二ノ怪
この場に似合わない軽快な音楽と笑い声がテレビから聞こえてくる。
魚さんはテレビを消そうかと聞いてきたが、静まり返った中で話すのはかなり気まずい。
だからわたしは点けたままで良いと断った。
「さて……それでは何が、聞きたいですか?」
妖しく光る銀の瞳が向けられ、思わず目を逸らす。
単刀直入に鬼さんの事を尋ねようかと思ったけれど、まずは無難な所から聞いておいた方が良いかもしれない。
機嫌を損ねて話を終えられたら、何も訊けなくなってしまうものね。
「じゃあ、この家は一体どこにあるんです? 現世か常闇か、場所はどこなんですか?」
「現世の……とある無人島です。とても小さな……島の中です」
「島? 無人島って言う事は、ここには誰もいないの?」
「はい……灯りや家具などは……妖力で補っておりますから、不便は無いかと」
あ、だとするとこの家の電化製品は、電気で動いているわけじゃないんだ。
確かにテレビの周りや壁に視線を走らせても、コンセントらしきものは見当たらない。
なら、この家って魚さんが特注したか、何かしらの力を使って建てたことになる。今この場所から見えないだけかもしれないけれど、コンセントが一つもないって不自然だもの。
「えっとじゃあ、あの、外を見たら断崖絶壁みたいな岩の壁と、海、ですか? それが見えたんですが、ここはどんな場所に家が建っているんですか?」
外の景色全体が見えたわけじゃないから言いきれないけれど、そんなに近くもないのに視界いっぱいにそびえ立つゴツゴツした岩壁、そして家のすぐ先には荒波が見えたから、かなり険しい場所に立っているんじゃないかと伺える。
現に樹海の中を連想させる場所が外に広がっているし、ここが無人島だというのなら確信に近いものはあった。
でもこれはあくまでも自分が感じたものだ。
本当はどうかを確認したくて、わたしは魚さんに訊いてみた。
「海辺近くの岩場に開いた……巨大な穴の底です。あの波は……崖の底から海水が流れ込んできて、すぐそこまで入ってくるのです……。あぁですが、ご安心を……この家にまでは及びませんので……」
やっぱり海の近くなんだ。それで大きな壁は穴の内側の部分ということか。そう考えるとかなり大きな穴の中にいる事になる。
そして魚さんの言っている事が本当だとするなら、上から降っていた光は正真正銘の、お日様の光と言うことにもなる。
魚さんが連れて来たからてっきりここは常闇だと思っていたのに。
今いる場所は現世なんだ。
テレビから一際大きな笑い声が上がる。
自然の中で美味しそうな食事を食べて、司会者が何か面白いことを言ったようだ。映っている人がみんな、楽しげに声を上げて笑っている。
「どうです? ……鬼様の所よりも、快適でしょう?」
「え?」
思わずテレビに向けてしまった視線を魚さんに戻す。
魚さんはニコリと柔らかく口と目元を緩ませると、口を開いた。
「この様な暮らしを……望んでいたのでしょう? 後はお買い物でしょうか……そちらは矢張り現世では難しいので、常闇の市場に参りましょう」
「あ、あの、その」
「……それと浴室と……化粧台もございます……。これでしたら何不自由なく、この家でお過ごしになられるかと。……あぁ現世の街になど、わざわざ出掛けなくとも宜しいです……私が全て、揃えますので」
今の口ぶりだと、魚さんはわたしを現世の街に連れ出したくないみたいだ。
暗に強く外へ出るなと言っているみたいに聞こえて、なんだか息が詰まるのと同時に、また背筋に冷たいものが走った。
そろそろ別の話題を振ろう。
あまりこの話ばかりしているわけにいかないから、もう次の話に移ったほうが良い。
「あの……」
「はい」
「えっと、あの……鬼さんや魚さんの、話を聞いても、その、良い、ですか?」
あまり話を先延ばししても仕方がない。
