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妖しい銀  作者: 月猫百歩
滴ル雫
27/63

二十六ノ怪


 寝台の上に座って息を深く吐いた。

 冷たい床から離れた足は今でも冷えていて、爪先を擦り合わせる。


 魚さんが出て行った先を見つめる。

 あの暗い水の向こうに、シャボン玉の薄い膜を抜けるように出て行ってしまった。

 そして膜はわたしが目を覚ました時に見た、金魚の絵が描かれた普通の壁に戻ってしまったのだ。


 これからどうしよう。

 ここから出る他ないんだろうけれど。


 魚さんが居なくなった後に部屋の中をぐるりと探索しては見たものの、最低限の家具と設備(お風呂とかトイレとか)があるだけで、出入り口らしき物はなかった。

 壁に近づいて押してみたりもしたんだけど、ただの壁でびくともしない。


「困った……」 


 溜息混じりに呟く。まさに八方塞がりだ。

 その時ふと、帯の間に挟んでいたカエルの置物がごそごそ動いた。


「紫さん」


 そうだ。帯の間に隠していたんだ。

 辺りを警戒しながらそっと置物を取り出す。そして両手に乗せて、そっと口を寄せた。


「紫さん、今なら出てきても大丈夫なんですか?」


「ここから出る事は無理ですが。お話程度なら」


 カエルの置物に、なるべく声を顰めて話す。

 誰か聞き耳立ててたら危ないもの。この壁の向こう側に誰かいるのか分からないし、気をつけるに越したことはない。


「この部屋、出口が無いみたいなんです。魚さんは薄い膜みたいなのから出て行きましたけど、わたしではこの壁を膜に変える事は出来ないし、出れたとしても溺れてしまいます」


「御姫さんはあの魚の妖怪と、面識がおありで?」


「あぁはい、あります。昔、わたしの御世話をしてくれていた妖怪です。今の姿と違って、前は半魚人みたいな格好していたんですけれど」


「今の姿?」


「あ、紫さん見えていなかったんですね。さっき見た魚さんは、なんていうか、人の姿に近くて、耳とか手や足に水掻きが付いていて、目は白目がなくて宇宙人……というか、犬や猫みたいに瞳だけでした」


 結構前に、直樹お兄ちゃんが遊んでいたゲームのキャラクターに少し似ていた。


 思い返してみれば、両手や両足だけじゃなくて、腕やすねの横にも水掻きが付いていて、尖った耳にも膜のようなものがあった。


「あと額の上に、一本角もありました。なんだか魚と鬼を混ぜ合わせたような姿でした」


「成る程。そうですか……」


 意味ありげに呟いて、紫さんは隙間から少しだけ紫の煙を零した。

 紫さんは魚さんの事は知らないのかしら?

 一応紫さんの後任っていうのかな? そういうのに当たると思うんだけど。


「御姫さんはその魚さんとやらと、お親しいのですか?」


 前触れもなく聞かれて、わたしは少し言葉に詰まりつつも頷いた。


「えっと、仲は悪くなかったです。とても親切にしてくれて、助かってました」


 色々考えることは山積みではある、という注意書きはつくけど。特に、お別れする直前の事に関しては。


「では、何故御姫さんを此方に連れてきたのか。教えて下さいましたか?」


「それは……」


 言って良いんだか。迷うところね。

 余計な事を言ったらどんな事言われるか、分かったもんじゃないし。


「言われなかったんですか?」


「あーそのぅ……言われたというか、あ、でも、ハッキリ言われたワケじゃなくて」


「では何と言われたのです? 言われた言葉そのまま、この紫に教えて下さい」


 えぇー……。どうしよう。

 言葉にこそしなかったけれど、恐らくわたしをココに連れてきたのは、鬼さんに対する復讐もあるけれど、わたしを傍に置いておきたいと言うのもあるんだろうし。


 そうだ。昔、魚さんと別れる時。

 わたしには分からない気持ちを持っていると言っていた。


 今なら少しだけ解る。

 暗い、寒い、底なしの虚ろのような、孤独な想い。

 それは悲しみから来たり、恨みから来たり。闇に染まった心からくるもの。


 魚さんはその気持ちを、わたしという存在(人間と言い切れないのが悲しい)を利用することで、その想いを鎮めようとしているんだろう。

 ……これはかつての、様々な苦い経験から言えることだ。

 

