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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
54/63

二十二ノ怪


 グラグラと激しく揺れる視界と頭。

 轟音が響き地鳴りがお腹の底まで響くと、駆け上がる階段の下から汚泥と落盤が迫ってきた。


 肩に担がれながら目の前の光景に息を飲んだ。

 次々と天井と壁が崩れ、それを激しい水の流れが呑み込み勢いよく押し上げてくる。


「クソがッ……! クソがッ!」


 鬼さんは悪態を何度もつきながら跳躍し、それでも時折ガクンと足を崩して足場の悪い階段を駆け上げって行った。


 紅い足が通った跡には鮮血がポタポタと零れ、濁流がそれを舐め取るように攫っていく。


 座敷牢に出た。

 そこも所々壁が崩壊し、天井も今にも崩れ落ちてきそうだ。

  

 鬼さんは速度を落とさずにそこを突き抜け、入り込んだ古びた屋内もまた疾走する。

 天井の一部が落ち、それをよろけながらも跳んで避け、倒れてきた柱を腕でなぎ払い走り続けた。


 ようやく外へ出た。

 でも外は横殴りの大雨が降り注いで、まさに大嵐そのものだった。


 突風が吹きつけたせいで一瞬鬼さんがヨロけた。

 わたしが鬼さんに声を掛けようと顔を上げたその時、今しがた脱出したばかりの崩れた瓦礫の中から、鬼さんの背後に向かって水の大玉が突っ込んできた。


 危ない!


 目の前に迫った玉に、鉛のように重くなった腕を振り上げれば、光を放って退魔の剣が弾き飛ばす。

 そしてわたしの腕も同時に、妙な音を立てて軋んだ。


 痛みに顔を歪ませて呻く。

 でも痛みを感じている暇なんて一切なかった。


 息を飲む間もなく、四方八方から水の塊が飛んでくる。

 鬼さんも応戦しようとする動きを感じたけれど、なにせわたしを担ぎ怪我を負いながら様々な障害物を避けて走っているのだ。

 いくら鬼さんでも対応しきれないだろう。


 幸いと思っていいのか。皮肉にもわたしの事なんてお構い無しと言わんばかりに、退魔の剣を握る手は勝手に水の弾丸を次々弾いていく。


 う、腕が痛い。筋肉が痙攣している。

 指先から肩にかけて痺れが走り、肌が裂けて筋も切れてしまいそうに痛い。


 どうしよう。いつまで持ち堪えられるか……かなりキツい。

 

 言いようのない不安が背中から湧き出すと、グッとわたしを抱える鬼さんの腕に力が入った。

 お腹に鬼さんの肩が食い込んで圧迫感に呻き声が漏れる。


 視界は一気に上昇し、鬼さんが大きく跳躍した。

 急激に下降をした後に荒々しく着地をすると、また大きく高く鬼さんは地面を蹴って飛び上がった。


 下には濁流が映り、崩れた瓦屋根や折れた柱に木々が流されたのが見えた。

 鬼さんは激流に流されるそれらの上を飛び移り、その度に大きく息を吐いた。


 何度かそれを繰り返していると、急に視界全体が木々に覆われた。

 恐らく山の中に入ったのだろう。

 土の匂いが充満した鬱蒼とする森の中もやはり雨水で濡れていて、湿気に覆われ寒々としていた。


 鬼さんはわたしを担いだまま木々の中を早足で進み、急斜面を上り、やがて一見外からだと分かりづらい岩の亀裂の中へと体を滑り込ませた。 


 暗い穴の中は見える限りでは結構深く、やや狭いようだ。

 鬼さんが奥へ奥へと進めば、比例して豪雨の音も遠ざかっていく。

 そしてある程度奥まで行くと、鬼さんはわたしを乱暴に地面へと放り投げた。


「痛っ……」


 思わず口にして眉を寄せた。顔に冷たい土の感触が伝わる。ぶるりと震えるが、疲れ果てて縮こまることは出来なかった。


 そして他の箇所はともかく、右腕が肩にかけて痺れていて、痛みもなんだか酷い。本当に、わたしの腕はどうなってしまったんだろう。

 こんな状態なのにあんなに動くなんて。しかも勝手に、だ。


 暗闇の中、呻く声と大きな吐息が聞こえた。

 鬼さんが腰を下ろしたのか。ドスンと地面に何かが乱暴に落ちる音が聞こえた。


 探ろうとして全身に力を込めるも、体はやっぱり動かない。右腕はともかく、さっき顔やらが僅かに動いたのは火事場の馬鹿力というものだったのかもしれない。


「鬼さん」

 