そう思って意を決して言ったものの、声は裏返って所々噛んでしまう。
伺うように魚さんの方へ顔を向けて怖々と見つめれば、魚さんの銀の瞳が細く鈍く光った。
「分かりました……お話ししましょう」
魚さんは少し間を置いてから、膝に両手を置いて外へ目を向けた。
「ずっと……闇を探して、放浪しておりました。鬼様の追っ手から逃げ、力を求め……闇をも求めて……常闇から現世まで、行き来を繰り返し……鬼の姿へ戻る方法を探しました」
ふっと息を吐いて視線をわたしに向けると、疲れた顔をしてまた深く息を吐いた。
「元々呪術には覚えがありませんので……呪いを解く方法を手にしたとしても、複雑な呪が操れず……幾度となく途方に暮れたものです」
魚さんはわたしと同じで、呪いや妖術っていうのかな? そう言ったものを使えない、もしくは得意ではないと言う事か。
わたしも鬼さん達が使う魔法みたいな物は良く分からないし、そもそも字が読めないから余計に触れる事は少ないけれど、呪いとかって、妖怪みんながみんな使える物では無いのかな。
「魚さんは呪いを掛けたり、術を使えたりは出来ないんですか? それは他の妖怪も同じなんですか?」
「天狗や特定の鬼様などは……よく使いますね……後は……水楼の女郎蜘蛛でしょうか……。覚えがあればどの妖でも使用できますが……あまり大勢が使えるわけではないのです」
「じゃあ呪いや妖術を使えるのは、一握りの妖怪なんですね」
「えぇ……そう思って頂いて……宜しいかと」
そしたら鬼さんって、結構そういった知識や才能のある妖怪だったんだ。強引で力任せなところがあるから、てっきりそっちの方は得意じゃないと思っていた。
「呪術は皆無……なので他に方法は無いかと……方々探しました。……そして沼でお話した通り、贄を得る事にしたのです」
「贄、を?」
「そうです。しかし得ることは難しく……特に考えもせず、自棄になり……現世でふらついていた闇の者を捕らえ……喰らったのです……そしたら妖力は増し、これはと確信したのです」
魚さんは片手を上げ、手の平を広げて見せた。
細く魚の様な銀の色をした手には、僅かに薄い水掻きがあった。
「手始めに小さな他愛も無い小者を……そして次に、闇に深く染まった者を喰らって回りました……。すると、どうでしょう……この身が闇に蝕まれつつも、魚であった我が身は……徐々に鬼へと変わって行ったのです」
どこか恍惚として、魚さんはグッと手を握り締めた。
「しかしそれでも……今のこの姿になるには……程遠かった……。どうしようかと考えあぐねいていた時です……赤鼓村の話が耳に入ったのは……」
「赤鼓村って、鬼さんの故郷の?」
「はい。最初耳にしたのは……よくある怪談話でした……。呪われた村……怨霊の巣くう集落……化け物が棲む里。しかしそこに……鬼の伝説があったのです」
「鬼の伝説?」
「えぇ……生贄が鬼と化したという……鬼の伝説です……」
核心に入ると身構えれば、自然と汗が背中を濡らした。
鳴りそうになる心臓を抑え込むように胸に手を当てて、魚さんに目で先を話してと促した。
「魚から鬼へ戻っても……紅い鬼様には勝てません……いずれ対峙するのであれば……何としてでも鬼様の真名を……知らなければなりませんでした……。なので、不完全な魚が残る身で……向かったのです……赤鼓村へ」
魚さんはゆっくりと息を吐いて、一度目を閉じた。
思い出そうとしているのか少しの間黙って俯くいた後、また目を見開いて顔を上げた。
「赤鼓村への入口は……現世にありました。私も最初は半信半疑……いえ、ほぼ期待などしておりませんでした。……ですが其処だけは一歩村へ足を踏み入れた時……明らかに異様を感じたのです……」
「異様?」
「咽返る程の瘴気と……怨念です……」
瘴気と怨念?
