら出来ない状態なのかな。
今更話が出来た所で何かが変わる訳ではないのだけれど、段々狂気に変わって人格が破綻していく様を見るのは居た堪れなかった。
初めて常闇に来た時はとても親切にしてくれた。
鬼さんにビクビクしつつも、わたしを助けてくれたし、労りがそこにはあった。たとえそこに私欲があったとしても、だ。
だから余計に、サイコロの件は悲しかった。
勿論、魚さんは妖怪で、根本的にわたしとは考えや感覚が違うのは仕方がないにしても、あの足元から崩れていくような絶望感は忘れられない。
そして折角また会えた今回、魚さんが騒動の張本人ときた。
わたし個人だけの問題じゃなくて、多くの命の問題にまで発展してしまった。
もう反省して許せる話ではないのだ。
……わたしは今している事の重大さは分かっているつもりではいる。
でも、この行動が魚さんを消してしまうものだと思うと、どうしても足取りが重くなるのも事実だ。
何度も繰り返してきた「許されないことをした妖怪」という呪文を頭で唱え続けても、自分も魚さんの死刑執行に判を押したみたいな重圧感に潰されそうになった。
いや、押したみたいではなく、実際執行する手助けをしている、と言ったほうが正確なんだろうけど……
やだな。余計に気分が悪くなってきた。
頭から背筋に冷たいものが落ち、喉が締められるような感覚を抱きながら、わたしはひたすら先を急いだ。
元の場所へ戻るとそこには鬼さんも魚さんもいなかった。
粉々になった木片があちこち水面を漂っているだけで、誰の影も無かった。
「どこに行っちゃったんだろう……」
鬼さんがそう簡単に倒れるとは思えないけれど、今の魚さんとこの足場だ。不利すぎる。
それに次のお社にもどうやって行けば良いのか、わたしじゃ分からない。
困った。どこかこの近くにそれっぽい物は無いかな。……あ、でも星型にならないといけないから、闇雲にお社を探しても意味が無いか。
辺りを見渡してもやっぱり視界の悪さもあって、二人の行方が分かる物が無い。
ここで立っていても仕方ない。とにかく歩けそうな場所を探さないと。そう思って振り向くと、一つの影があった。
「あなたは……」
叩きつける雨の中。屋根の上に一人、今は霞んでしまった姿をした少年が佇んでいた。
わたしが目を見開いて近づこうとすると、そっとある方向を指さした。
自然とそちらに目をやると、そこに今見たはずの少年が立っていたのだ。
「え?!」
驚いて向こうの屋根を見るけど、そこには誰もいなかった。
もう一度視線を戻すと、少年はわたしに『おいで』と手招きして無表情な顔を向けていた。
もしかして次のお社に案内してくれるのかも。
少年の後を追おうとわたしはまた屋根に上り、そこから近くの崖へと飛び移った。
幸いにも助走もいらない程の距離だったおかげで、転びはしたものの、無事崖の上に移動出来た。
崖から離れて先へ進むと、少年がすぐ目の前に現れて立っていた。
「この近くにお社があるの?」
『貴女から鬼の匂いがする』
声を掛けたわたしに、間髪いれずに少年はそう言った。
鬼さんと会話しようとした時みたいに、互いに大声で離さないと聞こえないはずなのに、少年の独り言の様な呟きは良く聞こえたのだ。
「……え?」
『鬼に心を許してはならない』
眉を寄せたわたしに、少年は腕を上げて指をさす。
思わずその先を見ると、先程と同様に少年はその先に立っていて、近くにいた彼は消えていた。
今の声……。それに今の言い方って、なんだか怒ってる?
戸惑いつつも少年の姿を追う。
地面はぬかるんでいて、足元は元々酷かった状態が更に酷く泥だらけになった。
「ねぇさっきのって、どういう意味?」
声を張り上げながらぬかるみを抜けると芝生の上に出た。歩きやすくなったところでわたしは彼に駆け寄った。
「鬼に心を許すなって、それって鬼さんの、紅い鬼の事?」
『妖は相容れない。……本来関わってはいけない存在』
「でもあの紅い鬼はあなた達の願いを叶えたし、約束は守ってくれます。わたしが傍に居続ければきっとこれ以上酷い事はしないと思う」
目の前に来て、何度も腕で顔を伝う雨を拭うと、どこか軽蔑した冷たい視線が注がれているのに気づいた。
黙って見返せば、彼は背中を向けてまた指をさした。
その先は深い森だ。
鬱蒼としている。
ちらと傍らを見ると当然の様に少年はおらず、森に目を向ければ木々の間に彼の姿があった。
わたしが鬼さんを倒そうとしないから怒っているのかな。
でもそれって、いくら何でも強引すぎるんじゃないの? 自分達の願いは叶えて貰っておいて、後は妖怪だからって居なくなれだなんて。
そりゃ鬼さんは散々悪い事をしてきたんだろうから、そこら辺はしょうがないと思うけれど。
大きく息を吸って吐きだすと、わたしは何度も雨粒から視界を確保しようと目を瞬かせた。
足を動かして少年が佇む森へ進んでいく。
でも、もしかしたら、この少年は自分たちが願ってしまったが為に、鬼を生み出してしまったことを後悔しているのかもしれない。
