十三ノ怪
両手には光る小さな木刀がぼんやりと光を放っている。
これはなんだろう。木で出来ているけど刀の形というよりは、教科書に載っていた縄文時代とかの、古墳とかで発掘される剣に似ている。
じゃあ、これは木刀とは言わないの……かな。
それに服も元に戻ったし、着物が消える直前、女の人の声が聞こえた。溜息も聞こえたけれど、それは悲しみではなく安心した、穏やかなものだった。
あの道であった、女の人が成仏したのかな。
という事は、ずっとわたしに憑いていたということになる。
何にしろ、痛い痛いと悲しんでいた彼女が成仏できたのなら、それはそれで良かった。ずっと苦しんでいたんじゃ、辛いものね。
改めて木で出来た短剣を眺める。
この剣の光のせいで、下の穴に明りがちょっとだけ零れていたんだ。決して強い光ではないのに不思議。
あぁ、でもきっと、普通の人なら見えないくらいの光りなんだろうな。暗闇でも多少物が見える目だから、穴からの光が見えたんだ。
……この灰梅の瞳のおかげで。
その事に少し傷つきながらも、短剣を手に穴へ寄った。
それじゃあそろそろ降りよう。
お社以外特に何もないみたいだし。いつまでもここに居ても仕方ないだろう。
これがあれば、もしかしたら幽霊とか妖怪と遭遇しても上手く逃げられるかもしれない。
実際に女性一人、多分とはいえ成仏したんだから。
……ん? 声?
降りようとして穴の傍で屈んだとき、下から話し声が耳に聞こえた。
誰? 慌てて姿勢を低くしてじっとする。
「朔紅童子殿。今一度現世に生を受け、人の形を持ちし人柱として古より開きし大穴へ、清き水とお神酒満ちて清めたその身を投げ入れ候」
どういう事なんだろう。そろりと穴ににじり寄って覗き込む。
中は暗くてよく見えない。目を凝らせばなんとか人影が沢山あって、誰かが何か難しいことを言っている様子がなんとなく分かるぐらい。
清めた身を投げいれるって言う事は、あの水に浸かっていた子が大穴と言う場所に文字通り投げ込まれるって言うことなのかな。
「これより朔紅童子として大穴へと向かい、朔紅童子大穴たる――」
突然、声に聞き入っている自分の真横を何かが掠めた。
振り返る間もなく、真下から「ぎゃ」っという悲鳴と、水飛沫の音。
瞬く間に見えない穴の底から悲鳴と斬撃と、飛沫が上がる音が次々と聞こえてきた。
な、何が起きてるの!?
身を隠すのも忘れて穴へ顔を近づけた瞬間、わたしは仰け反って喉からせり上がってくる吐き気を押しとどめた。
物凄い、血の匂い。
異常なくらいの異臭がする。
穴から離れても、何かが潰れる音や折れるような音が止まらない。
ガクガクしてその場で身を小さくしていると、穴から走り去る音が聞こえた。小さくなって行く足音が消えると、やっと静かになった。
何が……起きたんだ、ろう……
震える体を引きずって穴の近くに寄る。
……だめだ。穴に近づくだけで鼻がおかしくなりそう。それにこれって、きっと酷い事になっている。そんな所に降りれない。
いくら光る短剣を手に入れたからって、それで無敵になったと思うほど馬鹿じゃない。
いくら幽霊の仕業かもしれなくても、過去の出来事が何らかの形で繰り返されているだけだとしても、こんな血の匂いのする所に降りれるわけが無い。
他の所に行こう。別の道がきっとあるはず。
周りは木と茂みしかない。
森の中は通りづらくはあるけれど、どの道この穴を降りるよりはずっとマシだ。
わたしはヨロヨロとふらつきながら、短剣を無くさないようにワンピースの胸元に閉まった。
そして木に手を付きながら、大蛇のように地面に張り巡らされた木の根の群れへと踏み込んでいった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
道じゃないせいもあって、すぐに息が上がる。
とても山の中を歩く格好じゃないと言う事もあって、より体力を消耗させた。
景色は変わらない。どこまでも暗闇と木々があるだけ。道らしい場所にも出ないし、誰にも会わない。
人どころか幽霊や妖怪にも会わないし、動物もいない。声も聞こえてこない。
もうここは常闇でも現世でもなくて、別の世界なんじゃないのかな。
木はあるのに誰もいないって、どういう事?
