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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
31/63

三十ノ怪


 ゴボゴボと水の音が耳元で騒ぐ。

 薄く目を開いても真っ暗で泡と顔に纏わりつく自分の髪しか見えない。


 魚さんのものなのか、血と思わしき赤いもやが、目の端に何度か掠めてなびいている。懸命に身を捩っても体は解放されず、それでも頭を振れば、肩にべっとり血が染みているのが見えた。

 魚さんに拘束されているからか、もしくは鬼さんを支えていた時に付いた血なのか。

 水の流れに揺らめいて、わたしの灰梅の瞳に映り込んだ。





 明るい水面。ここはいつもの川の中だ。

 せせらぎが聞こえる中、待ち伏せした。そしてようやく訪れた。

 水面の向こうに二匹。人間の男たちが見える。


 

「ひっ!」


 一匹と目があった。男は引き攣った顔をして腰を抜かし、河原に倒れ込んだ。


「鬼だ! 鬼が出た! 水辺鬼だ!」


 ばれたなら隠れていても仕方がない。姿を見せてやろう。

 深い川底から這い上がり、人間どもに己の姿を見せてやった。

 水から這い出れば思った通り、空は曇り小雨が降っていて、忌々しい陽の光は弱い。まったく好都合だ。


「逃げろ! 喰われるぞ!」


「ま、待ってくれ!」


 駆け出した間抜けな姿を見て笑った。どうせ無駄なのに。ご苦労なことだ。

 水を蹴って岩を踏み渡り、男らの前に降り立ってやる。

 男達がまた腰を抜かして尻を打ち付ける姿を見ると、可笑しさにまた笑ってしまう。

 

「あっちへ逃げろ!」


 逆方向へ駆け出したのを見て、近くにあった手頃な岩を持ち上げる。そして男どもに投げつけた。

 岩は男の一方に当たり、鈍い音を立てて倒れた。もう残りは絶叫して立ち尽くしていたのを見やり、丁度良いと傍へ飛んで首を跳ねた。

 

 川原の砂利が血に染まり、川へ流れて水を赤く染めた。

 本当は肉の柔らかい子供か女が良かった。もしくは引き締まって弾力の良い、若い男の肉が。


「仕方あるまい」


 渋々と死んだばかりの人間へ寄って、新鮮な肉を食べた。

 汚い身なりからして賊か何かだろう。陽のも弱く闇の匂いがする。恨みも相当買っているようだ。

 臭い上に不味い。これならもっと嬲って殺せば良かった。

 

