二十四ノ怪
「お前調子はドウダ?」
「え?」
今起きた出来事に呆けていたけれど、鬼さんの声に我に返った。
「あ、はい。おかげ様で随分よくなりました。体力も戻ったみたいですし体も温まりましたから」
そう言うと鬼さんは穴の奥の方に目をやって立ち上がり、素手で焚き火を持ち上げた。
「折角温まったンダ。お前アソコで座ってろ」
自分の鬼火だからか熱くないのか。なんともない顔で焚き火を両手で持ち、毛皮の傍まで持っていった。
「鬼さんは大丈夫なんですか?」
ついさっきまで全身びしょ濡れだったのに。
いくら乾かしたとは言え、鬼さんの方がちゃんと芯まで温まっていないんじゃないのかな。
「俺は鬼だぞ。ヤワなお前と一緒にするナ」
さっさと座れと言わんばかりに顎で促される。
わたしは言われるまま大人しく毛皮の上に座り直した。
目の前でパチパチと焚き火が、時折火の粉を小さく弾かせているをのぼんやりと見る。
寝る前とはまったく正反対の落ち着いた状況に、妙な気分になるけれどもどこかぼおっとして心は落ち着いていた。
「あの……鬼さん」
「ナンダ」
「鬼さんは元々は、どんな妖怪だったんですか?」
「あぁ?」
「だって鬼になる前は大きな穴の妖怪だったんでしょう?」
ただの大きな穴が意識を持って、更に鬼へと変わったのが未だに不思議だった。
前に人間の思念とか欲が生みの親だと言っていたけれど、それは鬼になるきっかけであって、『大穴』としての鬼さんが生まれた話しではない。
「鬼さんはどうして鬼になりたかったんですか?」
焚き火越しに鬼さんへ目を向ければ、鬼さんはあぐらを掻いて不機嫌そうにそっぽを向いていた。
話したくない話題だったのかな。
気まずくなってわたしも視線を焚き火に戻すと口をつぐんだ。
「別に鬼じゃなくても良かったカナ」
ボソッと鬼さんが呟いた。
思わず目を上げれば、鬼さんは先程から同じ格好のまま、やっぱり不機嫌そうに顔を顰めていた。
「たまたま落ちてきたガキ共が念じた姿が、俺を鬼へと変えたンダ。アイツ等は鬼へと変わってアノ豚共を駆逐したかったンダろうヨ」
「あ、その、鬼さんは……村人の人たちをみんな、殺したんですか?」
「そりゃ~アノ集落の奴らとの約束だからナァ。一人残らず始末したカナ」
にぃっと口角を釣り上げて笑った鬼さんを見て、息を呑む。鬼さんに対する恐怖感が背中を撫であげて、無意識に羽織を強く掴んだ。
「それでその後は、どうしたんですか?」
「ナンダ? 聞いてどうする?」
「いえ、その、気になって……」
あの時の鬼さんは村人たちを殺した後、今度は集落の女性の所へ行くと言っていた。
なんとなく嫌な予想はつくのだけれども、どうしてか訊かずにはいられなかった。
鬼さんは記憶を辿っているのか、暫く顎に手を当ててキョロリと辺りを見回すと「あぁ」と声を零してわたしへ目を向けた。
「折角始末してやったんだから、ちょいと女共に相手をして貰おうかと思ったんだガナ。俺が集落に行った時には誰もいなかっタ」
「え? それって女の人達が逃げたって事ですか?」
「いや。各々自害していたカナ」
さらりと告げられた言葉に顔が強ばった。
言葉を失ったわたしに鬼さんはチラリと紅を向けて、次に焚き火へと移した。
「終わった後には村と集落周辺には俺しか居なかっタ。人間は誰も居なかったカナ。だから必要なもンだけ適当に拾って出て行っタ」
「そこに居たくなかったから出て行ったんですか」
「いやサッサと辛気臭い所から出て行って、女や喰いモノを漁りにいきたかったからダナ。あそこにゃ欲を満たす物がもう何も無かったからナ」
鬼さんからしたらやっと自由になれたことで、気分はさぞ良かったんだろう。
ずっと永い永い間暗い場所で独りでいて、穴そのものだから動くことも出来ないし、誰かがを来るのをただ待つしかなかったんだから。
……人を殺したのは良い事ではないけれど、それでも殺された村人達はそんな事をされても、誰も同情しないくらいな事をしてきたんだ。
鬼さんからしたら別に善人だろうが悪人だろうが関係ないのかもしれないけど、手を掛けた人たちが極悪非道な人達だったのは不幸中の幸いだと思っても、この場合は良いのかな。