 掠れた声が自分の口から出てきた。

 小さくてひどい声でも、今度はきちんと出るみたいだ。


「大丈夫……ですか?」


 そんなワケがないとは分かってはいるが、訊かずにはいられなかった。


「……大丈夫だと思うカ?」


 低く唸った声が冷たく耳にこだました。

 怒られて当然だろう。鬼さんの今の状態は、他でもないわたしのせいなのだから。


「……ごめんなさい」 


 謝罪の言葉が自然と零れた。

 体も何も動かないけれど、口と喉が動かせるのなら充分だ。


「ごめんなさい鬼さん。本当に、ごめんなさい」


 まさかこんな事になるだなんて。

 自分や退魔の剣ばかりに気が回っていたけれど、結果的にこんなふうに鬼さんを傷つけてしまったんだ。


「……許してもらおうだなんて思いません。でも、どうしても、謝りたくて……」 


 返事はなかった。ただ遠くで荒々しい雨風の音が聞こえるだけで、鬼さんの声は聞こえなかった。

 ただ微かに、苦しそうな呼吸音が聞こえてくる。


「ごめんなさい……。どうやったら、どうやったら鬼さんは、鬼さんの怪我が治るんですか?」


「俺の体はどうでもイイ」


 ぶっきらぼうな口調が少し離れた暗闇から聞こえてきた。

 そんな遠くでもないが、近い距離にいるわけでもないようだ。


「鈴音。この先退魔ノ剣を放さないつもりカ」


 奥歯を噛み締めながら話しているのか、憎々しい気配を放ちながら身じろぐ音がした。

 

 わたしはしばらくなんて言おうか考えたが、変に言い繕っても仕方がない。正直に話そうと決心する。


「手が、手から離れないんです」 


「……ナンダと?」


 怪しんだ、信用しきれないという声が返ってくる。

 当然の反応だろう。脳裏に眉間に皺をたくさに寄せた鬼さんの顔が浮かばせながら、わたしは息を吐いた。


「剣がわたしの背中を突いた時から、手から離れなくなって、しかも勝手に腕が動くんです。さっきも水の玉が飛んできた時、わたしがしたんじゃなくて腕が動いたんです」


 未だにジンジンと右腕は痛い。それでもわたしが力を込めても、腕や手は動かない。 

 でもあの時、筋肉が痙攣しているにも関わらず、腕は退魔の剣を振り上げて応戦していた。


「どうしてこうなったのか分かりません……けど、今はわたしの意思ではどうする事も出来ないんです」


 剣を手放したくないというのは正直今でも思う。

 でも鬼さんに告げたように、今現在わたしに剣を手放す選択権は無いようだ。


 このままだとわたしは鬼さんにとってお荷物でしかない。こうなったら、わたしが一人でここに残り、鬼さんは安全な所へ行ったほうが良いだろう。

 魚さんの狙いは、わたしだけではないのだから。


「鬼さん……わたしを置いてお屋敷に帰って下さい。そうすれば、少しは事態は」


 言いかけて、バシンと頭を叩かれた。

 一瞬ピクリと剣を握る右手が動いたが、振り上げるような事は起きなかった。


「お前を置いていけダァ? 馬鹿か! そう言って俺を遠ざけようなンざ無駄な事ダ!」


 遠ざけようだなんて……。

 この期に及んでまだそんな考えが浮かぶんだ。


「今のわたしじゃ、動けませんよ……。鬼さんがいてもいなくても、動かないんじゃ逃げられません」


 思わず笑って、地面に沈む泥だらけの自分の体を想像する。 

 服ももうボロボロを通り越して、布切れに変わっているかもしれない。


「それに言ったじゃないですか……わたしは鬼さんの傍に居るって。それだけは絶対に、約束するって」


 散々鬼さんとの約束を破ってきたわたしだけれど、それだけは守ろうと決めていた。


 もちろん何度もその事に関して泣いたし、後悔してきたけれど。退魔の剣を譲れないように、その約束は絶対に果たそうと思っていた。


「だから一度お屋敷に戻って怪我を治して……面倒かもしれませんが、迎えに来て下さい……」 


 遠くの方で雷鳴がした。まだ魚さんが暴れているのかな。

 わたしを担がなければ鬼さん一人なら、きっと常闇へ無事帰ることが出来るだろう。 


「鬼さん……わたし……お酌しますから……」


 話しているうちに、次第に目蓋が重くなってきた。

 それから意識もだんだんと遠のいて、穴とは別の暗闇が広がってきた。


 やっと休める。

 決してここが安全ではないんだろうけれど、不思議と緊張が緩んで体も休もうと決めたようだ。


 鬼さんからの返事は何もなかった。

 呆れているのか、怒っているのか。何も話さない鬼さんに揺らぐ視界を向けながら、やがてそっと意識を手放した。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 夢を見た。


