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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
42/63

十ノ怪


 襟首を掴まれて女性達の中へ放り投げられる。

 わたしがぶつかっても彼女達は悲鳴一つ上げず、ただ体を強張らせて身を寄せていた。


「今日はもう済んだのか?」


 聞こえた声に顔を上げると、部屋の出入り口付近に太ももまで裾をたくし上げた、厳つい男性がいた。

 彼の手には長い棒が握られて、桶の様な物に腰を掛けて座っていた。


「おう。もう他の奴らは帰ったぞ」


「お前きちっと目ぇ光らせとけ。おかげで俺ぁ泥まみれだ。ったく」


「良いじゃねぇか。どうせこいつら行く当ても、匿う奴もいねぇんだから。逃げようたって、獣に喰われるか野垂れ死にだろ」


「そういう話じゃねぇよ!」


 わたしを投げた男が怒鳴ると女性達は皆びくりと跳ねた。

 吐息は震えて泣く声を必死に出ないように堪えている。そしてただひたすら俯いて、男たちを直視しないようにしていた。


「分かった分かった。一杯奢ってやるから落ち着けって。俺だって他の奴らがヨロシクやってるの目の前で見せられて辛いんだからよ。まぁ、もう二度はねえから」


 男は立ち上がり部屋の灯りを順々に消すと、不機嫌な彼を宥めすかしながら外へ出た。

 彼らが引き戸を閉めると、外から鍵がかけられた音が鳴った。

 男達の声が遠ざかっていくと、辺りは静けさに包まれる。


「……あんた馬鹿な事したね」


「え?」


 ぼそっと、暗闇の中で誰かが呟いた。

 月明かりも無く蝋燭の明かりもない部屋は、とても人の顔までは見えない。

 それでも灰梅の瞳のおかげか、なんとか人の影は判別できる。


「逃げられやしないのに」


「下手したら身内まで酷い目に遭うんだよ」

 

「そう。私らはひたすら耐えるしかないんだ。それか首でも括るか井戸に身を投げるしかないんだよ」


 どれも若い女の人の声だ。でも声は掠れて生気は無い。ぼそぼそと話すせいで、静かなこの状況でも少し聞き取りづらくはある。


「だからもう逃げ出すなんてやめな。無事生きていたいならね」


「わたしゃ死にたいなら止めないよ。ただ……残された方は辛いけどね。笹の下の娘さんとこも、姉さんが首吊った後、追うようにその妹二人も川に入ったんだから」


 ただならぬこの状況に息を飲む。ここは本当に何なの? 


 いや想像は大体ついているけれど、こうも具体的になってくるとこの村全体が異常な存在だ。

 この人たちもあの男の人達も、正常とは思えない。


「あの、ここはどこですか……?」


 改めてずっと気になっていた事を声をなるべく押し殺して彼女達に訊ねた。 

 そうするとさっきまでの沈んだ空気は消え、変わりに一瞬息をのむ様子が伺え、絶句する声が次々に聞こえた。


「可哀想に。気が違ってしまったんだね」


「おやめなさいよ。これ以上辛い思いをさせたらいけないよ。私らの中じゃ一番若いからね。男共に目をつけられても仕方無かったさ」


「本当にねぇ。あんたみたいな美人が可哀想にねぇ」


「無理もないわ。気にせずそのままでいなさいな」


 わたしをあの女性と勘違いしているみたい。

 あんな体や顔にまで傷を負わされていたんだ。それ以外にも辛い目に遭ったんだろう。きっと苦しかっただろうな。


「ここはね、赤鼓村だよ」


 苦い顔をしていたわたしに、すぐ傍にいる人影が囁いた。

 優しげに、でもどこか哀れさを含んだ声に瞬きをする。


「赤鼓村……」


「そう。ずっと私達は古くからここに住んでいるんだ。先祖代々ね。だけど祀っていた大穴様から瘴気が止まらなくなってね……そこから私達集落の者は酷い扱いを受ける事になったんだよ」