自分たちが大穴に(要するに鬼さんのことだけど)願わなければ、鬼さんの手にかかった被害者は出なかったわけなんだし。
実際わたしやみっちゃんや、元同級生は常闇に連れてこられはしなかったし、お姉ちゃんは夢とは言え辛い目には遭わなかったんだから。
……そう考えると、彼の言い分も分からなくはない。
きっと過去の被害はわたし達が初めてではない事だって、今までの鬼さんの言動から窺える。
そうこう考えているうちに、また少年の前までたどり着いた。
足元は相変わらずぬかるんで良いとは言い難いけれど、坂や崖じゃないのを考えると、辿り着くのに苦労はしなかった。
「お社は?」
わたしが問いかけると同時に、無表情彼の指が上がった。
その先に目を向ければ、大木の根元に小ぢんまりとしたお社があった。
こちらのお社は多少手入れがされてあるのか、遠目からとは言え、古くはあるけれど損傷は見当たらなかった。
「ありがとう」
お礼を言いつつ三つ目のお社へ駆け寄った。
両手を合わせてから軽く頭を下げて、扉を両手で開ける。中には汚れは付いているものの、割れていない鏡が一枚収められていた。
「どうか、お願いします」
鞘から抜いた木の短剣を掲げて祈る。少し間があってから鏡は汚れを散らし、眩しい光を放った。
目を閉じていても、瞼の上から強い光が当たって痛い。すぐに背を向けてお社から離れた。
「えっと、次は……」
辺りを見回して少年を探した。
鬼さんたちがどうなっているのか気になるけど、早く次のお社に行かないと、
『こっち』
また耳元で囁かれる。思わず耳に手を当てて振り返った。
何度も同じことをされているのに同じ反応をしてしまうのは、どうしてなんだろう。疲れを感じながら自分の間抜けっぷりに呆れていると、森の奥にぼんやりとした影を見つけた。
次は四つ目か。残るは後二つだ。
これが完成したら、とりあえずは魚さんの動きは止めることが出来る。
クタクタで足が重く感じる。幸いにも草が生い茂る地面に入れば、体力の消耗も随分減った。ぬかるんだ道は転ばないように神経を尖らせるぶん、疲れも倍増だった。
少年の影が大きくなるにつれ、その背後に大きなお社が見えてきた。
今までのものとは別物で、装飾も施されて立派だ。瓦は何枚か落ちてはいるけれど、屋根は落ちている様子は外からは見当たらない。
「ここが四つ目ね」
独りでに零れた言葉を口にしながら歩を進める。
ちょうど少年はお社の真正面に立っているので、自然と扉の前に陣取っている形になっていた。
「ありがとう」
お礼を言って進もうとするが、少年はどかなかった。
わたしの顔は恐らく露骨に怪訝な表情を浮かべただろう。でも無表情な中にも冷たさを湛えた彼は、眉一つ動かさないで立っていた。
「あの……そこ、通ってもいい、ですか?」
焦れているのもあってかなり間近で、文字通り目と鼻の先にまで寄って言ったが、それでも少年はどかなかった。
「急いでいるんだけど」
『あの紅い鬼を殺さないの?』
強い口調で言おうとした矢先、それ以上に重苦しい空気をまとった声が返ってきた。
凄みというか、気迫のようなものを感じて、わたしは思わず彼から距離をとった。
『あの鬼は……欲を、満ちるものを欲している……』
そう言って、底の見えない井戸の中をした目でわたしをひたと見た。
やっぱり少年は鬼さんに対して色々思う事があるのだろう。でも、今は聞いてあげる時間は無い。
「だから朔紅童子、あなた達が言う大穴様が、今ここを荒らしている銀色の妖怪を止めようと必死に動いているんです! だから早くそのお社に入って、鏡に退魔の力を分けないと」
『欲深い鬼であるんだ……欲深い……哀れな鬼』
「哀れ?」
この表現はちょっと意外だった。
少年は少なくとも鬼さんに感謝しつつも、嫌悪している節があった。同情しているようには感じなかった。
早口に捲し立てたわたしだったが、彼の言葉に引っ掛かりを覚えて、次の言葉を待っていた。
『欲を満たす為に……穴から出た、鬼……。哀れな鬼。永劫渇きを潤すこと無く、藻掻き続けている……これからも、この先も……ずっと』
「えーっと、わたしが見たところ、鬼さんは結構楽しんで生活を送っていると思いますよ? お酒ガブガブ呑んで喜んでるし」
実際トラブルが起きない限りは、よっぽどの事がない限りは、鬼さんはネチネチ思い悩むような性格ではない。
その場で怒り爆発して、それで後腐れなく終わり、という事が大半だ。
『大穴様は、我々朔紅童子が生み出した鬼……あの鬼が何を深く欲しているのか、よく分かる』
スッと地面を滑るように彼は横へ移動すると、わたしに道を開けた。
『だから今迄生きてこられたのだろう……また哀れなことに……』
「生きてこられた? 鬼さんは何を欲しがっていたんですか? 何かを欲しがっていたことによって、今まで死なずに済んできたっていうことですか?」
急がなきゃいけないのは頭で分かっているんだけれど、わたしは気になって気になって。お社に近寄りながらも彼に尋ねた。
『そう……大穴様が、我々が欲っしたもの……それは』
冷たい、切ない眼差しが真っ直ぐわたしに向けられる。
『アナタだ』