パチンと大きく火花が散った。
穴の入口を見ればさっきより雨風が強くなっているように見える。
魚さんがまだ大暴れしているのかもしれない。
「鬼さん、この後どうしましょう」
「どうもこうも、アイツを始末しなけりゃ収まらンだろうガ」
確かに今の魚さんは妖怪というより、悪霊化しているようにみえる。
魚さんを鎮めるなり、最悪息の根を止め無い限り事態は悪いままだ。
……気は進まないけれど、綺麗事を抜きにして、いざとなればわたしも退魔の剣で応戦して――
「ああっ!」
大声を張り上げて立ち上がる。
ウルサイと鬼さんに睨みつけられるが、構ってられず、鬼さんに向かって声を張り上げた。
「剣! あの木で出来た剣が! 退魔の剣が無くなっちゃったんです! あれがないとわたし身を守れないし、いざとなったら戦え――」
錯乱しているわたしに鬼さんが呆れ顔で何かを投げつけてきた。興奮していたせいもあり、思いっきり顔面にそれを受けて毛皮の上に尻餅をついた。
「な、なにするんですか!」
抗議の声を上げたものの、膝の上に落ちた物を見て、交互に鬼さんとそれを見やった。
膝の上にはボロボロの布切れに幾重にも包まれたような物があった。
もしかしてと、恐る恐るそれを剥がしていくと、中にはあの退魔の剣が古ぼけた革の鞘に収まって横たわっていた。
「鬼さんこれって」
「ソイツがあれば俺ら妖も多少はアテられずに済むからナ。どお~~ぉしても! ソレを持っていたいなら。……必要な時以外はソイツに入れておけ」
所々を強調しながら、鬼さんはギッと睨み殺さんばかりに言いつつも、鞘に収まった剣を指さして言った。
「それじゃあ……持ってても、良いんですか?」
「気は進まんガナ」
怒気を抑えて唸るように呟いた。
けど、でも、今のは鬼さんがわたしに退魔の剣を持つことを許してくれたってことだよね。
嬉しいけれど、突然どうしてだろう。
わたしが困惑しているのを察したのか、鬼さんがまたジロリと鋭い目つきでわたしを一瞥して鼻を鳴らした。
「お前があんまり駄々こねるからナ。その上大人しく籠の雀になる気もナイようダ。今回は特別ダ。それを持つ事を許そうカナ」
「ほ、本当ですか?」
「嫌なら構わないゾ」
「いえそんな! あ、ありがとうございます!」
嬉しさのあまり顔が紅潮していくのが感じられた。
でもそんな事気にならない程嬉しくて。
「頑張って自分の身は自分で守りますから! 鬼さんの迷惑にならないように、わたし一生懸命やりますね!」
退魔の剣をギュッと握り締めて、鬼さんへ笑いかけた。
あの夢を見た直後というのもあるけれど、鬼さんがわたしを信用してくれたみたいで、とても嬉しかった。
勿論今が緊急事態だから、っていうのもあるんだろうけれど。ほら、使えるものは使え的な感じで、わたしに許可を下ろしてくれたのもあると思うし。
でも、それでも良い。
ほんの少しでも信頼してくれなかったら、鬼さんなら絶対に持つことを許してくれないんだろうから。
「本当に鬼さん、ありがとうございます! わたし嬉しいです!」
改めて鬼さんにお礼を言えば、鬼さんは少しだけ目を見開いてわたしを見ていた。
なんだかそれが「信じられい」といった感情が見えた気がして、わたしは首を傾げた。
「あの、鬼さん……?」
うるさかったかな。伺うように鬼さんに声をかけるが、鬼さんはジッとわたしを見て動かなかった。
こうも普段見たこともない表情で見られ続けると、正直に言って居心地が悪い。
「鈴音」
そのままの状態で、鬼さんがわたしを呼んだ。
音を出さずに深く息を吐いて、ひどく緊張しながらわたしは鬼さんの視線を受けた。
どれだけの間だか、瞬きもしない鬼さんの真っ直ぐな視線を逸らさずに見つめ返した。
あまりにも静かで、穴の入口から吹き付けてくる暴雨の音がよく耳に響く。
静かに、鬼さんが立ち上がった。
わたしは動けずに顔と目だけで鬼さんを追い、鬼さんが傍らに立っても体を向けることもなく見上げていた。
