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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
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十五ノ怪


あまりにも急な事に呆然と立ち尽くし、消えてしまった場所を見つめる。


 本当に、あのお爺さんは何者なんだろう。突然現れて突然消えてしまうなんて。妖怪なんだろうけれど、あんな妖怪いたかな。子泣き爺ではなさそうだったし。


「ネェ」


 考えていたわたしに、またあの声が聞こえてきた。


「終わらセテ」


 壁際に目をやれば、あの死装束の少年が立っていた。

 どこか遠巻きにこちらを眺めているのを見ると、なんだかわたしに近づきたくないように見える。


「終わらせる?」


「コノ子の足、鬼に喰ワレて闇に引きずり落とされそうにナッテル。ここの村人みたいにナッテしまう」


「それは……どういう事?」


「足を解き放タなけれバ、いずれ闇へと落ちてシマウ。あの鬼を退魔の剣にて滅して欲シイ」


「わ、わたしが!? そんな、出来っこない! 無理だって! わたしは人間で、相手は鬼よ?」


 ほぼ悲鳴みたいな叫び声を上げ、首を左右に激しく振った。

 鬼さんの戦いを見たところ、例えどんな強い武器を持っていてもまず当てられないし、避ける事も出来ない。


 それに……滅して欲しいって……つまり……


「大丈夫。モウ知っている。鬼の真名を」


「え?」


「真名を知り、退魔ノ剣を以てすれば、妖を滅スル事は出来る」


「でも真名って朔紅童子のことでしょう? それだと紅い鬼の」


「知ってイルのは、銀の鬼の、真名」


 魚さんの真名? そんなこと聞いたっけ?

 ……あ、でもさっきの話でちらっと聞いたような気もするけれど、合っているのかどうか分からない。


「あの、それってさっき話に出ていた、そこの骸骨の子が言っていた?」


「ソウ」


「ああでも待って。合っているか分からないから、本当にそれなのか確かめないと」


 ……いや、でもどうやって。

 そもそも魚さんの真名を知ったからって、わたしがどうやって魚さんを負かすことが出来るんだろう。

 大体わたしが魚さんを滅するだなんて。そんなこと……


 不安に陥り固まっていると、壁際でずっと立っていた少年がわたしの少し傍まで寄ってきた。


『ネェ、教えてあげる。鬼の真名』


「え?」


『ダカラ必ず打ち破って。足を返してあげて』


 この子は魚さんの真名を知っている。

 それを――


「……教えて、くれるの?」


 こくりと、少年は頷いた。


『この贄である朔紅童子の名にかけて。……鬼の、妖の真名を教えるカラ。……殺シテしまっても、構わナイから』


 物騒な物言いにジッとその少年を見つめる。

 足を取り戻すといっても、既に魚さんは食べてしまったあとだから、魚さんを殺すしかないってこと、だよね。


 これ以上、魚さんを野放しに出来ない。

 わたし自身だけの問題ではなく、きっとその他の妖怪にも、鬼さんにも今後悪影響が出てくるだろうから。


 けれど、わたしに魚さんを殺すことなんて出来るのだろうか。殺さずに、足だけを返して貰う事って、出来ないのかな。

 わたしの事も諦めて。心を入れ替えて貰うことは出来ないのかな。




 遠くで地鳴りが聞こえてきた。

 急いで階段を駆け抜けて、あの座敷牢の通りに出る。


 出入り口と思わしき所は一つしかなく、わたしはそこへ駆け寄って立て付けの悪い戸を開けた。


 落ちた天井。底が抜けている床。散乱した生活用品。

 どこもかしこも酷い有様で、注意して歩かないとかなり危ない。


 なんだろう、外が少し騒がしい。怒鳴りあっている声とか悲鳴が聞こえる。

 またあの男達が悪さをしているんだろうか。


 また捕まったりしたら大変だ。

 用心して崩れかけた部屋の中を進み、ようやく玄関らしき場所まで到達する。


「鬼だ!」


「鬼が来た!」


 騒然とする人々から悲鳴が上がった。

 鬼が来たっていうことは、魚さんが今ここにいるの?


