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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
38/63

六ノ怪

 頭が痛い。

 すごく暗くて、とても寒い。

 なんだろう? 水の音……匂いがする。


 体に力を入れてみる。そうすると自分が肩まで水に浸かっているんだと分かった。

 両手は後ろで縛られて動けない。首を動かせば、そこも縄か紐が括られて繋がっているんだと分かった。

 

 ここはどこだろう。とにかく寒い。水から出ないと凍えてしまいそうだ。

 暗くてよく見えないけれど、なんだか天井も壁も洞窟みたいでゴツゴツとしたものが暗闇の中を覆っている。

 でも何故か足元は真っ平らで、人工的に作られた床なんだと推測出来た。


 とにかく水から出よう。冷え切って動かしづらい両足にぐっと力を込める。

 でも立ち上がれなかった。

 ……足が、両足首が何かで繋がれていて立ち上がれない。


 上半身だけでも動けないかと身を捩るけれど、後ろ手で縛られた手も何かで繋がれているようでその場から動けなかった。


 なんなんだろう。あまりにもこの状況は異常だ。

 両手足を拘束して、さらに真っ暗な場所で水に浸けるだなんて。これは拷問か何かなんだろうか。


 あぁ、とにかくすごく寒い。指先もかじかんで歯も鳴り出しそう。おまけに頭がくらくらする。

 

 あと……気のせいか、お酒臭い。自分の体、というか、口の中からお酒の嫌な臭いがする。


 

 突然目の前が真っ白になった。

 急な光に目が眩み、強く両目を閉じて顔を背ける。


「おい時間だ」


 低い男の人の声がした。

 首の縄が強引に引かれて、前へ突っ伏すように水の中へ倒れこむ。

 それでもお構い無しに首を引っ張られると、髪を鷲掴みにされ両頬を爪が食い込むほど強く掴まれた。


「さっさと口を開けろ」


 痛みに顔を歪ませて言われるまま口を開けると、陶器の筒のようなものを口へ押し込まれた。


「零さず全部飲め。一滴でも零せばお前ら集落の奴は皆殺しだ」


 むせ返るきつい匂い。訳の分からない液体を必死に喉へ通せば、通る首から胃から熱が燃え上がる。


 誰なのこの人?

 なんでこんなことするんだろう?


 目を開けたくても、眩しすぎて目の前が見えない。

 微かに大柄な男の人の影がなんとなく見えるだけで、その表情も顔も見えなかった。



 ……あぁ殺してやる。絶対に殺してやる。


 頭にそんな言葉と、液体と同じくらい熱く煮え滾る感情が胸の内から沸き起こる。

 そしてそれを押し殺す、血の滲むような圧迫感も、わたしの胸を圧してきた。




 これは朔紅童子の、鬼さんの人間だった頃の感情なのだろうか。

 普段見ている飄々とした鬼さんとは全く違う、感情が剥き出しの、獣のような荒々しさや獰猛さを感じる。


 ……だからなのだろうか。

 まるで別人のように、どこか違和感を感じる。鬼さんにしては、変な感覚を覚える。 


 朔紅童子。


 怖くて可哀想な、恨みに満ちた鬼になった生贄の子。

 あなたは一体誰なんだろう。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「……ね」


 呼んでる。

 遠くの方から、わたしを呼んでいる。


「……い」


 すごく遠い。大きな声を出している様に聞こえるけれど、とっても聞き取りづらい。

 

 薄ら目を開ければ、暗い水底。

 前に見た南国の海のような風景はなく、ただ気味の悪い墨汁のような闇が広がるばかり。


 ここはどこだろう。

 ……水の、中? さっきみたいな拷問されていた場所じゃない。

 

 寒くはないけれど、辺りはどこまでも暗い。そして遠く上の方から紅い、暗い光が見える。

 

「……聞こ……る」


 誰か喋ってる?

 よく見ようと目を凝らす。


 揺れる水面に目を細めると、それは紅い満月だと分かった。

 そして声はそこから聞こえてくる。  


「ねぇ、誰? 朔紅童子、さん?」


 訊いてみれば、沈黙が返ってきた。

 水の中で目を擦る。でも視界は全く良くなんてならなくて。仕方なく上に泳ごうと両手を掻いても、何故か体は浮いてくれない。


「……誰なの? 鬼さん?」


 もう一度歪んで映る紅い月に声をかける。

 紅い月が一瞬強く光った気がした。そう思った途端に、どこからか息が抜ける音がした。


「鈴音……聞こえるカ?」


 聞き慣れた訛りのある低い声。

 今のは確かに鬼さんの声だ! やっと聞こえた!


