二十五ノ怪
雨は相変わらず強い。雷は最初の頃より酷くなっている。
こんな最悪な天候よりも、わたしはこれから対峙する銀色の影に頭を占められていた。
鬼さんはわたしを背負いながら、滑りやすい地面や岩を次々に走り飛び抜けて行く。
魚さんを鎮めるにはどうすればいいんだろう。
最悪鬼さんが望むような形で、ようは殺してしまう他無いのかもしれない。
今更魚さんが絶対に生きていなくちゃ嫌だなんて言わない。けれど心のどこかでは、出来れば違う方法で何とかしたいと思ってしまう自分がいる。
きちんと生きて、償ってほしい。
鬼さんが殺してそれでおしまいっていうのは、何だか違うと思う。
あぁでも。だけれども。
河童や川男さんや、他の妖怪たちの事も考えると、わたしが生かしておいて欲しいというのは彼らの無念を踏みにじる行為になる。
そう考えれば結局、また嫌な結論へと戻っていくのだ。
一度は仕方ないと目を閉じたことなのに。
どうしてわたしはこうも優柔不断なんだろうか。
「鈴音、俺ガ教えた策は覚えているカ?」
「はい」
雷雨のせいで鬼さんの声がどこか遠くに聞こえる。
わたしは顔を伝う雨水を腕で払い除けながらしっかりと返事をした。
・・・・・・・・・・・・・・
穴から出る数分くらい前、焚火にあたりながら鬼さんはわたしに説明をすると言って手招きした。
「色々考えたところ、この方法でヤるのが一番かと思ってナ。……あまり気乗りはしないンだが、アイツを縛りあげるにはコレが確実カナ」
「そんな方法あるんですか?」
鬼さんの傍へ寄って話に耳を傾ける。
あんな狂った状態の魚さんを縛り上げる方法って、一体何だろう。
「俺にとっちゃカナリ痛手も追うかもしれンが、マァ仕方ない」
そう言って鬼さんは焚火の中から一本、まだしっかりした枝を取り出して土の上に何か書きだした。
「コノ辺りは大小異なる社が幾つもあってナ、まずおれがソコらまで駆けて回っていく。次にお前がソノ社に退魔の剣を使って退魔の力を分けるんダ」
「退魔の力を分ける? そんなこと、わたしやった事ないんですけれど……」
「イヤ出来るサ。あのガキ共の思念がどうやらソイツに混じっているようダ。お前に力を貸すダロウヨ」
そんな都合良く行くものなのかな。
不安に渋い顔をするも、鬼さんが話を続けて良いかと声を掛けて来た為、慌てて下げた目を上げて頷く。
「各場所に点在する社を使って桔梗型の陣を描く。丁度そうダナ、こんな感じでダ」
そう言って書き終えたばかりのこの辺りの簡易図の上に、そこらへんに落ちていた小石を置いて、それを小枝を使って線をひいて繋いだ。
全ての小石を線で結び終えると、綺麗な星の形になった。
「こんな綺麗に形になるんですね。凄い……。あ、もしかして、お社はこうなる様に建てられていたんですか?」
「いンや。今は分かりやすくする為にあえて必要な数だけ置いたガ、実際にはあちこち馬鹿みたいに社が乱雑に置いてあるだけカナ」
うーん。だとしたら何の為に置いたんだろう。しかも乱雑にってことは大切にしている訳ではないようだし……余計に不思議だ。
まぁでも、今は関係が無い様だから置いておこう。
「ただナ、この方法はその桔梗の中に魚が居ないと意味を成さン。しかも桔梗になる様、社が残っていないといけないカナ」
「桔梗の形」
桔梗って花の事だよね。でもどっちかって言うと花の形よりも、星の形にしか見えない。
鬼さんって星のマークを知らないのかな。
「鬼さんこれって星形っていうじゃないんですか? こう、一筆書き出来る」
そういってわたしも指で地面に五芒星を描いてみる。
ホラー映画とか推理小説なんかにでも、たまに出てくるマークだ。知らない人はあまりいないと思うけど、妖怪の鬼さんは知らないのかも。
「んん? 桔梗紋ダロ?」
「桔梗って花の事ですよね」
「だから五角の形をしてるダロ」
コイツ何言ってんだ、というような顔を向けられてわたしは口を閉じた。
これが花の形には到底見えないけれど、今はこの議論をしている場合じゃない。
もし生きてお屋敷に戻れる事があったら、それでまだ気になるようならこの話の続きでもしてみようかな。
「あぁ、じゃあ、はい。分かりました。とにかくこれを結ぶように、お社に退魔の剣の力を分けていけば良いんですね」
「そういう事カナ」
改めて鬼さんが描いた地面の図を見つめる。
これを使って、何としてでも魚さんの動きを止めるんだ。
祈りを込めるように、わたしは鞘に収まった退魔の剣を握り締めた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「鈴音」
激しく打ち付ける雨音に混じって鬼さんの声がした。
鬼さんの耳の傍で聞こえるように返事すれば、鬼さんが僅かに振り向いた。
「縛りが成功したらすぐに俺がアノ魚を弱らせる。ソコでお前がソノ剣でトドメをサせ」
「え!? わたしがですか!」
「ソイツなら確実ダ。まさに跡形も残らないダロウヨ」
わ、わたしが魚さんを殺すの?
