二十三ノ怪
お祭りの通りから暗がりに入り、人混みを抜ける。
石灯篭がポツポツと灯る道の脇には川が流れ、暗い水面を小さな灯篭が流れている。
「この先に沼の主がいるんですか?」
「あぁ」
沼の主っていうぐらいだから沼があるんだろうな。
それにしても、明かりがここにも点いているっていうのは意外だわ。
てっきり人が誰も寄り付かない場所にあるんだと思っていたんだけれど。
明かりがあるってことは、ここにも人が来るのね。
「ねぇ鬼さん。沼の主と話すなら人前だと色々まずいんじゃないですか? もし沼に誰かいたら話せないですよね?」
「人払いならいくらでも出来るカナ」
「穏便にお願いしますね」
そんな風に鬼さんと話している内に、沼に着いたようだ。
目の前は真っ暗。ただ足元にぼんやりと灯篭の明かりに照らされて、揺らめく水面が柵の中で広がっている。
「誰もいないみたいですね」
幸いにもわたし達二人だけしかこの場には居ないみたいで、他に人影は見当たらない。
これなら鬼さんが人払いする必要もないわね。
「オイ澱。出てこい」
鬼さんは沼に近寄ると声を上げた。辺りに鬼さんの声が響き渡り、静かに闇に消えていく。
少し間があって身構えるも、何も起きない。留守かしら。
「おや貪欲の鬼様。お懐かしいですな。ようこそお出で下さいまして」
唐突に聞こえた、のそりとした声。それから真っ暗な沼の向こう側に、何かが動く気配。
気づけば聞こえていた虫の鳴き声も、向こうの方にあったお祭りの喧騒も消えていた。
灯された明かりは小さくなり、先程よりも周りの暗さが深くなったようだ。
「ちょいと聞きたいことがあってナ。昨今水辺が騒がしいとの事だが、知っているカ?」
「はぁ。その事でしたらこちらも耳にしております。お答え出来る事ならなんなりと」
目を細めて沼の向こうをじっと見ても、まったく良く見えない。
なんとなく黒い、輪郭のぼやけた人影のような物が沼の上にいるのが見える気がするだけで、どうもハッキリとしない。
影はそこにずっと佇んでいるだけで、こちらに来ようとはしない。
小さいとは言え石灯篭が完全に消えたわけではないんだけれど、やっぱり妖怪からしたら小さな明りでも好きじゃないのかしら。
それとも近寄ってこないのは明かりが原因じゃなくて、別の何か、とか。
「お前はこの辺りでは何か騒ぎは聞いたカ?」
「いいえ。特にこのように人間が祭事をしている日は、この辺りの妖も静かなものです…………ただ」
ゆっくりとした口調で話した後、急に沼の主は少し声を落として黙り込んだ。
鬼さんは眉間に皺を寄せて隠していた紅い瞳を露わにすると、真っすぐ沼の向こうへ向けた。
「嗚呼すいませぬ。その、あまり大きな声で話すのもどうかと思ったもので」
「ナンダ?」
「赤鼓村のことなのですが……」
ぞわっと鬼さんの纏う空気が変わった。
というより、せっかく鬼の正体を隠していたのに、いきなり角や爪や牙を出して、紅い瞳も鋭く光らせたのだ。
まるで猫が全身の毛を逆立てて怒るように、鬼さんも黒髪とその危ない妖気をピリピリと膨らませて、今にも爆発しそうな状態になっている。
「鈴音!」
「は!?」
わたしは「はい」と返事をしたつもりだったけれど、逆に失礼な物言いをして、しかもかなり裏返った声で返してしまった。
「お前アッチに行ってろ」
低い声は静かで、それがより恐怖心を掻き立てた。
鬼さんの横顔を見ると、今まで見たどの顔より恐ろしい表情をしていた。
「ナニしている。早くイケ」
「え? あっ、は、はいっ!」
殺気まみれの鬼さんに声だけ向けられて、わたしは慌てて転びそうになりながらその場を離れた。
気づかないうちに体が震えていたみたいで、身じろいだ時にやけに体がぎこちなかった。
