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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
29/63

二十八ノ怪


 しんと静まり返ったその場とは裏腹に、遠くの方からお祭りの賑わう音が聞こえてくる。


 自分の前に立つ紅い鬼は妖しい紅を二つぎらつかせ、宙を浮いている不自然な紫色の煙は、沼に立つ人物に向けて抜け目ない気配を発していた。


 ピリピリと張り詰めた緊張を抱く三人とは違って、ただ一人、灰色の髪をした妖怪は上機嫌に微笑んでいた。 


「お前、あの魚カ?」


 最初に沈黙を破ったのは鬼さんだった。

 不機嫌そうな低い声があたりに響く。


「はいその通りです……鬼様。先ほどの、沼の主の真似は……見事でございましたでしょう?」


 鬼さん昔とは姿が違うのに、すぐに魚さんだと認めた。

 それに驚きつつ鬼さんの顔を見れば、魚さんの態度が癪に障ったのか。眉間に細かいシワが刻まれて、さらに鋭く目の前の魚さんを睨みつけていた。


「よく……ご覧になって下さい。鬼様がさんざ馬鹿にされていた生臭い姿は……この様に、少しは真面まともになりました」

  

 白い装束姿を広げて見せて、好青年の顔はにこりと笑う。

 それから片手を上げて、灰色の前髪を分けて生えている一本の角を撫でた。


「昔とは違いますが……小さいながらも、紛れもなく鬼の角にございます。これも鬼様……あなた様の残り物のおかげでございます」


 残り物? 残り物ってどういう意味だろう。

 鬼さんの態度が変わったあの時、魚さんが化けていた沼の主が言っていた『赤鼓村』と関係があるのかしら。


「紫!」


 落雷のような怒鳴り声が上がった。ビクッと跳ねたわたしとは対照的に、いつも通り冷静な紫さんは鬼さんの呼び声に、すっと鬼さんの傍らに飛んでいった。


「はい鬼様」


「鈴音を屋敷に連れてイケ」


「畏まりました」


 恭しく返事をすると、未だに水が滴っているままのわたしのもとへ、紫さんは火の玉みたいに素早く飛んできた。


「御姫さん参りましょう。ここに居ては」


 急に、声と共に紫色の煙は視界から消えた。

 ただ鼻と目の先に迫っていた筈の煙の姿は忽然と、横切ってきた何かの影が通った瞬間に、無くなっていたのだ。

 

 恐る恐る影が消えていった先に目をやる。

 薄暗い林は、枝が何本も折れた木々が水を滴らせてながら、無残な姿に変わって広がっていたのだ。   


「折角御会い出来たお方を……引き離さないで頂きたい」


 ぎこちなく今度は魚さんへ目を向けると、片手をこちらに向かって伸ばし、その手からは雫が数滴ポタポタと滴っていた。

 今のは魚さんがしたの?


「貪欲の鬼様……その様に急かさないで下さい。……鬼様達をかたったお詫びに……私が今まで何をして過ごしてきたか……お聞かせ致しましょう」


「いやぁお前のツマらん話など、聞かン」   


 青褪めたわたしが鬼さんに視線を向ける前に、鬼さんは既に動いていた。


 鬼さんが立っていた場所には熊がえぐったかのような爪跡が残り、空気が動いたのと同時に、二つの紅いが真っ直ぐ沼へ飛んでいっていた。


 水飛沫が上がり大きな波紋がいくつも広がり、沼の水が溢れて地面を濡らす。

 わたしが必死に辺りを見回しても、斬撃と破裂音が聞こえるだけで肝心の二人の姿が全く見えない。


 遠くの木々がざわめいて、枝や葉が幾つか乱暴に飛び散り、わたしの立っている方まで飛んでくる。

 腕で顔を庇い、もっと後ろの方へ後退する。


 こんなに暴れまわったら、その内お祭りの方にまで危害が加わってしまうかもしれないわ。

 早くふたりを止めないと、お祭りに来ている人が危ない!


 とは言っても、わたしが叫ぼうにも、この激しさだと二人に聞こえるかどうか。

 でも早くしないと、もしかしたらこの騒ぎに誰か気が付いて、様子を見に来るかもしれない。もう、仕方ない!


「……あのっ! ふ、二人共、やめて下さーーい!」


 精一杯叫んでみたものの、案の定わたしの声は二人に届かないみたいで、一向に止む気配がない。

 物を当てて見ようかとも思ったけど、そもそも二人の姿が捉えられない時点で当てようがない。


「どうしよう……」 

 

 ……って、あ、そうだ! 紫さんは? 紫さんはどこに行ったんだろう?

 どこかに飛ばされてしまったようだけれど、無事なのかな。

 もしかしたら紫さんになら、二人を止められるかもしれない。


 背後には紫さんが飛ばされてしまった後が残った、深い茂みが広がっている。枝が折れて水が残った所を目印にすれば、紫さんの所へたどり着けるかも。


 そうと決まれば……!


