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妖しい銀  作者: 月猫百歩
波紋ノ輪
36/63

四ノ怪



 夕食の味なんて分らなかった。

 目の前の存在に背中が引きつるような思いで、黙々と食べ物を口に運んだ。


 緊張が緩むことなんてなかった。

 静まり返ったダイニングでただ食器が擦れ合おう音だけが響いて、あまりにも穏やかな空気とは程遠い。

 

「現世の……」


 いきなり聞こえた声にびくりとフォークを持っていた手が跳ねた。

 一瞬の沈黙の後、魚さんが身じろいだ気配がした。

 わたしはそろりと目を上げて魚さんを見ると、魚さんは無表情ながらも冷たいものではない眼差しをわたしに向けていた。


「現世の暮らしは……私にはよく分らないのです……。もし不便などありましたら……お伝え下さい……」


 わたしは口の中の物を飲み込むと、曖昧に頷いて見せた。

 お皿の中身はもう空だ。フォークを置いてホッと息を吐く。それから机から体を離して、軽く頭を下げた。


「あの、ごちそうさま、でした」


 魚さんの方を伺い見てから、ゆっくり椅子から立ち上がる。

 食べ物には今のところ何も入っていなかったようで、体に異常は特に感じられない。

 勿論時間差があるだけかもしれないので、今後も油断できないのだけれど。


 魚さんは動かず、じっと無表情にこちらを向いたままでいた。

 わたしは彼に背を向けないようにしてドアまで行くと、そのままキッチンから出て行った。



 リビングのテレビは消えていて、外が伺えるガラス戸の外も真っ暗だった。

 先ほど出たばかりのドアの向こうにいる魚さんの気配に警戒しながら、そっとガラス戸に寄って外を眺めた。


 月明かりのおかげか、うっすらと岩や波が見える。

 すぐそこの岩場は部屋の照明が零れて、ごつごつとした表面が闇夜に浮かび上がっていた。


 ……靴さえあれば、ここから出られるかも。

 ただ出た後はここが無人島とするなら、出てすぐに行き詰ってしまうのが問題だ。

 地図上のどこにある島か分からないし、例え泳いで別の岸に行き着けるとしても、方向が分からないのなら無理がある。下手したら大海原のど真ん中で溺れ死んでしまうわ。

 

 ガタンとキッチンの方から物音がした。

 反射的に体がビクリと震えて、ガウンをきつく握りしめて振り返る。


 とにかく、もう部屋へ戻ろう。

 魚さんと顔を合わせても、まともに接する自信は無い。ここに居たってテレビを見る気にもならなければゆっくりする気も起きない。


 わたしはキッチンのドアを気にしながら階段の手すりに手を掛けて上り、ニ階の寝室へ戻った。



 中は電気を点けないで出たから薄暗かった。

 ドアのすぐ近くにあるスイッチを押すと、パッと天井のライトが部屋の中を照らした。


 改めて部屋の中を見回す。

 ベッドと机と椅子。それと部屋の隅にあるクローゼット。


 クローゼットに近寄って中身を見るが、特にこれと言って目ぼしい物は無い。机の方も引き出しがある様なタイプではないから、捜させそうなものは見当たらない。


 一応椅子に近寄って引いてみる。

 水色のクッションが椅子の上にあり座り心地は良さそうだ。

 

「……あれ?」


 机の奥に何か銀色の板のようなものがある。

 体を屈めて中に入り、その板に手を伸ばした。


「これって、ノートパソコン?」 


 机の下からそれを抱えたまま這い出て椅子に座る。そして机の上にノートパソコンを置いて開けた。

 そんなに古い型のパソコンじゃなさそうだけれど、ケーブルとかは無いみたい。


 なんでこんなところにパソコンがあるんだろう。

 隠していたのかな? でもわたしの為に用意されていた部屋なら隠しているなんておかしいし。

 用意している時にしまい忘れていた、とか?


 でもそれはそうとして、もしかしてこれでネットが繋ぐことが出来れば、鬼さんや魚さんの事を調べることが出来るんじゃないの?