疲れて座り込む。ワンピースはもう泥で汚れきっている。
サンダルはもっと酷い事になっていて、覆われていない足の肌は擦り傷だらけだ。
……このままわたし死んじゃうのかな。
誰にも看取られずに、誰ともお別れも言えずに、死んでしまうのかな。
そもそもわたしが死んだらどうなるんだろう。
普通にあの世に逝けるのかな。それとも悪霊みたいになったり、もっと酷い化け物になるのかな。
…………。
そう思うとやっぱり死ねない。
今はちょっと疲れているだけだ。休めばまた歩ける。お腹は減ったし、喉も乾いてる。でもまだ大丈夫。
痛む足をさすって深呼吸を繰り返す。
よし、もう歩こう。そうすれば何か見えてくるかもしれない。
何本もの木々の下を通り、根を跨いで無心に森の中を進んだ。
時折「鬼さん」と念じては見るけれど、何の変化もなく、何かが起こるわけでもなく、自分の周りは静寂と暗闇が広がるばかりだった。
魚さんとかじゃなければ誰でも良い。あ、でも、あの変な男の人も御免で、それ以外なら何でも良い。
本当に誰かいないかな。ここに詳しい人とか、せめて鬼の門を知っている人がいてくれたら、どんなに良いか。
また少し休もうかな。
足も痛いし、なんだか頭がくらくらする。
「ちょいと」
掛けられた声に立ち止まる。
疲れもあって、わたしにしては驚かなかった。
ぐったりとしつつ声のしたほうを向いて、また上がりかけていた息を吐いた。
「ちょいとそこの娘っ子」
「え? わたし、ですか?」
「そうじゃ」
森の暗がりから小さな人影が見えた。
その影がわたしの数歩手前まで来ると、身なりの良い、小柄な老人だと分かった。
「お前さん迷い子か?」
「え? えぇ、まぁ」
「食いもんあるか?」
「あ、食べ物、ですか? いえ……持ってないですけど……」
「そうかそうか。ならちょいと薪を拾ってくれんか。火にあたりたくてのぉ」
そう言って「よっこらせ」と近くの丸太に腰を下ろすと、煙管を取り出して吸い始めた。
い、いきなり出てきて何なのこのお爺さん。
別に危険な感じはしないし、襲って来る様子もないけれど……変な人っぽい。
「どした? 薪が分からんのかの? 乾いた小枝で良いんじゃ、小枝で」
「え? あ、はい!」
変な人ではあるけれど、ここは様子を見たほうが良さそう。
行くあてもないし、この人が誰かも分からない。とにかくここは大人しく従ってみようか。
言われた通り、近くに落ちていた乾燥した枝数本を集めて老人の前に重ねていく。
二、三度繰り返したところで老人が制止した。
「苦しゅうないの。どれ」
煙管をクルリと下へ回すと、火種が落ちて薪へと沈んだ。そうすればたちまち火が上がって、あっという間に焚き火が出来上がった。
……いくら焚き火とは言え、火が一瞬にして燃え上がるなんて。
もしかしてこのお爺さん、妖怪なの?
明るくなったこの場所で老人を眺める。
坊主頭に数本毛が生えて、目元はコブが出来て視界は悪そうだ。肌は年のせいか、染みと皺があちこちにあった。
「して何を迷っとる?」
「は? え? あ、えっと」
「まあお座り」
しどろもどろに答えるわたしに、老人はわたしの傍にある大きな石を指さした。
わたしは交互に見てから頷いて、静かにそこに座った。
「どこに行きたいじゃ?」
「え、あの、常闇に」
「ほお常闇か」
「知ってるんですか?」
常闇を知っていると言う事は、この人は妖怪なんだ。それなら鬼さんを知っているかもしれない。
思わず興奮気味に訊き返したわたしだったけれども、お爺さんはまた煙管をいじって吸い始めた。
「常闇の何処に行きたいんじゃ?」
「あの貪欲の鬼のところに」
「ほお」
「行き方を知ってます?」
「童の行く道なぞ忘れたなぁ」
え? なに? 童?
