二十三ノ怪
寒さと度重なる酷使で疲れた体はいやに重かった。
けれどもそれ以上に心が重かった。
日常的な鬼さんの『支払い』から河童の子、正体不明の化物、人魚の妖怪に、人のものでなくなった自分の寿命。
そして現れた魚さんに鬼さんの過去。赤鼓村での出来事。
あまりの出来事の多さに、もうわたしの精神的容量はとっくに壊れてしまって、今は何も考えたり感じたくなかった。
昔、冬の寒い日に、火鉢の前でおばあちゃんに膝枕をしてもらったことを思い出す。
体に袢纏を被せてもらって、皺々の手でわたしの頭を優しく撫でてくれた。
今はもう叶わない過去の思い出だけれども、こうして胸の内に蘇らせるだけで暖かい。
心地良い微睡みと安心と幸福感。大好きな人と一緒に過ごす幸せな時間。大好きなおばあちゃん。
ぼおっとした意識で窓を見れば、外は夜の暗さと雪の白さで淡くぼんやりとしている。
「寒い……」
思わずぶるりと震えて呟く。
おばあちゃんの膝にしがみついて背中を丸めた。
「寒い?」
上から不意に小さく声をかけられ、わたしはぼんやりした頭で今聞こえた声に内心首を傾げた。
今の声は……幻聴?
そうしていると、また頭を撫でられた。
大きな手が頭を撫でて背中を撫でる。自分にかけられた袢纏が冷えた体を温めてくれる。
あぁこれは夢だ。
あの時と同じ、冬休みの時におばあちゃんの家に泊りに行った時の夢なんだ。
「あのね、もっとギュッとして欲しいな」
夢であることを良い事に、あの頃と同じように年甲斐もなく甘えて、袢纏を肩まで引っ張り足を小さくして引っ込める。
そうすると強く袢纏の上から強く抱きしめられ、わたしも温かい体温に顔を寄せた。
本当に希ではあるけれど、こうしておばあちゃんに夢で逢えると嬉しくなる。例え唯の夢だとしても、とても心が温まるんだもの。
「……わたしね、もうお母さん達に会えないんだ……」
ポツリとそれは口から零れた。
寒さのせいか、おばあちゃんに会えたせいか。わたしは急に忍び込んで来た寂しさから、そんな事を言ったのだ。
「常闇はね、暗くて淋しいところ。たまに何ていうか、幻想的だな、とか、綺麗だと思うこともあるけれどやっぱり怖いの」
熱でもあるのかな。なんだかぼぉっとして声は掠れるし、頭も若干痛い。風邪でもひいたのかもしれない。
「みんなわたしを食べ物みたいに言うの。それに人間だって蔑むの。……例えわたしの世話をしてくれても、一緒にいてくれても、友達でもないし家族でもない。だから、仲間でもない」
あれ? なんで、わたしこんなこと喋っているんだろう。
疑問に思っていても、口はスラスラお構いなしに話し続ける。
「わたしは一体、何なんだろう。仲良くしようとしても、上手くいかないの。その、妖怪の仲間になるのが嫌っていうのもあるけれど、怖くて仕方ないの……彼らの言うように、仲を深めようとしても上手に出来ないの」
熱が本格的に出てきたのか、視界がぼやけてキラリと光った。
火鉢がパチンと鳴ってオレンジ色の火花を弾いた。
「どうしたら良いのかな……わたしは鬼さんを恨んでいないけど、これからもずっと一緒にいるけど……心の底では怖くて仕方ないの。どんなに優しくされても、それを喜んで受け取ったら、食べられてしまいそうで」
ボロっと大粒の涙が零れた。
その涙はとても温かくて、やっぱり自分は熱が出たんだと確信がもてた。
「陽の下に出ても、必ず鬼さんの所に戻ってくるのに。退魔の剣も絶対に鬼さん達妖怪を傷つけたりしないで、あくまで護身用として持っていたいだけ……。でも」
ふぅと深く息を吐き出す。
「きっと……信じてもらえない。だって……わたしは怖い怖いと言って、約束を破ってばかりいるんだから」
目を閉じて見えた暗闇に、鬼さんを思い描く。
鬼の姿ではなく、穴だった頃の鬼さんを。
「一人ぼっちの怖さを知っている鬼さんだったら尚更……ちょっとでも自由に出歩きたいと思っているわたしを、信用なんてしてくれなんだろうな」
鬼さんのちらっと見えた感情が言っていた。
