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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
39/63

七ノ怪


 自分の目蓋が勢いよく開かれたのが分かった。

 目が覚めたばかりだというのに、頭はハッキリしていて今さっきまで起きていたみたいに、眠気は微塵も残っていない。


 外へ出て常闇の入口を探せ。

 鬼さんはそう言っていたけれど、起きて早々気づいたことがある。 


 ……どうやって家から出るの?


 ここの間取りは分からないし、玄関がどこにあるのかも分からない。

 だいたい魚さんに外出は控えたほうがいいと言っていた事を考えると、そう簡単に外へは出られなそうだ。


 とにかく考えていても仕方ない。動かないと。


 わたしはベッドから体を起こしてそっと両足を下ろし、サンダル履いた。


 そうだ。靴はないけれど、このサンダルだったら一応外は歩けるんじゃないかな。

 とにかくまずはベランダに行こう。あそこが一番外に出やすそうだし、一番近い。


 部屋から出てると、当たり前だけれどリビングは真っ暗だった。

 でも少しすれば目も慣れてきて、月明かりに家具や壁が浮き上がってきた。


 明かりはつけようか? いや、魚さんにもしかしたら気づかれるかもしれないから止めた方がいいかもしれない。

 出掛けるって言っても、この家が見えるところにいたらバレてしまう。


 一歩一歩足元を確認しながら階段を降りる。

 そして一番最後の段を降り切ると、わたしはベランダに近寄った。


 グッと取っ手に指をかけて横へ引っ張る。けれど予想していた通り、開かなかった。

 なら他の場所を探すしかない。


 仕方なくキッチンに続くドアに向かう。

 そっとドアノブに手を掛けて押せば、すんなりドアは開いた。

 中はリビング同様真っ暗で、キッチンの窓が小さいせいか、他の部屋よりも薄暗く感じる。


 テーブルの上は綺麗に片づけられていて何も置いていない。

 キッチンの方も覗いてみたけれど、調味料などが綺麗に整頓されていて、特に変わった物は無かった。

 

 あれ? でもおかしいな。

 コンロの上には鍋もフライパンも無く、コンロも使った形跡が無いくらい綺麗で、まるで新品そのものだった。


 今日の夕飯はどれも作りたてだった。どこからか宅配してきたようには見えなかったし、魚さんがそんなことをするとは思えない。


 あの鬼さんですらわざわざ現世の食べ物を用意するって大変だって言っていたのに。

 それなら尚の事、いくら現世にいるとは言え、無人島にいるのなら魚さんだって現世の食べ物を用意するって簡単じゃないと思う。


 ということは、魚さんは独自のルートで食べ物や服を調達しているっていうことなのかも知れない。だったらやっぱり外界に繋がる入口があるんだわ。


 

 ちらとテーブル近くのドアを見やる。

 あそこはあの変な廊下に続くドアだったはず。まだあの先に入っていないから、もしかしたらあの先に玄関や、外へ続く何かしらの出入り口があるかもしれない。


 あんな事があったから正直怖い気もするけれど、行かなければ先に進めない。

 

 ふっと息を吐いてドアへ近寄り、わたしはドアノブを握り締めた。

 ノブは冷たい。ただそれだけで背筋まで寒くなる。


 ううんダメだ。怖がってる場合じゃない。

 早くここから逃げて、鬼さんのところに戻らないと。

 

 軽い動悸を覚えながら、ドアノブを握り締めてドアを開く。気のせいか妙にドアが重く感じられた。

 

 廊下は一段と真っ暗だった。

 照明も点いてなく、窓もないのか一切の光はない。


 どこかに明かりのスイッチはないのかな。

 ドアの内側の左右を覗き込んで探ってみるけれど、それらしきものは見つからない。

 こうなったらこのまま先に進むしかない。


 一歩廊下へ踏み出す。

 出入り口付近はともかく、廊下の曲がり角は完全に暗闇が滲み広がっていた。

 

 目をよく凝らさないと壁も先も全く見えない。見えたとしても薄ら床と壁の境が見えるだけで、ほぼ勘で進んでいるようなものだ。


 前と同じように左へ進む。

 廊下に手をついてゆっくり歩いていくけれど、さっきから手には何も触れることはなく、壁には何も飾られてはいないみたいだった。

 