「テレビが動いているっていうことは、パソコンの電源も入る……のかな?」


 電気機器関係は得意じゃない。テレビすら未だにアンテナだかデジタルだかよく分かってないわたしだけど、とにかく取り敢えずパソコンが動けば情報収集が出来るはずだ。


 パソコンの電源ボタンを押すと起動音が鳴り画面が光った。

 良かった。壊れてはいないみたいで、なんとか動いてくれたみたい。


 パスワードは特に設定されているわけではなく、デスクトップはインターネットとパソコンの設定場面へのショートカットアイコン等があるだけであっさりとしていた。

 

「ネットが繋がれば良いんだけれど」


 タッチ式のマウスを動かしながらインターネットのアイコンをクリックする。真っ白なウィンドウが開き、ややあってから検索サイトが開いた。

 良かった。ネット回線もきちんと繋がっているのね。


 えっとまず何を調べようか。

 水害関係の記事とか、……いや、その前に鬼さん達が言っていた「赤鼓村」について調べてみようかな。


 ちなみに「赤鼓村」の漢字については魚さんが話の間にどう書くか教えてくれた。

 珍しい名前だと言ったら、儀式に由来しての名前だろうと魚さんは言った。さっそく検索ワードに入力してみる。



 暫く懸命にそれらしいことを検索してみたものの、これといった物は全くヒットしない。

 都市伝説とか怪談話はいくらか出たけれど、ゲームだとか作り話みたいであまり信憑性はない。

 だいたい「赤鼓村」の「あ」の字すら出てこない。


 試しにずっと前に行った事のある廃村になった「朧村」という村を思い出し、同じように検索しては見たものの、それも検索結果に上がることはなかった。


 かなり古い村というか、有名ではないとなるとネットでも出ることはないのかしら。  


 「鬼」や「伝説」や「集落」とか様々な単語を入力しても、現状を打破できる結果は得られなかった。

 昔話や神社やお寺の由来だとかのサイトは見られるけれど、これといって鬼さん達に関わりそうなものはない。


 ふぅと息を吐いて天井を仰ぐ。

 このままなんの解決も出来ないなんて。鬼さんみたいに、魚さんと息を殺しながら生活を送るだなんて、考えただけで気が滅入る。それに……


 そっと袖口を捲るとまだ残っている手形の痣。

 今はまだはっきりとした暴力はないけれど、それが今後も約束される保証はどこにもない。

 それが魚さんが意図するものか、そうでないかは別として。

 少なくとも鬼さん同様、明るい日常を送れることはないだろう。



 ……朔紅、童子。

 これが鬼さんの真名だと言っていた。


 確か鬼さんはあの川男の人の真名をわたしが口にしたら、とても怒っていた。呼び寄せるとか、存在がどうとか。

 見上げていた天井をパソコンの画面に戻して、キーボードを打つ。


 『真名』について。

 入力して検索をかけてみれば、いくつかのサイトが羅列して並ぶ。

 この中に何かヒントになるようなことが載っていれば、打開策が得られるかも知れない。


 指を動かしてカーソルを画面上に滑らす。

 いつもマウスで動かしていたから、こういうタッチ式のは得意じゃないのよね。動かしづらいな……

 

 その時コンコンとドアがノックされる音がして、わたしは飛び上がった。


「は、はい!」


 慌ててパソコンのを閉じてやや乱暴に机の下にしまい込むと、椅子を机に押し付ける。


「……入っても?」 


「ど、どうぞ」

 

 ガウンの前をしっかり閉じて頷く。

 のそりと入って来た青白い顔をした一本角の鬼は、窓から零れる月光に浮かび上がって白魚の鱗のように光っていた。


「お召し物の用意が……出来ました……」


 入って来た魚さんの手には、長方形の大きめの箱があった。

 落ち着いた青い色の箱は丁寧にリボンまでされていて、パッと見高価そうに見える。


「ご用意が終わりましたら……下まで降りてきて下さいませ……先ほどの続きをお話したいですし、私からもお聞かせしたい事が……ありますので」

 

 魚さんはベッドの上に箱を置くと、片腕にもいくつか手提げ袋を下げていたようで、それもベッドの脇に置いた。


「あ、あの! 魚さん!」


「……なんでしょう?」


 荷物を置き終わった魚さんに、わたしは息が詰まるような思いをしながらも、なんとか声を出した。


「どうしてわたしを傍に置きたがるんですか? それに現世で暮らして良いのなら、わたしが家族と一緒に、普通の人間として過ごしながらあなた達妖怪と暮らす事は出来ないんですか?」


