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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
43/63

十一ノ怪


 全身の汗が一気に噴き出して、気がついたら走り出していた。

 妖怪である魚さんに足で勝てる訳がないのだろうけれど、そんな事はもう頭になんて無く、魚さんとは逆の方向へと駆け出した。


「お待ち……下さい」


 酷く落ち着いた声が背後から呟かれる。

 どこか嬉々とした様な、それでいて狂気を滲ませた声が、押し寄せる波のように背中を撫でた。


「大丈夫です……痛みなど感じぬ程……刹那に終わらせます」


「いやっ!」


 叫んだ直後、空気が動いた。

 そして足元に何かが掠めた瞬間、ヒヤッと冷たいものが弾けた。


 髪の毛が逆だった。

 足を切られた。切られたんだ。


 膝が崩れて地面が間近に迫った。視界に自分の手が地に着こうとしているのが見え、もう駄目だと目を閉じかける。


『コッチ』


 炎が勢いよく燃え上がる音がした。

 不意に白い手がわたしの掌に差し伸ばされ、強く握った。自分の視界から、と言うより全身真紅の炎に巻かれて何も見えなくなる。


「なに!?」


 驚いて声を上げる。

 それは魚さんも同じだったようで、わたしと同じ言葉を上げて戸惑っている様子が炎の向こう側から聞こえてきた。


「馬鹿な……紅い鬼、朔紅童子か!?」


「え?」


 魚さんの狼狽えた声に僅かに目を開ける。

 炎の向こうに、小さな人影が見える。


「贄ノ名を呼ンデ」


「贄?」


「口にシテ。言霊にシテ」


 幼い声。でもしっかりした、大人のような、いや、それ以上に何かを悟りきった声。

 名前ってそれって……


「朔紅、童子?」


「いけません鈴音様! ダメです!」


 我に返った魚さんが焦った声を上げる。

 よく分からないけれど、名前を言えば良いのね? この目の前の子がどういう子がまだハッキリした訳じゃないけど、今はこの子に賭けるしかない。


「朔紅童子!」  


 わたしは叫んだ。お腹の奥底から声を出して、鬼さんを、あの紅い色を頭に浮かべながら叫んだ。


 炎がまた一段と激しく燃え上がる。

 火柱の中にいるような火の激流がわたしの周りを物凄い勢いで上へ登っていく。


「そんな……馬鹿な……貪欲の鬼の名は、確かに……」 


 愕然とした声が轟音に呑まれて消えていく。

 紅い炎は決して明るくはない光を放ちながら、わたしを包み込んで纏っていく。


「……あ、熱い! 耳が」 


 轟音が激しさを増して耳を塞ぎたくなる程になると、わたしはそれに気分が悪くなり、やがて意識が遠のいていった。  




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 

 辺りはどこまでも暗く、水面は遠い。

 鬼さん、どこにいるの? どうやったらそっちに行けるの?

 


 ……あの手招きしている子ともっと話をしないと。

 だって恐らくあの子は……鬼さん、あなたなんだから。




・・・・・・・・・・・・・・・・




 寒い。目を開けると、わたしは何かにくるまって横になっていた。

 ぼんやりする頭と目であたりを巡らす。

  

 まず蝋燭が目に入った。それから洞窟のような岩壁に、木で出来た頑丈な格子で、随分古い年月が立っているのか、所々黒く変色していた。


 ここって……なんだろう。

 座敷牢? 


 体をゆっくり起こして自分の状況を見る。

 眠っていた下には汚らしいゴザが敷かれて、わたしに被せられていた布は真紅の生地にオレンジの花が刺繍された、見事な長襦袢だった。


 これは誰の持ち物なんだろう。

 あの子が掛けてくれたのかな。


 安全な場所ではない雰囲気に用心しながら立ち上がる。

 ここに連れてきたのは、あの少年なのかな。わたしを牢屋に閉じ込めてどうするつもりなんだろう。

 