「鬼様……何故鈴音様にお聞かせしては……困るのです?」


 呟くような魚さんの声に、茂みに入ろうとした足を止めて、対峙している二人の方へ振り返った。

 鬼さんは少し髪や体が濡れているくらいで、怪我らしい怪我はしておらず、一方の魚さんは頬や腕に擦り傷を負っていた。

 

「きっと鈴音様も……お耳に入れたいと……思う筈です。勿論、鬼様にも……聞いて頂きたい……私がどうやって、鬼の姿に戻れたのか……」 


 魚さんが鬼に戻った方法? 


 多少まだ半魚人だった頃の面影は残ってはいるけれど、確かにどうやって今の鬼の姿に近づけたのか気になる。

 わたしは用心しながらまた数歩二人に近づき、魚さんへ口を開いた。

 

「魚さん。魚さんは今まで、何をしていたんですか? どうして現世の妖怪を襲ったんです?」


 怖気つく自分を叱咤して魚さんへ向かって声を上げる。

 鬼さんが聞きたがらない意図はよく分からないけど、魚さんがどうして鬼に戻ったのか、それと今回の騒動とどう繋がっているのか。

 魚さんが教えてくれるのなら、ぜひ教えて欲しい。 

 

「鈴音!」


 すぐ傍で怒鳴りつけられて、瞬時に肩を竦ませる。

 殺気を滾らせている鬼さんに恐怖を覚えるが、あまりにも頑なに魚さんの話を拒もうとするその姿勢にわたしは眉を寄せ、疑問を覚えた。


「お、鬼さん。だって、魚さんが今までどうしていたのか気になるじゃないですか。それに今回の妖怪たちが襲われたのだって、魚さんがやったって言うじゃないですか。なら、その事と魚さんが戻った事が関係あるなら、聞いてみましょうよ」

  

「オ前ハ黙ッテロ!」


 つんざくような罵声が突き抜け、わたしの足元に一閃が走った。

 よろけて後ろへ倒れ掛かりそうになり、自然と足元を見下ろす格好になると、そこにはくっきり鬼さんが今しがたつけた爪痕が残っていた。


「な、なんで……」


 どうしてそこまで?

 

 体はガクガクと震えて喉も締まるような錯覚に襲われている。けどわたしの疑問はますます膨れ上がり、何故とわたしの頭を埋め尽くす。

 そこまでして引き止める理由は、なんだって言うんだろう?


「鬼様……鈴音様がご所望なさっているようなので……お話して差し上げましょう」


 魚さんは大きく後ろへ飛び退くと、沼の上に舞い降りた。


「鬼に戻るには……人間などの贄が必要ですが……今の時代、得るのは難しい。……なので、自分が動きやすい水辺を……あちこち放浪し……自分より弱い、小妖怪を襲って食べてきたのです」


 白い両腕が上がり、手招きするように手のひらを上へ向けて指先を動かした。


「しかしそれでは……腹が満たされるばかりで……妖力が高まることもなければ……ましてや鬼に戻れるわけでも、ありませんでした……」


 魚さんの手の動きに合わせて沼の水が浮き上がり、人の姿に変わっていく。

 ひとつ、またひとつと水の人形が出来上がってくる。


「ですが……諦めきれませんでした……どうしても欲するお方が……おりました故」


 自分の背後から音が鳴り、慌てて振り返ると、茂みの中から人型をした水の塊が歩いてきた。

 その体の中には何枚もの葉っぱや折れた枝が突き刺さっていた。


「私の強い執念からか……それとも怨念からか……ただの妖怪ではなく、闇を孕んだ者までも……喰らうようになった頃です……姿かたちは変わらねど……妖力が増して行ったのです」


 茂みから出てきた人形はわたしの方ではなく、沼の方へのそのそと歩いていった。

 それを緊張しながら見つつも、意識は半分魚さんの声の方へと向いたままで、ただ彼の話を無言で聞きいっていた。


「それからと云うもの……私は闇を孕む者を主に喰らって参りました。……現世ではそのような怨念無念執念。あちらこちらに溢れておりますので……痛手は終えども、容易いものでした。……魚の姿では陸の上は動きが鈍い……なので水辺の妖を主に喰らったのです」

 

 水の人形は沼に行き着くと、沼の上に佇んでいる他の人形たちのように、沼の上で立ち止まった。


「そしてこちらの沼の主などは……闇を含んだ者ではないですが……今こうして力を増した私によって敗れ……鬼様を騙す程にまで……妖力を操れるようになったのです」


 その話が本当なら、魚さんは最初は怨念だとか、そういった危ない妖怪というか、化け物みたいなものを襲って食べていたって言う事なの?