「はい!」


 安堵して精一杯返事を返す。

 良かった。ちゃんと鬼さんとコンタクトが取れたんだ。

 思わずまたホッと息を吐くと、月がまた紅く瞬いた。


「今ドコにいるンだ?」


「分からないんです。魚さんが言うには、現世にあるどこかの無人島だって」


「無人島?」


「一応一軒家みたいなところにいるんですけれど、周りは崖と海に囲まれているみたいで。暗くてまだ外は調べきれてはいないんですけれど、本当に何もないみたいです」


 出来れば明るいうちに外へ出て家の周りを探索したいところだけれど、魚さんがそれを許してくれるようにはとても思えない。

 ここから出るには骨が折れそうだわ。


「アイツは今そこにいるのカ?」


「いえ、出掛けたみたいです」


「現世の無人島カ……」


 呟く声が上から降ってくる。

 鬼さんはどこか心当たりがあるんだろうか。早く見つけて欲しいけれど、また血を見ることになったりしたら大変だわ。


「鬼さん」


「ナンダ?」


「無事、なんですか?」


 最後に見た鬼さんはぼろぼろだった。

 あんな鬼さんは初めて見た。


 今まで誰よりも強くて負け知らずに見えたのに、魚さんが真名を唱えただけで、あそこまで追い詰められたのだから。

 今こうして声が聞けるということは、ある程度回復したのかな。


「……あぁ」


 どこか機嫌の悪そうな、低い声が返ってきた。

 それなら後もう一つ、大事なことが聞きたい。


「あの、紫さんは、紫さんはどうなったんですか!?」


 わたしから離れたら鬼さんの呪いで消滅してしまうと言っていた。今回は完全に離れてしまっている。

 ヒヤリとしたものを感じながら怖々と鬼さんへ訊いた。


「マァあの状況だからナ、ひとまず呪は直ぐ解いたカナ」


「そう……ですか。良かった」


「アイツはまだ色々働いてもらわねばならン事が山積みだからナ。今ここで失くすには惜しいカナ」


 鬼さんにとっては利益があってこその判断なのだろうけれど、理由はどうであれ、紫さんが無事だというならなんでも良い。

 やっぱり誰でも傷ついて欲しくないもの。


「……俺が死んだ、と思ったのカ?」


 不意に低い声が静かに降ってきた。

 無感情でいて、なのにどこか鋭い刃物のような冷たさが声に含まれている。


「それは、あれだけ苦しんでいたんですもの。一瞬、考えましたよ」


 いきなりの険悪な声音に少し尻込みつつも、思ったことを正直に話した。

 だってあんな状態みたら、もしかしたらって思うのは仕方ないと思う。それだけ酷い状態だったんだから。


「残念だったナ。俺が死んでいなくて」


 意外な言葉に目を見開く。

 冷たく蔑んだ声は皮肉と嘲笑に溢れて、わたしの心に突き刺さった。


「そんな事思っていません! わたし鬼さんのこと心配していたんですよ!」


「……は?」


「それに紫さんだってわたしから離れちゃったからどうなったか、気が気じゃなかったんですから!」


 どこか肩透かしを食らったような声を出した後、鬼さんは黙ってしまった。


 わたしはそんなに冷たい人間だと思われていたっていうこと?

 よりによって鬼さんにそんなふうに思われていたなんて、心外だわ!