 格子にそっと近づいて、向こう側を眺める。そちらにも同じような牢があり、中は暗い。


 一応蝋燭が廊下に一定の距離で置かれてはいるけれど、決して十分に明るいものにしてくれる訳ではなく、よく目を凝らさなければ、物はよく見えない。


「あのー、どなたかいませんか?」


 小さな声で呼びかけてみる。

 でも返事はない。


 これ以上大きな声を出す勇気はハッキリ言ってない。騒いでまたあの男達みたいなのが来たら、とんでもないもの。


 ここからどうにかして出られたら良いんだけれど。

 一歩下がり、格子を眺めて出入り口になりそうな所を探す。


 あ……あった。


 ひと一人がやっと通れそうなくらいの小さな出入り口が、格子の隅に付けられていた。

 早速そこへ寄って鍵を調べてみる。


「……あれ?」


 南京錠のようなものは確かに掛かってはいるのだけれど、その肝心な鍵はきちんと締められておらず、宙ぶらりんになって格子にぶら下がっていたのだ。


 誰かが閉め忘れたのかな。


 恐る恐る鍵に手を伸ばして取り外す。

 それから格子を押せば、きぃと音を立ててすんなり外へ出られた。


「ここはまだ赤鼓村なのかな。どうやったらいい加減出られるんだろう」   


 思わずそんな事を呟いて溜息を吐く。

 流石に疲れてきた。


 視線を下げ、足元を見たときギョッとした。

 足が真っ赤に血に濡れて、膝下まで広がっていたのだ。


 これって……さっき魚さんがわたしに何かしたせい?


 今は血は止まって乾いているみたいだけれど、わたしの精神状態を悪くするには充分だった。


 さ、魚さんはあのとき本気でわたしの足を切ろうとしたんだ。それから下半身を魚にして、もう二度と歩けないようにするつもりだったんだ。


 目眩がして格子に手を付く。


 もう鬼さんといい、魚さんといい。やっぱり妖怪なんかと、鬼なんかと一緒になれない。一緒に暮らしていけない。

 あまりにも残虐すぎる。もうついて行けないよ。 


 じわりと目尻に涙が浮かんでくる。

 

 わたしは何をしているんだろう。

 鬼から逃げて鬼のところに帰るの? もう、意味が分からないよ。



「泣かナイデ」


 ふわりと背中に何かが被せられた。

 肩を見れば、さっきまで自分に掛けられていた長襦袢が、またわたしの背中を包み込むように被さっていた。


「コッチ」


 目を上げると、白い装束を着た男の子が一人佇んでいた。

 ……背後から着物を掛けられたのに、目の前に少年がいる。


「あの、君は」 


「コッチ、来て」


 わたしの声掛けを遮り、彼はわたしの向かいにあった牢の中へ手招きした。

 彼は座敷牢の奥へと進むと、敷かれていたゴザを剥がしてその下の石畳もいくつか剥がしていった。


「これは」


 剥がされた石畳の下から現れたのは階段。

 歪な石階段の壁の左右には注連縄がいくつも張り巡らされ、御札が何枚も貼られていた。


 ……気持ち悪い。


 悪寒なんてものじゃない。吐き気や嫌悪感や、様々なものが稲妻のように体を駆け巡った。


「コッチ」


 彼は青褪めるわたしを尚も手招きして先に進んでいく。

 わたしは躊躇してしまうも、ここで一人残されても仕方ないし、何より手掛かりになるのならもう諦めていくしかない。


 ガクガクする足を無理やり動かして、なるべく何も考えないよう、わたしは半ばやけっぱちに少年の後へと続いた。




 一段一段下へ下がる度に冷気が増していく。

 寒さのせいなのか、肩や節々もなんだか痛みを感じ始めて動くのが辛い。


 この先には何があるんだろう。

 この少年はわたしをどこへ連れて行こうとして、何を伝えたがっているんだろう。


 二度も魚さんから逃がしてくれるって言う事は、魚さんとは敵対している存在なのかな。

 それにさっき起きた火柱。あれは鬼さんの鬼火と良く似ていた。


 だとしたらこの子は鬼さんであって、わたしを助けて…………って、あれ? 


 待って。そしたらおかしな事になる。


 鬼さんは現にもう居るんだから、きっと今見てるのは過去の鬼さんの姿と言う事にならないと変だ。じゃないと鬼さんが二人いる事になっちゃうんだもの。


 だったらこの少年は過去が映し出す幻? いやでも、幽霊なら分かるけれど、幻がわたしに話しかけてるってあり得るの?