 奥には何があるんだろう。

 わたしだけ住むわけじゃないのだろうから、きっと魚さんの部屋とか物置とかもあるんだろうし、お風呂場とかもあるに違いない。


 ふぅと息を吐く。それから曲がり角を曲がって先の暗闇を見つめると、先程から代わり映えのしない細い壁が左右に見えた。

 でももっと奥。そこには壁と、曲がり角と思われる光が微かに漏れて見えた。


 良かった。やっと何かありそう。

 いくらかホッとして、今度は足早にその光に向かって進んだ。


 どんどん歩いていくとふと、右側に引き戸があるのに気づいた。

 ドアの作りからしてなんだか物置っぽい。


 そっと取っ手に手をかけて引いてみる。

 中を覗くとそこは物置ではなく、どうやら洗面所だった。


 目を細めて中の様子を探ると、他にドアが二つ有り、一つはどうやらお風呂のようで磨硝子の引き戸があった。


 だとしたら……。


 もう一歩のドアを開ければ予想通り、中は洋式のトイレだった。

 ここに玄関はなさそうね。なら別の場所を探さないと。


 わたしはその場を離れると、今度はさっき見た光の漏れる明るい曲がり角を覗き込んだ。

 きっと新しい部屋なりなんなりに繋がるはず……。



「そんな……」


 わたしは唖然と目を見開いた。

 そこにあったのは開いたままのドア。わたしがこの廊下に入って来たドアにそっくりだった。


 いやでも、もしかしたら本当にそっくりなだけで、別の部屋に繋がっているのかも。似たようなドアがあったって珍しくないんだし。

 そう思いながらドアに駆け寄り、期待と不安を持って中を見た。


「あ……」

 

 思わず落胆の声が漏れた。

 出てきた筈のダイニングが目の前にあり、元の部屋に戻ってきたんだと理解する。

 どうやらあの廊下は回廊のような作りで、わたしはただその廊下を一周して、また元の場所へ戻ってきただけのようだ。


「そんな……それじゃあどうやって……」


 ここから出たらいいの?

 

 思わずその場にヘタリ込み、泣き出したくなるような衝動が襲って来る。


 こんな幽閉されているような状態から抜け出すなんて、もう無理なんだろうか。

 だって他に出口なんてどこにあるって言うの? 他に部屋なんてあった?


 まだ探し始めて少ししか経っていない。諦めるには早すぎる。

 なのにわたしは一体どうしてしまったんだろう。


「出口……なんて、どこに……」


 以前のわたしなら、ここで泣きながらでも自分を叱咤して、この程度でここまで気落ちしたりなんかしないのに。


 無意識にギュッと首つに付いている縄を掴む。

 鬼さんに付けられた首輪。紅い鬼の所有物である証。

  

「鬼さん……朔紅童子さん……」


 鬼の名前を、真名を口にして俯く。

 そうするとじんわりと目尻に涙が浮かんでくる。


「外になんて出られないよ……」 


 そうするとボロボロ涙が足元に落ちて床と足を濡らした。

 泣いている場合じゃないのに。でももう涙が止まらない。体に力が入らない。


 どうしたら……



『――コッチ』


 どくんと心臓が飛び上がった。

 

「誰っ!?」


 思わず大声で叫び振り返る。

 そしてまたわたしはその場に尻餅をついて声にならない悲鳴を上げた。


『コッチ』


 曲がり角から、小さな手だけがのぞいて手招きしている。

 それに合わせて幼い声が何度も呼びかけて同じ言葉を繰り返している。


『コッチ、キテ』


「だ、だ、誰? 誰なの?」


『コッチ』


 ガクガク震えながらなんとか立ち上がる。すると小さな手はスっと角へと引っ込んでしまった。


 今のは明らかに魚さんじゃない。

 じゃあ本当に誰なの? 魚さん以外ここに妖怪が居るとは思えない。

 だってここで二人で住むって魚さんは言っていたし、他に誰か出入りするなら恐らく予めわたしに紹介するだろう。


 どうしよう。

 着いていくべきなのかな。それとも止めた方が良いのかな。

 