「そこの鬼」


 水音がして目をやる。

 川の真ん中に羽衣を纏った人間の、いや、この川の主が立っていた。


「なんだ?」


「また人間を殺したのか?」


「見れば分かるだろう」


 肉をもぎ取り口へ放る。不味い。

 もっと下流へ下って、人間の里近くまで行けば良かったな。


「悪戯に人間を殺めおって」


「何が悪い。主殿にとっても悪くないだろ。魚を獲る人間どもを間引いたほうが、川も穏やかだろうに」


「では先の魚を無闇に陸へ捨て置いたのは、如何様な事でしたのだ? 食べるでもなく、何故そのようなむごいことを……」 


 怒りを含んだ眼差しと声音に、面倒だと舌打ちする。


「人間どもが家々に魔除けの札を張り巡らし、この川辺付近に迄貼り付けたものだから、魚が捕れん様にした迄だ。この鬼を怒らせるとどうなるのか、教えてやっただけだ」


 真夜中に里で悪さをしようとしていた奴を引き摺り、山に運んで食った。なかなか美味い物を食べていたようで、肉も血も美味かった。

 陽の匂いも弱いところを見ると、碌な奴では無かったのだろう。お陰で此方はやりやすかった。


「余りにも勝手が過ぎる。良いか、あの里の人間は皆己の命の為に魚を獲り、糧としているのだ。山々に住む獣や生物と同じ、生きる為に他者を獲るのだ」


「それならば同じこと。腹が減るから人間を喰っているのだ」


「鬼のお前はその他にも食い散らかしているではないか。いつも汚らしく食べ残し、とても空腹で殺しているとは思えぬ」


 いちいち煩い。人間どもに奉られているからといって、こうも人間のかたを持つとは。川の主も堕ちたものよ。

 チラと足元の肉の塊を見ると、足蹴にして川へ落とした。


「何を!」


「主殿のお言葉通り、片付けた」


 馳走も不味い。川の主は煩い。まったく散々だ。

 踵を返して山へ向かう。まだ鹿でも猿でも食ったほうがいい。このような煩わしい奴がいては余計に気分が悪くなるだけだ。


「待て」


 空を切って頬の横へ水が飛び、横顔に一筋の血が走る。

 肩ごしに振り返った先に、川の主が険しい面持ちで此方に指先を向けていた。


「今まで岩で流れを塞き止め、川辺を血に染め、哀れと口出ししないで今日まで耐えたが、やはり鬼。これ以上の悪行許してはおけぬ」

 

 地鳴りがした瞬間、川の主の姿は消えた。川の水面がさざめき浮き上がった時、此方へ水の柱が突っ込んできた。


 あっという間だった。

 脳天を付かれ森の中へ弾き飛ばされ、長い間気を失った。



 気づいたとき、辺りは真っ暗闇で夜が来たのだと分かった。

 梟の鳴き声と木々のざわめきが辺りに響き、体の下で湿った土が体にこびりついていた。


「おのれぇ、土地神……風情がっ」


 吐き捨てて言ったものの、違和感を覚えた。 


 口が回りづらい。

 頭を強く打ったせいなのか、呂律が回らない。


 怪我を確かめようと顔を触る。しかし顔を触ったのは、自分の、鬼の手ではなかった。


「な……なんだぁ……これ、はぁ」


 魚のような、ぬるりとした感触。そして薄闇に見える河童のような水掻き。

 頭を触る。髪がない。角もない。

 体もおかしい。動きが鈍い。なんだこの醜い体は!


 重く丸い体を引きずって川へ向かった。鬼の体ではない肢体は酷く動きづらく、息も絶え絶えになりながら山の中を進んだ。


「川の主ぃ! 出て来ぉい!」


 満月の下で煌く水面に向かって叫んだ。声は曇り、獣の野太い遠吠えのようだ。


「鬼か」


「許さぬぅ! この様なぁ……無様な姿にぃ……変えるなどぉ!」


「お前はこの現世うつしよに居てはならぬ。そのなりで常闇の水底にて、頭を冷やすが良い」


 ぐんと体が主のもとへ引き寄せられた。

 抗おうとしたが、爪もなく筋力も乏しい四肢では地面を踏ん張ることも出来ず、穴に吸い込まれる水のように体は引き摺られた。

 そしてろくに抗う事も出来ず頭を叩きつけられた。

  

 水の中に沈む。

 水底は砂利などなく、底なしの闇が広がっていた。


 ……これが、常闇。


 水の渦に弄ばれ次第に月の光も届かなくなった。

 そしてようやく流れが止まり、浅瀬と思わしき所に着いて、体を引き上げた。


「ン? 見慣れないヤツだな」


 まだ辺りも見ていないうちに、誰かしらに出くわした。

 常闇とは噂程度にしか耳にしていない。そこに住む者等も詳しくはない。

 口を結んで見上げる。暗がりの先に、浮かび上がるように立っている紅い鬼がいた。


「オマエ、現世から来たのカ? 面白いなりをしているナア」


 その訛りある鬼は貪欲の鬼だと言った。死にたくないのなら、自分の所へ来て下働きしろと鼻で笑ってきた。

 無論断った。此方にも意地がある。


 しかしそう思えたのも束の間だった。

 余りにもこの紅い鬼は強すぎた。恐らくあの川の主よりも、遥かに凌ぐ強さを持っていた。


 半殺しの目に遭って、情けなくも地面に額を擦りつけて詫びた。そして仕えさせてくださいませと、頼み込んだ。



 貪欲の鬼の下働きは過酷だった。

 寝るまもなく水掻きに穴が開く程働き、時折八つ当たり同然に足蹴にされ、事あるごとに馬鹿にされた。


 いつか殺してやる。絶対に殺してやる。

 体を八つ裂きにして魚の餌にしてやり、首を肥溜めに投げ捨ててやる。 


 日々日々自分の腹の内は黒く膨れ上がり、それと同じくして自分の銀の瞳も曇っていった。

 しかし恨みを晴らす機会もかつての力もなく、目まぐるしい雑用に忙殺されていき、いつしか恨みは積もるが気力もがれ、果てにあの川の主にさえ詫びる気持ちまで抱き始めた。

 