「御姫さん? どうしたのです?」


「え?」


 物思いに耽っていた頭を現実に戻す。

 カエルの置物から訝しむ気配が感じられる。


「仰らないと言う事は、私には言えない事なのですか?」


「そんなんじゃないです! ただ、ちょっと色々ありすぎて。だって、その、魚さんは今は鬼さんから逃げている妖怪ですし……今回の水辺の妖怪を襲っていた妖の事もそうですけど、紫さんはどこまで知っているのか、気になって……」


 こうは言ったものの、鬼さんや紫さんからしたら問答無用で、洗いざらい白状しろと言われるんだろうな。

 鬼さんは魚さんに対して腹を立てているんだろうし、その部下である紫さんだって、立場上、居合わせたのなら黙ってはいられないだろうし。


「私はその魚の妖怪とやらとは面識はございません。ただ話は鬼様から耳にしております。……見つけ次第、連れてくるか、殺すかしろと」 


「殺す……」


「鬼様は大変この魚の妖に恨みがあるようでした。鬼様の配下全てに、同様の使命を与えております」


 やっぱり。鬼さん怒っているんだ。

 そりゃ、わたしを勝手に連れ出したり、何も言わないで鬼さんの下から出て行ってしまったのは、かなりまずかったと思う。

 いや鬼さんの場合、正直に言ったとしても良い結果が得られる可能性が、高くなるわけでは決して無いけど。


「それで、御姫さん。今私達がこの場にいる原因となった妖怪は、その『魚さん』という者で間違いはないのですね?」


「は、はい……」


「では話が早いですね」


「え? 何が、ですか?」


「鬼様が捜されている妖怪は、我々を連れて来た者で間違いない。そしてこの強い妖気。恐らく今回川の妖怪達を呑み込んだならず者も、その魚さんとやらに違いありません」


 淡々と告げて、またふわりとカエルの置物から紫色の煙が溢れた。


「話に聞いた限りでは、そんなに手強い妖ではないと聞いていたのですが。不安定ながら、なかなかの強者のようですね。ご覧の通り、其処らじゅうに溢れる水の妖気のせいで、私は出ることすらままなら無いのですから」


「水の妖気?」


 そんな気配あるかな。

 言われてみれば湿気があるというか、少し冷える感じはするけど、今いる場所が水に四方囲まれているのなら、妖気とか関係なしに湿度は高いものなんじゃないのかな。


「この妖気がある限り、私は身動きできません。なので御姫さん、どうか頑張って私の手足となって動いて下さい」

 

「はい…………って、え?」


「私が動けないのですから、御姫さんが動くほか策はありません」


 わ、わたしが動くの!? いや確かに今の紫さんじゃ動けないのは仕方ないんだろうけど。


「む、無理無理! 無理ですよ! わたし鈍臭いし、そもそも魚さんの様子、あれは尋常じゃないですよ! なんだか昔に比べて、怪しさが倍増されているっていうか危ない人になってるっていうか……」 


 とんでもない力を持っているなら尚の事、わたしが魚さん相手に何かしようとか絶対に無理!

 今は無事に済んでいるかもしれないけど、今度会ったら何されるか分かったもんじゃない!