「もう随分前からこうして私ら女達はあいつ等の食い物にされているんだ。男は皆殺されてしまったし、男を産んでも取り上げられる」


 痛々しく話す声に息を呑む。

 これは魚さんが話していた事と一緒だ。やっぱり魚さんが鬼さんの真名を手に入れた村、正真正銘の赤鼓村なんだ。


 あれ? でも男の子は取り上げられるって言ったけれど、あの小屋に居た子はどうなんだろう。


「あの、古い小屋で男の子の声を聞いたんですけれど。お婆さんと一緒の」


「えぇ? 男の子?」


「おスミさんとこの婆様かしら。あんたのうちの近くの小屋かい?」


「あぁえっと……多分そうです」


 実際はこの着物の女性の家になるんだろうけれど。

 それにしても皆、わたしの声聞いて彼女じゃないって分からないのかな。蝋燭消される前は俯いていたから顔が分からないっていうのは納得できるけど。


「男の子を取り上げられるって言ってましたけれど、聞き間違いじゃ無ければ、あの声は男の子でしたよ」


「じゃあもしかして……」


「あの死産したと思っていた子なんじゃないかい?」


 みんなが暗がりの中で顔を見合わせているような素振りを見せる。

 そしてどこか昂揚したような、希望を見たような空気が彼女達から流れてくる。


「あの子生きていたんだ。だったら……まだ生きているのなら。それなら人柱になれる」


「そしたら上手くいけば、あいつらを皆殺しに出来る」


 だんだん穏やかでない言葉や雰囲気になってきて、わたしは思わず尻込みした。 


「そうよ。今は一人大地主の所に取り上げられた子が、今度の贄として育てられているけれど、その子より先にあの大穴様に捧げれば、私達の念願も果たされる」


「なら、だとしたら婆様、本当に今度の祭の贄を、その子にする為に育てていたんじゃ――」


「おい何を騒いでいる!」


 彼女達の声を遮り、罵声が上がると同時に鍵が外され、荒々しく戸が開けられた。

 そうすれば黒い輪郭の男達が次々と乱暴に脚を踏み入れてこちらへ寄ってきた。


 女性達はまた引き攣った、悲鳴にもならない悲鳴を上げて身を寄せ合う。


「まだ話す気力があるみてぇだな。おい、相手してやれ」


 一番前に居た影が顎をしゃくるの動作が見えた。

 途端に上がる女の人達の叫び声。男の人の罵声に乱暴な物音。

 真っ黒な影が何人もわたしを邪魔だと突き飛ばし、傍を通り過ぎていく。そして次々と女の人達に覆いかぶさり押さえつけていった。


「やめて!」


 自分だって体中ガクガクに震えているけれど、叫ばずにはいられなかった。

 目の前の男から女の人を引き剥がそうと手を伸ばす。

 でも手は影に届かなかった。


 伸ばした腕は、掴まれた手首に冷たさを感じて凍りついた。


『コッチ』


 息を呑み振り返る。

 素早く背後に目を走らせれば、辺りは静けさと古い湿り気のある空気に満ちていた。


 目を見開いて何度も周りを見渡す。けれど、誰もいない。

 さっきまで人がいたなんて嘘の様に、何年も無人だったようなカビ臭い家屋の中に、わたしは一人佇んでいたのだ。


「……え?」


 入口を見ても、部屋の奥を見ても誰もいない。

 これは、さっきのは幻? でも未だに服装は変わっていない。古い汚れた着物のままだ。


 じゃあさっきの女性達は男の人達は、なんだったの? それにさっき男の子の声が聞こえた。

 この中に居ないってことは、外にいるって言う事なのかな。 


 冷や汗が額に浮かび、それを拭うと外へ出る。

 そこもやはり静かで物音がしない。でもやはり人の気配はどことなく感じられ、廃墟とはまた別のものを肌で感じた。


「……どこにいるの?」


 薄暗い家屋に囲まれた道に出て呼びかける。

 すると背後から、今出て来たばかりの小屋から悲鳴と罵声が聞こえてきた。


 驚いてそっちを見れば閉じられた窓から薄ら光が漏れて、そこから悲痛な女性達の悲鳴と、どこか狂った男達の罵声と笑い声が聞こえてきた。


 ……な、なんなの……一体どうなっているの?

 

 わたしは確かにあそこの中に居たのに。しかも今の今まで急に誰もいなくなって消えていたのに。

 混乱と不安が入り混じり、わたしは動けずにその場で固まっていた。


 魚さんの所から逃げて鬼さんの所へ戻るつもりだったのに。

 それなのにこんな訳の分からない村に連れて来られて、幽霊みたいな手にあちこち連れまわされて。

 ……本当に、どうしろっていうの。これは幻覚なの? それとも妖怪とか怨霊が見せる悪ふざけなの?


 わたしは訳が分からない状態で、そのまま何も考えず走り出した。

 とにかく暴力的な物音が響く建物からわたしは早く離れたかったのだ。


 鬼さん、ねぇ鬼さん。どこへ行けばいいの?