帯の間にある革の鞘を意識する。
わたしにとってはただの飾りが掘られた木刀で、致死の力はない。
でも、鬼さん達妖怪にとってはそれだけ威力が強いんだ。
「出来そうに無いカ?」
「それは……」
「出来ンならそんな役に立たン物なんぞ捨てちまいナ」
突き放した言葉に思わず口ごもる。
ここまで来てわたしはまだ決めかねていた。魚さんがしてきた事は最悪で、どんな同情できる事情があったとしても許される事ではない。
でもいざ自分がその手を掛ける事になるんじゃないかと思うと、正直覚悟が決まらなかった。
考えていないわけじゃなかった。
鬼さんじゃなくて、自分が魚さんの命を奪わないといけなくなるかもしれないって。頭のどこかに、あるにはあった。
「ドウダ? ヤれソウカ?」
畳み掛ける声に口を開け閉めしていたけれど、わたしは顎を引いて目を閉じる。
「魚さんの前に出る時までには……決めておきます」
実際の所は決めてないけれど、今はこう答えるしかない。
鬼さんが特別に持たせてくれることを許可してくれた退魔の剣。これを使って魚さんを止めなきゃいけないんだ。
それを自分に言い聞かせて、その時が来るまで決めておかないと。
また大きく雷鳴が轟いた。
バケツをひっくり返すなんてものじゃない。大嵐だ。
風も強くて、時折突風がわたし達を吹き飛ばそうとしてくるけれど、鬼さんが踏ん張って何とか持ち堪えてくれている。
「マズ、一つ目ダ」
鬼さんの声が背中越しに伝わってきた。
視界最悪の中で目を凝らせば、今にも崩れ落ちそうなお社が、激しい水飛沫に晒されて佇んでいた。
「社の中にソレを納めナ」
お社の目の前に来ると、わたしは鬼さんの背中から降りた。
足が地面に付くとそこは石畳で、流れる汚泥が強く足を押してくる。気をつけないと滑って転びそうだ。
「えっと扉を開けて……」
鬼さんに腕を掴んでもらいながら、お社の小さな観音扉を開けた。
中にはひびが入った丸い小さな鏡があった。表面は曇っていて何も映さず、かなりの年月の間、誰にも手入れされていないのが窺えた。
「鏡に剣を近づければ良いんですか?」
鬼さんに大声で問えば、鬼さんはなぜか思い切り身体ごとそっぽを向いて顔を逸らしていた。
その様子に眉を寄せながら仕方ないと帯に挟めておいた鞘から、木刀を抜き取った。
「……少しだけ、光ってる?」
木刀に掘られた不思議な模様が僅かにゆらりと光っていた。
それを一度まじまじと眺めて、わたしはお社の中に納められている鏡を見た。
この鏡の前に、剣をかざせば良いのかな。
恐る恐るお社の中に退魔の剣を握り締めながら手を入れる。何が起きるのか、それとも何も起きないのか。
激しくなる鼓動が雨音よりも強く感じた時、不意に鏡が光った。
「うわっ……!?」
目に飛び込んできた鋭い光と、その直後に体が浮いたのに驚いて、わたしは思わず悲鳴を上げていた。
少し間があってから目がやっと開けるようになると、気づけばわたしは鬼さんに抱えられて、例のお社から少し離れた岩場の上にいた。
「な、何があったんで」
「予想通りって事カナ」
まだ軽くパニックになっているわたしに、鬼さんが少し不機嫌そうに呟いた。
首をめぐらしてお社を良く見れば、お社は内側から眩しいほど光を発して輝いていた。
「さっさと次イクぞ」
言われたと同時に背中に担ぎ上げられて、何かを言わせてもらう間もなく地面が遠のく。
鬼さんにとってはあの光は毒になるんだろう。
わたしが瘴気で具合が悪くなる様に、鬼さんもあの光に当てられると良くないんだ。
そう考えれば鬼さんがお社に退魔の剣を近づけようとした時に、身体を逸らす程そっぽを向いていたのも頷ける。今だってすぐ次へと駆けだしているのだから。
濁流が酷くなっている。まるで生き物みたい。
目下に流れる川……というか、濁った激流は、まるで岩や木々を呑み込まんとする大蛇の様な動きで、時折うねりながら絶え間なく流れて行く。
逆に空を見上げれば、雲は荒波のように揺れて雲間から雷鳴が鳴り、稲光を幾つも走らせていた。
完全に上も下も狂った水に支配されている。
これ、全部魚さんが起こしている事なの?