 ギュッと短剣を手に取って身を屈める。

 気づかれないようにそっと戸口に近寄り、ボロボロになった障子の隙間から外を覗き込んだ。


 霞んで映る沢山の人が走り回っている。

 その中の殆どが身なりの良い人ばかりで、転んだのか膝あたりは泥が付いていたりしているけど、色鮮やかな着物を着ていたり、素人目でも分かる生地を使った物を着ていた。


 鬼ってどこだろう。人が沢山走っているだけで、鬼らしい影は見えない。

 それにこの人たちは幽霊なのだろうか。

 どこかぼんやりというか、姿かたちは見えるものの、輪郭が定まらないというか。


 それにしても、みんなが言っている鬼っていうのは魚さんの事なのかな。まだそれらしい姿は見えな――



 パッと障子と共に、わたしの目元にまで赤い飛沫が散った。

 驚く間もなく、映った視界には紅く滲んだ残像を零しながら飛び回る、一つの影だった。


 小柄で、なのに跳躍は凄まじく高く、何よりも素早かった。狂気じみた笑い声を上げながら、次から次へと両手を振り上げては下ろし、またなぎ払った。


 その度に鮮血は舞って、人が崩れて倒れていく。

 

「許してくれ、頼む! 俺だって嫌だったんだ!」


 倒れ込んだ数人のうち、足から血を流した一人の男が腰を抜かしながら両手を合わせた。


「待ってくれ! 許してくれ! 悪かった、俺達が悪かった!」 


 小柄な影はどこかニヤリを笑んで、腕を組んだようだった。その様子は誰かを連想させて、とても少年らしくない言動と態度だった。


「悪かったねぇ……。まあ俺も腹いっぱい喰わせて貰ったから悪い気はしなかったがなぁ」


 その低い声と口振りに、その場に生き残っていた人たちがどよめき、男女問わず目を見合わせた。


「ま、まさか」


「そうよ、これはきっと、きっとこの子供は、いえ、この方は!」


 女性の悲鳴じみたい声が上がった後、また足から血を流した男がその場で正座して頭を下げた。


「後生だ! 命だけは、命だけは助けてくれ! な? 頼む! また誰か別の人間を差し出すから! 酒でも米でもやるから! だから俺だけでも助けてくれ!」 


 地面に必死に頭をこすりつける男に、別の小太りの男が背中を蹴飛ばした。

 そして頭から垂れる血を拭いもしないで、影に詰め寄った。


「なぁ好きだろ!? 今まで通り子をくれてやるよ! なんなら俺の娘をやってもいい! 下の女に産ませたガキがまだいるんだ!」


「ほお?」


 面白いものを見るような目で男をみやり、影は小首を傾げてみせた。

 小太りの男性の背後で、般若みたいな顔をした女性が「あんた! また下のメス共と!」と金切り声を上げた。


「今回は下の奴らが勝手にあんた様に捧げる贄を作って、供えてしまったんだ! 俺らはしっかり例年通り準備していたんだ! 本当だ!」


「あぁ確かに……今迄寄越してきた穢のない酒浸りの餓鬼は、それなりに美味かったなぁ」


「そ、それじゃあ」


「だがなぁ、今望んでいるのは喰い物に在らず。お前らの言う下の奴らの差し出した物こそが、この俺が望んでいた物だったんだ」


 欲しい物。お爺さんの話が本当だとするなら、この話をしている人物は、外に出たがっていた穴の妖怪なのね。 

 ずっと外に出たくて、水に浸っていた子の代わりに自分から穴に飛び込んだ子を糧に、外に出てきた妖。


 一歩その影がすぐ目の前の通りに出てくる。

 その影の正体は、思っていた通りだった。


 わたしにずっと手招きをしていた少年。

 姿は彼そのものだけど、頭には二本の角が生え、顔は血に濡れて地肌が見えないくらい凄惨なものだった。


「そんな……」


 誰ともなくそんな言葉が出た。

 皆恐怖に慄いて震え、逃げようともがく人もいるのだけれど、誰も立ち上がれない。


「残念だったなぁ」


「ひっ、あ、い、嫌だ!」


「どうかお助けを!」


 嘆願され、人々が両手を合わせて拝むと、その少年は口を三日月のように裂けて笑った。  


「もう存分欲に溺れたろう? もう代わってくれよ」


 土を蹴る音。空気が避ける音。

 そしてその後に続く悲鳴と水飛沫の音。


 もう見ていられなかった。

 その場に蹲って、両目を強く瞑って耳を塞いだ。

 それでも聞こえてくる悲痛な声と何かが裂ける音と割れる音。それに耳に残る狂ったような笑い声。


「助けてくっ」  


「うああああ!」


「ひぃい! やめてぇ!」


 叫び声が耳に直に聞こえてくる。