 

「あ、あの……朔紅、童子?」 


 試しにわたしが声を掛ければ、ずっと振り向きもせずに進んでいた彼が足を止めた。


「えっと朔紅童子って、あなたの、名前?」


 たどたどしく問えばその子は振り返った。わたしとは違う種類の蒼い幼い顔で。

 その顔は鬼さんの顔とは似てるようにも似てないようにも思えて、同一人物か測りかねた。


 彼はしばらく黙ってわたしを見つめていたが、やや大きめな目で一度瞬きすると、その小さな口を開いた。


「ミンナの名前」


「みんな?」


「タクサンの」


「沢山?」


「タクサンの、ミンナ、呼び名」


 よく分からない。どういう意味?

 怪訝な顔をして眉を寄せるわたしを、彼はまた前に顔を戻して階段を下り始めた。


「君は鬼なの?」


「まだチガう。鬼じゃナい」


 鬼さんと違って訛りがある訳じゃないんだけれど、どうも繋がりの悪いラジオだかテレビみたいに音が所々歪んで聞こえる。


「鬼じゃないの?」


「チガう」


「紅い鬼って知ってる? 常闇の貪欲の鬼って言われている鬼なんだけれど」


「うん。知っテる」


 彼は鬼じゃない。でも『まだ違う』らしい。そして鬼さんの事は知っている。

 うーん。ますます分からない。


「じゃあもしかして……幽霊?」


「チガう」


「幽霊じゃないの? それじゃあ一体――」


 言いかけたわたしを、彼は急に振り返って自分の口に人差し指を立てた。それを見て、わたしも口を噤んだ。


 彼はそっと階段を下りて行く。

 その先は暗くて闇しかない。彼はそれでも構わず進んでいった。

 わたしも息を殺してその後に続く。

 

 もう真っ暗同然の中を慎重に足を踏み外さないように下りて行くと、両端になにか赤い物が見えた。

 目を凝らしてよく見れば、かなり年月の経った柱で、上を見上げて柱の先を辿って行くと、また赤い梁の様なものが目に入った。


 もしかしてこれは、鳥居?


 狭い通路に無理やり作ったのか、壁と天井にめり込んでいて埋まっている。どうしてこんな物があるんだろう。さっきから疑問だからけだ。

 

 暗闇に薄ら見える少年の背中を見つめる。

 この先に行きつけば、沢山あるうちの疑問の一つは解決するんだろうか。



 階段は終わりを迎えたようで、両足が段差のない地面に並ぶ。

 広さは定かじゃないけれど、小さめの灯篭がいくつか灯されており、ぼんやりとならその周辺が照らされていた。


「ここはどこ?」


 ぐるりと見渡す。どうも変わっているような、不思議な場所で、石で作られた箱が幾つかニ列に並んで整列していた。

 そしてその上には神社とかで見る柄杓がそれぞれの箱の上に置かれていて、見慣れないとするなら、柄杓は全部赤い色をしていた。

 

 これは、ここは手水舎みたいなものなのかな。

 さっきも鳥居があったし、ここは神社みたいな場所なのかも。


「コッチ」


 足を止めて辺りを見回していると、少年が呼びかけて来た。

 彼はわたしが呼び声に反応して顔を向けると、灯りの届かない奥と歩いていった。


「あ、待って」


 慌てて小さな背を追いかける。

 自分の足音が響くのを耳にしながら自分も奥へと入り込んだ。


「この先には何があるの?」

 

 どんどん僅かな光が後ろへ遠ざかって行くのを肩越しに見ながら、少年に問いかける。

 けれど答えは返ってくる事なく、黙々と真っ暗な中を進んでいった。



「アレ」


 そんなに長くは無い距離を進んだ所で、声と共に歩みが止まった。

 足元に置かれた小さな蝋燭が、なんとか観音開きの様な扉を照らしていた。


「この先はどこに繋がっているの?」


「朔紅童子」


 告げられた名前に「え?」と呟き、息を呑んだ。

 この先に、鬼さんが? ということは、常闇に繋がっているの?


「この先に鬼さん、紅い鬼が居るっていう――」


 言いかけて固まる。

 視線を向けた先には、誰もいなかった。

 続くはずだった言葉を失い、わたしは呆然と背後を見て、扉を見つめた。



 ……ここまで来たのなら行くしかない。


 わたしは深く息を吐くと、震える指先を扉に向けて伸ばし、金属でできた輪っかの取っ手を握って思いっきり引っ張った。

 

 扉はわたしの気持ち同様重くて、わたしは歯を食いしばって何とか人一人通れるほどの隙間を開けてみせた。


 そうすると、その隙間から澄んだ水の匂いと、仄かにお酒の匂いが漂ってきた。



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