魚さんがこれ程の力を持っているっていうの?
鬼さんが倒れた大木の上に着地して、また大きく飛び上がった。まるで狙い澄ましたかのように、今さっき足を着けた大木に雷が落ちた。
「どうやら気付かれたようダナ」
「魚さんにですか?」
訊いて間もなく、水の中から何かが数本こちらへ飛んできた。
鬼さんが片手でそれらを薙ぎ払うと、キィンと高い音を立てて粉々になった。
今のは……刀の破片? 刃物の一部?
砕けた何かが濁流に消えて行くのを、水に歪む視界で見ようと何度も目を瞬かせている内に、次にまた何か塊が幾つか飛んできた。
「クソ、邪魔ダッ」
若干イライラした声で鬼さんがそれらを蹴飛ばすと、今度はバカンと鈍い音がした。
弾き飛ばされ落ちて行くそれをまた見ると、飾りのついた兜と鍋だった。二つとも大きくへしゃげて、鍋は鬼さんのせいなのか、底に穴が開いていた。
鍋と兜が濁った渦の中へ消えたのを見送った後、辛うじて流されずにいる家の屋根に鬼さんは降りた。
わたしも背中から降りて辺りを見渡す。
どこもかしこも雨か泥水しかない。しかも雨は豪雨で泥水は濁流状態。これはもう災害レベルだ。今ここで生きているのが不思議な気がしてしまう。
「次は……アソコだな。あっちへ行くゾ」
きょろりと紅を動かした後、身体を向けた先を顎で指してわたしに言った。
豪雨のせいでろくに見えない視界だけれど、家の屋根っぽいのが固まっているのが見える。多分あそこだ。
あの辺りにお社があるんだろう。
「……鈴音ッ、退け!」
「え?」
きょとんとして鬼さんの方を見ようとした。
でも鬼さんの代わりに映ったのは、乱れた視界と空と、飛沫を上げた濁流と、間近に迫った民家の屋根。
首の背後に圧迫感を残しながら、わたしは宙を飛んで転がっていたのだ。
「痛っ!」
派手に顔面から着地してしまい、頬と膝が擦れて痛みと熱が走った。
痛い。頬が痛いし、身体も痛い。膝も擦れてる……。
あまりの痛みに涙が出そうになる。
わたし鬼さんにぶん投げられたのかな。でもなんでいきなり投げたりなんかしたんだろう。
頬を抑えながら鬼さんが居た場所を見ると、鬼さんが大きく飛退いて、近くの大木に乗っているところだった。
「鬼さんどうし――」
叫ぼうとして口をつぐんだ。
鬼さんが今居る大木の根元に、見間違えるはずもない輝きがあったのだ。
燃えて妖しく光る紅と対立するかのように、濁流の中、妖しい銀がさながら餌を狙うサメの様にぐるぐる泳いでいたのだ。
慌ててわたしがさっきまで立っていた屋根を見れば、初めからそこに無かったみたいに、屋根は跡形も無くなっていた。
鬼さん逃がしてくれたんだ。
紅い閃光が灰色の宙の中を舞う。そうすると激しくうねる泥の中へ紅い刃がいくつも降り注いで、辺りに鼓膜が震える程の咆哮が響いた。
両手で耳を塞いでそっちを見れば、二つの紅がわたしを向いて「行け」と目配せしていた。
そうだ。ここで棒立ちになっている場合じゃない。
やる事をやらないと。わたしは大きく頷いて、踵を返した。