 わたしはどれくらいか分からないけれど、暫くそこに固まったままでいた。

 でも、このままでは埓があかないと意を決して息を吐いた。

 行くしかない。


 誰かが手招きしていた角を曲がり、暗い廊下を見る。

 するとまた、洗面台のドアから手がゆらゆらと海底の藻のように揺れていた。


『コッチ』


「あ、ねぇ待って。誰なのか教えて」 


 震えた声で訊ねるも、手の主はわたしが近づくとまたドアの中へ消えてしまう。

 わたしは恐怖心を押さえ込んでドアを開けた。


 中は暗い。照明のスイッチを探すが、その前に磨硝子の向こう側に見えた人影に、わたしは完全に硬直した。


『コッチ』


 影は小柄で、声はくぐもってはいるけれど男の子のようだった。白と赤の斑模様のような物を着ているようで、磨硝子にぼんやり浮かび上がっている。


「あなたは誰なの? 魚さんの知り合い?」


 もう一度尋ねる。けれども返答はなく、磨硝子の前から消えてしまい見えなくなってしまった。


「あ、待って!」


 慌てて引き戸を開けて中を覗いた。

 中は家の造り同様に今風のお風呂で、大きめの湯船に床は白く、壁は水色のタイルが広がっていた。


 ただ窓はなく、どうもそのせいか息苦しさも感じる。

 これだと湿気が充満して良くないんじゃないのかな。換気扇とか何か――


 そう思って上を見た時だった。

  

「きっ――」


 叫び声は途中で止まった。

 天井に備え付けられていた換気扇の格子から、誰かがわたしを見下ろしていたのだ。


『コッチ』

 

 驚いて声を失うわたしを気にも掛けず、覗き込んでいた影は呟くとその奥へと消えていった。

 

「こっちって言われても……」


 換気扇は結構高いところにある。

 お風呂の腰掛け椅子はあるけれど、これに乗っても届きそうにない。


 湯船の端に足をかければギリギリ届きそう。幸いお風呂場は乾いていて滑る心配はなさそう。

 とにかく物は試しと湯船の端に登ってみる。結構幅があるおかげで安定して立てる。


 よし、これで換気扇へ顔を近づけられるくらいにはなったけれど……


「これどうやって取り外すんだろう」


 ドライバーとかがないと外れないタイプなのかな。そしたらまたリビングに戻って家探ししないといけなくなる。


 早くしないと魚さんが戻ってきてしまうかもしれないし、下手したらこれが最後のチャンスになるかもしれないんだ。

 

 取り敢えずどうにかしようと、見えづらい暗闇で必死に目を凝らして換気扇に手を伸ばす。

 すると、突然乾いた音と共に換気扇の蓋が開いた。


 あまりにも突然開いたから、また悲鳴を上げるのも忘れて息を呑んだ。

 換気扇は片方だけ繋がっていて、プラプラと小さく蓋を吊り下げて動いていた。


 ……と、とにかく。これで先に進めば良いのね。


 あの子が誰だか知らないけれど、この家の中にずっといるよりは良いかもしれない。

 もし悪いとしても、もうそれはそれで諦めるしかないわ。




 狭い通気口の中は相変わらず暗い。そして妙に音が響く。

 自分が這いつくばって匍匐前進で進むたびに、ゴウンゴウンと変に鈍い音が響く。 


『コッチ』


 ずっと同じ言葉が前から聞こえてくる。

 この声の主はわたしの問いかけには答える気はないようなので、わたしも諦めて訊ねるのをやめた。

 ひたすら狭い通気口の中を這って声のする方へ進んでいく。

 

 随分長いことこの姿勢で進んでいるけれど、そろそろ疲れてきた。この家ってそんなに大きな家なのかな。

 部屋数からして、とてもそんなふうには思えないけれど。 


 不意に前から風を感じた。

 ふわりと前髪が掻き上げられて、額にひんやりとした風が撫でてきた。


「この風……」


 常闇の風に似ている。

 生温い、少し湿った重い空気の塊が動く風。


 ……でも、なんだか。ちょっと変な感じがする。

 常闇の空気かと最初思ったけれど、それよりもなんだか嫌な感じがするっていうか。


 しかも寒い。といっても、ただ気温が低いとかそういうのじゃない。体の芯から凍えてくるような嫌な寒さ。


『コッチ』


 進むのをやめたわたしに、尚も男の子の声が前から響いてくる。そしてその先の暗闇から、小さな手が差し出された。


『コッチ、キテ』


 



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