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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
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三ノ怪

 目を閉じて意識を集中すれば、あの波間に揺れる感覚が思い出される。

 

 ヘトヘトで疲労困憊で。慣れない常闇の暗闇に戸惑いながら、それでも必死で泳ぎ続けた。  


 何かを伝えたかった。誰かに知らせたかった。

 とても大事な、何かを。

 

 痛む体と、気を抜けば消えてしまいそうになる意識。

 あの感覚の持ち主は何者で、どうして常闇に来たのかしら。来る前はどこに住んでいたんだろうか。


 混乱からか、疲労からか。

 とにかく誰かに会わなければという考えばかりで、ほかの情報は何も得られなかった。



「御姫さん、ひとつ肝に銘じて頂きたいことが御座います」


「なんですか?」


 正体の分からない意識の主を思い浮かべていると、真剣な様子で紫さんが言ってきた。

 その堅い声に目を開けて向き直ると、なんだろうかと首を傾げた。


「覚えておりますか? 御姫さんに何か御座いましたら、私が消滅してしまうと」


「は、はい」


 剣呑な話に一瞬顔が強張り、それから何度か小さく頷いた。

 わたしの世話と監視を任された紫さんは、わたしが逃げたり鬼さんから離れるようなことがあれば、鬼さんの呪いによって殺されてしまうそうだ。


 過去、二回。

 わたしは鬼さんのもとを離れたことがあった。


 一度目は不可抗力で。

 二度目は自分から逃げ出して。


 ふらりふらりと漂っていた煙は次第に集まりだし、神主の姿へ変わっていく。

 人の大きさまでになった紫さんは、行儀よくわたしの前に座る形で畳の上に留まる。


「御姫さん。ですから夢々何かしようなどと、思わないで頂きたい」


 ゆっくりと噛んで含めるように、紫さんはそうわたしへと言った。

 整った神主の顔はとても厳しい顔つきで、まるで見るもの全て切り裂いてしまうのではないかと思うくらい、鋭い目つきだった。


 こんなふうに言うのは当然である。自分の命が関わっているんだもの。


 けれどもその殺気を含んだ気配に、わたしは体を小さくしてぎこちなく頷いた。

 怯えと恐怖が心にじわりと染みて、暗く広がっていく。

 背中も冷え冷えとして寒い。


 目の前の煙の妖怪は、やはりわたしとは違う存在なんだ。

 鬼さんと同じく普段は飄々としていても、根は違う生き物なんだ。

 

 この瞬間わたしは改めて思い知らされたのだ。

 いつも傍にいる影という影は、みな常闇に生きる妖怪なのだと。




・・・・・・・・・・・



 大広間に入り、胡座あぐらをかく紅い鬼の横に座る。 

 目の前の用意された食事を見て、わたしはホッと息を吐いた。


 白いご飯に豆腐のお味噌汁。焼き魚。色々な野菜の煮物。

 普通の、人間が普通に食べる、普通の食べ物。


 箸を手に持ってみて、ぴたりと手が止まる。

 

 紫さんは時間はあるといっていたけど、でもそれって、妖怪の感覚で時間があるという意味なのかしら。

 だとしたら常闇と現世が離れるのは、随分遠い未来の話になってくる。そうなれば、紫さんのわたしに対する食事問題は、杞憂なもので終わることになるわ。


 だってその頃にはわたしはお婆さんにでもなっているに違いないし、老い先短いのであるなら、さすがにわたしもどうこう言う気は無くなっているだろう。 


「どうしタ? 食わないのカ?」


「え? あ、あぁいえ。食べます。その、いただきます」


 声を掛けられて、慌てて両手を合わせて箸を持ち直す。

 それからお椀を持ってお味噌汁を口へと運んだ。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「お前は変わらず常闇のモノは食わンのカ」