河童じゃなくて? お爺さんだから耳が遠いのかな。それとも言い間違いかな。
「あの河童じゃなくて、鬼のところで」
「忘れたなあ」
ふぅーっと煙を吐いて、御爺さんはぼんやりとそれが消えて行くのを眺めた。
ああダメだ。話が通じそうもない。のんびりとした、にべもない返答に溜息が出そうになる。
普段なら粘ろうとも思うんだけれど、どうも今はダメだわ。疲れてるし少し休んだら、早々とここからまた歩こう。
ガックリと項垂れるわたしに、お爺さんがカッカと笑いかけた。
「なんじゃ疲れているようじゃのぉ」
「えぇ、まぁ……」
「どおれ。儂が一つ昔話でもしてやろうか」
「え? 昔話?」
「薪の礼じゃて」
戸惑うわたしに構わず、お爺さんはふぅーっと煙を吐き出すと、薪の中で弾ける火花を見つめた。
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其奴は何時から生まれたのか、存在していたのか。そんなことは遠い昔、忘却の彼方へやってしまったようじゃ。
腹の中に落ちてくる様々な物や命ある者を呑み込み続けて、幾年月が過ぎ去り、生物を喰わんとしている内に、生きる事に対する渇望と食す事への欲を覚えたそうじゃ。
そして時折仲間や親への寂しさ、光や外への望みを覚えると、自らそれらを呑み込む穴にも関わらず、外を欲するようになった。
ある日、欲深い人間達が穴の中へ落ちてきた。
興味深いと大穴は男達を呑み込むのをやめ、暫し様子を見た。
男達はこれは良いと、入り口に縄をつけて穴を寝座として使い始めたそうじゃ。
人間達は欲深く、まだ呑み込んでいないというのに、様々な欲を穴に覚えさせた。
それは物欲や色欲であり名声や優越感であったり。
人間達から滲み出る強欲さが、穴の中を充満していった。
やがて人間達が互いに争い、罵り、果ては殺し合いをして皆死んだ。そして其奴はそれすらも全て呑み込んだ。
いよいよ外への欲求が膨れ上がった。覚えた欲は渇望に変わり、妖気をうねらせ、とぐろを巻いたんじゃ。
あと少し。あと少しで妖気が溜まり外へ出ることが出来る。妖気が満たされれば己も外へ出られる。
確かな物などなく身勝手な思い込みから、奴は高揚し穴から瘴気を溢れさせ、近くにある命という命を貪り始めた。
幾ら喰ろうても姿は変わらず、大穴はやはり穴に変わりがないというのに。
そんな時、一人の人間の子が放り込まれてきた。
人の子の、その小さな身体とは裏腹に、穴が知るどの強欲さよりも欲が深かった。
人の子は人を欲した。そして情を欲した。
去り行く仲間達に懇願し、泣き叫び、謝り、追い縋った。叫ぶ声は枯れ、いつしか人の子は衰弱し、死に絶えた。穴底に横たわる小さな身体が残ったそうじゃ。
穴はそれも呑み込んだ。
人の子の想いと渇望も共に。一人寂しい苦しさを抱きながらの。
それが幾度となく繰り返された。
外への渇望が増して瘴気を溢れさせる度に、何者も落ぬ年には人の子が放り込まれるようになった。
そしてある年の朔月の夜じゃった。
その日は一人の紅く染まった装束を着た人の子が、自ら飛び込んできたそうじゃ。
大穴の大口に飛び込むなり、その人の子はこう言い放った。
「古より開く穴よ。この体と魂、名をくれてやる。その代わりこの村の人間全てを喰い尽くしてくれ。男も女も老いも若いも、全て」
大穴は喜々として了承したんじゃ。
その人の子は怨念深く、怨みや怒りにまみれており、自らの物以外の幾人もの怨恨も含まれていた。
其奴はそれらを糧に変え、穴の中の妖気は充満し、最後には穴自らをも呑み込んだ。
永らく大口を開いていた大穴は姿を消し、代わりに朔月の下に姿を現したのは一匹の紅い鬼じゃった。
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不意にハッとして、顔を上げた。
意識はまるで夢から醒めたばかりみたいにあやふやで、目を白黒させながら立ち上がった。
焚き火の火は消えて辺りは真っ暗。老人が座っていたところには誰もいない。
あのお爺さんはどこに?
話を聞くのに夢中になったとは言え、一瞬にしていなくなるだなんて。そんな事ある?
「こっちへ来う」
森の奥からお爺さんの声が聞こえた。
そちらを目を凝らしてみれば、いつの間にか丈夫そうな杖を持って佇む小さ影が手招きしていた。