 どうしたら常闇に戻れるの? ここからどうやって出れば良いの?


 身に纏う薄くて異臭のする布は、足を動かす度にパタパタと軽くはためいた。

 行き先も分からずとにかくこの家々が集まる場所から抜け出そうと、崖を目指して黙々と走る。


 ポタリ。何か冷たい物が肩に落ちた。


 水滴? 雨? 

 足を止めて顔を上げる。空はやっぱり真っ暗な曇り空。雨が降ってきてもおかしくは無い天気だ。


「夜の……散歩ですか?」


 心臓が引きつった。顔も凍りつき足も震える。

 聞こえた口調はゆったりとして穏やか。でもどこか冷え冷えとしていて、引き摺りこむような暗さを含んでいた。


 ゆっくりと声のした方へ顔を向ける。  


「何故ここに……いるのです? 外へお出掛けになるのは……控えた方が宜しいと、お伝えした筈ですが」


「さ、魚さん……」


 まるで死に装束の様な真っ白な裾の長い着物を着て、妖しい銀の瞳でわたしを見据えていた。

 湖面の様な静かな瞳はどこまでも冷たかった。


「あの、わたし……」


「どうやって、ここへ?」


 物静かな物言いなのに有無を言わせない威圧感があり、わたしの心拍数はガンガン跳ね上がった。


「あ、あの……それは……」


「はい」


「幽霊が出て」


「幽霊?」


 眉を寄せれば白い肌の表面が鱗模様を浮かび上がらせた。

 魚さんはわたしのセリフが思いがけなかったようで、少し驚いているようにも見えた。


「はい。白い手が、あの家で出て、コッチに来てと手招きしたんです」


「貴女は……それに従ったのですか?」


 やや呆れと疑いを持って魚さんは呟いた。

 確かに幽霊なんて出たら追いかけないで逃げるのが当たり前の判断だ。

 そこまで思って、わたしは閃いた。 


「まさかそんなわけないじゃないですか! へ、部屋に手がいきなり生えてびっくりして、家の中を逃げ回って、それでここまでなんとか逃げて来たんですよ」


 あくまで逃げ出す気は無く、幽霊が出てきて驚いたから家を出たと、魚さんに訴える。


「それでは……何故私を呼んで頂けなかったのです?」


「えっと、驚きすぎて思いつかなかったんです……びっくりして、家の中を走り回っていましたから」


「ではどうやって外へ?」


 魚さんの声は冷や水を被せられたかのような錯覚をわたしに覚えさせた。


「あ、の……お風呂場の天井から……」


「霊から逃げるのに……わざわざ浴室の天井を通ったのですか? 私を呼ぶことも忘れ、その様な事を?」


 耳鳴りがするほど静かで鋭く冷たい声が、辺りに波紋を広げさせわたしの耳に届く。


「それに……その汚らしい着物は何です? 私が差し上げた物はどこへやったのですか」


「そ、れは、わたしにも、分からな」


「逃げている最中だと言うのに……お召しものを変えるなど……可笑しな話ですね」


 まともに話す事が出来なくなっているわたしを遮り、魚さんは嘲笑を交えた声音で突き放す。

 そしてその銀色の瞳は刃物のように鋭く、妖刀のように危険に満ちた光を放ち始めていた。


「貴女はやはり危ない……鬼様から逃げ出した事のある貴女ですからね……最早仕方ありません」


 スッと魚さんが腕を上げた。


「私は貪欲の鬼様のように……悠長な考えは持ちませんのです。ですから……切ってしまいましょう」


 にこりと微笑んだ魚さんは上げた腕の先、水掻きのついた指先を光らせた。その光っているのは紛れもなく鬼の爪。


「貴女の足を」

 

 キーンと一段強い耳鳴りがした。

 自分の髪の毛が逆立って全身の筋肉と言う筋肉が瞬時に強張った。


「あ……いえ、そんな、わたし」


「下半身が無いのは……嫌ですか? そうですねぇ、不格好では可哀想ですものね……」


 知らないうちに後ずさりしていたみたいで、足元から地面をなぞる音が聞こえた。


「では……丁度人魚の肉を食した貴女なのですから……魚の半身でも変えましょうか……」


「え?」

 

「人が鬼へ変わるのですから、魚へ変わるのも容易いでしょう……。現に、鬼であった私が……あの醜い魚へと変えられたのだから……!」





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