 別にそれが可能だからといって魚さんと一緒に暮らすなんて事は勿論万が一にもないけれど、こんな断崖絶壁の無人島で暮らすなんてハッキリ言って変だ。


 そりゃ陽の光がある分、魚さんなりの気遣いかもしれないけれど、だったら田舎町でも良いから人が居る所で暮らしたって良いはずだわ。


「もし出来るなら、こんな事をしなくたって」


「やはり……お分かりに、なられないのですね……」


「え?」


 魚さんは音もなく溜息を吐くと、静かに目を閉じた。

 そして頭が痛いみたいにこめかみに手をやって、苦虫を潰す様な表情を浮かべ口元を歪ませた。


「貴女様は確かに……常闇の人間になったのですが……矢張りどうあっても、日向溢れる人間なのですね……」


 今度はわたしの眉が歪んだ。


「そ、それじゃあわたし、完全な常闇の生き物になったわけじゃないの?」


 鬼さん達はいつかわたしが陽の気も弱くなり、人間の匂いも弱まるって言っていたけれど、本当はそうじゃないのかな。

 もしくはまだ完全にそうなる前の段階だとか。

 

「日向の人間は……陰を怖がり……闇を遠ざけ……そしてやがて忘れるのです」


「忘れる?」


「だからお側に居て欲しいのです……妖を……わたしを忘れない為に……」


「でも、わたしは常闇の人間になったのでしょう? だったら忘れるなんて」


「えぇ……。常闇の生きる、日向の人間なのです……」


 理解不能な言葉に呆然と立ち尽くすと、そんなわたしに魚さんは寂しそうに少しだけ口元を和らげて、「お待ちしてます」とドアを閉めてしまった。


 静寂だけが残されて、わたしは暫く動けずに、魚さんが出て行ったドアを見つめ続けていた。




・・・・・・・・・・・・・・・・




 箱や紙袋に入っていたのは青のワンピースや、白い肌着にブラウンのサンダル、薄水色のショールだった。

 

 魚さんからの物だと思うと複雑ではあるが、ずっとガウンだけでいるわけにもいかない。決心してそれらを手にして早々に着替える。


 着れば肌触りは良く、メーカーを見れば聞いたことのあるブランドの物ばかりだった。服にはどれも波紋や魚の刺繍が入っていて、とても凝っていた。

 サンダルも履き心地が良く柔らかく、小ぶりな魚のチャームが付いて可愛らしい。


 よくお姉ちゃんが遠出してショッピングモールで買って来ては、呆れるお兄ちゃんたちに構わずリビングでファッションショーをしていたっけ。


 こんな高価なもの、魚さんどうやって買ってきたんだろう。お金持っているのかな。

 そもそもここが無人島だとしたら、どうやって持って来たのかも謎だわ。鬼さん達みたいに妖術だとかそういったのを使って運んでいるのかもしれないわね。



 着替えを終えて一度息を吐く。


 ……魚さん、わたしのことを常闇に生きる日向の人間って言った。なんだか真逆の状態でわたしは生きているように聞こえるけれど、実際はどうなんだろう。

 

 もしまだ日向の人間として生きていられているのなら、常闇の人間を辞めることが出来たりはしないのかな。 

 これ以上普通の人間から遠ざかってしまう前に、元に戻る方法が残されているのかもしれない。

 


 空になった箱や紙袋を片付ける。これは魚さんに渡せばいいのかしら。そのまま捨てるのはなんだか忍びない。


 困りながらそれらを手に持ってドアへと向き直ったその時、窓際の机が目に入った。


 魚さんが来て慌ててパソコンを仕舞ってしたけれど、物音で魚さんに気づかれていないかな。

 魚さんがどれくらいパソコンを使えるかは分からないけれど、一応履歴は後で消しておこう。

 また何かあったら、どうなるか想像つかないもの。



 さっきの会話を思い出すと足取りも自然と重くなる。

 というより、ここに来る前も来てからも魚さんに対して良い印象は残念ながら持つことが出来ない。


 でもあまり部屋でグズグズしていたら、また魚さんが来るかもしれない。それだったらこちらから出向いたほうが精神的に負担は少ないだろう。


 わたしは深く息を吸ってドアに近づき、ノブを回した。

 ドアを開けば、リビングの照明の明かりが部屋の中に射し込んできた。





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