目で問えば、魚さんはわたしを見て小さく頷いた。
「新月でもないのに……月は無く……辺りは瘴気と怨念無念など様々な狂気に溢れ……何より、見えた影たちが……私を目にして、口々に口走るのです……『鬼だ』……と」
わたしは魚さんの話に眉を寄せた。
この話って、どこかで聞いた気がする。ううん、聞いたっていうより見たような、感じたような。
「廃れた村は……荒れ果てているのに関わらず、自分たちが死んでいると気づかずに……影たちは私の姿を見て……逃げ回るのです。……そして、逃げる者以外にも……生前のように……ひたすら生贄を捧げようとする影も……いたのです……」
「生贄って、それはどういう?」
「昔は災害がある度に……人柱という生贄を捧げたのです……その村も多分に違わないのですが……狂っていたのです……」
狂っていた?
魚さんの意味深なセリフに眉を寄せた。
そんなわたしに銀の瞳が静かに向けられる。そして逸らした後には、灰色にまた濁っていった。
「これ以降は……貴女様には……酷かもしれませんが?」
再度真っ直ぐに向けられた眼差しに緊張が走った。
これから話すことはかなり重いものに違いない。
わたしは一度息を深く吸い込んで、ゆっくり吐くと頷いた。
「大丈夫です。話して下さい」
魚さんは決心したわたしの目を二つの灰色で眺め、それから一度顔を上げると、またわたしを見た。
「その村は……ある洞穴を崇めておりました。洞穴は常に瘴気を溢れさせており……危険ではありますが、そのおかげで脅威である賊や獣から……村を守ることが出来たのです」
瘴気っていうのは毒ガスみたいなものかしら。
そう問えば、魚さんは少し逡巡した後、肯定の返事をしてくれた。
「しかし……何者からも襲われない年が続くと……瘴気は満ち溢れ、村にまで降りてきたそうです。……このままでは死者が出てしまう……村の者達はどうしたものか考えた挙句……一つの集落に目を付けました」
最後の言葉に、胸の内がざわざわとして落ち着かない。
わたしは唾を飲み込むと、また魚さんの声に耳を傾けた。
「生贄は穢れのない幼子が良いとされている……勿論我が子は差し出したくない。……そこで……村の長が集落の子供を一人攫い、生贄としたのです」
喉の奥がキュッと締まった。
体すべての筋肉が固まり、背中も鉄板にでもなってしまったかのように、キンとした緊張が痛いほど張り詰めた。
「泣き叫び、許しを請う生贄の子は洞穴深くに落とされ……洞穴の瘴気に呑まれ死に……非情だと村長を非難した集落の男どもは……村の男衆によって皆、殺されました。……そして残った村の娘達と子等は、村の都合の良い道具となったのです」
「都合の良い……って?」
「昼間は各家々の下働き……夜は男共の相手……。それはそれは地獄のような……非情で過酷な日々だったようです……」
喉が詰まったまま、こめかみが押さえつけられたような感覚を覚え、知らずに視線を下げていた。
吐き気がする。頭が痛くて、気持ちが悪い。
自分の両手はブルブルと震えて真っ白になっていた。胸の内も何かがせり上がってきて、倒れてしまいそうなくらい酷い目眩がした。
「男たちの間に子供が出来ると……多くは売られるか、殺されるかしたそうです……。そしてまた瘴気が溢れる年になると……生かしておいた集落の子を一人選び……生贄として育てたそうです」
血の気が引いていく。
どうして、そんな事が出来るんだろう。人としてとか、それ以前に誰も止める人はいなかったの?
いくら村の偉い人がそう決めたからって、村の半数も反対する人はいなかったの?
冷や汗が浮かんでくる。
妙な肌寒さが襲ってきて、わたしがブルリと震えると、ふぅと魚さんは息を吐いた。
「しかしそのような事を繰り返せば……かならず解れが生じるのです……ある年の生贄が……集落の怨みを全て背負い……洞穴の瘴気を身に宿し、鬼となって村へ帰り……村人を根絶やしにしたのです」
根絶やしってことは、みんなその子が殺してしまったということなの? たった一人で恨みを晴らすために、みんな……
気分の悪さに吐き気を抑えていたけれど、今の話を思い返してハッとした。
復讐を果たしたのは、鬼になった生贄の子――
それって……
「もしかして」
顔を上げ思わず呟けば、魚さんはわたしをひたと見た後、静かに頷いた。
「生贄にされた子共は……生贄と決まったその時に……名が与えられるのです……『朔紅童子』と」