鬼の姿を手に入れて、二度と穴の姿に戻りたくないと思うからこそ、わたしが出ていけば自分同様戻ってこないと。そう確信しているんだと。
「鬼さんは強がりで意地悪で……とても残虐非道だけれど……その反面、もしかしたら寂しがり屋なのかもしれないって、少し思うの」
まるで一人留守番を嫌がる小さな子供みたいに、必死に縋り付く幼子のように、どこか純粋で真っ直ぐなものを底なしの闇の中で垣間見えた気がしたのだ。
「わたしと鬼さんは喧嘩ばかりだけれど……こうも信用されていないと……ちょっと寂しいな……。努力してきたつもりでも結局自業自得で、過去何度か約束を破ったわたしが言うのは、可笑しな話なんだけれどね……」
わたしがブツブツと独り言のように話している間止まっていた手は、またわたしの頭をゆっくり撫で始めた
それはとても優しくて労りに溢れていた。
わたしをその手にそっと自分の手を重ねた。
「あったかい……」
大きくて頼り甲斐のありそうな手だった。
いつも山へ元気に山菜とか行っているからだろう、おばあちゃんの手は女性の手にしては逞しかった。
「お話聞いてくれて……ありがとう……」
今まで整理のつかなかったことが、少しだけ話せたんだと思う。自分でも不透明だった気持ちや考えも、改めて気づく事が出来た気がする。
「ありがとう……大好き……」
また夢で会えると良いな。おばあちゃんなら、例え幽霊でも良いから、もっと意識がはっきりしている時に会って話したい。
「もし……」
「え?」
薄れる意識にはっきりとししない、くぐもった声が耳に届く。おばあちゃんが言っているのかな。
「なに?」
「もし何か贈っても……その後も安心できる……なら受け取る……?」
途切れとぎれに聞こえる声に、わたしは波間に揺れる意識を保とうとしながら思案した。
鬼さんから何かプレゼントされたらって事なのかな。
見返りなしだなんて想像もできないけれど、もし万が一にも、純粋にプレゼントしてくれるのだとしたら――
「うん。まだ分からないけれど……受け取っても、怖い思いしないって分かったら……もしかしたら、素直に喜べる日が来ると思うな」
鬼さんとも仲良くなれるものなら、険悪な仲でいるよりも良い同居人でいられたら良いと思っている。
「お話ももっとしたいけど、共通する話題もなくて……それも解消できたら、もっと美紀や春香みたいに、普通に楽しくお喋り出来るかなって……思うの」
現代の話題も合わなくて、テレビやパソコン、新聞すらないのだから尚更だった。
それに加えて常闇の事は全くと言っていいほど耳に入ってこないのだから、わたしには知りようが無かった。
「憎いわけじゃない……怖いし、過去のことはどうしても完全に許せるわけじゃないけど、出来ることなら仲良くなりたいから……」
そっと頬を撫でられる。
「……の、傍に……るの……?」
遠くなった声。僅かに聞こえる言葉に、朦朧とした意識でわたしは頷いた。
「うんそうだよ。ずっとずっと。……ずっと一緒にいるの」
重ねていた手をギュッと握り締めて、どこか不安そうな声に安心してと笑いかけた。
おばあちゃん天国からいつもありがとう。だけどワガママでごめんなさい。まだお願いがあるの。
「鬼さんとずっと一緒にいる。だからこれからも……ずっと一緒にいてね」
そんな願いを込めて、わたしは意識がもっと深く落ちていくのを感じた。
夢も終わりと思ったと同時に、ふっつりと優しく夢は途切れてしまった。
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温かい。そっと目を開けると、大きな毛皮の上に寝かされていた。
少し離れたところに小さな焚き火が有り、穴蔵の入口から入ってくるすきま風がたまに火を大きく揺らすが、紅い火は物ともせず燃えていた。
ここは鬼さんと入った岩場の亀裂の中、だよね。
上体を起こして周りを見渡す。その時肩からするりと羽織が落ちた。
これ、鬼さんのものかな。でも鬼さんこんな物羽織っていなかったし、どこからか持ってきたのかな。