 もぐもぐと口の中の物を咀嚼して飲み込む。

 一度鬼さんの視線を避けるように焼き魚の焦げたしっぽを眺め、それから食べ終えた為に箸を置いた。


「まだ、普通の、人間の食べ物を食べていたいんです」


 自然と不安から口に力が入る。

 そっと鬼さんを盗み見れば、鬼さんは瓢箪ひょうたんを直に呑んで、口を離した所だった。


「マァまだ時間はあるカナ。構わンよ」


 のんびりとした口振りには怒りを感じない。

 良いお酒が手に入ったとかで、いつもより機嫌が良いというのもあるんだろう。


 少し安心して、緊張も僅かにほぐれる。

 鬼さんも紫さん同様、妖怪の時間感覚で物を考えているのかもしれない。

 そのままずっと、そう思ってもらえれば良いけど。



「そうだ。あの、わたしがた妖怪はどうなりましたか? 見つかりました?」


 ずっと気になっていた事を思い出して問えば、鬼さんは畳の向こうを見て盃から口を離した。


「今あそこらの河童や海坊主ドモに調べさせているカナ。も少しすれば、知らせが来るダロウ」


 そうなんだ。

 もう妖怪たちに調べに行かせていたんだ。


「妖気を呼び寄せてとか言っていましたけれど、それはどうしたんですか?」


「とっくにやったカナ。だから妖気の居場所を俺が探って、その場所を調べに行かせているンだろう」


 鬼さん仕事が早いのね。色々既に動いているんだ。

 ということはもう、あの泳いでいた妖怪の場所は特定できているんだ。


「早く見つかって、助かっていれば良いんですけれど」


 居場所が分かっても、間に合わずに死んでしまっては意味がない。なんとか無事でいてくれれば良いな。 


「さ、もうコレで満足ダロウ?」


 不意に片手を握り込められる。

 驚いて腕を引くけれども、強く握られた手が鬼の拘束から外れることは無かった。


「あとは知らせを聞くだけでこの件は終わりダ」


「そんな……終わりなんかじゃないです! あの妖怪は何かから逃げて、何かを伝えたかったみたいでした。わたしも知りたいです」


 とても切羽詰っていたあの様子。ただ事じゃなかった。

 現世から逃げて来たんだとしたら、きっと現世で何かあったんだ。だとしたら、わたしにだって関わってくるもの。


「お前は余計なコトをせず、俺の傍にいて酌をする事ダケ考えていろ」


「こんな中途半端な終わりなんて嫌です! どうなったか、助かっているのか。せめて現世で何が起こったのか知りたいんです」


 現世にはわたしの家族や友達だっているんだ。

 別に妖怪だけの話ならどうでも良いという訳では無いけれど、もしみんなに何かあったりしたら、大変だわ! 


「マァーッタク! お前は毎度毎度、毎回毎回、何度も何度も! どうしてそんなに馬鹿ナンダ?」


「ば、馬鹿……?」


「ウロチョロせんで黙って酌しろ!」


 ギッと二つの紅に睨まれて、一瞬怯んでしまう。

 が、わたしも現世が関わっているのならと、譲らなかった。


「いえだって、現世で何かあったのなら、わたしの家族にも、人間にも何かあるかも知れないじゃないですか! どうしても気になるんです!」


 わたしは掴まれていた手を自分のもとへ戻すと、鬼さんに改まって向き直り身を乗り出した。


「お酌はきちんとします。だからあの妖怪がどうなったか、何を知らせたかったのか教えて下さい」


 顔を見上げて必死に懇願すれば、鬼さんが目を細めてわたしをじっと見つめる。


「……お前は本当に首を突っ込みたがるナ。久し振りにお喋り雀になったかと思えば、他の奴のコトばかり必死になりやがって」


「お、鬼さんのことも、これでもちゃんと考えてます……」


 鬼さんはわたしが他人のことに興味が移るのをとても嫌う。

 常に頭の中には鬼さんのことを思い浮かべていなければ嫌だと、この紅い鬼はわたしに言うのだ。


「考えているとは、ドウ、考えているンだ?」


 畳み掛けるように言われ、俯いて両手の指を絡ませる。

 色々逡巡して、わたしは言葉を選びながら頭にこれから話すことを組み立てていく。


「えっと、ですから、わたしは鬼さんの傍にいるんです。だ、だから鬼さんと一緒にいて、お互いが気持ちよく過ごせるように、その、常に考えています」


「それで、考えてどうなンだ?」


 さらに容赦なく責めるような口ぶりに、体が強ばった。

 今の鬼さんからは、少なくとも剣呑な雰囲気が感じられる。


「あの、ですから、少しずつで良いから、鬼さんの傍にいて、平常でいられるようになるよう、努力しているつもりです」


 途切れ途切れに、でも正直に告げた。

 鬼さんの近くにいると、どうしても心拍数は上がるし冷や汗も浮かんでくる。どうしても恐怖心が消えない。

 わたしが鬼さんに抱いた恐怖心は、未だに微塵も払拭されていないのだ。 

 