何度かつんのめりそうになりながら、石灯篭の間を走って、ようやくお祭りの通りにまで出た。
目の前の明るい光景に緊張から抜け出せたおかげか、深く息を吐き出すと体の強張りも弱まった。
一体なんだったんだろう。
赤鼓村って沼の主が言ったら鬼さんの態度が変わったけど、何かあるのかな。
わたしも沼の主の話を聞きたかったのに。
振り返って沼の方を見ると、石灯篭があるにも関わらず真っ暗だった。
まったく人を寄せ付けようとしない、拒絶した闇がそこに広がってる。
鬼さんのあの変わりようからすると、鬼さんにとってなにか大事なことなんだろう。
とは言え、興味はあるけれど、あんな状態では鬼さんに近寄れないし、聞き出そうものなら確実に殺される。
触らぬ神に祟りなしということだし、残念ではあるけれど、関わるのはよそう。
鬼さんの妖気に当てられたせいか、心臓を酷使させたせいか定かではないが、酷く疲労を感じて、わたしはその場にしゃがみこんだ。
鬼さん帰ってきたら機嫌治っているかな。
また不機嫌以上に不機嫌だったらどうしよう。八つ当たりなんてされたら大変だわ。
前髪をくしゃりと指で握りこんで、膝に頭を預けた。
疲れた。なんだか頭が痛い。胃も痛い。
膝から離れずに顔を横へ向けて、通りへ視線を向ける。
お祭りの通りを歩く人、人、人。みんな幸せそうに、楽しそうに過ごしている。
わたしと違って……みんな。
今いるわたしの所と、お祭りの通りは露天の明かりによって、くっきりと明暗が分かれていた。
まるでわたしと人々の間に、境界線を一本引かれているようだ。
蹲っているわたしの場所は暗く淋しい。反対にお祭りの通りは夜だというのに、活気が溢れて明るい。
何故わたしはここにいるの?
どうして皆がいるあちらに居ないの?
不意にそんな疑問がよぎった。瞬きをしてまじまじと歩く人々の顔を見る。
輝いていて、生気に満ちて眩しい。親に怒られて泣いていても、ちょっと喧嘩して怒っていても、まるで日向みたいに光っている。
それに対してわたしはどうだろう。
陽の光を浴びていない肌は、屋台の黄色い明かりを受けても青白く儚げで不健康で。顔色だって良くはないだろう。
何より目が。明らかに普通ではないのだから。
……ううん違う。目だけじゃない。
寿命も、根本的なものも……わたしは違う。
「お姉ちゃん……お母さん」
呟いて、小さく体を震わせる。
真夏だというのに何故だか寒い。背中が、……いや、そこじゃない。お腹でもなくて、胸が、胸の奥が寒いような。
「寒い……」
両腕で自分を抱きしめるように抱える。
指先も冷えているのか、なんだか腕を掴む手は強ばっている。
「お父さん……お兄ちゃん」
どうしてこんなに寒いんだろう。
もう夏で、夜とは言えここは常闇じゃないのに。人がたくさんいるのに。
「美紀……春香ぁ」
どうしてわたしはあの中にいないの?
「あの、大丈夫?」
「……え? ひゃっ!?」
一瞬自分に掛けられたと思っていなくて、飛び上がってしまった。
驚いたわたしに相手も驚いたようで、顔を上げて見えた足元は一歩後ろへと退いていた。
「あ、ごめんね。具合悪そうだったから大丈夫かなって」
「え?」
聞こえた女の子の言葉にまた驚いたけれど、それよりも驚く光景にわたしは固まった。
明るい通りを背にして、茶色い髪と浴衣に、ピンクの朝顔が咲いているその子を凝視する。
……美紀?
昔見た短かった髪は少し伸びて、メイクもしているせいか、前にあった時より大人びている。
そしてこの活発な表情と明るいはっきりとした口調。屈託のない笑顔をしている目の前の彼女。
「美紀……」
確かに、美紀だ。
高校時代、いつも放課後一緒に遊んだ美紀だわ!