 冷える水に体が包まれて身動き出来なくてって、わたしは歯を鳴らしながら震えていた。

 

 鉛のように重い体では自分を腕で抱くことも出来ず、足も畳むことも出来ず、寒さに晒され続けた。

 

 ここは暗い水底だった。

 辺り一面真っ暗闇で何も見えない。


 寒い。凍えてしまう。

 なんでもいいから、温まりたい。寒くて寒くて、とても辛い。


 ふとずっと遠くでキラリと何かが反射した。

 チカチカと光るそれはシルバーアクセサリーみたいに綺麗で、冷たい輝きを持っていた。


 どうしてこんなところに、そんな物があるんだろう。

 確かめたくても体は動かない。

 仕方なくそれを見つめていると、それは一つではなく多くの塊のようで、しかも蛇のように連なっていた。


 白い……蛇? それとも龍?

 うねるように渦を巻きながら、不穏な動きでこちらへ寄ってくる。

 

 寒い。さっきより寒い。

 なんだかあの妖しい銀色の塊が近づく度に、寒さも増している気がする。


 それは近づいて来ると、赤黒い霧を纏いながら水中を泳ぎ、所々血を滲ませているのが見えた。

 一本角は鋭く輝き美しいのだが、体は鱗が剥がれ落ち見えた前足は潰れ、片目は抉られたように穴が空いていた。


 ヨコセ……


 掠れたすきま風のような声が、水を伝って頭へ響いた。

  

 タマシイ……アナタノ……ソノ……チヲ……ニクヲ……ワタシニ……ヨコセ……


 脳裏に、いつか見た骸骨の影を思い出す。

 同じような口調に、雰囲気に、自然と目の前の銀にあの白い影が重なって見える。



 寒い。深く息を吐くと肺が震えた。怖さはなく、この凍てつく寒さがわたしの思考をまた支配していた。


 ……ドコニ……カクレタノ……デスカ……オシエテ……クダサイ……


 声は次第に大きく伝わってくる。体はまだ動かない。

 あぁ夢だと分かっていても、辛くて苦しい。早く目が覚めれば良いのに。


 ワタシノ……モトヘ……


 悲痛な声がガンガンと頭の芯を殴りかけるように訴えてくる。

 目を覚まさないと。早く起きて、体を温めないと。じゃないと凍えて死んでしまう。


 妖しい銀が間近に迫った。綺麗な角が水を裂くように動いた。潰された虚ろな穴と、冷たい銀色の瞳がわたしを見下ろす。


 殺される。そう思ったその時、急に口が熱くなった。


 ちょっとした痛みと、それ以上に今のわたしには心地の良い熱が口いっぱいに広がり、やがて体中を駆け巡った。

 

 まず手足の先が動いた。

 それから腕や膝、頭が順々と動き出す。


 思い切り水底を蹴り、上へと泳いで水面を目指した。

 下から呻く声が聞こえ、鈍い動きで追って来る気配がした。


 上も変わらず暗いのだけれど。何か紅い小さな粒のようなものが天の川の星のように連なっているのが見えた。

 わたしはそれを目指して必死に動く体で泳ぎ続けた。

 

 オマチクダサイ……


 足元からは、底冷えするような低いけれども優しい猫なで声が追いかけてくる。


 ワスレタノデスカ……アノ……ウラミヲ……アノカナシミヲ……アカイツキヲ……  


 怨み。悲しみ。紅い月。

 わたしだって忘れていない。忘れるはずがない。

 でも、もう決めたのだ。わたしは紅い鬼の傍にいると。


 どんなに泣いても、後悔しても。

 彼の傍でお酌をしようと。わたしは決めたのだ。


 灰梅の瞳で紅い粒を見上げる。

 それらは幾重にも連なって数珠のように垂れ下がり、やがてわたしを絡め取って引き上げた。


 そうすれば下から追いかけてきた声は恨めしそうな咆哮を上げて、暗い水底へと沈んでいった。



 あぁ、なんて温かいんだろう。


 陽の光とは違う暖かさだけれども、わたしは凍えて冷えた体をその紅い粒達を掻き抱いて強く抱きしめた。


 その紅い粒は梅の花だった。

 ただ香る匂いは花のものではなく、どちらかといえば煙草のような紫煙に似たものだった。


 それでも構わない。

 わたしはそれにすがるように顔を埋めると、その梅達に抱き返された。

 それはもう、背中が軋むほどに強く。梅の花たちは絡みついてきたのだ。




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