 

「随分と自惚れているようダガ、どれ程膨大な妖力を得たとしても、使いこなせなければ意味は成さんナァ」


 ずっと閻魔様みたいな顔をした鬼さんが笑った。 

 その笑みはもう完全な悪鬼さながらの嫌なもので、裂けた口から牙が見えた。


 代わって魚さんの笑みが消えた。

 魚さんじゃ指を一つ動かすと、一体の人形が突如鋭い水の槍に変わり、凄い勢いで鬼さんに向かって飛んでいった。


 わたしが叫ぶ間も無く、鬼さんを突き刺すかと思った瞬間、鬼さんが爪を振り上げ紅い炎が上がると、槍は激しく蒸発して水蒸気と共に消えてしまった。


「確かに妖力はナカナカの物だガ、その割にはお粗末過ぎやしないカ?」


 鬼さんはまた意地悪そうに笑って、鼻を鳴らした。

 そんな鬼さんへ、今度は複数の水の人形が次から次へと槍や矢に姿を変えて、鬼さんにまた向かって放たれた。


 唸り声を響かせながら水の矛先は鬼さんに向かう。

 けれども先程と同様に、鬼さんが爪を振り上げると水が激しく蒸発する音を上げ、跡形もなく消えてしまった。


「ナラ、今度は俺から行くカナ」


 土を蹴る音が聞こえ鬼さんの姿が消える。

 そして水が跳ねた音が聞こえ、いきなり魚さんが吹っ飛んだ。


「お、鬼さん! ちょっと待って下さい!」


 また戦ったら人に危害が!

 それに魚さんの話も聞けなくなってしまうし、何よりこんな事しなくてもまずは話をしてみないと!


「鬼さん止まって下さい! 魚さんと話をしてみましょうよ!」


 必死に声を張り上げてみるが、気づいたら弾き飛ばされた魚さんの姿も消え、また二人が衝突する音が響くだけだった。

 

 あぁもう、どうしてすぐ争いに発展するんだろう!

 話し合うっていう選択肢は妖怪にはないわけ!?


「魚さんも鬼さんも一度頭を冷やして下さい! ねぇ! 二人とも話を聞いてってばぁ!」 


 諦めないで必死に声を張り上げ続ける。

 何度も何度も声が裏返っても、わたしは二人に訴え続けた。




 わたしの声が枯れ始めて来た頃、徐々に魚さんの姿だけ捉えられるようになって来た。

 地面や木に体をぶつけては、だんだん白い姿が赤く染まり始めて、やっと姿を完全に捉えたときは、魚さんは既に血まみれの状態だった。  


「さ、さか、な、……魚さん!」


 沼のすぐ傍で、仰向けになりながら倒れた魚さんに向かって走る。だいぶ酷く怪我を負っているみたいで、魚さんの周囲には真っ赤な血だまりができていた。 


「魚さ」


 あと少しというところで、わたしの前に鬼さんの背中が立ち塞がった。

 急に現れた鬼さんにつんのめり、息を切らして顔を上げると、振り向きざまに妖しい紅が鋭く睨んできた。


「鬼さん……」


「お前はコイツを庇うのカ? 散々同胞を喰らって、お前に縋った河童のガキの友を喰った奴なのにカ?」


 返り血なのか、鬼さんの顔に数滴血の跡が付いて、手足の爪は赤く染まっていた。

 殺人鬼そのものの姿に体がガクガクと震え、さらに妖しい紅に射抜かれると、わたしはその場で金縛りに遭い、動けないでいた。


「……え様……」


 聞こえた掠れ声に、鬼さんの向こうに横たわる血染めの白装束に目を向ける。


「お慕いしています……今も昔も……変わっておりません……どうかどうか……私の物に、なって欲しいのです……」


 今にも死にそうな場面だというのに、魚さんの言葉に震えも止まり、呆然として固まってしまった。

 鬼さんを前にしてそんな事を言うものなら、例え全身無傷だとしても無意味と化してしまうくらい危ないセリフなのに。なんでそんな事を言うの……


「遺言はそれで終いカ?」


 鬼さんの足が動くと、倒れて血まみれになっている魚さんが呻き声とともに跳ねた。それから吐血したと思われる音と、酷く咳き込んだ音が聞こえてきた。


「魚さん! お、鬼さん、少し待ってください! 殺さないで! まだ待ってください! 話を聞きたいんです!」


「黙れ」


 ゆっくり拳を持ち上げて鬼さんはバキバキ骨を鳴らした。

 止めようと足を動かそうとしても、足は石のように固まって動いてはくれない。

 地面の上に転んでしまい、目を開けば、鬼さんの足越しに魚さんの顔が見えた。


「鬼さん!」


 自分の口から金切り声が上がった。

 静止も虚しく、紅い鬼は鋭い爪を鈍く光らせると、血染めになった白い腹に向かって振り下ろされた。


 

「……朔紅童子」



 魚さんの白い口から、血反吐と一緒に吐き出された声。

 その小さな呟きは鼓動が激しいわたしの胸よりも、とても重く響いた。


「――鬼さん?」


 一瞬の静けさが訪れた後、木々のざわめきが聞こえ、わたしも我に返る。

 そして目の前の屈強な体をした鬼が、まるで石像のようにピタリと動きを止めていたのに気づいた。、


「鬼さん? どうしたんですか?」


 汗がこめかみから顎へ伝って落ちる。

 突然動きを止めた鬼さんに再度声を掛けるが、反応はない。

 

 拘束が解かれた足を動かして立ち上がり、わたしは恐る恐る鬼さんへ近寄ると、そっと背中に触れた。

 鬼さんはわたしの手に一瞬よろめいたと思った直後、いきなり呻いてその場に崩れ落ちた。



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