背の高い鬼さんが座ったわたしを見下ろしているのだから、眼差しはより遠くに感じる筈なのに、妖しい紅は煌めきを増して、わたしを毛皮の上に縫い付ける。
「お、にさ……」
やっと出た掠れ声で鬼さんを呼べば、鬼さんは静かにわたしの隣に腰を下ろした。
急に距離が短くなり心拍数も跳ね上がるが、わたしは動けず真横にいる鬼さんをただ目で捉え続けた。
「ナァ鈴音」
「な、なんですか?」
「鈴音は俺のコノ鬼の姿が恐ろしいカ?」
「え?」
「鬼のコノ姿は恐ろしいのカ?」
今更そんなこと聞いてどうするんだろう。
戸惑いつつもわたしは正直に首を横に振って応えた。
「えっと、姿はもう見慣れましたよ。流石に毎日会っていたんですから」
「恐ろしくはないのカ?」
「怖くないですよ。全くと言ったら嘘になりますけれど、睨んだりとかさえしないで貰えたら大丈夫です」
どちらかといえば、鬼さんの考えや行動の方がずっと怖い。
見た目だけでいえば、笑えば口は裂けるけど顔は悪くないし、どちらかと言えば女の子なら誰でもカッコイイと思える顔をしている。
実際、人間じゃないとは言え、色々な女妖怪からモテモテなんだし。
でもこの状況を考えると、どれだけイケメンと言われる部類でも、怖いものより勝る美形は無い。
「鈴音。俺の瞳を見ろ」
「え?」
「見るんダ」
これは過去何度か経験してきた事で、鬼さんがわたしに催眠術か何かをかける時にいう言葉だ。
背筋に冷たいものを感じて顔がひきつる。
「いや、その、で、でも……」
「怖がらなくてイイ」
怯えたわたしの頬をそっと鬼さんが撫でた。
それはとても優しく、ガラス細工でも扱うような繊細な手つきだった。
「何もしない。一度で構わンから、俺に魅入る灰梅を見せてくれ」
鬼さんにしては気弱な口調というか、懇願するような物言いが珍しく、わたしは面食らってしまった。
二重の意味で石のように固まったわたしに、キラリと妖しい紅が煌めいた。
その途端、頭の中に恍惚とした大波が急に押し寄せてきた。
思わず目眩に襲われて体が揺れると、鬼さんが逞しい腕で支えてきて、厚い胸板に体を預けさせてきた。
「鈴音、見るんダ。よぉ~く、見るンダ」
鬼さんに支えられながら上から降り注ぐ紅い眼差しに、ぼんやりと眺めていた。
似ている……あの夢で見た紅い光の粒に、よく似ている。
紅い沢山の光りの粒。降り注いでくる紅い光の雨。
そっとわたしは鬼の頬に手を添えた。
顔半分に広がる幾何学模様は、炎のような模様が広がっていて朱い色が綺麗だった。
「鬼さん……」
頬にやっていた手を伝うように唇へと移動して、またその柔らかな口元を指先で撫でた。
「鬼さん……」
繰り返し口にすれば、横顔の模様がうねって渦を巻いた。わたしはそれを見てもう一つの手でそれを撫でた。
「鈴音。俺にどうして欲シイ?」
優しい声が、頭の芯に直接響いてくる。
それはこの上なく優しくて、穏やかなもので。
「鬼さん……わたし、寂しいんです」
「ソウカ」
「とても、寂しい」
「寂しいのカ」
「だからどうか、どうか……苛めたりしないで下さい……」
言った途端、静かに目尻から涙が零れた。
朦朧としつつも怒られるだろうかと鬼の目を見れば、妖しい紅がふっと緩んで閉じた後、逞しい腕に閉じ込められた。
「お前が共にいるのナラ……守ろうじゃないカ」
顔は見えなかったけれど、その声は今までで一番労りに満ちていた。
突然どうしてこんな流れになったのかも、こんな事になったのかも分からないけれど、わたしは鬼の行動に流されるかのように、両手を鬼の背に回して静かに目を閉じた。
今のわたしは……鬼の雀なんだ。
だから、これで良いんだ。
恍惚に呑まれているのを言い訳に、わたしは一層強く紅い鬼へとしがみついた。
外は変わらず大嵐の音が響いていた。少しばかりの短い休憩の筈なのだけれども、妙にこの時間が大切なものに思えてならなかった。
恨むのをやめても恐ろしく、良い感情を持つなんて事は出来なかったわたしだったけれど、今迄広がることしかなかった紅い鬼との溝が、静かに緩く、止まった瞬間だったのかもしれない。