「まぁでも、それだけ憎まれ口を言えるなら大丈夫そうですね」


 わたしも負けずに皮肉を混ぜて返答する。

 鬼さん達が無事ならひとまず安心だし、あとはここから出ていけば良いだけの話だ。

 ……それは決して簡単じゃないけれど。


「……鈴音は、馬鹿ダナ」


「え?」


「本当に」


 またいきなり何を。

 脈絡もなく、消え入りそうな声で呟く鬼さんに眉を寄せる。

 やっぱりまだ調子が悪いから、色々安定していないのかな。意味が分からない。


 そのまま鬼さんは一言も言わずに沈黙した。

 わたしはじっと鬼さんからの言葉を待っていたけれど、いくら待っても何も言われなかった。


 一度暗い足元を見て、それから紅い歪んだ月を見上げる。


「あの、鬼さん」


「……ナンダ?」


「朔紅童子って、本当に、鬼さんの真名、なんですか?」


 夢の中だというのに、声にした途端心臓が胸を突き破る勢いで激しくなっていた。

 頭上からは重苦しい沈黙が返ってくる。

 それから刃物を喉に突きつけられたかのような緊張と殺気も。


「……ソレを知って、鈴音はどうする?」


「え?」


「俺の真名だとしたら、どうするんダ?」


 水の中にあった僅かなうねりや流れが止まった。

 ずっと揺れていた水面の動きも同様、次第に止まり紅い月がハッキリと浮かび上がった。


「鬼さんの、真名だとしたら……」


 そうしたら、わたしはどうするというんだろう。

 魚さんは真名を知っているのと知らないのでは、全く違うと言っていた。

 ならきっと、鬼さんに対しても何かしらの効力を持つことになるのだろう。


 ……けれど。鬼さんの真名を知っているからといっても……わたしはもう決めている。


「鬼さんの真名だとしても、わたしは変わりません」


「変わらン?」


「えぇそうです。今まで通り、傍でお酌をするだけです」


 静かに降り注ぐ紅い月光を顔に受け止めて、わたしは月を見上げた。


「約束したから。鬼さんの傍にいるって……約束しましたから」 


 また沈黙が帰ってくる。

 その少し戸惑った気配にわたしは真っ直ぐ見つめ返す。


「わたしは鬼さんの傍にいます。鬼さんの隣へ戻ります。鬼さんの真名を知ったとしても、逃げようだとか、そんなこと考えません」


 紅い月を真っ直ぐに見つめ、わたしは断言した。

 鬼さんの傍にいる事がどれだけ辛いか、身を持ってよく分かっている。

 だとしても、わたしは鬼さんと約束したのだ。

 辛くて苦しくても、それはわたしの責任だ。

 

「俺の傍にいる気は、あるンだナ」


 相変わらず鋭い気配。

 それでもわたしは強く頷いた。


「勿論です」


 キュッと口の端に力を込めて、それから両手で拳を作ると、わたしはまた口を開いた。


「だから迎えに来て下さい。もしくは、ここから出る手助けをして下さい」


 強く言えば、紅い月が強く輝いた。

 水底の暗さが遠のくほど紅い光りがわたしを包み込んでいく。


 それから月は徐々に大きくなり、そのままこちらへ落ちてきてしまいそうになるほど、輝きと共に丸く円を広がらせていった。


「分かったカナ。なら真名を唱えろ」


 今までよりもよく聞こえる声。

 間近に感じるほどしっかりと耳に届く。 


「真名って……朔紅、童子ですか?」


「そうダ。強く、俺を望んで唱えろ」


「鬼さんを、望む?」


 眉間に皺が寄る。それでも強く、鬼さんを、紅い鬼を、朔紅童子を。頭に心に、強く念じて願って唱える。


「朔紅童子」


 鬼さんを望む。強く、強く。

 誰よりも強く望む。


「朔紅童子」


 二本の角。硬い髪。高くて大きな背中。

 顔半分を覆う幾何学模様の痣。赤銅色の肌。


「朔紅童子」


 鬼さんの傍に行きたい。ここじゃなくて、誰でもなくて、あの紅い鬼のもとへ戻りたい。

 あの大きな手の中へ飛んでいきたい。


 体が燃え上がる。

 水の中だというのに、わたしの体は紅い蜃気楼に包まれてゆらゆらと揺れている。

 

 辺りの水は悲鳴を上げて、わたしから遠ざかっていく。

 水底は干からびて水面は蒸発し消え失せた。


 静かにまた上を見上げる。

 そこには紅い満月が煌々とわたしを見下ろしていた。


「わたしは望みました……朔紅童子を」


 なんとなしに口にすれば、紅い月が笑った。


「そうダ――紗枝……」


 何故かそう言われると、途端に両目から涙が溢れた。

 それが悲しいからか、嬉しいからかは、わたしにはよく分からなかった。

 そして最後の名前の意味も、よく分からなかった。

 ただ自分の心を風のように透き通って、去っていくような感覚を覚えただけだった。


 紅い月は優しくわたしを照らすと、そっと無い手で頬を撫でた。

 

「お前は常闇の人間ダ。闇はお前を受け入れる……外へ出ろ。常闇の入口を探せ。……今のお前なら分かるカナ」


「常闇の入口……」


 呟くと同時に、紅い月は急激に遠くなり終わり掛けの線香花火のように小さく萎んでいった。

 それから紅い気配もまた遠ざかっていく。


「帰ってこい……俺の傍へ」


 消える間際に紅い声が耳を掠めた。






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