 勿論、普通に知り合いとして話ができるのなら一番良い。でも、あの様子だとそれも難しそうだ。

 だいたいこの場に紫さんがいるってバレたら、あっという間に取り上げられて、それこそ紫さんが殺されちゃうかも知れないのに。


「いくら毎日鬼さん相手に話しているからって、わたしが強いとか特別対抗できる何かを持っている訳じゃないんですよ! 下手したら二人とも死んじゃいますよ!」


 なるべく声を潜めて話していても、どうにも興奮してしまって叫び気味になってしまう。

 手の平に汗を掻きつつカエルの置物を握り込み、紫さんに涙目で訴えた。


「いえ、流石にひ弱な御姫さんにあの妖怪をどうにかしろとは言いませんよ」


「あ、そ、そうなの?」


 案外あっさりと言われてしまい、力んでいた肩から力が抜けた。

 なんだ。魚さんと対峙しろとでも言われているんだと思っちゃった。良かった。


「あの妖怪をどうするかはさて置き。この場から逃げ出さなければなりません」


「そうですね。鬼さんの所に……戻らないと、いけませんからね」


 気は進まないけれど、鬼さんから離れるワケにはいかないもの。

 魚さんの所に留まっても、良い方向には転ばないだろうし。残るにしても、紫さんがいては駄目だ。魚さんに知られたら殺されてしまう。


「……御姫さんは貪欲の鬼様の下に、お戻りになりたくないので?」


 トゲのある低い声に、別の緊張が生まれて再度肩が強張る。

 カエルの置物から威圧的な気配がビシビシと伝わってくる。


「え? どうしてです? わたし何か、言いました?」


「いいえ。そんな気がしただけです」


 ツンとした口調で言われ、視線が下がった。 

 表に出さないようにしているのに、どうも紫さんは勘が鋭いみたいで、わたしの僅かな挙動や様子で心の内を読んでくる。


 押し黙ったわたしの耳に、呆れを、もしくは厳しさを含んだ溜息が届いた。

 無いはずの視線がずしりと胸を射して来て、責めるような空気が全身に絡み付いてくる。


「まさかとは思いますが、この期に及んで鬼様の下から逃げようとお考えになってはおりませんよね?」


「もうしません。そんな気力もないですし、しようとも思いません」


 どうせ逃げられない。逃げても惨状が生まれるだけ。

 今までだってそうだった。

 これからだってそうだ。


 わたしが逃げようとすれば、必ず悲しい事が起こる。もうそんな事はいい。辛い思いをするのは自分一人でいい。


 もちろんわたしだって聖人君子じゃない。

 逃げたいと思ったり、常に他人のことを優先的に考えられるわけじゃない。利己的な事を思ってしまうことだってある。


 最後の一線を越えようとはどうしても思えないのも、その向こうに行こうとすると、自分の人としての支えを失ってしまいそうで、怖いからだ。


「御姫さんの中で、鬼様のお側に居ると、決めているんですね?」


 いやにゆっくりとした口調で、紫さんはわたしに訊いてくる。まるで心の髄まで見透かそうとしているみたいに。


「……約束しましたから」


 半ば『諦めた』と言うように、わたしは呟いた。

 案の定、紫さんは不満げな息を吐いてわたしの両手を吹いた。


「約束したから、ですか。そうですか」


「はい」


「それはそれは。大変宜しい御心掛けで」


 嫌味たっぷりに返されてしまい、わたしはまた口を真一文字に結んだ。


 紫さんが聞きたかった言葉は分かってはいる。

 けど、今はどうしても言いたくなかった。

 わたしなりの紫さんに対する、ささやかな反抗だった。




「それでは御姫さん。これから私の申す事をよくお聞きになって下さいませ」


「分かりました」


 紫さんに指示された通り、わたしは寝台の上に移動して耳をそばだてた。

 辺りに神経を配りつつ、紫さんの言葉を聞き逃さないように注意深く耳を傾ける。


 何度か頷き、確認するを繰り返し、わたしはそっとカエルの置物を帯の間に押し込んだ。

 小さいとは言え、不自然に帯の一部が出っ張っていると危ないのであの手この手を使って工夫する。


「それでは私は言葉を発しませんので。帯の間では音も拾いづらいので悪しからず。あとは基本、お一人で何とかして下さい」


「はい。どうにか、やってみます」 


 目を閉じて、言われたことを反芻して一度深呼吸をする。

 それから意を決っすると、目を見開いた。


 寝台から抜け出し、辺りをぐるりと見渡す。

 金魚の絵が書かれた丸い壁。この金魚鉢のような場所から、わたし達は無事に出られるのか。

 それは、これからの行動に全てが掛かってくるんだろう。


 床の冷たさとは違う寒さから、ブルリと体が震える。

 緊張が嫌でも体を強ばらせている。


 でも、やるしかない。


 ギュッと握りこぶしを作って、わたしは一歩、冷たく広がる床を歩き出した。 

 


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