 もう紅い鬼に使えるのはやめだ。川の主に会い、許しを乞うてみよう。もし鬼の姿に戻れるのなら、その時は川の主に仕え、川の主の為に尽くそう。


 紅い鬼の目を盗んで屋敷を抜けた。良い酒が入ったとかで屋敷で浴びるほど飲むのだろうから、今が絶好の好機だ。

 常闇にいくつか存在するという水底の穴を通り、現世へ赴いた。


 穴を抜けると図ったように大雨が降っていて、難なく山の中を歩くことが出来た。

 ……しかし。

  

「これはぁ、どうしたことだ……」


 見えた光景に愕然とする。

 深い山々は切開かれ、人間の里があった場所には灰色の石で出来た墓のようなものが幾つも立ち、細い筒からは黒い煙が上がり、曇った空を黒く染めていた。

 

「川はぁ、どこにぃ」


 山の中を歩き方々を探すが、見当たらなかった。

 あの澄んだ川はどこへ消えだのだろうかと、山に住む小妖怪に尋ねるがそんな川は無いといった。


「綺麗な川はここにはないよ。溝川ならあるけど」


「溝川ぁ? 昔からあるぅ、川なのかぁ?」 


「親父から聞いた話だけど、昔は綺麗な川で、よく人間が魚を獲りに来ていたそうだよ。でも今はほら、あの黒い煙があるだろ? あそこから来る煙が降ってきて、人間も臭い油を捨てるもんだから、そのせいで主が死んだそうだよ」


 主が、死んだ? 


 愕然として何度他の山の者に尋ねるも、知らないか、もしくは同じような答えしか得られなかった。 

 呆然としたまま、この姿でこれからも生きていく覚悟も出来ぬまま、またあの紅い鬼の下へ戻った。


 このまま闇に還るのを待ち、紅い鬼に虚仮にされながら生きるしかないと思った。

 募る恨み辛みを晴らすこともなく、日々濁った水底のように虚ろの中へ己は沈殿していった。


 日向はもとより好かなかった。闇に生まれ闇に還るのなら悪くないと、鬼に戻れぬことは心残りではあるが、仕方がないと諦めた。


 ……あの人間の娘が来るまでは。


 陰りを知らぬ、怖がりながらも負けずと紅い鬼と対峙する活きの良い人間の娘。苦労知らずながらも真っ直ぐに向ける眼差しは、陽の光のような熱を持ち、何より明るかった。

 

 常闇の中では異端な存在。隣にいるだけで、忌々しい陽の匂いが香る。

 だが、それ以上に。この娘のなんと温かいことだろう。


 向けられる無垢な瞳。陽の光を浴び続けた赤子のような肌。話せば話すほど、声を聞けば聞くほど、見れば見るほど。闇から生まれた筈のこの鬼でさえ、慰められていく。


 闇に染まった娘もこの日向の娘には心開き、同時に妬み、渇望していた。

 そして己もまた、闇の娘を通して焦がれるようになった。


 日向でも構わない。この娘と共に生きたい。闇に還るとするなら、共に闇へと連れて逝きたい。

 紅い鬼は二の次、三の次。

 あの娘さえ手に入れればどうでも良いのだ。



・・・・・・・・・・・



 暗い暗い。真っ暗な闇。

 ぼんやりと顔を上げ手足をみれば、白い注連縄。足元に転がった空の酒瓶。口に残る酒の匂い。

 顔を触ればほんのり温かく、頬は赤く染まっているのだろう。

 

 やっとこの日が来た。遂に我ら集落の仇を討つ日が来た。

 その為に今日こんにちまで苦行に耐え、血の滲む日々を送ってきたのだ。


 今は冷たくなった酒瓶を手に取る。手の中にある「朔紅童子」の、己の名前。

 今こそ鬼となり、あの者達を根絶やしにするのだ。それで己が消えようとも一向に構わない。


 闇の奥を睨み立ち上がる。

 我と皆の悲願、今こそ果たさん。




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