「あれ? あたし自分の名前言ったっけ?」
「あ」
そうだ。美紀も鬼さんの術のせいで、わたしのこと覚えていないんだ。美紀からすれば初対面なんだ。
「ううん、ごめん。友達に似ている人がいたから、思わず」
「へぇ~! そうなんだ! 超ぉ偶然、あたしも美紀っていうの」
戸惑って言い訳するわたしに構わず、美紀はあっけらかんとして笑った。
「本当、偶然だね」
美紀、変わらないなぁ。あの頃と全然変わってない。
知らない人でも全く物怖じしないで、平気で話したり話しかけたり出来ちゃうんだもんね。
「ま、偶然はともかくとして。大丈夫? 顔色悪いし、なんかずっとしゃがんでいるから気になっちゃって」
「うん。もう平気。ちょっと夏バテしちゃって」
現世に来てから一時間も経ってないけど。
「あぁー確かに今暑いからねぇ。ホント嫌んなっちゃうよねー。ビールや枝豆欲しくなっちゃうよ~」
「あはは、それ、おじさんみたい」
こういう冗談も変わってないな。昔っからオヤジギャグ大好きだったからね。
「あたしさぁ地元の人間じゃないんだ。親戚が民宿やってて毎年手伝いに駆り出されてるの。で、今日もお祭りに参加してんだけど、そっちは?」
「え?」
「地元の人? 誰とお祭りに来てるの? ていうか、もしかして歳あたしと一緒? 今何年? 大学生でしょ?」
「えっと……」
矢継ぎ早に質問されてしまい、口ごもる。
うーん困ったところも変わっていないのね。わたしのお母さん並みのマシンガントーク……
「わたしもその、お世話になってる人にお祭りに連れてきてもらって。その人は今知り合いに会って話しているから、ここで話が終わるまで待ってたの」
うん。嘘は言っていない。
「へーそうなんだぁ。……とか言って、実は彼氏なんじゃないの?」
上目遣いで意地悪そうに笑う美紀。そして「このこのっ」と言いたげに肘でちょいちょいわたしを突く真似をする。
美紀、もしかして他にも初対面の人にこんなことしてたの? 本当に大丈夫かなぁ。今後の美紀が心配だわ。
「ううん違う違う。そういった関係じゃないし、ずっと歳上だから、絶対有り得ない」
「本当?」
「うん」
「今この近くにいるの?」
「えっと、あっちで話しているの。静かなところで話したいみたいだから」
沼の方を指さして言えば、美紀はわたしの指と暗い沼を交互に見やって、ふーんと納得したようなしないような、曖昧な返事をした。
「美紀――美紀ちゃんは、彼氏と一緒じゃないの?」
「それがさー、聞いてよ! 本当はみんなと、あぁ親戚の子ね! と一緒に行くつもりだったんだけれど、デートだって! あたしは彼氏と引き離されてこんな田舎まで出稼ぎに来ているっていうのにっ」
美紀はくぅっと片腕を上げ、顔を埋めて悔し泣きをしだした。真似だろうけれど。
「そうだったんだ……」
「まぁ卑しいけれど普通にバイトするより、こっちのほうがお給料良いし、気も遣わないからね……って、別に愛よりお金を取ったわけじゃないのよ?! 愛ゆえの出稼ぎなのよ!?」
「うんうん、分かってるから」
勢いよく顔を引き上げた美紀に、苦笑いを浮かべつつ、馬を宥めるように両手で落ち着くよう促した。
それにしても彼氏、か。
大学行ってバイトして。美紀もなんていうか、日常を楽しんでいるんだなぁ。
それに比べて……わたしは……
「あ、ねぇ? まだ待ってるの時間掛かりそう? ちょうど暇で年齢近い子いないからさ、これも何かの縁だし、ちょっと付き合ってくれない?」
暗い思考に沈みかけたわたしに、美紀は目をキラキラさせながら言った。
「こんなど田舎だからさ、そんな大きなお祭りじゃないし、ちょっとこの近くのお店回るだけで良いから!」
「あ、でも」
「なんなら奢っちゃうから! 安心して! すっぽかした親戚連中にお金は請求しちゃうから!」
な、なんてしっかりしているというか、ちゃっかりしているというか。
それはともかくとして、やっぱり鬼さんと来ているから美紀と一緒にいるのは危険だわ。何かあってからじゃ遅いし。
「ううん。そんなの悪いから無理よ。それにわたし、お金持ってないし、話が終わった時にここにいないと、凄く怒られるから」
「そんなに厳しい人なの? じゃあ携帯は?」
「わ、忘れちゃって……。でも持ってたとしても、ここで待ってなかったら怒られるわ」
「ん~そっか。残念」
ごめんね美紀。巻き込むにはいかないから。
明らかに肩を落として落胆する美紀を見ると、ギュッと胸を締め付けられた。
でも、こうして会えただけでも、わたし、とっても嬉しいよ。これだけで、鬼さんに無理言って良かったって、心底思えるから。
「ごめんね」
わたしは口に出してもう一度、美紀に謝った。