 それと共に、見たくもない映像が頭の中を物凄い勢いで通り抜けいていく。


 女性の悲鳴が聞こえてくれば、家に奉仕しに来た若い娘をいびり、痣だらけにさせて、寒い雪の日でも水をかけて外で正座をさせる光景が頭に浮かぶ。


 吐き気がする。頭が痛い。


 子供の悲鳴が聞こえれば、複数の身なりのいい子達が、ボロボロの着物を着た子の衣服を剥ぎとり、沼へ投げ入れたり、石を投げつける光景が浮かんでくる。


 嫌だ、もう見たくない……  

 見たくない。辛い。


 男たちの絶叫が聞こえた。

 瞼の裏で見える日常。老いも若いも関係なく、見境なしに殴って蹴っては畑仕事に家事に借り出している。

 そして手には鉈や刀を持って、いらないと思えば容赦なく殺している。

  

 

 もう終わりにしたい。

 この人達がやってきた事も、あの女性達や少年達がされてきた事も。


 全部全部!


 

 自分の手に握る短剣を見つめる。

 柔らかい光。あのお爺さんはこれを退魔の剣と言っていた。だったら、これを使えば……!


 障子を勢いよく開いて通りに出る。

 汗ばんだ手に吸い付くように剣の柄が引っ付いていて、自分が思っている以上に緊張しているのが分かった。

 通りの向こうから、ずっと遠くから絶叫と笑い声が聞こえてくる。


 過去の出来事だろうと、幽霊だろうと。

 こんな悲惨な事が繰り返し行われて良いはずがない。少なくとも痛い思いをしてきた人達は救われて良いに決まっている。


 酷いことをした人達も、自業自得とは言え、結局快楽を繰り返しているのも事実。やっぱりこっちも終わらせないといけない。

 終わった後は、地獄に落ちるなりすれば良い。

  

 深く息を吐いて駆け出す。

 崩れ落ちた民家を通り過ぎ、荒れた道に落ちている血痕や衣服を飛び越えて走った。


  

 ……あれ?


 空を見上げると、何だか波のような模様がはっきりとしている。まるで本物の水面みたいだ。

 ゆらゆらと空が揺れて、心なしか泡まで見えるような。変な感じがする。

  

「ぎゃあああああああああ」


 一際大きな絶叫が上がった。

 空を見上げた視線を前に戻して、聞こえた場所へと急いだ。


「……うっ」


 思わず両手で口を覆った。

 辺り一面真っ赤。人のような形をした物がそこかしこに転がって、どれも体の一部が欠けていた。


「あっははははは! ざまぁみろ! こりゃ快感だなぁ!」


 屋根の上で無邪気に笑う影が、何かを民家に向かって投げると壁にドンと音を立てて、首のようなものがぶつかり地面に落ちた。


「辛気臭ぇ穴から出れた上に、獲物はあるし、酒も女も揃ってる。良いねぇ最高じゃねぇか!」

 

 とてもあの正義感に溢れた少年とは大きく違った、かけ離れた言動。

 そして何より、聞き覚えがある口調と声。乱暴なこの雰囲気。


「あの餓鬼の望み通り、根絶やしにしてやったんだ。さぁて……後は下の女共に相手してもらうかぁ」


 影が屋根から飛び降りて、血だまりの中へ下りる。

 ビチャッと嫌な音が聞こえた。 


 ガクガク震える体で動く影を見つめる。

 影が真っ暗な中を血生臭い音を立てながらこちらに向かってくるのに、わたしは動けずただ見つめた。


「動けるようになったんだ……存分に楽しまんとなぁ」


 闇の中から出てきた影は、背こそあの少年と変わらないけれど、血の滴る髪からは二本の角が生え、白い装束は赤黒く変わっていた。

 そして何よりその顔は少年のものではなく、わたしのよく知る、紅い鬼の顔だった。

 

「お、鬼さ……」


 蚊の鳴くような声で呟けば、その鬼はわたしの脇を通り過ぎ、狂気にギラギラと瞳を妖しく光らせながら歩いて行く。


 これが、これが鬼さんの、過去。鬼さんが生まれた、出来事なの?


 爪からは血を垂らしながら、ポタポタと血痕を地に残し、嬉しそうに、楽しそうに、鼻歌を歌いながら鬼は歩いていく。

 その後ろ姿を見て、わたしは引き止める事も出来ず、ただ見続けることしか出来なかった。



『足を取り返してくれるのナラ、たった今、真名を教える』


 背後から、少年の声が聞こえる。

 振り返らずとも分かる、少年の気配。鬼さんだと思っていた、彼の声。


『サァ、選んで』


 少年のノイズの入った、少し歪んだ声が耳元に響いた。




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