「俺と共にいるのが辛いのカ?」


 鬼さんの問い掛けにわたしは黙った。

 もちろん辛いのだが、それをハッキリ口に出来るだけの勇気は、わたしには無かった。

 それでも鬼さんはそれを肯定として受け取ったらしく、不機嫌そうに盃を置いた。


「お前は俺をマダ受け入れないんダナ」


「努力しています!」


 冷たく言い放たれた言葉に、すぐに反論する。

 涙目になりながら鬼を見つめて、自分が常に必死に、目の前の紅い鬼のために尽力しているんだと分かって欲しかった。


「……そうカ」


 それでも無機質な呟きしか返ってこなかった。

 わたしはそれを目を見開いて受け止め、次に目を伏せて肩を下げた。


 どうあってもわたしの気持ちは鬼さんに届かない。好きになれないという、わたしの思いは届かない。


 でもきっと、それは鬼さんも同様なのだろう。


 わたしが鬼さんを好きになれないのと同じで、鬼さんがわたしを意のままにしたいという気持ちを向けるのも、どうする事も出来ない事なのかも知れない。


 どちらも自分の気持ちを、自分で意図して作っている訳ではないのだから。



「とにかく、何か分かったのなら教えて下さい。お願いです」


 改めて鬼さんに向き直り、正座をして切にと願えば、わたしは頭を深く下げた。


「俺はタダならやらンぞ?」


 少し間を置いた後に低い声が返ってくる。

 不機嫌そうな様子に、不安と恐怖心がじわりと込み上げてくる。

 でもわたしは唾と共に、なんとかそれを飲み込んだ。


「……キチンと払います」


 意を決して返せば、鬼さんはわたしを横目で見つめ、それから黙って盃のお酒を飲み干した。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 数日後、鬼さんのもとに知らせが届いた。

 橙通りに一匹の妖怪が運び込まれ、今手当てを受けていると、鬼さんはわたしに話したのだ。


「助かったのはどうやら現世の川に住む川男みたいダナ。何者かに襲われたみたいで、相棒が呑まれるのを目にして命からがら常闇に逃げ込んできたようダ」


「何者かに襲われた?」


 籠の中で目を丸くして傍らに立つ鬼さんを見上げる。

 鬼さんもまた、腕を組んで妖しい紅でわたしを見下ろした。


「変なヤツみたいでナ。突然の事で混乱して、よく見えなかったのもあるみたいだガ、見たこともないあやかしだったそうダ」


「見たこともない?」


 一体どんな妖怪だと言うんだろう。妖怪たちでも見たことがないだなんて、どういうことだろう。

 新種の妖怪が出たとでもいうのだろうか。

 

「それで、どうなったんですか?」


 先が気になって鬼さんを見上げる。

 そうすれば濡れるように光った妖しい紅が向けられる。


「ここから先が知りたいなら、今この場で駄賃を支払え」


 煌く目を見つめ返せば、灯篭の明かりに艶めいて揺れていた。

 まるで捕食者のような鬼の表情に体が強張こわばる。


「……何をすれば、良いんですか?」


 コクリと喉を鳴らして強く膝を握り締めた。

 怯えの混じった目を向けているであろうわたしの前に、鬼さんが近寄ると腰を落とす。


「決まっているダロウ?」


 顎を掴まれて上を向かされる。

 それから口を、前触れもなく紅い鬼の艶やかな唇で塞がれた。


 嫌っ……!


 髪の毛が逆立ち、思わず押し退けようとして両手が膝から離れるけれど、再度握りこぶしを作って膝の上に置いた。


 我慢だ。我慢しないと。


 さらに握り拳に力を込めて耐える。

 これが終われば鬼さんの機嫌も良くなるだろうし、事の顛末てんまつも教えてくれるだろう。


 何度か触れて離れてをを繰り返し、ようやく離れて終わりかと安堵した途端、角度を変えて鬼は今度は貪るように深く口付けてきた。


 驚いて頭をひこうとしたけれど、いつの間にか頭を後ろから押さえつけられていて逃げられない。


「んぅーっ!」


 苦しいと胸を叩いて訴えれば、ようやく余韻を残すように、ゆっくりと放された。


「何するんですか!」


 手の甲で口元を拭いながら鬼の懐から抜け出す。

 鬼さんはわたしの抗議を物ともせず、ぺろりとこちらに見せつけるように口元を舐め上げた。


「駄賃を貰った迄カナ」


 かぁっと怒りと悔しさで顔が赤くなる。

 思わず目を逸らし俯けば、肩を掴まれて引き寄せられた。


「教えてやろう。もう少しコチラへ寄れ」

 

 肩をいからせて嫌がるわたしを両腕で抱え込むと、鬼さんは口端を釣り上げた。




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