もしかしたらこの羽織のせいで、おばあちゃんの袢纏を被せてもらった夢を見たのかもしれない。
改めて自分の場所を確認すれば、わたしは穴の一番奥の所で寝かされていたようで、入口からの冷たい雨風はここにまでは届かないみたいだ。
そして肝心の鬼さんは……いない。
どこに行ったんだろう。
その場に座り込むと敷かれた毛皮に足が沈み込む。
妙にフカフカするから手で毛皮をめくってみると、下には藁や落ち葉が敷き詰められていた。
鬼さんがしてくれたのかな。わざわざこんな丁寧に。
それにこんな大嵐の中、乾いた葉っぱとかどうやって見つけてきたんだろう。
毛皮もどこからもってきたんだか。
色々謎だらけだけど、鬼さんに聞かなければ分からない。
何にしても助かった。だって寒くて寒くて仕方なかったんだもの。体も休めたし、暖を取ることも出来た。
おかげでずいぶん体力が戻ってきた。
「そうだ、おばあちゃん……」
夢で見たおばあちゃんを思い出す。
おばあちゃんがいる夢はいつも温かくて、それが夜でもお昼でも夕方でも、いつも愛情に溢れた暖かさで包んでれた。
妖怪や幽霊がいるんだもの、天国だって絶対にあるんだろう。
きっとおばあちゃんがわたしに元気を届けてくれたんだ。
肌触りのいい毛皮や、ちょっと色褪せてしまった羽織を見てそれぞれ撫でる。
おばあちゃんに話したように、鬼さんとも仲良くなれるようになったら良いな。
まずはこうやって寝る所と、焚き火を作ってくれたことにお礼を言わないと。
……もしかしたら焚き火はわたしの為ではないかもしれないけれど、現に助かっているんだからお礼を言っておいて問題はないだろう。
バシャッと入り口付近から物音がした。
驚いて身構えると、足音のような何かが動く音がこちらに近寄ってくる。
鬼さん、かな。
安堵しながら一瞬そう思ったものの、外の激しい雨音でハッとする。
もしかして鬼さんじゃなく……魚さん?
そうだ。ここが確実に安全なわけじゃないんだ!
まだここは赤鼓村。魚さんの行動範囲内だ。油断していたら命取りになる!
……あ! そういえば退魔の剣は!?
慌てて周りに目を走らせるけれど、どこにも無い。
どうしよう!? あれがないと魚さんや他の危ない妖怪や幽霊に出くわしたら対抗する術がない!
どうしよう!?
水を踏む音がする。ビチャ、ビチャ、と次第に音が近づいて来て大きくなってくる。
羽織を自分の体に被せて身構える。
何も羽織らないよりかはマシだと直感的に思ったのだ。
最悪な事にここは隠れる場所はどこにもなく、行き止まりだ。もし武器になるとしたら少し離れて置いてあるが、鬼さんが作った焚き火の火ぐらいだ。
今からあそこまで駆けていけば間に合うかも知れない。
足音はもう近い。
わたしは考えるのをやめて駆け出した。
ただの火なら駄目かもしれないけれど仮にも鬼さんが作り出した鬼火で出来た焚き火だ。なんとかなるかも。
暖かい場所から飛び出した足は突然の外気に鳥肌を立たせてよろめくが、そんな事に構ってられない。
わたしは一気に焚き火へと走り、一本掴めそうな火のついた枝を持って身構えた。
「鈴音?」
冷気が吹き込む亀裂から、紅い目が覗き込んできた。
恐らく強ばっている顔をしているであろうわたしの表情に何度か目を瞬かせ、少し窮屈そうにしながら体を滑り込ませて穴へと入ってきた。
「鬼さん……良かったぁ」
へたりとその場に座り込んで盛大に息を吐いた。
本当に、怖かった。魚さんだったらどうしようかと思った。
鬼さんは全身ずぶ濡れで、紅い焚き火の傍まで寄ると鬼火を豪華に燃え上がらせて全身を包んだ。
その壮絶な光景にポカンとしていると、ものの数秒で火はもとの大きさに戻り、ビッショリだった鬼さんはさっきより幾分乾いた姿になった。
鬼さんはそれを確認すると、乾き具合に満足したのかその場に座った。
わたしも鬼さんのその様子を見て、また安堵から再度深く溜息を吐き、わたしは手に握っていた鬼火が灯る枝を焚き火の中へ放り投げた。




